蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

忖度は窮屈

2024-02-14 | わたし
元来、生まれつき、わたしは周りは気にしない「天然」である。
ではあるが、歳を重ね、最近のわたしは、忖度意識が働きすぎる。
率直に思ったことを書いても、嫌味や自慢と取られるかも?と、危惧したり、
あるいは、謙遜し過ぎて、かえってわざとらしい、自意識過剰と思われやしないか、と気を回したり。

そして、この人が今、こう言っているのは(行動を起こすには、その裏に行動心理があるため)優しい言葉をかけてほしいからだろうと推測して、頑張って期待に沿うよう忖度する。
人を思い遣るのは、わたしにとってはトレーニングした学習の賜物であり、学習成果でもあるが、生きにくい。
知恵を付けると自然体のまま野生児のようには振る舞えない。

自然発露としての優しさがない。
人様の受け取り方を気にして、発言を考える。まさに忖度そのもの。
頭で考えて行動する。
日本人気質、日本人文化?
息をして地球に生きている限り、税金か、場所代みたいなものか。
が、自分の居場所を確保するためには、少しぐらい努力しなければ。
好き勝手していては、今まで人としての蓄えた信用なり人間性なりが目減りして底をつき、やがてマイナスへ転じる。
評価が下がる。
本当は、こころの底から人を気遣う優しい言葉が自然に出るのが望ましい。
人の思惑など気にせず。
だが、
たとえ腹黒であっても、人に疑念を抱かれてないよう、せめて外観はスッキリした爽やかであってほしい。
腹黒部分を消滅させれば済むことなのだが、お釈迦さまではないので、凡人のわたしには煩悩がある。
誤魔化したり、嘘をつくのではなく、自分に正直にありたいが、それを貫くと、時としては人を傷つける。

アホに向かって、アホと言ってはいけない。
改善の余地があるアホには、相手を傷つけない言い方がある。
言い方を変えると良い。
短所は長所の裏返し。
先ずは、良い面に目をつける。

しかしなあ、、、
日頃、思っていることが表面に出る。
「こころの声、出てますよ」

不満を持っている人に対して、その人にとって良くない(嘆かわしい悲しい残念な)結果が引き起こされたら、やっぱり、ほれ見たことかとわたしは溜飲を下げる。
道順はさておき、結果的に自分が望む方向に進めばよい。
待てば海路の日和あり。
家宝は寝て。

結果が良ければ全て良し。
究極の結果って?
幸せに眠ることかなと。
眠ることはプロセスに過ぎないが、結果になったりする。



昔、わたしは若い女性だった

2024-02-10 | わたし
人はいつまでも、感情だけが残る。
喜怒哀楽の中でも、マイナス感情は延々と尾を引く。
何にあんなに怒っていたのか忘れても、その怒りの感情だけは生々しく蘇る。
認知症の人を叱ってはいけないのは、その辺りの事情がある。

さて。
喜怒哀楽の中で、出来るだけプラスの感情を引き出すものに接したいものだ。
それが無理なら、マイナス感情を引き出さないよう、誘発危険ゾーンには近寄らない、気をつける。
あとは、自分の楽しかった思い出を少しずつ引っ張り出して、にやにやする。

わたしが1番楽しかったのは、18歳〜22歳。
この黄金の期間。
当時、まだ人生を20年ぐらいしか生きていないのに一生で1番楽しいと感じた。
なんて薔薇色の日々なんだろうと、きゃっきゃと喜んでいた。
暗い高校生活の後に訪れた、予想もしない楽しく弾む、夢のような時間。
だが、この薔薇色にも23歳頃には翳りが差していた。
いつまでも続くとは思わなかった、この竜宮城気分。
なんの努力もしないのに、何の優れたこともないのに、若いというだけで周りはチヤホヤしてくれた。
だが、喜びに頬を紅く染めながらも、わたしは若さによるチヤホヤは永遠に続くことはない、と、脳の隅っこで覚醒した目でじっと見ながら呟いていた。
自分の売りは若さしかないことを、自分は若い真っ盛りにいたにもかかわらず、当時の自分は1番よく知っていた。
若さは、良い意味でも悪い意味でも、破壊力がある。

