先日、テレビドラマで木村佳乃が演じていた役柄。
面白かった。
小さい頃は、学校でいじめられていたが、成長に伴って、
さえなかったダサい自分が、おシャレをすると、ステキに美人に変身し、まわりもチヤホヤ、人気者になっていく。
そういう自分をクールに発見する。
それまでの自分とは打って変わったように、前向き、アクティヴで能動的な人生を送る。
仕事にもやる気、実力を発揮し、のし上がっていく。
この人、事件の犯人なのだが、わざとらしいオーバーな演技(わざとやっていると思える)が、興味深くて笑えた。
自分の眠っていた、隠れていた長所や美点を、偶然、あるいは、苦労の末、発見、発掘してしまうこと。
これ、自分の美点を自覚すると、良さ、味わい、特徴が微妙に変化する。
鼻持ちならなくなる。
では、無自覚が良いのか。
宝の持ち腐れ。
いったん気付いてしまった場合、わざと無自覚を装うと、隠れ嫌味人間になるかも?
前述のドラマのように、
いっそ、開き直って、思いっきり自覚して、それを武器にさらにステップアップするというのも、豪快かも知れない。
まわりから、あれこれ同じ内容で褒められると、本人もその気になるのが普通だ。
それにも負けず、「いえ、自分はそんなことはありません」、と否定に近い謙遜をし、鍛錬を重ねる。
謙虚、一徹。ますます磨かれる。
頭が下がる。
が、そんな人は、稀。
わたしは、最近、「鼻持ちならぬ病」に冒されかけている。
それは、ホメ言葉を真に受けるのだ。
こちらから投げかけたお世辞に対する、先方からのお返しのお世辞である場合が多いにもかかわらず。
わたしが最も喜ぶ、同じ表現をされることが多いので、
自分は、ひょっとして、ほんとうにそうなのか?と、勘違い一歩手前である。
自分という人物。
他から見た評価。見え方。
自覚したくないのだが、自覚しそうになっている。
せっかくの美点が・・・(自分で言うか)・・・青い鳥が、黒くなりそうで、恐れている。