蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

真っ暗な早朝

2009-10-15 | わたし
今朝は、始発電車で東京出張に行く娘を、最寄駅まで車で送って行った。
4時50分。あたりは、真っ暗。
駅ロータリーには停まっているのは、荷降ろしのトラックぐらい。

駅からUターンした帰り道、もう、出勤のため、徒歩で駅に向かう人もいた。
早い出発だ。
我家の大黒柱氏も、5時には家を出る。
その頃は、あたりはしーんとして、空気は止まっている。
人々はまだ動かない。静まり返っている。
しばらくすると、新聞配達と、牛乳配達の音で、静寂の緊張が解かれる。
彼らも毎朝、早い時間に、ご苦労様。


家族はそれぞれ、仕事をし、社会で役割を持って頑張っている。
仕事はとてもハードであるが、嬉しいことでもある。

人は朝早くから活動し始めると、たくさんの時間を有効的に使える。
ご老人が朝が早いのは、なにもそういった前向きの考え方からだけではなく、
単に夜、早く寝るから、朝が早いのだと思うが。
たっぷり眠ることが出来るのは、若い人の特権のようで、
年を取ると、そう、延々と眠れないようだ。

夜型から朝型に移行している私も、夜遊びは卒業?
朝型人間になっている。
夜通し遊べて、嫌というほど眠れるのは、若いうちだけなのかな。
夜という時間帯には、もはや私にとっては刺激はなく、安らぎの時間を求めてしまう。
これって、年を取ったのだろう。
逆に考えると、若い間は、大いに学び、仕事をし、遊び、爆睡してもらいたいものだ。

さて・・・
のそのそと、ゆっくり、本日の支度に、とりかかります。

心と体が、弱っている

2009-10-14 | 趣味
連休のあと、緊張もほぐれ、平常心でレッスンに臨んだ。
今回は、これといったことはなかったのだが、
やはり、私には、トラウマが根付いている。
そのトラウマは、霜降肉の、脂と肉のように、切り離せないで
叩き込まれたダンスの基本と、混ざり合っている。

「出来た!!」と、いい調子になって、喜んでも、次の瞬間は、奈落の底。
それを知っているので、レッスン時間中、ずっと気が休まることなく、緊張しっぱなし。
その場で覚えられない。
何回やっても、レッスンの間には覚え切れない。
1回出来ても、完全に、ものにしているわけではなく、また間違える。
レッスンの後に、自宅などで、何度も何度も何度も繰り返し、反芻、復習して、やっと覚えられる。

アポロンのお手本を必死で見て、覚えようとするが、
なにしろ、その場では覚え切れないのは、私の限界というものだ。
レッスン以外の場で補強しなければ、無理なのだ。
しかし、覚えきれない私に、アポロンは、容赦なく、怒鳴る。
それが怖くて、声も小さく、なにごとも自信なさげな私。

今日は、ずっと良くなっていたよ

アポロンに、そう言われても、心と体が反応しない。
なんだか、落ち込んだまま。浮上しない。
よほど、トラウマは堪えたのだろう。
そして、自分の能力をひしひしと感じる。
はじけない自分、弱っている自分。
おまけに、股関節に痛みを感じる。
老化??
レッスンで、ポーズを決めるときに、無理があった?
今後、とことんやることは、きっと出来ないだろうという、悪い予感がした。

競技の選手でもないし、プロでもないのだから、そんな悩みなんて、無いも同然。
でも、心と体が、なぜか重い。

自分で、能力の限界、天井を勝手に作って、それ以上伸びようとしないのは、良くない。

アポロンは、そう言う。
などほどね・・・アポロンも何万倍と苦悩してきたんだろう。

アポロンと私は、全てが違うけれど、
私も、そうやって、アップ・ダウンを繰り返して、少しずつ進むのだろうか。
それとも、少しずつ、下降していくのだろうか・・・。

井戸端会議

2009-10-11 | お付き合い
昨日、時間調整のため、社交ダンスのグループ・レッスンのあと、おしゃべりに参加した。
コーヒー&ケーキで、ねばること1時間半。
ビジネス街の店内のお客さんは、次々と入れ替わり、最後は我々だけになった。

