蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

打撲アザ

2021-01-11 | 日々のこと
お正月気分も抜けたところで、お正月の写真を。
直近ではケーキ写真しかないもので。
今夜もケーキ写真を撮ることだろう。
長女の誕生日、前祝い。
夫がいそいそとホールケーキを買って来るらしい。

さて、わたしの幸せはケーキなのか?
というほどでもない。
大好きではあるが。

わたしは、お風呂に浸かり、毎日、あれこれ考えるのが至福の時の一つ。
至福がたくさんあり、もはや至福ではないかも知れないが、至福は至福。
何よりも身体を労わらないとなあ、、、と、自分を誰よりも自分で労っている。

あれ?こんなアザ?どこで付いた?
こんな所に大きな内出血!
どこでぶつけた?
自覚症状のない打撲痕がちらほら。

右足、なんだか痛い、、、
右足のどこが痛い?
鈍痛?
骨盤から付け根あたりから?
先だけ?
何の痛み?
このまま悪化すると???

想像し始めると、悪い方向に考えが進む。
生きがいの一つである趣味の社交ダンスが踊れなくなったら?
どうしよう、、、

そこで、考えを転換する。
その時はダンスは引退時に違いない。
ダンス以外のことに力を注ぐ時期なんだろう、と。
それまでは一生懸命、熱を入れ、止める時は、「いずれ来るとは思っていたが、その時が来た」と、すーっと身を引き、次へとスライドしよう。
いつそんな時が来ても受け入れられるように悔いなくダンスを楽しむと同時に、次の身の処し方を考えておく、準備しておく。
魂が抜けたような、もぬけの殻にならないように。

これはダンスだけではない。
趣味のことだけではない。
未来永劫に続くものはない、と覚悟して、毎日を精一杯過ごす。
逆に考えると、今が最悪の日常だとしても、未来永劫に続くわけではない。
明けない夜はない。
なるようになる、なるようにしかならない。

まだ起こらない事態を想定して、くよくよ落ち込むのはどうかと思うが、アタマの端っこ、隅っこに、そういうこともありえる、と、ほんのすこしだけ自分を啓蒙するのも悪くない。
最悪の事態に陥った時のリスクヘッジの一部になる。

リスクヘッジを取るのは、良い考え方、方法だとわたしは思っている。
悪い事態に陥っても、そのせいで同時に、良くなる一面が必ずある。
全て真っ黒、全て真っ白、いつも100点100パーセント完璧だと、次の手に進みにくい。
少し余裕があると、つぶしが効く。

逆の考え方、方法もある。
明日は無いものと死にものぐるいで全力を尽くし完璧を目指す。
それもいい。
なんだって、いいのだ。

今日も無事に過ごせる幸せ。
明日も続いたら、儲けものだ。


最終ランナー

2021-01-09 | 趣味
最近、趣味分野(社交ダンス)で、自信がやっと湧いてきかけている。
遅い!
この趣味、スタートしたのが40歳代ギリギリ最後からだったので、かれこれもう15年?ぐらいは経っている。
50歳代でも最初はまだ若い部類だった。
今はわたしは60歳代まんなか。
しかし中堅ではなく、まだ若いほう。
どんだけ平均年齢が高いか。
どんだけ若い新人が現れないか。
高止まりならぬ、老い止まり状態。
いや、どんどん平均年齢は上がる一方だ。

そもそもこの趣味、なぜもっと早く始めなかったのか。
いかにも老人臭くて、取り掛かる気がしなかった。
いずれしよう、いずれ、、、とスタートを先送りにして、ズルズル延ばしていた。
カルチャーセンターや、教室のレッスンでは、わたしは一番若かった。
お局様(15歳ぐらい?歳上?)に意地悪されたような不快な雰囲気を感じたが、若くて上達が早い、後から来た人に対する僻みだろうと、あくまでも、いたってわたしは楽観的。
で、自分が一番若いまま、お稽古事としては最後の世代となったような気配だ。
これは、いつまでも最若手でいられると喜んでいる場合ではなく、廃れていっているという現実。
良い面ばかりを捉えて気を良くしていてはいけない。
けれど、、、。
最後の世代ということにしておこう。
この分野、未来永劫に続かなくてもいいと思っている。
流行り廃りはあって当然。
自分の下の世代、自分の後には誰もいないなんて、なんだか最終ランナーみたいで、悪くない。
未来に望みは繋がなくてもいい。
若手育成とか、しなくていい。
後終い係。

なぜ、そんなに冷たいのか。
若い時に始めた人か、あるいはお金がたっぷりある人を優遇してきた、閉鎖的で一部の特権階級しか踊れないカースト制度のような仕組みは、改善しなくてよい。
黄金のリタイア趣味生活を夢見る新参世代をあっさり切り捨てる、厳しく冷徹な世界。
良くないものは、無くなる運命。
閉鎖特権がまかり通って、そうしてきた前の人々に責任があり、歴然とした結果がある。
最後の人として、終わりを見届けよう。
特権を享受できなかったわたしは恨みがましい、数々の苦い経験を積んできたため、黒歴史を塗り潰すかのごとく、わたしが踊れなくなる日と同時に葬り去りたい思いもある。
負の遺産は消えるほうが後世のため。
キレイに改善して若い人に受け継いでもらおうという気はない。
ゴミ処理や後片付けをして最後に戸締りして家を出る人の気分かな、と。

ヒネクレ恨み節になってしまった、、、。
熱い想いばかりあるのに思い通りにならないと、こんな風になる、、、。


反面教師は立派なのか?

