蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

矛盾だらけの、大根役者

2010-10-12 | 
私は、信仰心もないのに、エセ信者なのに、家の義務として、宗教行事を行う。
これは、よくよく考えると、まあるく納まるために、自分の心を売っている。

顔では柔和に微笑み、仏事を行い、
心は、クラシックか(それなら落ち着いていて結構だが)、ロックの音楽が流れている。
お墓参りの行き帰りに、入り口にあるお地蔵様や、無縁仏さんなども、拝み、お線香を。
ただし、義母と一緒の時だけ。
義母がいない時は、あんっ、と、首をこっくりして、両手を瞬間的に合わせるだけの、簡略スタイル。
義母に指示され、いっしょに行ってくれるMさんは、
「大奥さんなら、丁寧に拝まれるけど・・・」と、ちくり。
親や先生が見ていない時にサボる子供じゃあるまいし、いい年した大人が、しかも、もう熟年。
墓石も、心なんか、全く込めずに、ただ、ブツを磨くだけ。
お経など、とんでもない。
(聞こえるお経は、フランス語の響き)

でも、墓参りにはちゃんと真面目に行く。
義母の代から私の代に移行して、墓は草ぼうぼう、荒れ放題では、
ご近所や地元の人々に、後ろ指さされること間違い無し。
あんな墓だから、次の代になってからは、家族もバラバラ、不幸な事ばかりが起こる、
ああ、おばあさんの代までは良かったのに、あの嫁になってからは・・・
と、人々の噂にのぼる。
それじゃあ、よくないので、せめて人に見られても非難されない程度に、荒れ放題にはしないつもり。

これは、正しい信心だろうか?
帳尻だけ合わせているに過ぎない。
次の代(息子)の目には、どう映るだろうか。
本当に宗教は、ムツカしい問題だ。

そもそも嫁に行ったら、婚家に染まれ、などと、そんなハナシ、私は、あほらしくなってきている。
サラッピン状態の、嫁に行ったばかりなら、いざ知らず、
離縁されたらどうしよう・・・明日からの生活も、ままならない?
それが、時が経てば、女性も、ど厚かましくなる。
嫌なら、こんなイエの嫁、やめてやる、という開きなおり。
腹がすわりかけている。

こうやって、美しい日本の伝統がどんどん、ぶち壊れていくのだろうか。
そこまで過激ではないにしても、最低限度にしか、私は、協力しないつもり。
おイエのために生きている、そんな時代の古い倫理観やら義務感、到底、アレンジが必要だ。
全面否定する気はないが、なんらかの手直しがないと、やってられない。
古い伝統のなかで、頑張っておられる方々にはアタマが下がる。
しかし、尊敬するかといえば、すべてまるごと、頭から評価する気にはなれない。

と、ちょっと、ブチ切れました。
本当は、そんな勇気もないくせにね。
小さい人間です、私は。
しかし、今後、調整し、試行錯誤をするつもりだ。(たぶん、おそらく、願わくば・・・)