クラスメートは、大別すると、若いグループと、年配グループに分かれるが、
今回の井戸端会議メンバーは、若い方の3名。
私は、このクラスには彼女たちより3か月早く入ったが、ダンス歴はもっと長い。
しかしながら、年齢は私の方が、さらに7~8才は若い。
出るわ、出るわ、クラスメートの悪口、目いっぱい、口いっぱい。

特にKさん(年配グループの女性)に集中攻撃。


Kさんは、ほっんとっ、頭に来るわ。
 私が落ち込んでる時に、人の神経を逆なでする言語、無神経やわ。
(私も気をつけよう。無意識でやっている可能性あるなあ)

この前も、Yさんが、お友達の病気のことをしんみり話しているときに
 割って出てきて、全く関係のない自分の話をべらべら。
 「何、考えてんの!?」って、思ったわ。
(私も、それ、よく、やってるかも・・・)

私のこと、「奥さん」って、いつも呼ぶんだけど、ちゃんと名前覚えてないみたいやね。
 古株のMさんやSさんには、名前で呼んでるのに、名前が覚えられないんやね。
(私も覚えてない・・・)

もう何年も何年もレッスン、同じ内容を教わっているのに、未だに覚えられないみたいやね。
 (Kさんは、長く受講、若手グループは、今年からスタート)
 「毎年、同じ内容ですわ」と、ぼやくぐらいなら、「早く覚えろっ」って思うわ。
(若い時とは違って、年がいくと、なかなか覚えられないんやって)

みんなストレス抱えて生活してるのに、発言や行動が無神経すぎるわ。
(私、全然ストレス感じてないんだけど。でも、そんなこと言ったら、攻撃されそう・・・)

私のプライバシーにかかわることを、誰が聞いているかも知れないのに、
 みんなの聞いている場所で、言うのよ!! どう思う?
(しかし、そんな重要なプライバシーをなぜKさんが知っているの?
 Kさんにではないにしても、自分が誰かに話したってことでしょう? 
 人に知られたくないことをなぜ、軽々しくクラスの人に話すのか、理解不可能・・・)



私はいつも仕事の関係で、アフター・スクールのお茶は、めったに参加しない。
もし、ああいう悪口たっぷりトークに、いつも定例でお付き合いする羽目になったら、うんざり。
たまたま昨日は、時間調整のためもあるが、時間が空いている時には、顔を出しておかないと、
発表会などの団体行動のときに、仲間に入れてもらえないと困るかなぁと
たまには、お付き合いしようと思って、
誘われもしていないのに、自分から申し出て、お茶に参加したのだが。
あんな小さな人数なのに、派閥があるようだ。
私は無所属にしようと決めた。

参加するんじゃなかった・・・・・
一匹狼のほうが、ずっと気楽だ。
集団で群れるのはどうも、私の好みではない。
そして、おしゃべりは、ごくごくごく、たま~~に、が、いい。
いつもぺちゃぺちゃ、人の噂話って、時間の無駄。
しかも、悪口。
その悪口の内容が、私なら全く不快に感じないようなことが多い。
ということは、私も、悪口を言われているかも知れない。
あるいは、悪口を言われないようにするには、おつきあいしないこと、
何も言わないこと、そういうことになるのだろうか。

Kさんのことを、私は、全く不快に感じていないのに、
(むしろ、ユニークな人だと思って、いつも笑わせていただいている)
人によっては、ああも180度違った受け取り方をするのものかと驚いた。
第一、習い事の生徒同士で、なぜそんなに接近するのか、不思議。
習いに来ているだけなんだから、別に、レッスン以外に、
何もほかに共通点を見出す必要もないと思うので、私は、いつもさっさと帰る。
たまに、覗いてみたら、あんな内容だったというわけだ。
半分は、以前に聞いた話(ぶりかえし)、4分の1は、Kさんの悪口、
残り4分の1は、主に話す人(Nさん)の周辺ネタと、レッスンの諸々について。
つまり、新鮮な画期的、建設的な話題は、これといってなく、単なる時間つぶしのようだ。
あの1時間半は、5~10分ぐらいの内容か?
もう、井戸端会議はは出席しないことにしよう。



あと5分

2009-10-09 | 読む人々には興味ない話
あと5分あれば、何ができるか?
何をするか?


