この物語は一つのラブストーリーだと言えるだろう。理奈と翔太の高校3年のときの1年間の物語。
理奈は宝石病(正式名は、限局性心筋硬化症)という不治の病を患っている。これは心臓に腫瘍のようなものができる病気で、腫瘍そのものは良性なのだが、ほうっておくと、肥大化して動脈閉塞や心不全を起こして死に至るという設定だ。手術をすれば10年程度寿命を延ばすことはできるが、完治はしない。宝石病というのは、この腫瘍は、シズクと呼ばれ、真珠や琥珀のように生物由来の宝石として扱われている。
宝石病と診断されたのが高校2年の秋のことだ。だから理奈の一家は、東京から病院に近い司浜に越してきた。理奈も3年になって、司浜西高校に転校してきたのだ。そこで運命の出会いをする。
実は十歳のとき、理奈は火事で自分を助けようとした父を亡くしており、家は貧乏になった。シズクはものすごく高く売れる。しかし、宿主の死後にしか取り出せない。だから理奈は大好きな家族のために手術を受けないことも考えていた。
物語は、章ごとに、理奈と翔太の視点を変えながら進んでいく。実は、作者は物語の中にある仕掛けを設定しているのだが、これを説明するとネタバレになってしまうので、これ以上は言わない。
プロローグで理奈は「ハッピーエンド」といい翔太は「バッドエンド」だと言っている。最初は意味がよく分からなかったが、読み終わった時、確かにそうだなと思った。涙もろい人なら、このラストには、涙するに違いない。
ただ細かいことを一つ指摘すると、理奈の誕生日は2月29日すなわちうるう年生まれという設定だ。そして物語は理奈が高校3年の時のこと。しかし、高校3年の1月頃理奈は恋人に次のように言っている。
「二月二十八日に手術して、それからしばらく入院するの。代わりに、二十九日がある来年、お祝いしてほしいな」(p209)
普通は、高校3年生は4月1日までに18歳になる。そして次のうるう年となるのは20歳のときである。要するに来年ではなく再来年なのだ。理奈は病気などの理由により1年遅く高校に入ったと言う設定(要するに19歳で卒業させる)なら、つじつまはあうのだが、見落としたのかと思って前の方を読み直してもそれらしい記述はない。それどころか、283ページには2年生を一つ年下と書いている。もっともこれは、翔太の視点なので、理奈が一つ上だったことをひた隠しにしていた可能性はあるのだが。
そして、これは初読時はまず気が付かない矛盾だが、翔太パートによると、翔太が理奈から宝石病のことを聞いたのは6月頃のようだ。(p74)しかし、本書の仕掛けのことを知って読み直すと、理奈パートには、病気のことを告げたのは年が変わって、1月となっている。(p209)
まあ、今の心理学によれば、記憶とはそのままの出来事を覚えているのではなく、脳が組み立てるものなので、翔太の記憶が違っていると思えばいいのだろうが。
ただ、どちらも本筋にはあまり影響はないだろうと思う。例えば前者は別に誕生日を他の日にしてもいいだろうし、後者は翔太パートを削除してしまえばいいと思う。
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