若さを失った今は、若さの蓄えはないが、若さが変化した、発酵したかも知れない「元・若さ」がある。
「元・若さ」は、若くはない年齢=老齢。
が、伊達に歳は取ってない。
積み重ねられた年月は、皺だけでなく、機微や知恵がヒダになって折り重なっている。
つるんとした若さは、それはそれでツルツルピカピカして素晴らしい。
つるんとしない、元・若さも、捨てたものではない。
両方、貴重な年月である。

若い女性に世の中が甘い(特に男性は)のは、仕方ないかなあと思う。
自分だって若い時は、若いだけで思いっきりもてはやされ、優遇されたんだから。
順番、順送。
若い時にチヤホヤされなかった人は、それはそれで、また晩年、良いことがきっとあるはず。
いつの時期も、どんな時期も、絶対に濃密で自分らしく輝くはず。


忘れたことを忘れる

2024-02-10 | 老い
さて、これからどうしよう。
今日のことではない。
今後のビジョン、見通しである。
長期的な計画は立てられない。
せいぜい、中期的計画。
(人生の残り時間を考えると)
しかも、息をしていても、わたしのアタマがふやけている可能性があるので、脳みそが機能している間。
だとすると、またまた時間は狭まる。

最近、恐怖に襲われている。
恐らく、早かれ遅かれ、多くの高齢の方々が経験することだろう。
新しい自分に、恐れ慄く。
記憶力の著しい減退。
脳みそキャパ低下。
新しいことが覚えられない。
ほんの少し前のことも、えーっとぉ〜、と、一呼吸して脳みそをギュッと絞らなければ、なかなかすぐには思い出せない。
こんな直前のことも忘れる??と、ワナワナ愕然となる。
で、冷や汗をかきながら、どうにか思い出す。
どうしても思い出せない時は、スマホで調べて答えを見る。
スマホでは見つからない時は、数ヶ月経って、突然思い出して、気になっていたことの辻褄が合ったりする。
すーっと、解けて、溶ける。

例えば、アタマの隅に引っかかっていたキーワード、「小さなサイズのエコバッグ」。

なんだっけ? 
誰との話だっけ?
どういう関わりだっけ?

昨年末、気になりながら、年を越した。
年が明けて、次女が我が家に来た時、ミスタードーナツの景品を3種類、出して見せてくれた。
その中に、小さなサイズのエコバッグがあった。
あ、これだ!
これ、これ。
これが、引っかかっていたのだ。

年末に、娘たちとわたしのLINE話題の中で、ミスドの景品の話が、流れの中で、ちらっと出た。
別にどうってことなく、話は終わり、その後も何事もなく時は過ぎた。
ただ、小さなエコバッグ、いいなあ、欲しいなあと、その時のわたしの脳が隅っこで反応したようだ。
だが、それっきり話題にも上がらず、日常ルーティンに埋没し、脳を占めていた小さな引っかかりは、段々薄くなり消えてしまった。
消えているものの、何かを忘れた記憶はある。
問題は、何を忘れたか、忘れたこと。
探しようがない。厄介この上ない。
モヤモヤが残るのみ。

が、次女がうちに現れて、わたしがミスドの景品を目にした途端、モヤモヤが消えた。
やれやれ。
冷蔵庫内の探し物なら、場所は冷蔵庫内に限っているから食品に限定されるが、冷蔵庫以外の全般では、何を忘れたか忘れたなんて、探しようがない。
TVや映画の中のことだったりすると尚更。
全く困ったものだ。
だがしかし、偶然見つかって、ほっとしたものの、また明日にでも別の脳内での紛失探し物が湧き出てくるやも知れぬ。
息をするかのごとく、自然に物事を忘れる。
そして、忘れたことを忘れるのだろう。
自然の流れなら止めようがない。
ま、しかたない。


20年後

2024-02-08 | わたし
昨日は一日中、丸々、全く何もしなかった。
していたのは、息だけ。
ほんとうに、見事なまでに何もしなかった。
1ミリぐらいは動いたかも知れないが、トイレに行く時だけ。
入院中か、牢獄に入っているか、そんなかんじ。
晴れ晴れ良い天気、囚われるものもない、檻もない、身体も動く、病気でもない、目も見える、耳も聴こえるのに。

