蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

愚痴以外のなんでもない愚痴そのもの

2019-08-29 | 日々のこと
今朝の読経代りブログが功を奏したのか、書く気持ち満々。
さあ、書こう! 孫が来るまでの貴重な時間。
(多少、から元気疑惑あり)

ブログを開く前に、スマホ画面上、LINEにくっついている「お金の悩み相談」みたいなのを何気なく読んだ。
58歳シングルマザー、大学生2人と高校生1人の子供。
末子も大学進学希望。
住宅地ローンもまだまだ残り、貯蓄ゼロ。
どうすればいいでしょう?
みたいな相談だった。
食費と通信費、保険を削って毎月5万円の貯金をしてください、とアドバイス。
厳しいなあと、読んでいた。
5万×12=60万
年間60万で、10年で600万
とりあえず、その目標で頑張ってください、とのことだった。
子供の学費は奨学金を使って借りる。
60歳になったら給料は半分になり、65歳定年。
それでも貯金を続けるとして、給料半分の収入時(60〜65歳)、年金収入時(65歳〜)、同じように支出はあるわけだから、どうやって給料が今の収入と同じ時の計算でやっていけるのか、不可解だった。
おかしい、、、不思議、、、
もう少し、ちゃんと読むべきか、、、
流し読みなもんで、どうもちゃんと理解できていない。
はなから、相談サンプルだと捉えているからか。

ブログを開いて書こうと思った内容が、明らかにその記事の影響で熱がダウンした。

わたしの悩み、不満が、あまりにも贅沢な悩みだからだ。
と言ってもお金の問題ではない。

家で夫と2人で居るとストレスが溜まる。
爆発しそうになる。
定年後、毎日、一緒にいるご夫婦は神様仏様のように光り輝いて見える。
よく、我慢しているなあ、と。
立派過ぎて、足元にも及ばない。

ストレスの原因、その1。
体感温度の違い。
夫。暑い暑い暑いと、クーラーをつける。
わたし。この涼しい天然クーラー自然の風がそよ吹くのに、夫はわざわざ窓を閉め切ってクーラーだと???
2人でいても、いつも必ずクーラーをつけることになる。
つい最近の日曜日、秋風そよ吹く気持ちよい夕方、夫のあまりのエアコン利用ぶりに、長女がエアコンのリモコンを見えない場所に隠した。
が、それもかわいそうかと、少しだけ探したら見える場所に移動させておいた、観音様のように慈悲心のあるわたし。

その2。
テレビの嗜好の違い。
なんでもかんでも、番組途中でもチャンネルをちゃかちゃか変える夫。
見たい番組、腰を据えて見ないのか?
しかも程度の低い俗悪バラエティ番組を見せつけられると、無視したくても嫌でも目や耳に入ってくる。
チャンネル権は、いつも100%夫。
それに加え、耳が悪いので、大音量。
ものすごい大音量。
補聴器をつけたら?と勧めるも、スルーされる。
ご近所でもお年寄りの一人暮らしの住まいから大音量のテレビ音が聞こえる。
騒音の一歩手前だが、防犯には一役買っている。
わたしは、見たい番組だけを見る。
見たい番組がない時はテレビを消す主義。
いつもいつも大音量でテレビが垂れ流し状態でついていると、そのうち、わたしは壊れる。

今は、時間差で、夫とは顔を合わせる時間帯をずらしている。
まだ夫は仕事100%現役バリバリなので、オフの時は100%夫に合わせている。
一生、死ぬまで現役で働いていただきたいものである。
これ、あくまでも希望。叶うわけもなく。
わたしが先に壊れるから、その時はよろしくね、と夫に言っているが、もうすでに壊れているよ、と言いたげな憎たらしい夫。
(さすがにお互い、口にしないが、こころはそんなものだろう)

表立って喧嘩はしないが、かなり険悪で、根が深い2人。
シコリは小さくはならず、くすぶり続けている。
さきほど夫が帰宅したが、扉一枚で仕切られた隣の部屋で、エアコン、大音量テレビで、寛ぐ様子。
エアコンのリモコン、うまい具合に探し出していた。さすが、、、。観音様の導きか。