貴重な休み時間を、インターネットバンキングで20分も使ってしまった。
私が会員になっている、とてもおカタイ「女性の会」への通信年会費を振り込んだ。
この会は、社会や家庭をグチるばかりではなくて、考え実践する、
その行動力はたいしたもので、議員さんも数名、輩出している。
私は、アタマとカラダ、指定された日時に時間を割くのが面倒(パワー不足)で、
10年以上前からは、もっぱら通信専属の幽霊会員に、なり下がっている。

しかしまあ、めちゃめちゃカンタンに、ネットバンキングで、するするとお金が移動する。
あんまりカンタンすぎるので、一日の振込限度額を6分の1に減額した。
パスワードも変更しなければいけないのだが、新しいのにすると、忘れてしまうので、そのまま。
秘密の質問を設定するのだが、凝った内容にすると、自分で答えられないし、
メモを残しておいたりすると、話にならない。

義母が、先日、新しいキャッシュカードの暗証番号を「生年月日」にすると言うので
猛反対した。
次なる番号は、「電話番号」。当然、却下。
すると、また別の番号にするのはいいが、冷蔵庫にしっかり、きっちり、番号メモを貼ってある。
「だって、忘れるから・・・」と彼女は言う。
確かにそうだが、自分もわかりやすいものは、他人様にもわかりやすいので、
お願いだから、やめてほしいと懇願する。
どうにか、別の番号で落ち着いた。
私自身は、今は、生体認証カードに切り替えたり、セキュリティには気を使っているが
近い将来は、ああなること、間違いなしだ。
安全、安心のため、と、がんじがらめにして、結局自分でもロック解除できない。
そういう自分が、そう遠くない将来、いるに違いない。


さあ、あと残りわずか。
毎日のように、ブログに何かをアップする習性がついてしまい、自分ながら困っている。
なにも発信する内容がなくても、アップしようという、
以前に私が警告したにもかかわらず、自分自身が「本末転倒」の罠に陥っている。
話題を絞らない、まとまりのない、とりとめない5分間のおしゃべりになった。





タイフーン去りぬ

2009-10-08 | 時事&世の中
テレビで、あんなに騒いでいたのに、
なんとまあ、すんなり去ってしまったものだ。(我が家周辺地域)

「家庭での台風前の準備」などなど、あれこれ前日は各局報道合戦。
すっかり、乗せられて、物干し竿や植木鉢、外にある、こまごま小物を片づけた。
軒先にぶら下げてある大量の玉ねぎも取り入れた。
自転車や、二階のベランダのイスも倒しておいた。
木製のテーブル&椅子も折りたたんで、地面に寝かせたり、
資源ごみの日に出そうとしていた、10本以上あるお酒の大型ボトルも、家の中に入れた。
宅配牛乳瓶箱や大型コミペール2個など、玄関内は、いっぱい、いっぱい。
網戸も外しておいたほうがいい、とのことだが、網戸が多すぎて、無理。
あきらめた。
懐中電灯に電池を入れようとして、入れ方が間違っているのか
なかなか点灯しない。モタモタして、焦ったが、どうにか点いた。
まもなく夜中に停電になったり、回復したり、また停電になったり。
いったんリセットになった電気系統の時刻を合わせたり、スイッチを入れ直したり。
強まる雨風の音で私は、コワくてなかなか寝付けなかった。