何もしなかったが、目や耳が生きているため、日中はFMラジオ(地元の局)を聴き、19時からはテレビを見た。
テレビは日曜日以外(平日)は、NHK専門。
ただし、日中は見ない。
19:00ニュース、19:30クローズアップ現代、20:00(昨夜は)解体キングダム(国宝の改修&大木伐採)、21:00ニュース、(いつもは)22:00NHK番組(だが、昨夜は21:00から夫にチャンネル権を献上)。
22:45連続夜ドラ、23:00からは日によっては10ch有働由美子さんのニュース番組、その後24:00ぐらいまでダラダラ。
一昨日は、寝る前の洗顔中に、背後からとても興味ある紹介(興味あるタレントと精神科医)が聞こえた。
NHK Eテレ番組「スイッチ インタビュー」に惹きつけられ、その後の「ニュー試」も引き続き見て、午前1:00過ぎまで見ていた。
その翌日である昨日は何も予定がないという日だったので、深夜番組を存分に気遣いなく見られる。
日によっては、19:00から23:30まで延々とテレビを見ているということになる。
完全に20年後の生活を早取りしている。
というか、このまま、だらだら20年歳を取っていけば、たいした変化もなくて、あわあわしなくて良いのかも知れない。
ただし、脳のネジは間違いなく緩む。
身体は歳相応に老化する。(これは抗えない)

ネジが緩むのに任せて、話し相手はテレビ。
それと、顔が見えないインターネット。
(なんでも良いが趣味を持つ必然性を強く感じる。
出来れば外の世界と繋がるもので、実際に身体を動かすものが望ましい)
20年後に、この蝶ブログ記事を読むわたし(87歳)は、どんな顔をしているだろう。
20年前に予想していた通りの生活をしていて、びっくりしていることだろう。

で、昨日の日中に聴いていたラジオの中身が全く思い出せない。
スピッツの曲が流れていたのは、アタマに残る。
昨日は、蝶ブログももう一つの趣味日記も書かなかったし、スマホで遊ぶことはあまりしなかった。
同じスマホでも、行政アンケートに答えたり、時間が余った時にやろうと思っていたことを暇に任せてしたり、スマホを離れ、紙(手書き日記など)と戯れた。
強いて言えば、半年分のクレジット決済のチェックをした。
たくさんのレシートが処分出来て、スッキリ。
だが、金融系も含め、スマホで処理しているため、チマチマして面倒。
他にもすべきことはたくさんある。のだが、気分に任せている。
あまりにも、気分に任せると、期限が過ぎて手遅れになり、自分が泣きを見る。
なので、少しは時々、タスク事項を見直さなければならない。
実は今は考えなければいけない案件を複数、抱えている。
時間が進むと、まだ考えがまとまらないまま、ブルドーザーに地ならしされてしまうように、建物を撤去されてしまうように、自分の想いが形になっていない状態で潰されてしまう。
それは避けたい。

昨日、日中、姪とLINEでやり取りする事項もあった。
姪を通じて、姪の夫ともやり取り。
なんだかんだと、時計の針は動きは遅いものの、確実に動いている。

もう一件、タスク(すべきこと)が、思い浮かんだ。
電話しなければ。

とかなんとか、何もしない、1ミリも動かない日は、部屋の中では動かないまま、容れ物(容器?船?)は動いているのだ。
だが、20年後もそう。
自分が入っている容れ物は、天国に向かって少しずつ動いている。
生き物である限り、突然、明日の命の保証は確定ではない。
でも、20年後の生きている自分を自然に想像できるのは、幸せだということだ。


蛇足。
最後の最後、19時からのニュース番組が始まるまでに、あまりにも時間が余り退屈してうんざりして、(18:45頃から)世界史の学習本の最初のページをめくった。15分眺めていただけ。
(いつも見出しと序章で終わる。)
この本は、何もすることがなくなった時の最後の砦。
わたしの子供が小学生低学年の時に、子供のために買ったシリーズ。
まだまだいっぱい色々あるので、究極の暇つぶしは出来そうだが、まだ他にも別のジャンル(家庭科、音楽、美術、書道)の暇つぶしも隠し持っている。
だが、意外にそういうところから、夢中になる楽しみを見つけることがある。
残念ながら、体育は好きでないので、頑張って自分に鞭打っているところがある。


