おはようございます。
昨日は体調が優れなかったため、更新せずに寝てしまいました。
準備していたネタがアップできなくなってしまいましたので、今日は1枚物です。
札幌~釧路間は、古くから需要があっていわゆる『全車指定制』の急行列車が走っていました。古くには変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。
北海道ワイド周遊券という、北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で!」というのが当たり前だった時代、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため別に急行券・指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代に1度だけB寝台車に乗ったことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/18/cfe3e1b6f98f02e5298a513da0f470e4.jpg)
昭和56年3月 撮影場所不明 オハネフ12 急行「狩勝」
札幌駅で他の急行待ちの時に撮ったものか、釧路からこの列車に乗る時に撮ったものか、記憶が曖昧です。
この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車であることが判った為に慌てて撮ったものです。洗面所の明かり窓が横長ではなく大型であることから容易に判断できるのです。
昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったため、中間寝台車である初期のナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。この大型の明かり窓も初期車の名残です。
写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、初期の10系寝台車に逢えたことが非常に嬉しかったことは記憶しております。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。
その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、とうとうこの夏の運転を最後に廃止されるされてしまうとのことです。
急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。
昨日は体調が優れなかったため、更新せずに寝てしまいました。
準備していたネタがアップできなくなってしまいましたので、今日は1枚物です。
札幌~釧路間は、古くから需要があっていわゆる『全車指定制』の急行列車が走っていました。古くには変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。
北海道ワイド周遊券という、北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で!」というのが当たり前だった時代、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため別に急行券・指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代に1度だけB寝台車に乗ったことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/18/cfe3e1b6f98f02e5298a513da0f470e4.jpg)
昭和56年3月 撮影場所不明 オハネフ12 急行「狩勝」
札幌駅で他の急行待ちの時に撮ったものか、釧路からこの列車に乗る時に撮ったものか、記憶が曖昧です。
この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車であることが判った為に慌てて撮ったものです。洗面所の明かり窓が横長ではなく大型であることから容易に判断できるのです。
昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったため、中間寝台車である初期のナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。この大型の明かり窓も初期車の名残です。
写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、初期の10系寝台車に逢えたことが非常に嬉しかったことは記憶しております。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。
その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、とうとうこの夏の運転を最後に廃止されるされてしまうとのことです。
急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。
確か白糠線の朝一の列車に乗るのに、利用しました。
白糠駅でマルス券でしたが、回収されちゃいました。
「まりも」も2回ほど乗った事がありますが、思い出の列車がどんどん消滅していくのは寂しいですね。
旧線時代の狩勝峠に乗ってみたかったポチ!
私は釧路方面は行ったことないんです。だから根室本線は未乗区間なんですよね。今、普通列車で一番長い距離を走るのがここなんですよね。
この頃、各停で寝台付けてるのが3つあったと思いますが、山陰以外愛称名が出てきません。北海道はからまつでしたっけ?
私も札幌で硬券のB寝台券を持って、黙って出ようと思ったらどの列車に乗っていたのか突き詰められて、取り上げられてしまいました。今でも恨んでいます。
「まりも」も2回乗りましたが、さすがにマルスでしたね。
狩勝峠は何回通過したか憶えていません。ヒマですよ。地図で地形を見ているほうが面白いかもしれません。
私もDCの「狩勝」には乗っていないような気がします。夜行か普通列車だったような。
当時、B寝台車連結夜行は、小樽~釧路「からまつ」、天王寺~新宮「南紀」(のちに「はやたま」)、京都~出雲市「山陰」、門司港~長崎・佐世保「ながさき」の4種類がありましたね。
時代の流れとはいえ夜行列車が消えてしまうのは寂しい気がします。
ちょうどタイミングが合わなくてすみません。昭和55年頃の設定状況を今日アップしましたのでご参考に。
設定本数は年によって動きがありましたので、多少本数の違いがあるかもしれません。「ニセコ」が根室本線に入っていた時は、上下で本数が違うこともあったようです。
私も「からまつ」を除く全部の夜行急行に乗りましたが、急行「利尻」以外は電化区間もDD51が牽引していたようです。「利尻」は旭川までED76500だった記憶がありますね。
まあ、今となってはみんな懐かしい思い出です。
コメントの順番が違っちゃいましてスミマセンでした。
立席特約は、過去にオークションの出品で何回か見かけたことがあります。全車指定の急行列車は多々ありますが、このような特例は「狩勝」だけでしょうか?
D形指定席券に「立席特約」と印刷されていて、他では見られないスタイルですね。
大変懐かしいです。
昼行DC狩勝には数え切れない程乗車しましたが、夜行狩勝には一度も乗車した事は有りませんでした。
北海道には今や急行列車は存在せず、ちょっと寂しく思います。
写真を拝見したところ、オハネフの右斜め下側に白い手摺状の物が写っているのですが、これは機関車(DD51)のものと推察します。
これによりこの列車は下り列車ではないでしょうか?
コメントありがとうございます!
確かに、これはDD51が牽引していました。「狩勝」の札幌寄りには郵便車・荷物車が連結されていますので、おっしゃるとおり下り列車ということになりますね。私は下りの「狩勝」には乗ったことがありませんので、札幌駅で「利尻」か「大雪」を待っているときに撮影したものと考えられます。
先頭端がホームの屋根から外れており、降りしきる雪の中を慌てて撮った記憶だけはあるんですが、大変参考になるご意見、ありがとうございました。
この頃はまだ全国的に夜行列車(普通列車の夜行も含む)が走っており、まさかこのような時代を迎えることになるとは想像できなかったですね。
こんなスナップ写真でも懐かしがっていただけるとは、冥利に尽きます。また気に入った記事がありましたらコメントくださいませ。