あくる朝は、もう、始発から電車は運行していたが、駅まで家族を送る車が多く見られた。
公立の小中高校は全校休校。
小さなお子さんを抱えて働くお母さん方、大変だろうな。

「はずした物干し竿が泥だらけになったので、なおす時に、ついでに、奇麗に拭いておいたわ」
と、言っている人もいた。
私も全く同じことをしていた。
デパートの地下は、食品が結構売れ残っていた。
台風で客足が遠のいたのだろう。
売れ残り生鮮食品を売りさばくため、夕刻にはコストダウンになり、あれこれ買った。
山と積まれた野菜を熱心に掘り出すシーンも。
まるで、催し会場バーゲンの洋服を引っ張り合うようだ。
女性は強し。
生活力旺盛だ。

あっさり、台風は行ってしまったけれど、こちらは大きな被害にならなくて、よかった。
「備えあれば憂いなし」
でも、カラ振りで、ちょっと、嬉しいような、気が抜けるような・・・
そんなこと言っていたら不謹慎。
今回は無事だったが、またいつ、どんな災害がやって来るかもしれない。
当たり前のように、毎日、平穏に暮らしているが、
家が吹き飛ばされたり、生活の場を失うことだってあるのだから、
安泰で過ごせることに感謝しなければ・・・。



血管が切れるとき

2009-10-06 | 趣味
私のダンスTeacherアポロンに、先週はお褒めいただき、
昨日は比較的楽な気持で、レッスンに臨んだ。
さあ・・・今週はどんなかな? どきどき、ワクワク。

と思ったのは、最初の数分のみ。

基本のカウントを取りながらのウォーク。
違う!
えっとぉー
違うっ
えっとぉー
えっとぉー、やないやろっ
すみません
わからんのかっ?
あの・・あの・・・
あの・・・やないやろ。わからんのやったら、どこが、わからんのか、言ってみい。
 言わんかったら、わからんやろっ。
は、・・・ぜんぶ・・・


なんで、こんなカンタンなことが出来ない???
 こんな、本当にカンタンなカンタンな単純なこと、なんで出来ないのか、理解できんっ
はぁ・・・なぜなんでしょう・・・頑張ってるんですが・・・
ありえんっ

あのな・・・指導してもらおうと思ったら、それだけのことは、しないと!
 (怒りを噛み殺して、爆発しないように必死で堪えているオトナのアポロン)
 ぼーーっと突っ立ってんと、さっさと、やってみんかぁ。
 次から次へ、出来るようになるまで、やるんやぁ!
(汗だく、笑顔なし。涙出そう・・・)フォー・ワン。ツー、スリー・・・よろよろ、ヨロヨロ
ヨロヨロ、するんやないっ

ストーーーっプ!!  
 違う、違う、違う、違う
 何回言ったらわかるんや~。もう、言わんからな。
 3回言っても覚えようとしないヤツには、もう注意はしないからな!

あのな、オレはプロの踊り手や。そんな踊りはな、我慢できないんや。
 最初が肝心や。そこで、許してしまったら、ずっとそのままや。いつまでも出来ないんや。
 キレイに踊りたいんか?
 それとも、だらだら楽々踊りでいいんか?
 どっちや?
キレイに踊りたいですっ!それが目標ですっ!! 頑張りますっ!!

最後の最後まで、アポロンは切れっぱなし。
その日の習得確認のウォークをしたら、あれれ??覚えられていない???
私のアタマ、ザルに水??
アポロンもさすがに、大動脈瘤・破裂直前のような顔。

フォー・ワン。ツー、スリー・・・よろよろ、ヨロヨロ
恐ろしいアポロンの顔はちらりと見るだけにして、あとは意識を集中させ、
何回も何回も、やってみた。
とりあえずは、どうにかスレスレセーフだった・・・。あーーー、恐ろしかった・・・

あれが、ちゃんと出来てなくてクリアーできなかったとしたら・・・
考えただけでも、恐ろしい・・・
鬼と化した腕組みアポロンの前で、いつまでも、いつまでも、エンドレスにやっている図は、
想像もしたくない・・・