※写真は、ホンモノのバイオリンやピアノを用いた自動演奏機。
古いヨーロッパ製??
音はデジタルではなく、生演奏、ホンモノ。

起承転結

2024-02-06 | わたし
わたしの蝶ブログはあくまでも空気抜き。
次のステップはない。
ただ、過去記事を読んでドキドキする。
心臓に悪い。
どんなケシカランことを書いているのだろう、と、自分を信用できない。
大概は、がくっと気が抜ける。
なあんだ、と。
だが、過去は今より脳みそはギュっとしているように思う。
例えば「『10年前の出来事を書いた過去記事』を読んだ」という5年前の過去記事を読むと、これまた面白い。
中学の時に習った英文法の「大過去」???
微妙に違う。
20歳の時に想像した40歳を、60歳の時に読む。
逆か。
「40歳の時に、20歳の頃、書いた話を読んだ」話を60歳の時に読んだ。
そんなかんじか。
何だかよくわからなくなってきた。

さて。
暮らすような旅がしたい、という(ブログ村エッセイ)還暦ブロガーさんのブログ記事を読んだ。
日本国内の見知らぬ土地で、知らないスーパーで買い物したり、現地の調味料を使ったり、その土地でしか味わえないことを体験してみたい、と。
ただし、1週間だけ。
この発想は、若い頃は憧れの外国だったり、未知の外国だったりしたが、還暦を過ぎるとエネルギー不足になり、リスクを避けたくなる。
で、国内に。
(わたしは、1週間は短いと思う。せめて2週間)
体力、気力、知力、実践力、、、自分に見合った冒険がしてみたくなるようだ。
わたしは、向こう見ずは卒業。無茶はしない。
だいたいの自分が見えるから、自分の楽しめるプランを練ると思われる。

わたしは、色んな経験はもう別にしなくてよい。
広く浅く新たに体験より、自分の想いをより濃く充実させ、仕上げの段階にかかりたい。
未知の新しいものに挑戦するのではなく、自分の知っていることを更に深めたい。
ブラッシュアップしたい。
洗練、研ぎ澄ましたい。
ただでさえ、狭い嗜好がもっともっと狭くなる。
狭くなるだけで、深くならないかも知れない。
それでもいい。

だが、深くするためには、殻に篭らず、いろんな刺激を受けたほうがよい。
他を知ることも、自分を深める。
発見、気づきは、いつも新鮮。

とかなんとか言いつつ、うずくまることもある。
愚痴りたい、が、自分との闘い。
いくつになってもスランプはある。
次に進むため、跳躍前にかがむ。
スランプは次の展開、次のページに移る、その前段階だと感じる。
起承転結の転。
もうじき、結論が待っている。
が、先に「転」がある。

人生には小さな起承転結がいっぱい散らばっていて、それらで構成されて、全体に大きな起承転結になる。






嘆いて落胆して焦って諦めて喜んで

2024-02-05 | 日々のこと
朝、出かける準備をしていた。
カバンをリュックからショルダーバッグに替えた。
中身を詰め替えた。
が、定期入れがない。
私鉄定期券と、ピタパ(非接触型交通ICカード)と、行政発行のバスカードが入っていた。
それらは3枚とも、交通機関を利用する時に全て必要。
が、どうしてもない。
探しても探しても、ない。見つからない。
出かけるまで後30分しかない。
遠方地、本日のアポ時間は遅延できない。
どこに行った??

さて、どこかに落とした?
昨日は、帰りにビールと酎ハイを飲んだ。
酔っ払って脳が溶けたか。
冷静になって昨夜の足取りを辿ってみる。
最後にバスカードを使ったのは?
前日、夜、自宅最寄りバス停で降りた時。
少なくともその時まではあった。
そこから自宅までの間に落とした?
もうあれから14時間も経っている。
だが、落としたのかも?