2021-01-08 | 暮らし
断捨離のCM。
スマホ遊びをしようとすると、画面あちこちで目にする。
散らかった室内(左側)→断捨離後の室内(右側)
どこが変わったかというと、センターテーブルに置かれていたモノが無いだけ。
わたしは、お客さんを迎える直前によくこういう掃除法、緊急整理法を取る。
わたしの場合は、単なるモノの移動、ワープ。
断捨離では決してない。(胸を張って堂々と主張するようなものではないが)

CMに使われている、他のキッチン写真。
断捨離前。
ん?別に普通やん。むしろ片付いているぐらい。
モノをしまい込んだり片付けたり、捨てたりすると、わたしにおいては、料理をする気力が失せる。
キッチンにおいて、断捨離と、料理とではどちらが大事か。
言うまでもない。
もし、息子の嫁でもいたら、まあなんと散らかり放題、デタラメおかあさん!と、眉をひそめることだろう。
息子に嫁がいなくて、こころの底からほっとする。
(こんなところで、こころの底から自分の自堕落を肯定していてはいけない)


そもそも、あのキャッチコピー。
「貧乏は継承され、娘を不幸にする」、、、だかなんだか正確には忘れたが。
「貧乏な家ほど、モノが多い」、、、なんていうのもある。
キャッチコピーの妙技、わかっていながら、何度も見てしまう、読んでしまう。
体験者の手記風の同じ文章を何度か読み、断捨離のCDを買わなくても、考えがまとまってくる。
せっかくの広告宣伝費をかけて、無料で啓蒙啓発してくれているようなもの。
ありがたいことだ。
なかには、買う人もいることだろう。
購買意欲を掻き立てたなら大成功。
何人かが買えば元を取れるのかも知れない。

買わない客としては、、、
この断捨離、禅の精神に通じるらしい。
わたしは、宗教も信じないし、本も読まない、、、が、自然体でやっていることが、偶然、禅だったり、どこぞの教えだったりする。
結果論である。

○○になりたいから、△△する、、、のではなく、△△していたら、○○になった。
幸せになりたいから、○○する、、、のではなく、△△していたら、幸せになった。
みたいなかんじか。
目的を考えず自然体で行っていたら、結果に繋がった。
(目の前の小さな目標は掲げるが)
まるで、胡散臭い新興宗教か、怪しげな営業みたいだ。
商売する気はゼロ。
人に広める気もゼロ。
自分だけに適応している法則のようだ。
(書けば書くほど、怪しげパブ記事風になっている、、、)

まあそれはそれとして。
次女に聞いてみた。
「断捨離広告によると、貧乏は娘に継承されるらしいよ。
どうしてかな?」と。
次女は普通に答えた。
「母親が、優先順序の付け方がわからないからなんじゃない?」

この答えには、ははぁ〜っと、頭が下がった。
わたしは立派な反面教師になっていたのか、なっていなかったのか。
興味深いところである。

まだまだ、、、です

2021-01-07 | わたし
あるテーマで思いを吐き出したいのだが、出来ない。
まだまだ時間がかかる。

「昔は70歳ぐらいで皆んな亡くなってたんだよ」と、小2孫Aに言った。
すると孫Aは、びっくりしたような顔で、と同時にちょっと顔を歪ませて
「じゃあ、ばあちゃんは、あと何年?  まだでしょう?」
と答えた。
彼は、昨年、ばあちゃんばあちゃん(わたしの姑)を亡くしたので、死ぬという意味をそれなりに理解している。
幼い子供たちには、死と直面することはショッキングな出来事だったことだろう。
2番目孫(保育所年長)は、「ぼくも死ぬの? 死にたくない、、、」と、家でしくしく泣いていたそうだ。


日常と非日常のドッキングを日常として暮らしてきた育成環境、背景から生まれた、わたしの死生観。
このドッキングが芸術や国賓級VIPや超絶グルメなら、すごい文化人になっていたことだろう。
幸か不幸か、たいした能力もないおかげで片田舎の凡人になって、普通であることの幸せを噛み締めて毎日を送っている。

1300年の奇跡

2021-01-05 | 無題
珍しくgooブログ、写真を外出先(電車内)でアップできた。
幸先が良い。

やっとお正月が終わり、平常モード。

自宅最寄り駅の近くで改札口を前にして、おじいさんがゴソゴソ、カバンの中を大捜索。
探し物がなかなか見つからないようだ。
ごくろうさま。
まさに、あるある、だ。

とは言え、街の皆さんを見て、いつもと変わらないなあと微笑んだり、同じ光景なのに、わたしの受け取り方が違ったり。

感受性は、一年一年、変化するようだ。
一年一年、ただただ丸くなるなら良いが、変にいきなりキレたり、老人性なのかと、自分を分析しかねている。
丸くなるのは、諦めや諦観ならよいが、気力減退、やる気のなさにつながるのは、避けたい。
微妙なボーダレスラインである。
まあ、泣いても笑っても時は過ぎる。