先生、私、もともとアホなうえに、老化現象で、覚えられないんです。
先生は、お若いから、そんなこと理解できないでしょうけれど。
もっと、年寄りをいたわってください。

と、何回言おうかと思ったことか・・・。(言わなかったけれど)

レッスンが終わったあと
アポロンは、「レッスン、あんなかんじで、いいですか?」と笑顔。
私は、その笑顔には反応できず、怯えながら
「は、刺激になっていいです」と、へらへら言う。
しっかりトラウマは根付き、少々のアポロンの笑顔や褒め言葉には、動じなくなっている。

というわけで、今もあの恐怖が残っている。
昨夜は、帰ってきてから、自宅のリビングで、何回も何回も復習を繰り返した。
あれ? あれれ? 忘れちゃってる。
来週のレッスンを考えただけでも、濃いブルーの深い闇に落ち込んだ。





太陽、地球、月

2009-10-05 | 
ワインが、なぜか、いつも家にどっさりある。
常日頃、箱のまま積んであるが、ついに、ワイン・セラーなるものが来た。
ワインを適温に保つ、ワイン専用電気貯蔵庫だ。
家人がオーダーしたものだが、音がうるさくて、どうも気になる。
要らないんだけれどなあ・・・、こんなもの。

私はどうして、こんなに食べ物に、こだわりがないのだろう。
家人は、こだわりの人。
特に高級なものが大好き。
昨日、飲んだのは、自他共に認める超グルメの知人が厳選した赤ワインなのだが、
確かにそのワインと、お届け牛肉(なんと、格付け証明書付き)は美味しかったが。

私は、美味しいものはオイシイと感じるのだが、
それはそれで、「で? それが?」と、なってしまう無粋人。
美味しいものは、美味しくないものよりいいし、キレイなものは、キレくないより、いい。
なんでも、良いものは、良くないものよりいい。
否定する気はさらさらない。
なのに、なぜか、こだわりがない。
これって、いい意味で言うと、柔軟性があるってこと?
悪い意味で言うと、なんでもかんでも、受け入れやすく、評価基準がアマい。
間口は広いが、専門性がない。
「絶対、これだけは、ありえない」という最低基準は、自分なりには持っているが。

皆さん、いろんなものにこだわっているのを見るにつけ、興味深く拝見している。
こだわりの分野も、人それぞれ。
素敵なものや、楽しそうなものを見るのは好き。
光り輝く太陽の周りをぐるぐる自転しながら回っている地球。
私は、その地球の周りをひっそり人知れずまわっている、月みたいなものだ。
(月ほど、ロマンチックではないが)
決して、自分では光を発しない。

影響を受けたものを自分なりに吸収し、時には反射する。
自分は強力な鏡になることもある。
そうやって、知らず知らずのうちに、自分の一部になっていく。
それは錯覚かも知れないが。
受け身で、スロー・スターターってことだ。

なんでも一期一会の精神で、ありがたく接することを心がけたい。

人の動き、時の流れ

2009-10-03 | 時事&世の中
ちょっと息切れになってきている。

外の世界にも接触しているにもかかわらず、私のセンサーが作動しない。
自分の内面に解決すべき事柄があると、なかなか外の世界に目が向かない。
なので、ここで、一息、お休みします。

無我の境地で、水泳、トレーニング。
これは、いい気分転換になる。
今、私は平日昼間に週一日だけ、フィットネス・クラブに行っているが、
その時間帯に利用される会員の皆さんのお話を、傍で聞いていると、
人生の先輩方との年齢のギャップを感じる。

