黄金の石橋 (文春文庫) | |
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文藝春秋 |
鹿児島には「石橋記念公園」という公園がある。かって、鹿児島市内を流れる甲突川(こうつきがわ)には、「甲突川の五石橋」と呼ばれた5つの石橋が架かっていた。江戸時代末期に、肥後の名石工である岩永三五郎が招かれて建造したものだ。文化遺産ともいえるような橋で、150年もの間現役の橋として活躍してきたが1993年(平成5)8月6日の水害で2橋が流され、残った橋も重大な被害を受けた。これらの橋の架け替えをどうするかについては色々経緯はあったようだが、結局残った3橋はここに移築されて公園として整備されることになったのである。
本作「黄金の石橋」(内田康夫:文春文庫)は、この橋の架け替え問題をモチーフにした浅見光彦シリーズの旅情ミステリーである。
今回光彦は「旅と歴史」に記事を書くため、この石橋の取材で鹿児島に行くことになった。ところが藤田編集長から、ついでに知り合いの娘の様子を見てきてくれと頼まれる。今回、取材費もいやに気前が良かったようで、もうこの時点でなんだか胡散臭い(笑)。
そしてもう一つ。こちらは、「軽井沢のセンセ」を通じた俳優の絵樹卓夫からの依頼である。絵樹の母親が「金の石橋」の古文書を返せと脅迫されているので、彼の母親に会ってくれというのだ。本書ではこの絵樹卓夫というのは芸名で、本名は、榎木孝明と書かれている。つまりは、この作品が書かれた当時に浅見光彦役をやっていた俳優が、小説の方にも登場しているのである。
もっとも、榎木孝明氏が小説の中で活躍するということはなく、光彦に事件の相談をしただけなのだが、それでも光彦役の俳優が作品に登場するというのは異例といってもよいだろう。何しろ人気シリーズのこと。光彦役をやった俳優は何人も存在する。その中で、内田作品に登場するのは、私が記憶している限り榎木氏だけだ。現在は中村俊介氏が光彦役をやっているテレビドラマの中で榎木氏は兄の陽一郎役をやっているが、これも内田氏の希望によるものだそうだから、どれだけ内田氏が気に入っていたかということが分かるというものだろう。
作品には、榎木孝明こと絵樹卓夫が祖父の代に金山開発をやっていたことが書かれているが、これも実際の話らしい。この金山開発の話というのが、実は作品で大きな布石になっている。
このシリーズにはヒロインと殺人事件は付きものだ。今回のヒロインは、霧隼女子大に通う緩鹿智実という女子大生。藤田編集長に様子を見てくるように頼まれた相手であり、大学で石の文化史のようなことを勉強しているらしい。残念ながら彼氏持ちなのだが色々悩みがあるようで、時々光彦に秋波を送ってくるのだが、奥手の光彦のこと、まったくそんな方向に進むことはない。
もちろん殺人事件も発生する。殺されたのは智実の彼氏の父親。その彼氏というのは、東大を出て、東京で大手ゼネコンのエリート社員だったが、今は鹿児島で喫茶店のマスターをやっている新田翔という男だ。殺された新田栄次は、地元屈指の建設会社の社長だったが、親子仲が良くなかったことから、嫌疑が翔にかけられたのである。光彦はもちろん事件に首を突っ込むのだが、いつものように警察から散々容疑者扱いされ、兄が刑事局長と分かったとたんに扱いが180度変わるというのもお約束。
やがてこの事件は、絵樹卓夫から相談のあった事件と繋がっていくのだが、その原因が過去の因縁だったというのは、内田作品によく見られるパターンだ。一見あまり関係のなさそうなことを、うまくつなげていくというのが、内田作品の魅力の一つだと思う。ただし肝心の事件の犯人の方は、「こいつ誰や?」と思ってしまう。なにしろ光彦が真犯人と遂に対面した際に「はじめまして」(p288)といっている位なのだから、読者は絶対に犯人を推理できないだろう。内田氏はプロットを作らないことで有名だが、これもその弊害ということだろうか。
作品自体は、鹿児島の石橋に関することや菱刈鉱山の話などよく取材して書かれているので、なかなか興味深く読むことができる。実はこの作品を再読した後鹿児島へ旅行したのだが、乗ったバスがたまたま「石橋記念公園」を通ったので車窓から移築された石橋の一部を眺めることができた。こういった思いがけない旅の楽しみを提供してくれるのも、このシリーズの魅力の一つなのだろう。
(余談)
1.作中に出てきた霧隼女子大学のモデルは、当事隼人町にあった鹿児島女子大学と思われる。現在は共学となり、志學館大学に名称変更されている。
2.「五石橋」とは、玉江橋(たまえばし)、新上橋(しんかんばし)、西田橋(にしだばし)、高麗橋(こうらいばし)、武之橋(たけのはし)の五橋で、このうち水害で、「武之橋」と「新上橋」が流されたということだ。
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※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。