蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夏の悪夢

2019-08-22 | 日々のこと
今朝、早く目が覚めた。
今日は孫のお弁当を作らなくていいので、もう少し睡眠を貪ろうと、気分良く2度寝した。

が、せっかく朝寝が出来るにもかかわらず、結局、お弁当作りがある日の起きる時刻より、45分ぐらい早く起きた。

で、その2度寝の短時間に夢を見た。
いつも見るアレだ。
学校を卒業してない、卒業できないストーリー。
卒業するのに履修単位が不足して、あと2カ月しかないので絶体絶命という流れ。
夢の中では、わたしは本気だった。
本当に困り果てていた。
焦り、後悔、絶望、困惑、諦め、、、いろんなものが混じっていながら、
「まだ行けるかも?」
「もう無理」
を行ったり来たりしていた。

絶対無理だとわかると、「卒業しなくてもいいじゃないか」という発想が新たに湧いてきた。
誰もわたしのことなんか知らないんだし。
卒業したからって、わたしの能力には何も変わるものはないし。
あんまり変わらないかも?なんて、絶望の淵から這い上がるための、じつにいい加減な逃げ道思考をしたりしていた。
が、99%は、真剣に嘆き困り果てていた。
残りの1%は、思考停止、苦痛回避のための自己モルヒネでも出ていたのだろう。

今更、無理だ。
学業には明らかについて行けてない。
もう、どうにも変えることがない、最大の不得意科目、絶対に超えられない難関、数学。
理解出来ないで未消化のまま、解決に向けず悪化した状態で放置を積み重ね、悪戯に日々だけが経過していた。
他の数科目も、受けるべき試験も受けず、これではいけない、これでは、、、と苦しい脂汗を流しながら、真っ白なアタマをさらに真っ白にさせていた。
そのまま、困惑と絶望は続くのだが、目が覚めて、夢だとわかっても、わたしは、現実のような気がした。
悪夢から抜けきれない。

いつもいつも、そういうものに追いかけられている。
いかにサボっているかを客観的に表さず、曖昧にしたままで来ているので、罰が怖いのだろう。
やることをやらないで締め切りの期日を迎えてしまう、試験当日の朝を迎えてしまう焦燥感にいつも駆りたてられる。

今回の夢はかなり臨場感、迫力、信憑性があり、夢とは思えなかった。
まったく何もしない自分は、もはや何も出来なくなっている。
その現実を受け入れられない、焦りを伴う葛藤か。

マイナスの自分を受け入れられないで、もがいているのだろうか。
ダメな自分と向き合えない、受け止められない。
ブログで自分は救われる場合と、救われない場合がある。
自分が自分のカウンセラーを引き受けるのには限界があるのかも知れない。

夢から覚めても、まだ悪夢が続くような気がしている。
これは、たっぷり睡眠を取ったり、休養しても、疲れが取れない状態に似ているかも。
精神的に疲れることはない、無神経でタフ、マイペースのわたしなのだが。

夏の疲れが、鬱となって現れることがあるそうだ。
状態としては、夏バテに似ているが、「夏の鬱」らしい。
気温の差が激しいことも、体調を崩す原因になっているらしい。

皆さんも気を付けてください。

協力させていただきますことよ

2019-08-22 | 日々のこと
さて、今、姑入院先からの帰りです。
しかも、病院カンファレンスの後に、ひとつ別件の予定を入れて。
さらに、帰路電車、全く座れず。
こんなにしんどいことはない。
サラリーマンのお父さんたち、仕事が終わってやれやれ、へとへと、まだ若いが見てくれや見栄も外聞もなく、一心不乱に空いた席に詰め寄るので、熟年女性(わたし)と言えど、跳ね除けられる。

帰りに途中まで一緒の電車に乗った義姉。
最近、電車で席を譲られることが多いと嘆く。
結構なことではないか。
わたしなど、譲ってもらえない。
今、席が空き、すごい勢いで座るが、次が降りる駅。
たったの一駅区間の、エアコン・リビングルーム。
疲れは100倍になる。

で、今日のカンファレンス後の義姉との話し合いを短時間した。
話し合いとまではいかない。
血が繋がった人は、センシティブ、ナイーブ。
わたしの率直な感想や受け取り方を無神経に口に出せない。
何も意見や感想は言わず、沈黙。
成り行きを見て、それでよければ、それでよし。
故意に自分から提案はしない。
墓穴を掘ったり、自分の首を絞めかねない。
帰りの電車内、義姉と、お互いの孫の話オンリー。
あえて、直面している現実には向かわない。
退院後、どういう生活になるか?
義姉は、体を壊すまで頑張るだろう。

(ここからは、朝に加筆)
義姉と夫の問題。
夫は、男である自分には直接関係なく、実践者は女性二人、義姉とわたしの問題と思っている。
夫が、そう思っている限り、わたしは、動かない。
お二人でやっていただく。

おそらく義姉ワンオペでは根をあげるだろう。
わたしにヘルプを求めてる来ると思う。
それまでは、わたしは動かない。
夫の指示では動かない。
息子である夫が動かないのに、なんで(血縁関係のない)アカの他人であるわたしが、動かにゃいかん?

とかなんとか。
動く時は動くが。あくまでも保身。
実の息子がやらないことを、なんで嫁がやらなきゃならないのか、全くわからない。
二人で助け合い、シェアしあうならともかく。
義姉の夫は参加しているか?
全く微塵も参加していない。
姑の実の息子は夫、実の娘は義姉。
フル活用して手が足りないなら協力するが、息子である夫が妻に当然の権利のごとく押しつけるなら、義姉の夫も協力すべきだ。

わたしは、ただ単に姑の世話をしたくない、と言っているのではない。
夫の考え方に賛同できないのだ。
夫は、わたしの母親の世話をしたか?
一度たりとも顔を出すこともなく関与しない。
姉の夫は実に細やかに自主的に協力してくれた。
しかし、必要以上に嫁意識に縛られているのは、わたしかも知れない。
家意識や家の宗教、宗教行事、墓、遠い遠い遠縁、端々隅々に至る親戚付き合い、、、全てに対してわたしは今、激しい反発、抵抗を感じている。
積もりに積もったものが逆噴射している。
多分、外見上はことなきを得ると思う。
見た目は、これまでのように従うだろう。
だが、内面では嵐が吹き、荒れまくっている。

姑さんと同居しているお嫁さん、本当に頭が下がる。
姑さんの(比較的に)近くに住んでいる長男夫婦のお嫁さん、ご苦労様だとこころから思う。
しかし、夫の態度、考え方で妻の協力ぶりも変わる。
当たり前のごとく、当然の権利として、妻を強制労働させる権利を行使するかのような考え方には、まったく同調できない。