昼間は現役を引退したシニア層が多い。
男女共に、バリバリ現役の人の姿は、ほとんどない。
そういう人は、多忙で来れないか、
来るとしても、平日昼間ではなく、夜間か休日利用となる。
(ただし、有職主婦の場合は、困難を極めるだろう)
無職の主婦層は、平日昼間でも、シニア以外は、あまり見かけない。
忙しい有職の人が、仕事帰りやオフタイムに利用するのに比べ、
比較的時間の余裕がある(シニア以外の)無職の主婦たちは、なぜ姿を見せないのか?
子育てや、趣味の世界に忙しいのだろうか。
時間的・経済的余裕のあるなしにも左右される。
あるいは、同じスポーツでも、健康を意識した、誰でもできる軽度のものより、
もっと、アクティブなスポーツ、結果を競う種目、プロによる個人指導を受けるなど、
自分を高める挑戦型のものに取り組んでいるのか?

で、まとめてみた。
あくまでも、私の利用しているフィットネス・クラブにおける考察だけれど。
総論として(いきなり→サンプル数、少なすぎ)、
フィットネス・クラブを利用するのは、
有職、多忙だが、運動を取り入れたい人(→夜、休日利用)、
そして、全日、時間にゆとりがある健康志向のシニア層が大半を占める。
シニア以外の無職主婦は、利用はほとんどない。
かつては、カルチャーセンターやフィットネス・クラブは、無職主婦で活気づいていたが、
いまや主役はシニアになっている。
もちろん、例外もあるが。
(シニア以外の)主婦は有職となり、無職主婦の数が激減していると思われる。
また、カルチャーセンターという、デパートみたいな無難な一般的ひとくくりから
さらに専門化、細分化した、特化追求型のお稽古ごとに移行しているのかも知れない。

現役世代→目標を掲げ、チャレンジ。自分の限界まで突き進む。
シニア世代→目標は現状維持、健康志向。ゆるやかに下降をサポート。



いずれにしても、今の年齢のときにしか出来ないことをしたいものだ。

そんなこんなで、一呼吸したら、
さあ、また始動しよう。エンジンをかけて。


リア充?ネト充?

2009-10-02 | わたし
インターネットに棲息している人は、リアル(現実の生活)が充実している人と、
充実してない人がいるらしい。
充実している人のことを「リア充」と呼ばれているとか。

リアル生活が充実している人は、ネット内で憂さを晴らす必要などないのだが、
私の場合、リア充でもあるが、ネットオタクでもある。(ネト充?)
こういうのは、きっと純正リア充と言わないのだろう。

掲示板を荒らしたり、炎上させたりして、他人が困るのを、
遠くからパソコンを通して、愉快犯のように楽しむ趣味は、私には全くない。

人を貶めるのは、自分としてもちっとも嬉しくないし、活力にもならない。
私は、直接本人に言えないこと、あるいは、人が聞いてくれないようなクダラナイことを
ブログという、電子落書き帳に書き綴っているに過ぎない。
リアルの他人様に、ダラダラそんなおしゃべりに付き合ってもらうのも悪いし、
お互い、時間のムダ。
それで気が晴れるわけでもないし。
各々が自分流に時間を使えるインターネットなら、合理的だ。

私は、考えをまとめたりするために、ブログを利用することもある。
(もちろん、そうじゃない時もある)
まとめることによって、出来事や題材の奥行きを味わい、再認識する。
その結果、意外な一面を知ることになる場合もある。
なかには、ブログにアップするために、リアル生活を演出している人もいるようだが、
それは、本末転倒だと思う。
借金返済の自転車操業に近いものがある。

リアル知人の方が私のブログをを読んでくださるケースもあるが、
それまた別に、気にしていない。
読まれて困るような、大嘘や、でっち上げは、綴っていないので、なんら問題はない。
というか、こんなブログにまで、おつきあいくださって、ありがとうございます。

かつて、心理学や、性格分析の本を熱心に読んでいた頃もあったが、
私は、「内向的性格」に、どんぴしゃり、当てはまる。
そういった人々も多くいるようなので、特別、変わりモノでもなさそうだ。
というわけで、私は、リア充、かつ、ネト充なのだ。

