蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ナイーブなISSUE

2010-10-11 | 人生

宗教のお話。

私は、ほぼ透明に近い、無意識型・オーソドックス伝統的・ご都合・部分的・神仏派です。
やたら長いですね・・・要約すると、都合のいい時だけ、神仏頼みということでしょうか。
(ただし、仏教行事は、こなしています。
→好むと好まざるによらず、信心してなくても、義務の一部ですから)

両親は、仏教を信心していますが、私はなぜか縁あって、キリスト教系の学校に通いました。
不思議ついでに、息子もです。
学校の宗派をあまり深く捉えていない、いかに、いい加減かっていうことでしょうね。

ハロウイーンはまるで関係ないですが、
クリスマス・ケーキと、バレンタイン・チョコレートは、毎年、ぱくぱく食べています。
キリスト教徒ではないのですが、まんまとお菓子業界のワナに喜んではまり、
経済活性化に貢献しているうちの一人です。

姑は、がんがん、ばりばりの正統派仏教徒。
でも、教義や歴史背景などには興味なく、ひたすら末端信者として、下支えしています。

私が感じるには、究極は、おカネ。
どんなに信仰心が厚くても、それを具体的に行為として示すのは、
お寺へのお布施や、お供えなど、その額に反映されるように感じます。
高額な戒名代も、そのうちのひとつかも知れません。
(最近、世間では、ハデな飾り物などをやめて、お葬式にかける費用は減少しているそうですが)

心をこめて、お百度を踏む、とか、四国お遍路さん巡礼とか、
キャッシュ以外の純粋な方法もあるでしょうけれど、
熱心になればなるほど、お金で表そうとする傾向があるように思います。

それで個人個人の心が救済されるのなら、お安いことかも知れません。
仏教は自分の先祖崇拝を軸とするので、家族以外の他人に強制することもなく、
他家や他宗教、他人とのトラブルは少ないでしょう。
ひたすら自分の家のご先祖様を崇め、拝むのですから。

子のため、孫のため、ひいては子孫のため、そして、今があるのは、ご先祖様のおかげ・・・
私は昔から耳にしてきたことなので、さほど違和感はありませんが。

自分の家だけを大切にする、この教えと、誰しもが平等を謳っているキリスト教とは、
当然ながら、内容は違うようです。
ブラピ夫妻の養子や、映画「SEX AND THE CITY」にいつも登場する4人のうちの一人の例を見ても、
自分の子供もいて、違う肌の色の養子もいて、ということから見ると
血筋、血統、血縁に、日本ほどとらわれていないようで、
宗教観の違いによるものでしょうか。
(ブラピ夫妻が、何教かは知りませんが)

日本でも絶家を避けるため、養子縁組なども行われていますが、
ただし、アカの他人ではなく、血のつながった甥、姪などの関係者から選ぶことが多いようです。
結果的に、血が受け継がれないケースもありますが、とりあえずは家は継承されます。
(あ、昔の王族など、ヨーロッパでもそういう例はありますね)

いずれにしても、キリスト教にも、おカネの話はついてまわります。
(フランスのモン・サン・ミッシェルを訪れた時、現地ガイドさんから、
延々、遠方から歩いて、この地に辿り着いても、おカネのない巡礼者はほぼ門前払いし、
お金持ちの人を優先的に受け入れたということを聞きました。
真偽のほどは知りませんが、歴史には、どこにでも裏話があるようです)

それはそうと、
どの宗教も、自分を高め、信仰することで希望が持てるような、そういう効果があるのでしょう。
それぞれ、どんな宗教であれ、自分のペースで、自分の領域範囲内で、
真摯に信仰するのは、おおいに結構。
ただし、他人を巻き込むのは、断然NGです。

そもそも私は、能動的、積極的信者ではなく、熱狂信者の足を引っ張る、醒(さ)めた受動的信者。
闇雲に、わけもわからず信仰し、他人を振り回すような、冷静さを欠く信仰には疑問を持っています。

自分自身を、頭を冷やして、距離を置いて見つめるためには、よろしいかと。
(→まあ、ブログみたいなもの? ちょっと違う?)
年を重ね、あの世が近くなってくると、じわじわ、信仰心が生まれてくるかも知れません。
(今のところは、未知数です)

そもそも宗教には、各自、いろんな考えがありますし、
論争は火種となり、戦争にも発展しかねない、ナイーヴで、危険な話題。

しかし興味ない人には、
長々と、あくびが出るようなお話。
途中で、居眠りののち、また読んでいただいたかも? あるいは、リタイア?


最後まで、読破、ありがとうございました。


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