扉をぴしりと閉めて、自分だけエアコンの効いた涼しい部屋で寛がれるのもアタマに来るものがある。
こちらは、扉一枚隔てて汗だく。
なら、エアコンをつけたら良さそうなものだが、、、つけるほどでもない、微妙な室温というものがあり、それが火種、火薬庫となる。
こちらは、扇風機。
またもや、夫は扉をピシャリと閉めて自分だけ涼しい部屋に。
完全に意地の張り合いである。

なんであんなにエアコンをつけたがるのか、さっぱりわからない。
つけるな、とは言わない。
つけるべき暑さの時はつけなければ、熱中症になる。
つけなくてもいい、ごくふつうの温度(3
0〜32度?)の時につける?
地球温暖化は、ああいう意識の人のせいもあると思う。
といっても、男性はそういう人がかなり多く、知り合いも、秋風が吹くようになってからも、朝までエアコン付けっ放しだと言っている。
好み、嗜好の違いか?
汗がダラダラ流れたりするような暑さではない。
自然の温度で我慢できないのか?
3部屋繋がっている部屋の真ん中の部屋だけを閉め切ってエアコンつけられると、両端の部屋は風通りが悪くなる。
ああ、不満たらたら。
性格がどうとか、頭脳や思考がどうとか、そんな問題ではない。
体感温度と、嗜好!
隣人とトラブルになって、犯罪が起きていたりするのはとてもよくわかる。
真隣で繰り広げられるイライラのモト。
同じ場所に居てその状況が継続されると、アタマが煮える。
いっときも早く、その場から離れるしか手がないと思う。
でも、住宅事情で困難な場合、、、
ヒリヒリビリビリ痛む神経を緩和させる方法を何がなんでも見つけ出すのが、苦痛から逃れるための苦し紛れの妥協策だと思っている。



今朝の読経がわり

2019-08-29 | 日々のこと
わたしは、人に向かって直接言えないホンネをズバリ書いてきた。
しかし、今、ホンネが書けないでいる。
なぜか?
あまりにもエゲツないからだ。

それを言っちゃあ、お終いよ、というようなことは、やはり、書いたらお終いだ。
自分の胸に留めておくのが、ちょうど良い納めどころ、納まり具合になる。
書いてもよい。書くだけなら。
だが、公開しては、自分としては気持ちが良くない。
自分のトゲが自分に突き刺さり、チクチクなら可愛げがあるが、グサリ一突き、致命傷となる。
自分を救うどころが、自分の息の根を止める。

哲学者は、家庭人や生活者にはなれない。
わたしは、アホで勉学を大の苦手とするので、哲学者でもなんでもなく、程遠い。
頭を抱えて仕事もせず(それが仕事だったりする仕事もあるが)、物事を追求していたら、飢え死にする。
自分だけでなく、お腹減った〜、と、うるさくせっつかれる。
女性の哲学者がいないのは、食事作りに追われるからかも知れない。
思考は三度三度、分断され、ブチ切れる。

わたしは、追求すると脳が拒否してくるので、実にわかりやすい。
脳にもう1人のわたしが、陣取っている。
眠い!
一言そう言って、寝てしまう。
おいおい、、、なんて、わかりやすい脳なの。

しかし、、、
脳とは別のところ(脳ではないもの)に、一駅にも止まらず、直行で目的地(宇宙かも)、光よりも速く一瞬で到達する非脳がある。
何も考えない、分析もしない、ただただ直感で閃く。
脳を通過していない、脳を介していないと感じる。
AIとは別の真逆カテゴリーだろう。

その直行ノンストップで訴えてくるものがあるのだが、脳が関所のように検閲する。

はい、これは言ってもいいですよ。
発信してもよろしい。
発信すべきでない、と、脳が「待った!」をかける場合もある。
一応、わたしは一般社会人なので、脳と、非脳が、コラボしている。
非脳が暴走することはない。
抑えとして、理性ブレーキがかかる。
ブレーキは、自動制御のようなかんじだ。
壊れる可能性も大いにある。