部屋着にコートを引っかけて、絶望しつつ、あまり期待せず、帰って来た道を逆戻りした。
道の地面に目線を落とし、じっと追い、落ちていないか探しながら歩いた。
が、もう半分は諦めていた。
警察に落とし物がなかったか、問い合わせなければいけないなあ、、、などと、交番の赤いランプがアタマに浮かんだ。
とぼとぼ。
駅に向かう側の乗るバス停から、道を挟んでその向かいにある、降りる側のバス停へと、自動車道路(両車線で幅12メートルぐらい?)を横切って渡った。
その頃には、すっかり諦めていたが、虚しくもありながら、とりあえずは、前夜に自分が歩いた経路を辿った。
降りた地点まで行き、パスカード入れがないことを確認して、また道路を渡ってUターンした。
駅に向かう側のバス停の、停留所名が書かれた標識版の足元をふと見ると、、、なんと、わたしのパスカード入れが地面に置かれていた。
あらまあ、なんと。
見覚えのある茶色のパスカード入れ。
驚きのご対面。
外国で元夫に出会ったような、不思議な感動。(離婚経験はないが)
どなたかがどこかで拾って置いてくれたのか。
「落とし主は乗る側のバス停に必ず来る」と、拾い主に予測されたのだろうか。
交番に届けてくれていなくて、かえってよかった。

パスカード入れの中を見ると、微妙にカードを入れる場所が変わっていた。
カード入れの中からカードを3枚とも一旦、抜き出して、また入れたようだ。
ひょっとすると、入れていた100円がなくなっていたかも??
(いつも100円予備に入れている)
少々、人の手に触れた形跡はあるものの、とりあえずは、大喜び。
100円ぐらいお安いものだ。(勘違いの可能性もある)
喜びが込み上げるというよりも、半分信じられない思いで足早に自宅に戻った。
出かける前にお風呂に入る時間は、パスケース探しに使ってしまったものの、ギリギリ、準備をして予定通り、乗るバスの時間に間に合った。
ああ良かった、良かった。
なくして悲しみ、がっかりし、見つけて喜び、上がったり下がったり、忙しかった。



永久欠番?

2024-02-03 | 
2008年の記事(宗教②)を引っ張り出してくださった方、どなたか存じませんが、ありがとうございます。

懐かしく自分の古い記事を読み返してみたのは良いのだが、冒頭文からミス入力を発見した。
ぎゃ。
15年半前の編集画面に遡って訂正する気力がない。
で、しかたなく、コメント欄に自分でちょこっと訂正箇所を書いて、おしまい。
あまり自分のブログを大切に手入れしない、草ぼうぼうブロガーのわたし。

さて。
その記事。
宗教に関するわたしの単なる感想、考えを書いていた。
あれから15年半も経ち、次世代にバトンタッチする時期がとっくに訪れているのに、次世代は欠番。
バトンタッチは次次世代あたりになりそう、、、。
永久欠番かも。
というか、その頃はどうなってるのか、わたしはもうアタマはあっちの世界に行っていることだろう。
ワタシハ、ダレ? ココハ、ドコ?
それでよいのでは?
よくなくても、どうしようもない。

わたしは、嫁ぎ先の数代目の嫁なのだが、ここで途切れさせてしまうのだろうか。
「途切れさせた嫁」「最後の嫁」ポジション。
ちなみに、親戚で、わざわざ家を継ぎに行って、結局、次の次の代で墓じまいをした家があった。
嫁に行った娘さんが、自分の実家の墓じまいを行っていた。
わたしは、先代ご夫婦それぞれのお葬式にも、その息子さんのお葬式にも列席した。
最後の息子さんの、(嫁に行った)お姉さんが、墓じまいをした。
江戸時代からの立派な墓だった。
苦渋の選択だろう。
あとを継ぐ者がいないのだから、しかたない。

あとを継ぐ者がいても、継ぎたくない人もいる。
継げない人もいる。
いろいろだ。
わたしは、嫁の立場であり、次世代にバトンタッチするべきところだが、時代の流れもあり微妙だ。
自分も年齢を重ね、上の代もこの世にいなくなり、自由になった。
だが、出来れば継承してほしいという思いは(強く)ある。
なぜなんだろう?
おそらく自分が置かれている環境だろう。
他の人には他の人の道がある。
本当に、人それぞれの道。
令和の時代。