幸せは、考えてもやってこない。

2009-10-01 | 人生
義母は、日本古来の伝統的・正統派・宗教を信心している。
かなり熱心な信者で、お墓そうじ、お参り、お供え、読経、お布施など、
心物両面で、手厚く惜しみない熱情を注ぐ。
しかし、肝心の信心の元となる教義や歴史、時代背景、変遷などには、ほとんど無知。
そんなものは、すっとばして、毎日の行いで、信仰を実践している。
末端の信者というのは、ああいうものなのか。
お寺さんとしては、喜んで無条件で付いてきてくれる、大のお得意様である。

義母は、子供の教育にも熱心だ。
ただただ、がむしゃらに頑張っている姿は、尊敬に値する。
だが、具体的な、表面に現れているところは敏感に反応するが、深いところは関心を示さない。
なぜだろう?

先日、お彼岸の日に、義母の家に行った時の話題。
義母「このあたりの地域は、田舎なのに教育熱心よ。
先日も初めて聞いた話なんだけど、どこどこの誰誰は、一番上の子供さんは○○大学を出て、
○○に就職して、二番目は、これこれで・・・・優秀な人が、ごろごろいるのには、驚くわ」
と目を輝かせて説明してくれる。
「はぁ、そうですか。へえ、そうなんですね~」と、辛抱強く丁寧に、話を聞く私。
なるほど、人口の少ない小さなエリアの割には、比較的多くの優秀な逸材を輩出している。
そこで、私のコメント。
「この地の歴史を紐解くと、安土桃山時代にはすでに○○が、○○にまで足を伸ばし、
ひいては、その全国行脚に出かけた地域には、全国からも色々多彩な人が集まり、
そこで情報交換して交流したのでしょう。
それを、この地に持ち帰り、その結果、新たな文化の礎を築いたんでしょうね。
教育熱心な土壌は、昔の人々の交流がもたらした賜物かも知れません。
でないと、こんな田舎の小さな地域に、そんな画期的な教育の芽は育ちませんよね。
あくまでも私の想像ですけれど」

私がそう言うと、義母は赤い顔をするだけで、反応なし。
しかたないから、もう一度、手を変え品を変え、説明し直した。
が、結果は同じ。
そうか、そんな話、義母は興味ないんやー。
ある程度、年齢を重ねると、自分とは直接関係ないことは、面倒なのだろう。
あれだけいつも、うちの家は、どうたら、ああたら、と自慢してるのに、
肝心の背景となる、その地の歴史やルーツは、ご存知ないようだ。
自分の家や一族だけしか見ないようだ。
というか、見えてない。
蔵で私が見つけた、とても古い書物にも、「そんなん、あった? 知らないわ」と、無関心。
ふ~む、なぜなんだろう?
あれだけ家に尽し、家にために人生の大半を捧げたにも拘らず、
そういうことには、いたって関心が薄い。

私が想像するには、彼女の人生には選択肢がなかったからだろう。
嫁に来るのも、子育てするのも、自分で自ら能動的に選んでしたことではなく、
当時の時代背景によるものが大きいが、
狭い視野から頑なに、こうするべき、と、自らをがんじがらめにしたからだろう。
自分がもし道を能動的に選ぶとしたら、もっと深く考えるはず。
熟考しても、結果的には選ぶ余地がなかったので、
あるいは、熟考したが、消去法・消極的選択で、今の道がまだ一番マシだったので、
それ以後は、プロセスは、はしょって、結果だけを最重要視したのかも知れない。


目が開いたところで、どうしようもない現実が横たわっているとすると、
目が開かない方が、幸せだ。
毎日毎日の現実をクリアーしていくのが精一杯で、考える時間や余裕がなかったのだろう。
その方が、幸せかも知れない。
「幸福感の欠如」「目標がない」「生きがいがない」など、現代人の抱える問題ともつながる。

かつての日本のように、
目標に向かって、ひた走る方が、充実感、充足感に満ちあふれているだろう。
幸せは、あれこれ考えない方が、手っ取り早くやってくるものかも知れない。