夜な夜なシネマ

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『セデック・バレの真実』

2015年01月26日 | 映画(さ行)
『セデック・バレの真実』(原題:餘生-賽匇克・巴莱)
監督:タン・シャンジュー

TOHOシネマズ西宮で2本ハシゴしたあと、十三への第七藝術劇場へ。
しばらくぶりに行ったら、「劇場内では食事もご遠慮ください」のアナウンス。
以前は飲食OKだったはずなのに、いつのまに駄目に?
そういえば、ナナゲイの劇場内でほか弁を食べている人を見かけて
笑ってしまったことがあります。だってスゲェにおいなんだもの。
もしかするとあのお客さんはいつもほか弁持参で、クレームでも出たのかしらん。

2013年に公開されたウェイ・ダーション監督の二部作『セデック・バレ』(2011)。
同年の『映画秘宝』のベスト10にランキングされた作品中、
唯一劇場で観逃したのがこれで、とても悔しい思いをしました。
台湾といえば親日家が多いという印象しかなく、後にDVDで観て仰天。
こんなことがあったなんてと、衝撃を受けました。

『セデック・バレ』で描かれたのは、1930年10月27日に起きた霧社事件。
台湾の日本統治時代における最大規模の抗日暴動事件です。

山中に暮らすセデック族は狩猟で生活の糧を得、
自分たちの狩り場を守るために出草(首狩り)をします。
敵の首を狩って持ち帰ってこそ一人前の男。
首を狩れば勇士の証として顔に刺青がほどこされます。
また、布を織れない女は一人前と認められず、布を織れる女の顔にもその証の刺青が。
一人前にならなければ、死して祖霊となることはできないと信じられています。

なのに、突然日本軍がやってきて、「文明的」な生活を強要される。
中には優しい日本人もいますが、大抵がセデック族を見下し、
雀の涙ほどの賃金を与えて労働を課し、反抗的な態度を取れば暴行。
そんな生活に嫌気が差し、武装蜂起を決めたセデック族。
それを統率したのがモーナ・ルダオというマヘボ社の頭目でした。

『セデック・バレの真実』は、霧社事件の被害者と加害者それぞれの遺族への取材や、
歴史学者へのインタビューを通じて事件の真の姿に迫るというもの。

印象に残っているのは、霧社事件の生存者が一所に移住させられたときの話。
同じ台湾先住民族のセデック族と言っても、いくつもの社に分かれています。
しかも敵対する関係で、相手の首を刈っていた者同士。
それが共同生活を強いられ、こんなことになったのはマヘボ社のせいだ、
いや、こんなことにならなくてもどうせ死ぬんだからと、言い争いに。
しかしその言い争いの末に抱き合って涙し、ひとつの家族になってゆくのです。

首狩りなんて恐ろしい、野蛮だと思っていましたが、
『セデック・バレ』と『セデック・バレの真実』を観て、
文化の異なる人びとのことを、何も知らないくせに貶めてはいけないのだと思いました。
文明を与えてやったのだ、感謝しろというのは傲慢でしかない。
文明の発達した生活が果たしてすべての人びとにとって幸福なのかどうか。
相手を理解しようという気持ち、尊厳を守ろうという気持ちが必要だと。

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