ブログ開設から1周年を過ぎ、もう直ぐ30000HITなんて噂も聞こえてきました今日この頃ですが、Hさんからいただいたフィルムスキャナで、スキャニング&編集作業に夜な夜ないそしんでおります。
困ってしまったのは、35mmとブローニー、そしてそれぞれにリバーサル・カラーネガ・モノクロネガが存在すること。ネタを探しながらの作業は捗らないため、片っ端からスキャニングしているので、なかなかネタが揃わないんです。
ということですので、大まかスキャニングが完了するまでは、チョットぶつ切りのネタになりそうです。だけど、半年やそこらで終わるかな・・・。
で、今日もネタに困ったのですが、今では見ることのできない画像を発見したのでご披露してみようかと。
準鉄道記念物として大事に保管されてきたEF551。
保存されていることは情報として知っていましたが、まさか本線に復帰するようになるとは夢にも思っていませんでした。
昭和61年に車籍が復活。高崎線に営業運転を行うようになりましたが、復活運転に際する整備を実施する前に、当時の高崎第二機関区のイベントでその美しい姿を現しました。
では、そのイベントのときに撮影した画像をご覧下さい。
昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにて
本当は大きな画像で見てもらいたかったのですが、どうです?美しいでしょ!
ブローニー(6×4.5)の粒子のきめ細かさも然ることながら、いただいたスキャナもスゴく性能が良いようで、自分でも唸ってしまうほどキレイに描写しています。
ところで、この写真見て何か気が付きませんか?
じゃ、普段はあまりジックリ見ることができない第2エンドも・・・
こちら向きでももちろん営業運転できますが、第2エンドを前にすると引き出しの力が極端に落ちるらしいのです。ですから、流線型を先頭に→転車台が必要→運用が不便→少数派→淘汰なんて図式に当てはまってしまい、早くに廃車になってしまったんですね。
それでも、終点から基地への回客を逆向きで牽引してる写真を見たことがあるので、実績的には逆向き運転が無かったわけではないようです。
この国鉄末期の時代は、高崎区の職員による機関車保存の運動が活発に行われていました。当時、廃車となった各形式機関車を全国から呼び寄せ手厚く保存しており、鉄道ファンとしても一国鉄職員としてもその熱意に感動したものです。そして実現したのがこのイベントであったといっても過言ではないでしょう。
職員の熱意と努力は「碓氷峠鉄道文化むら」という形で実を結び、さらには鉄道博物館に開設にまでつながっていったと言えるのではないでしょうか。
この撮影会では他にも写真を撮ってきていますので、できれば現役時代の写真と合わせてアップできるようにしたいと思っております。
で、気が付きました?
第1エンドのスカートがそのまま掛かっていて、連結器が無いんですよ。
その後、本線運転に際しては、重連や故障時の救援対応のため、連結器部分を欠き取って連結器が剥き出しとなったのです。
だから、この写真が余計に美しく見えるのでしょう。
困ってしまったのは、35mmとブローニー、そしてそれぞれにリバーサル・カラーネガ・モノクロネガが存在すること。ネタを探しながらの作業は捗らないため、片っ端からスキャニングしているので、なかなかネタが揃わないんです。
ということですので、大まかスキャニングが完了するまでは、チョットぶつ切りのネタになりそうです。だけど、半年やそこらで終わるかな・・・。
で、今日もネタに困ったのですが、今では見ることのできない画像を発見したのでご披露してみようかと。
準鉄道記念物として大事に保管されてきたEF551。
保存されていることは情報として知っていましたが、まさか本線に復帰するようになるとは夢にも思っていませんでした。
昭和61年に車籍が復活。高崎線に営業運転を行うようになりましたが、復活運転に際する整備を実施する前に、当時の高崎第二機関区のイベントでその美しい姿を現しました。
では、そのイベントのときに撮影した画像をご覧下さい。
昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにて
本当は大きな画像で見てもらいたかったのですが、どうです?美しいでしょ!
ブローニー(6×4.5)の粒子のきめ細かさも然ることながら、いただいたスキャナもスゴく性能が良いようで、自分でも唸ってしまうほどキレイに描写しています。
ところで、この写真見て何か気が付きませんか?
