蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

台風一過、くたくた

2019-08-16 | 日々のこと
疲れた。
くたくたに。
こんなに疲れたのは久しぶりだ。

わたしって、虚弱体質なのかしらん、、、
(深窓の令嬢風、、、うるうる)
疲れた原因を書くと、たんなる、あかんたれ、なまけもの、サボりの蓄積ブーメラン。自業自得パターン。
本当は、真実は、、、お盆と台風が同時にやってきたから、という、日本に住む人は全員同じ状況、、、その理由で疲れた。
しかも、新幹線や長時間のクルマ移動、幼児3人連れて里帰り、、、なんていうのでもなく。
スープの冷めない、ほんの至近距離から幼児が3人来ただけで、へろへろになった。
(ただし、両親は盆休みなく平常モードで勤務。
「マンマ〜っ」とギャン泣き1名、ご近所からの虐待疑惑が未だ晴れず続く要注意人物含む)
お盆に次女は「実家の実家(いなか)」に里帰りし、お盆行事を進行しながら、いなかで待ち受けるわたしと合流。
今年はいなかには泊まらず、墓参り、姑お見舞いを経て、分刻みのスケジュールで「実家」にたどり着いてきた。
で、早々に帰るというところを引き止めマンパワーを総動員し、昨日は、せっかくキッズたちを登園、登校させたのに、台風のため、波浪警報が出て、半時間も経たないうちに、キッズ、カムバック。
キッズ軍団は、そのまた前夜から泊まっていて、そこそこ疲れていたが、益々どどっと疲れた。

さすが飽食の時代の申し子。
大事に取っておいた戴きモノの大切な三田屋のハムを使って慌ただしい中、奮闘して作った朝食のサンドイッチに、「なんだ、サンドイッチか」とアタマに来る言動に親の顔が見たいが、親はお仕事で不在。
プリプリ。
でも「おかわり〜」とリクエストされたから、許してやろう。
4歳児の言葉遣いを大人のように真に受け取ってはいけない。
火を吹いて真っ赤になってアタマに来るなど、もってのほか。
サンドイッチなら、その存在を知っている、という意味かも知れない。
そう学んだ一コマだ。

遠方にある実家にお盆で帰省してくる子供一家を迎える親家族は、それはそれは大変だろう。
日頃、年寄り2人だけの静かな生活に、突如団体で押しかけられ、毎食毎食膨大な量の、おさんどん。
食事担当のおばあちゃんは根を上げる姿は安易に想像できる。

お風呂の順番も戦争状態。
夏はシャワーだから良いが、冬は最後の人は、お湯はいったいどんな水質?水温?

娘婿の実家では、帰省受け入れ卒業宣告がされた。
受け入れ側には、手伝ってくれる(同居または近くに住む)お嫁さんもいないし(痛烈、猛烈な皮肉?!)疲れて大変だから、一泊ぐらいにして、と。
娘一家は、帰省につなげて連泊代わりにミニ旅行、どこか旅館に泊まるようにしたようだ。
お互い、平和解決。
やはり幼児軍団に、どかどか押し寄せられると年配者の平和な生活、リズムは乱され、疲弊する。
来てバンザイ、帰ってバンザイ、は、まだ若い、元気なうち。
疲れて、帰ってダウン、寝込む。

子供は若いうちに産んでもらわないと、ジジババが年が行くと、子守もパワーダウン、力不足になる。
特に暑い夏は。

ちなみに、帰省はお盆、と誰が決めたのだろう?
仏さんが帰ってくるお盆に、生きている若い人々も集まろう、という慣わし?
宗教によっては、お盆に仏さんは帰って来ず、お盆という概念自体がない教えもあるようだ。
メキシコ人の死後の世界観は、お盆概念と共通しているところがある。
誰しも亡くなった人を偲ぶ機会を持ち、大切に生きろ、ということなのだろうけれど。

なにしろ、わたしは、とにもかくにも、なんでもいいから、台風とお盆は合体してほしくない派である。