毎日、新しい自分

2024-02-01 | わたし
事務所終いをしている。
20年ぐらい前からの名刺が出てきた。
捨てる前に目を通しておこうと思い、最初の名刺ホルダーをパラパラとめくった。
一枚一枚見ていたら、どっと疲れた。
初期の頃のもの。
色々な分野にまたがっている。
中には映画関係、演劇関係のものもある。
名刺だけ見ていたら、どんなにすごい業界人なのだろうかと思われるかも知れないが、小粒の集まり。
最小粒は、わたし。

名刺を集めているだけに過ぎない。
キャラクターシールや、ポイントを集めているようなもの。
コレクターだ。

色んな人が果敢に挑戦している、競争の激しい世界で、名刺だけ集めて、何をしてるんだか。
もしわたしが、やる気のある有能な人物なら、いろんなキッカケを生かす努力をするだろう。
が、全然。
このギャップがいかにも、わたしらしい。
ため息。
今となっては、楽しい思い出。
もちろん、楽しくない思い出もたくさんある。
まだ5分の1ぐらいしか名刺をチェックしていないで、疲れてほったらかしにしている。
他には、食、文化、行政、マスコミ、広告、クリエイター、出版、教育、メーカー、、、などなど、各業界、多岐にわたる。
全員もう引退されているだろう。
全部目を通したら、捨てなければ、、、。
捨てられずに、ゴミ屋敷山に埋もれさせる可能性があることは否めない。
わたしの20年は、なんだったんだろう?

断捨離しないと、ゴミが一向に減らない。
ある日、晩年の宍戸錠がテレビ取材を受けていた。
(たぶん豪邸の)モノが溢れかえる、ごちゃごちゃの一室に埋もれて生活していた姿を思い出した。
モノを取り出すには、他のモノが崩れないように、なおかつ自分がよろけないように、バランス感覚が必要だと言っていたような。
モノの雪崩から身を守る身体能力が必要だ。
田原総一朗氏の部屋も、ここ狭しと資料だらけ、紙だらけ、本だらけだった。
あの中で資料を探すと絶対に、紙の山が崩れる。
探すことを前提にせずに、どんどん積み重ねているのでは?
本人の精神安定上、良いならそれでよし。
が、あの紙の山の中では、急な病状で倒れていても発見が遅れそう。
あれが電子データなら、部屋には何一つ置かれてないのだろうけれど。

と、断捨離をする余裕のない人、する気のない人はたくさんいる。
(話の流れがまたまた変わっている)
なんでもかんでも断捨離は、実家が他人に迷惑をかけるほどゴミ屋敷化して困り果てた家族には納得出来るが、そうでもないなら、人のプライバシーは、ほっておいて欲しい。
家族の部屋を占領して寝る場所もないなら別だが、巣立って空になった子供部屋が余っているなら、その空き部屋に好きなモノを蒐集して何が悪い?

と、ここまで書いて、あることが頭をよぎった。
(また話が変わっている)
リタイアした人が、過去の栄光、前職の肩書が忘れられず、肩書なしのタダの人になった時の落差に耐えられない、虚無感に襲われるということがよくある。
だがしかし、わたしはなんの肩書もなかったので、リタイアした後も全く同じだった。
突然リタイアしたわけではなく、徐々に徐々に少しずつ仕事が減ってきた。
失業したようなもの。
映えある栄光にしがみつく、なんてことは全くなく、むしろその逆。
ではあるが、外の世界(社会)で色々経験できて、良かったと思っている。
何も知らないよりは、知ったほうが人生が深まる。
チャレンジ精神、冒険心は大事だ。
いくつになっても、、、と、言いたいところだが、わたしはもう結構。
(卑怯な政治家のように)保身のみ。
政治家ではなく、タダの人だから良い。
わたしはこのまま先細って縮小していけば良いと思っている。
惨めで悲しくて不幸だなんて感じない。
楽しかったり苦しかったり刺激的だったりする思い出が胸の中で膨らんで、それぞれが融合して、新しい自分を形成している。
その自分がまたリアルタイムで新しいものに触れて反応するのを感じるのは楽しい。
化学変化は何歳になっても起こる。
年齢は毎年重ねられ、常に自分の新しい歳を迎えるのだから。
これはある意味、退化ではなく、進化だと思う。

※(裕さん、蝶記事インスパイアありがとうございます)