じゃ、普段はあまりジックリ見ることができない第2エンドも・・・
こちら向きでももちろん営業運転できますが、第2エンドを前にすると引き出しの力が極端に落ちるらしいのです。ですから、流線型を先頭に→転車台が必要→運用が不便→少数派→淘汰なんて図式に当てはまってしまい、早くに廃車になってしまったんですね。
それでも、終点から基地への回客を逆向きで牽引してる写真を見たことがあるので、実績的には逆向き運転が無かったわけではないようです。
この国鉄末期の時代は、高崎区の職員による機関車保存の運動が活発に行われていました。当時、廃車となった各形式機関車を全国から呼び寄せ手厚く保存しており、鉄道ファンとしても一国鉄職員としてもその熱意に感動したものです。そして実現したのがこのイベントであったといっても過言ではないでしょう。
職員の熱意と努力は「碓氷峠鉄道文化むら」という形で実を結び、さらには鉄道博物館に開設にまでつながっていったと言えるのではないでしょうか。
この撮影会では他にも写真を撮ってきていますので、できれば現役時代の写真と合わせてアップできるようにしたいと思っております。
で、気が付きました?
第1エンドのスカートがそのまま掛かっていて、連結器が無いんですよ。
その後、本線運転に際しては、重連や故障時の救援対応のため、連結器部分を欠き取って連結器が剥き出しとなったのです。
だから、この写真が余計に美しく見えるのでしょう。
本当にボディが切りかかれています。元は連結器が無かったのですね。
正面の銀のモールの先端も尖ってますかな。今のは丸まってますから、これも取替えたのでしょう。
ナンバープレートも形式入りが現在使用されていますね。取り付け位置も若干違います。
私も30年位前ですが、鉄道の趣味の集まりがあって、その中の人がDD52とDF51の図面を持っていました。スタイル的には当時の国鉄イメージが強くあまり違和感が無いのですが、EH10のようなマンモス機のイメージが強かったですね。
EF55が両端流線型というのは初めて聞きました。想像してみると、そっちの方がグロく感じるのは私だけでしょうか?
昔の現役時代の写真を見てみると、連結器が出ているところだけ穴が開いているもの、現在よりも大きくザックリ切り欠いているものを見たことがあります。
保存中の写真も確か連結器が付いていたような・・・。
曖昧でスミマセンが、これが本来の姿だったかというと疑問を感じます。
失礼しました。
現役時代に機銃掃射を受けた弾痕が残ってるそうですね。愛らしいルックスとは裏腹に、歴史の証人としても貴重な車両です。
電気機関車でターンテーブルを必要とするのも異色ですね。
連結器がないと邪魔のない本当の流線型が現れて美しいです。
機銃掃射の弾痕については、私も記事で見たことがあります。戦前生まれならではのエピソードですね。
この連結器無しは確かに流美なシルエットですが、現場からしたら不便この上ないスタイルでしょうね。故障があったとき、救援の向きさえ限定されてしまいます。
しかし、この「ムーミン」って誰が付けたんでしょうね。私は全然似ていないと思います。むしろ700系の方が「ムーミン」らしい感じがするのですが・・・。
そういえばこの蟻の製品上越型にしちゃった記事がT○Sにありました。前面ツララ切り、スノープロー、ホイッスルカバー、以上三種の神器付きで。♪泣きながら~ちぎい~った写真を~手のひらにィ~、もうこれ以上は申しません、絶対にすべり(縁起悪う)ますから・・・。(爆)
コロッケがEF55に見えるとは・・・脳が侵されているか余程かたちの悪いコロッケだったのか(笑)。
EF55自体が高崎線を走っていたのは記事で見たことがありますが、上越線にまで行っていたと言う記録は見たことがありません。おそらく、平地高速型で非力なんでしょうね。
現役当時、上越線運用に入っていれば、当然それなりの装備をした可能性がありますが・・・想像しただけで噴出しそうですわ(大爆笑)。
準鉄道記念物という事だったのですが、その頃はナンバープレートは装着されておらず、手書きで書かれていました。
しかし雑な字ではなく、プレートと見間違えるような字でした。
それと機関車も整備されていて、機関区職員さんの熱意が感じられました。隣にいたスエ38も3軸ボギー車がいて、タイムスリップしたような思い出があります。
昔から高崎機関区の車両に対する熱意というのがあったようですが、国鉄末期の頃は本当に凄かったと思います。分割民営化で大量の機関車が整理される危機をいち早く察知して、全国で廃車となった機関車を解体される前に集結させたという実績が彼らの熱意を物語ります。
他の保存機もぼちぼちご紹介して行こうと思っています。