難しい本を、い~っぱい読んでいる人がいる。
文句なしに、掛け値なしに、こころから尊敬申し上げる。
なぜなら・・・わたしは、そういうことに憧れても、出来ないからだ。
憧れるのなら、少しでも読書すればいいではないか。
が・・・脳が受け付けない。
脳の、どこかの部分が潰れているのだろう。
プロセスはいいから、結果が知りたい。
はやく結果が知りたいので、肝心の、結果を招くまでの過程を軽視する。
あるいは、過程は、まったくちんぷんかんぷん、理解できなくても、答えだけを知りたがる。
問題、設問を読み、答えだけを丸暗記するタイプか。
なぜなんだろう・・・?
おそらく、自分で考えると、迷宮入りするからだろう。
だったら、なおのこと、人の意見や考えに触れると、ヒントになると思うのだが。
原書を読まずに、原書を読んだ人の書いた総論や感想、そのまたそれを要約したエッセンスを読むのかも知れない。
はやい話、難しいことは、理解できないのだろう。
理解しようとすると一生かかっても出来ないので、誰かの考えを参考にして(盗んで)、
さも、自分で感じたかのように、錯覚して摩り替えているように思う。
それを教養だと、おぞましき勘違いをしているとすると、恥ずかしすぎる。
でも、いいんです。
遊ばないといけないので、勉学やら教養やらに時間を割いているヒマはない。
サボるためには、手間ヒマを惜しまない。(逆説か)
小説は全く読まない。
創造の世界だから。
だが、事実をベースにしてある場合もあり、真実より真実っぽいものもある(ようだ)。
読まないから、なんとも言えない。
要するに、文字が嫌いなんだろう。
そのくせ、映画は、必ず字幕スーパーにする。
日本語吹き替えは、俳優と声優の、0コンマ数秒の時差のようなものを感じる。
映像の臨場感を、録音スタジオで遮っているかんじがする。
アニメは、好きでない。
だが、映画アニメは嫌いではない。
リアルより、リアルらしいところが、感激。
感性派ということか。
だが、映画でも、自分なりの鑑賞のツボがあり、
まったく、なあ~んも考えていない、表面の映像だけを観ている人とは、感性が合わない。
なので、人の意見は我関せずで、自分の中だけで楽しむことにしている。
テレビ好きの、ヒマさえあれば、チャンネル・ザッピングをしている人間とも感性が合わない。
むしろ、嫌悪感を感じる。
観たい番組だけを観るのは、賛成であるが、
四六時中、テレビがついていないと落ち着かない人と、時間をともにするのは地獄である。
が、共有空間を余儀なくされる事情があるので、致し方ない。
自分の感覚に触れて気分が悪くなるのを避けるため、極力、五感を閉じて、感覚が働かないよう麻痺させ、
気にしないよう、努力している。
せっかく、読書する人を褒める記事を書こうとしているのに、
しょうもないことを書いて、自分で自分を貶めている。
しょせん、わたしは、この程度の人間である。