おはようございます。
何をアップしようか考えていたら寝てしまいました。出勤前に取り急ぎアップいたします。
鉄道史上、最後まで連結されていた急行形ビュフェ、サハシ165です。
列車は中央本線急行「アルプス」。
この頃特に意識はしていなかったのですが、たまたま武蔵小金井区に写真を撮りに行った際、踏み切りで捉えたものです。
昭和56年9月 中央本線 武蔵小金井~国分寺間にて サハシ165-4
このサハシ165も好きな形式ですが、この頃は全国的にも残っていたのはこの急行「アルプス」だけ。ただ、中央線に滅多に写真を撮りに行くことは無かったので、その存在すらすっかり忘れていました。たまたま踏み切り待ちをしていたらこの「アルプス」が通り掛り、押えることができたのです。
画角が窮屈で全体が入らなかったのが残念ですが、私が撮った唯一のサハシ165でした。
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何をアップしようか考えていたら寝てしまいました。出勤前に取り急ぎアップいたします。
鉄道史上、最後まで連結されていた急行形ビュフェ、サハシ165です。
列車は中央本線急行「アルプス」。
この頃特に意識はしていなかったのですが、たまたま武蔵小金井区に写真を撮りに行った際、踏み切りで捉えたものです。
昭和56年9月 中央本線 武蔵小金井~国分寺間にて サハシ165-4
このサハシ165も好きな形式ですが、この頃は全国的にも残っていたのはこの急行「アルプス」だけ。ただ、中央線に滅多に写真を撮りに行くことは無かったので、その存在すらすっかり忘れていました。たまたま踏み切り待ちをしていたらこの「アルプス」が通り掛り、押えることができたのです。
画角が窮屈で全体が入らなかったのが残念ですが、私が撮った唯一のサハシ165でした。
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余談ですが佐橋という友達がいまして、からっぽなくせに食べてばかりいるんですよ
ほいWポチ贈呈
基本的に食堂車の食べ物は高い!というイメージがあるので、私も殆ど食べた記憶が無いのです。東海道新幹線0系と東北新幹線のビュフェでは食べた記憶があるのですが、いずれもカレーライスだったような。
食べ物に執着するサハシ君って言うのも凄いですな。サシで勝負してみたい。
Wポチども!
わたしゃ急行のビュッフェで食事した経験ありませんね。同じく東北新幹線のカレーを食しましたが。
サハシ165のバヤイは、台車見なくても窓割りで判りますけどね。
金太郎さんも急行のビュフェは年齢的に厳しかったでしょう。私は東北線の急行にかなり乗っていましたが、営業しているという意識すらありませんでした。昔は駅弁が当たり前だったし、お盆や年末年始は座席を確保するだけでも精一杯の仕事でした。
ビュッフェでなくビュフェって呼ぶんですよね。
中学、高校の頃はビュッフェって呼んでました。
私も高校くらいの時は『ビュッフェ』っていってました。最近では『ビュフェ』が定着しているようですし、ホテルによっては『ブッフェ』と表示しているところもあります。どれが正しいのでしょうかね。
サハシ451・455は比較的外れるのが早かったせいか、1枚しかありませんでした。
急行型電車のビュフェは花の生涯の如く短いものでしたけど、一般向けに先駆けて採用されたサハシ153の寿司ネタ用ショーケースをはじめ、電子レンジ、それからなんといっても立ち食い文化の浸透に貢献したことは、彗星の如く現れ、そして去っていったビュフェの置き土産のおかげだと思います。
本日はこの辺にて失礼いたします。
私も昭和40年代末期に東北急行に良く乗っていましたが、おそらくその頃は営業していたんでしょうね。営業終了してからは、夕方の小金井行きのサハシ455に乗り込み、車販準備室に潜入して遊んでいたことを思い出します。
この時代、ビュッフェとは言えども食事としてはやはり高かったと思います。駅弁もそうですが、やはり割高感から繁盛しきれなかったのではないかと思います。