蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログなど、見るものではない

2015-04-22 | ブログ

行きの電車の中での読み物として、一番好きなのは、自分のブログ新記事。
なので、なにもアップしていない日は、電車の中は、退屈である。
究極の自分好き。どっぷり自己陶酔。自意識過剰、人間。
他人の目からは、そうとう気持ち悪い。

その気持ち悪さが、自分だけでは納まらない、そうとう気持ち悪いものを今朝、見た。
ブログのアクセス解析機能から、一つ前の閲覧元がわかるのだが、
わたしの、ずいぶん前のブログ記事に、検索ワードから飛んできた人がいて、その元になる記事を読んだ。
5年も前の、その記事。
自分の記事、気持ち悪すぎて、酔いそうだ。
よく、あんなに気持ち悪いものを平気で書いて、また、平気でアップしていた、と、我ながら感心する。
おぞましや。

人は、変化するものだ。
年月とともに、感性も、考えも。
自分のことが一番、信じられない。
が、諸行無常。
常に同じであることはなく、変わるものである。
と、自分に都合よく解釈しよう。

ただ、同じ年の、同じ月のアップ記事のなかには、微笑ましいものや、懐かしいものもあり、ほくそ笑む。
気持ち悪いものばかりでもないので、ほっと胸を撫で下ろす。

延々と同じブログを長年、書き続けていると、
ひやっとしたり、どきっとしたり、赤面したり・・・ひじょうに心臓によろしくない。
(毎日の電車の中は、よくても)
自分でも忘れるぐらいの、過去の記事に関しては、
いったい、どんなことを書いているんだ・・・と、お願いだから、へんなことは書いてませんように・・・!
と、祈るような気持ちで読んでいる。
が、最後の最後まで、手に汗握る。
なので、血圧に悪影響を与えるから、よほどのことでもないかぎり、読まないことにしよう。

その日、その日が無事に終われば全てよし。
あれこれをさっぱりと切り捨てて、過去から現在に移っているのに、なぜか、ブログ記事は、残っていて、
当時の自分が映し出され、とても複雑な気持ちになる。

なかったことに、しよう。


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