雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二匹の猫 ・ 小さな小さな物語 ( 1827 )

2024-11-23 08:28:38 | 小さな小さな物語 第三十一部

わが家には猫が一匹がいます。
一度犬を飼ったこともありますが、死なせたことがショックでしばらく動物を飼うのは止めていたのですが、ある切っ掛けで猫を飼うことになり、以来、一番多い時には三匹いたこともありますが、いずれも亡くなってしまいました。一番長生きしたのは二十一年生きましたが、さんざん医者通いをしましたのに、若くして死なせてしまったのもいます。全部で五匹くらいですが、獣医さんからいただいた者を除き、いずれも迷い込んできた猫たちです。
「猫可愛がり」という言葉がありますが、私自身は、それほど肩入れしていなかったつもりですが、死なれたときの辛さは、小さなものではありませんでした。それで、三匹の猫が若い方から順に死んでいき、最後の一匹を見送ったとき、もう絶対にペットは飼わないと家族で申し合わせました。

当市は、かなり早くから「犬・猫の殺処分ゼロ」を目指し、数年前から実行出来ているようです。ごく近くのお方にも、ボランティアで野良猫のケアをされていて、野良猫を捕獲して手術した後、地域猫として放したり、飼い主を探したりしてくれています。
今わが家にいる猫は、地域猫として餌をもらっていたのですが、どうやら仲間はずれにされているようなので、ボランティアの人に相談されて、飼わせていただいたものです。
三年近くなり、わが家の隅から隅まで、好き放題に動き回り、食べ物も結構口が肥えてきています。家族にも懐いてくれていますが、外に出さないので、ガラス戸越しに庭をじっと見つめている時間も長く、ふと、物思いにふけっているような姿を見せることがあります。
猫特有の表情だとは思うのですが、彼にとって、本当にわが家にいることが幸せなのかと思うことがあります。

わが家には、毎日朝夕、時には昼にも、食事をしに来る猫もいます。いわゆる地域猫です。すでに十歳を大分過ぎているそうで、家で飼うのは難しいようです。
毎朝六時前頃には、朝食を待っています。食事の後しばらくは、畑でトイレを使ったり、季候の良いときはひなたぼっこをしたり、ゴロゴロ転がったりしています。水飲み場を三ヶ所、寝たり休んだり出来る場所も四ヶ所作っていますが、夜はそこで寝ることは全くないようで、たいていは、わが家の庭から塀に登り、隣接しているボランティアの方の一階の屋根に登り、二階とベランダとの隙間辺りにねぐらを作ってもらっているようです。
ただ、真夏もそうですが、これから寒さに向かうと、毛布などでねぐらを作っているのですが、わが家では寝ないようですし、可愛そうな気がします。
厳寒の季節になると、家の中でぬくぬくとしている猫にくらべて、雪はほとんど降らない地域ですが、北風が啼く夜などは、風を避けて丸くなって寒さを凌いでいるのかと思うと哀れに感じてなりません。
しかし、同時に、猫にとっては、少々厳しい環境であっても、食べ物の心配はなく、自由気ままに動き回れる生活と、暑さ寒さの心配も食事の心配もないとはいえ、閉じ込められ、たまには人間に愛想もしなければならない環境と、本当はどちらが幸せなのかと考えたりもするのです。

折から、年末ジャンボ宝くじが売り出されています。
一等と前後賞を合わせれば10億円になるそうです。10億円あれば、老後の心配など吹き飛んでしまいそうな気がしますし、たいていの「欲しい欲しい病」も解決しそうな気がします。
ところが、世界の資産家となりますと、桁が違うどころか「億」が「兆」になっても及ばないような人がゴロゴロいるようですし、わが国に限っても、10億円以上の資産家など珍しくもないはずです。
けれども、その人たちのほとんどが幸せかと言えば、さて、どうなのでしょうか。「お金で幸せが買えるわけではない」などと青臭いことを言うつもりはありませんが、やはり、幸せという曲者は、そうそう簡単に捕まえることは出来ないようです。
どうやら、幸せというものは、頂くとか捕まえると言った存在ではなく、それぞれに育て上げるようなものなのかも知れません。




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