非脳は、考えない。考えられない。直感。ストレート。
生活者としては、非脳は必要ない。
むしろ邪魔かも知れない。
ピーン、ピカーっと考えもしないのに、脳に何だか話しかけている。
脳は、あらそう、よかったねー、と、適当にあしらっている。
わたしと、もう1人のわたし、なんだろう。
これが研究に活かされたら、わたしは、すごい発明家、研究家になっていただろうに。
残念ながら、アホ頭。
非常に残念の極みである。

しかしながら、ひとつだけ良いことがある。
この、考えない非脳は、ダンスには生きている。
理屈、法則、ステップ、カウント、その他、全くと言っていいほど理解できていないのに、するっと出来る(踊れる)ことがある。
ダンスは、わたしには向いている、と本当に思う。
ただし、1人で踊るダンスではなく、2人で踊るダンス。
わたしにはAIが必要だから。

結婚する時は、優秀なDNAを求めていたと思う。
頭脳、身体能力、精神、、、。
はっきり自覚はないけれど、たぶん、非脳の命令、要望だろう。
今は、子作り完了のためDNAはもう必要ないので、優秀なAIとなる人を求めている。
わたしの脳に関しては、無能扱いされ、非脳面に関しては、まったく無理解ではあるが、べつによい。
お互いに無いものを補充、補完し合うのが理想だ。

ダンスの話はさておき、
一般的に、物事の摂理、セオリーは、はっきりくっきり見えるが、それがどうした?当たり前のこと、と思ってしまう。
例えば、人間は、生まれ、やがて死ぬ。
今までどんな偉人(故人)でも死ななかった人は1人もいない。
死んでからも、身体にあれこれ薬剤を詰め込まれ、世界中の人々の目に晒される、気の毒な偉人もいる。
死んでからも安まることがない。
まあ本人は知らないからよいが。

しかしながら、自然の力は脅威である。
地球温暖化や天然資源開発などで、人間が災害を大きくしてしまった原因がある場合もある。
行き着くところは、宗教か?
信じる者は救われる。
信じていない者は救われない。
色々な神々のエッセンスだけを応用して信条にすれば良いと思うが、細かいルール、方式、なんやらかんやらが、鬱陶しい。
神さまの信じ方にはあらゆる流派があって、細かいやり方や教えの違いで、信者たちが喧嘩しているのを見ると、神は本当にちゃんと教えたのか、疑問を覚える。
○○教以外、他を一切信じるな、という教えなんだろう。

自分教にすると、エゴ人間ばかりが横行することになる。
自分教を信じる人が信じる、もうひとつ上の、元締めみたいなものがあると良いのかな、と思ったり。
世界平和○○教、みたいな。
(あるのか、ないのか知らないが。
いかにも、ありそうなネーミングだ。
もし同名の既存宗教が存在するなら取り消し訂正します)
だが、わたしは宗教アレルギーなので、どうも身体中が痒くなりそうだ。

安易なストーリー展開の映画には必ず登場する、世界を制覇したがる闇の悪役がいる。
それを安易だと揶揄するなら、代案を出さなければならない。
良いオススメ代案が浮かばない。
(ちらと浮かんだが、インパクトゼロ、チープさ500%、、、恥ずかしくて書けない)

と、非脳は、ただの無駄なおしゃべり脳なのでは、、、?
と思わせるような、締まりなくダラダラが続いてしまっている。
今朝、寺のお坊さんと最終やり取りし、行事日程が決定して、やれやれと、ほっとして力んでいた力を抜くかのごとく、ぺらぺら無駄口を叩いている??

ブログ書きは、こころを鎮める朝の読経、写経の代わり。
ナムアミー。(このお経、宗派、違うかも?同じかも?共通?それも知らない、、、)