若い皆んなに頑張って欲しいが、負担も大きい。
国や政府からの加護、保護などばかりを口いっぱい主張するだけではなく、自主的に自分のことは自分で防衛することも必要だと感じる。
弱者は子供と老人ではあるが、それらを支える真ん中の人々もある意味、弱者かも知れない。
とはいうものの、自分以外は切り捨てるドライな個人主義は、痛々しい。
協調、バランスが難しいものだ。

政治のことは、わたしは全くわからないが、この歳になってやっと世間的な目も持つことができるようになった。
なんて、おめでたいことだろうか、と、半ば自嘲。

ちなみに、昨夜、「疲れたからお風呂に入ってもう寝る!」と夫にもブログにも断言したにもかかわらず、19:30からNHKテレビ番組「ファミリーヒストリー」が放映されることを19:00からのニュース途中で知り、マズイなあと思った。
寝られないではないか。
夫からも「寝るんじゃなかったの?」と言われた。
テレビにかじりついて、背中に貼り付けた無言という言葉で返事した。

大河ドラマ「麒麟がくる」主役の俳優、長谷川博己。
今までも顔は見たことはあったが、なかなか名家の出のようだ。
1300年!!の悠久の時を経て、、、。
きっと、「おかあさんが好きそうな内容やね」と子供たちに言われることだろう。
史実を実証する、実際の古い書物が残っているところが圧巻。
いやはや、脱帽。

番組中、昔から代々続く名老舗旅館で育った長谷川博己氏の父親のことを元仕事仲間?が語っていた。
日常と非日常をほぼ同時に同じ空間で繰り返し体験して育ったという貴重な育成環境は、彼の中で「何か」を培っていたと。
天皇陛下や国賓級VIPも訪れたという地元老舗温泉旅館。
建築、芸能、陶芸、絵画、生け花、美術、美食、、、芸術が散りばめられている非日常と日常を行ったり来たりする、そんな日常って、、、
複雑で壮大な「何か」だろう。

想像するだけで楽しい。

で、こんなDNAをふんだんに内包しているこの俳優さん、長い目で応援することにした。
単純なわたし。

やっと終わったお正月

2021-01-04 | 日々のこと
やっと予定終了。
無事、年末年始は過ぎた。
最後は、孫たちと、家の近所の公園やグラウンドで野球、バトミントンのお付き合い。
あ〜、疲れた。
外野を守って遠くに飛んでいったボールを取りに行っていると、ダウンコートを着込んでいる厚着は暑い。

力を出し切り、頭痛がするので、夕方にはお風呂に入って寝る予定。
日頃、どれだけサボっているか、、、ということだ。

姑は、今のわたしより8歳若い時に、わたしの末子を預かって子守してくれた。
いやはや、この8歳の違いは大きい。
50歳代と60歳代では、元気ぶりが、全く違う。

姉も嫁ぎ先の実家に子供一家が三家族集まったようだ。
各子供世代夫婦につき子供1人。
三家族だと9人、そこに姉たち親夫婦を入れると11人。
うちは、3人いるわたしの子供のうち、子供(孫)がいるのは長女だけ。
長男は帰省せず。
次女も長男も未婚。

ちなみに、喪があけないとケガレがあるとかで、神社に、お参りしてはいけないそうだ。
ケガレねえ、、、。
人の死はケガレなのか、、、

あかん、突っ込みたいところだが、睡魔と疲れで、〆もせず、今からお風呂に入ってもう寝る。

力が余ったので、オマケ。
昨夜テレビ放映の「天気の子」。
すごく良かった。
涙ぼろぼろ。
新海誠監督の前作「君の名は。」は映画館で観たが、それもとても印象に残った。
東京の街風景をリアルタッチの実写風で描かれているのが、わたしは惹かれる。

いつもお正月はなぜかヘトヘト

2021-01-03 | 日々のこと
明けましておめでとうございます、、、
と、ブログアップする時間、気力なし。
たいしたことをしているわけでも全然ないのに、なぜか疲れる。
肩凝りなど、ほとんどしたことがないのに、肩凝り。
孫、一番上と二番目のkids brothersがお泊り二泊目に入った。
何をどうヤンチャするわけでもない、おりこうbrothersなのに、やたら疲れている、受け入れ家庭ばあちゃんである。
ちびっこbrothersは、とりあえず今日のお昼には家に帰り、また夕方に来る。
何度目の連続夕食だろう?
とりあえず5日目。

異世代で同居しているファミリーたち、ほんとに頭が下がる。
年末年始、次女が帰省しているだけでも非日常感。

あと少し。
がんばろう!