万博関係の切符は昨日の分でネタ切れとなりましたので、今晩は「SL奥久慈号」に使用するためのC56回送シーンをご覧いただきたいと思います。
長躯、京都の梅小路からやってきたイベントの達人が、目的地にもう一歩というところを捉えました。

昭和60年4月14日 武蔵野線 南越谷駅にて EF65542牽引のC56回送列車
まずは、EF65542の牽引するC56の回送列車です。ちなみに、機材や監視者を輸送するためか、緩急車を2両連結しています。
何度も言ってしまいますが、当時は国鉄職員でしたので、自局管内の臨時列車等の運用は毎月・毎日でも目を通しておりました。そしてキャッチしたのがこの回送列車の運用でした。
通常、このような特殊な回送列車は夜間に運行されることが多いのですが、このときに限っては日中堂々と運転されました。写真では見づらいかもしれませんが、ホームの端にはこの回送列車の写真を撮ろうとしている人だかりがあります。私は混んでいるところが嫌いですので、敢えてホームの中程で撮りました。

昭和60年4月14日 武蔵野線 南流山駅にて EF8063牽引のC56回送列車
こちらは、EF8063にバトンタッチした後の写真です。運転速度の遅い列車は、途中駅の退避が多く設定されますので、武蔵野操車場で機関車を付け替えた後の列車にも余裕で間に合いました。日差しが強く、2枚ともハイコントラストで見難い写真になってしまったのが残念です。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、EF65・EF80共にラストナンバー車が牽引を担当しています。局報には号機指定は無かった筈ですので、単なる偶然でしょう。
蒸気機関車であるC56が未だ現役で走っているのに、それを牽引していた電機たちが廃車になってしまうとは、因果なものですね。
長躯、京都の梅小路からやってきたイベントの達人が、目的地にもう一歩というところを捉えました。

昭和60年4月14日 武蔵野線 南越谷駅にて EF65542牽引のC56回送列車
まずは、EF65542の牽引するC56の回送列車です。ちなみに、機材や監視者を輸送するためか、緩急車を2両連結しています。
何度も言ってしまいますが、当時は国鉄職員でしたので、自局管内の臨時列車等の運用は毎月・毎日でも目を通しておりました。そしてキャッチしたのがこの回送列車の運用でした。
通常、このような特殊な回送列車は夜間に運行されることが多いのですが、このときに限っては日中堂々と運転されました。写真では見づらいかもしれませんが、ホームの端にはこの回送列車の写真を撮ろうとしている人だかりがあります。私は混んでいるところが嫌いですので、敢えてホームの中程で撮りました。

昭和60年4月14日 武蔵野線 南流山駅にて EF8063牽引のC56回送列車
こちらは、EF8063にバトンタッチした後の写真です。運転速度の遅い列車は、途中駅の退避が多く設定されますので、武蔵野操車場で機関車を付け替えた後の列車にも余裕で間に合いました。日差しが強く、2枚ともハイコントラストで見難い写真になってしまったのが残念です。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、EF65・EF80共にラストナンバー車が牽引を担当しています。局報には号機指定は無かった筈ですので、単なる偶然でしょう。
蒸気機関車であるC56が未だ現役で走っているのに、それを牽引していた電機たちが廃車になってしまうとは、因果なものですね。
記事の中でもお仰ってる通り、C56は残っていても牽引した電気機関車は無くなってしまいました。
京都からわざわざ持ってくるわけですからね。しかもスピードが出せないので、相当な時間が掛かっている筈です。2軸車だとヨ8000と9000しかトイレも付いていませんし、中の人も大変でしょう。
私も車掌になりたかったのですが、意外にお腹が弱いことが国鉄に入社してから発覚し、車掌への道を躊躇していたらクビになってしまいました・・・。
今ではJR線より東武電車のほうが、更にたか~く威圧感のある複々線の高架になってしまったが故に、南越のホーム西側はすっかりと暗くなってしまい、それに利用客も写真の頃より増えてしまうなど何もかも変わってしまったようですね。
それにしても、おノボリしてのSL回送はホントご苦労でしたけど、今だったら更にもっと苦労してたのではないかと思います。
それでは、この辺にて失礼します。