先日訪れた図書館の、「戦争と平和を考える展」の隣りの部屋は、
地域の歴史資料館になっていました。
その図書館に近い「丹生・にう」では、水銀の原石である「辰砂」を古代から昭和に至るまで長く発掘していました。
資料館には、原石や、水銀の精錬の様子の再現模型などが展示してありました。
水銀の鉱脈は中央構造線に沿って散らばっています。
*丹生では中央構造線の露頭を見ることができるそうです。
伊勢神宮(外宮)も中央構造線上にあります。
また、水銀の鉱脈は「修験道」と重なります。
修験者たちは、錫杖を持って、金や水銀などの鉱脈を探して歩く「山師」でもあったのです。
↓ 水銀の原石「辰砂」の赤い色、
(高松塚古墳の「飛鳥美人」の女性の唇の赤色はこの辰砂を使った絵の具で塗られていることがわかっているそうです。
衣装の緑色はマラカイトを使った緑青、青色はアズライトを使った群青だそうです。)
奈良の大仏の鍍金(金メッキ)はこの地で発掘された水銀を使って行われました。
全国から集められた金を水銀で溶かして、
大仏に塗り付け、火をかざして水銀を蒸発させて、金メッキをしたそうです。
水銀の蒸気を吸って、水銀中毒(水俣病)になり、徴用を終えて、
無事に故国に帰りついても、健康に生きることは叶わなかった人が多くいたことが想像されます。
(砂金から金を取り出すときも、同様の方法を使うことがあったそうです)
水銀の原石、辰砂から取り出した赤い色は縄文時代から使われていました。
水銀には腐敗を防ぐ作用があることもかなり早くから分かっていたようです。
不老不死の薬として飲用されたりすることもあったそうです。
また、即身仏になるためにも、使われたのではないかという話もあります。
体温計、血圧計、朱肉、マーキュロ、歯科のアマルガム、化粧の白粉、
殺菌灯、水銀灯、軟膏・・・そして、肥料、農薬、
かつては身の回りに、本当にたくさん水銀が使われていました。
それらが、少しづつ安全なものに変わってきたのは、進歩だと思います。
でも、昨日の新聞にアマゾン流域で発生している水俣病のことが出ていました。
「ミナマタ」は今も終わっていません。