首を与える ・ 今昔物語 ( 5 - 8 )
今は昔、
天竺に大光明王(ダイコウミョウオウ)と申す王がいらっしゃった。
人に物を与える心が深く、五百の大象に多くの財物を負わせて、大勢の人を集めてその財物を与えるのを惜しむ心は全くなかった。いわんや、人がやって来て財物を乞うと、与えないということはなかった。
隣国の王は、大光明王の心ばえに嫉妬して、殺すために一人の婆羅門僧(仏教からみて外道の僧)を雇って相談し、大光明王のもとに派遣して王の頭を貰い受けさせようとした。
婆羅門僧は大光明王のもとに行き、王の頭を乞おうとしたが、王宮を守る神がいて、この事を知って、門番の者に告げて婆羅門僧を入れさせないようにした。しかし、再三の面会申し出に根負けして、大王に来訪者の面会申し出を伝えた。
大王は自ら出てきて婆羅門僧と面会したが、その様子は、まるで幼児が母を見るようであった。心から歓喜して、やって来た目的を尋ねた。
婆羅門僧は、「大王の御頭を頂きとうございます」と言う。大王は、「お望み通り、首を差し上げよう」と承諾された。そして宮中に還り、后たち・五百人の太子たちに向かって、婆羅門僧に首を与えることを伝えた。
それを聞くや、后や太子は気絶せんがばかりに悶え悲しんで、首を与えることを強く止めた。しかしながら大王は、決して思いを止めようとはしなかった。
大王は掌を合わせて、十方(ジッポウ・四方四維上下の総称。)に向かって礼拝し仰せられた。「十方の仏菩薩、我を哀愍(アイミン・あわれみをかけること。)し給いて、我が今日の誓願(首を婆羅門僧に与えるという誓願)を成就させ給え」と申し上げると、大王自ら体を樹に縛りつけて、「我が頭を取って与えよう」と仰せられると、婆羅門僧は剣を抜いて樹に向かった。
その時、樹神(ジュジン・樹木に宿る神霊)が手を差し伸べて婆羅門僧の頭を打った。婆羅門僧は地面に倒れ伏した。
すると、大王は樹神に、「あなたは、我が誓願成就を助けずして、善法(ゼンポウ・仏道の成就に資する優れた教行。首を与えるという「布施」を指している。)の妨げをなされた」と言った。
この言葉を聞いて、樹神は妨げるのを止めた。そこで婆羅門僧は、大王の頭を切り取ったが、宮中の后・太子を始め大臣・百官さらに大勢の人々が歎き悲しむこと限りなかった。
婆羅門僧は、大王の頭を切り取って、本国に帰って行った。
大光明王というのは、現世の釈迦仏である。婆羅門僧を雇って相談した隣国の王というのは、現世の提婆達多(ダイバダッタ・仏敵視された人物)である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
身体に灯をともす ・ 今昔物語 ( 5 - 9 )
今は昔、
天竺に転輪聖王(テンリンジョウオウ・・古代インドの理想的国王で、正義をもって世界を治めるとされる。金・銀・銅・鉄輪王の四輪王があるが、ここでは鉄輪王。)がいらっしゃった。一切衆生(イッサイシュジョウ・この世のあらゆる生物。)を利益(リヤク・法力によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳、他を益するのを利益という。)するために法を求めて、閻浮提(エンブダイ・古代インド的な世界観で我々の住む世界とされる。)じゅうに宣旨を出されて、「閻浮提の内に誰か仏法をよく修得している者はいないか」と仰せられた。
すると、「辺鄙な地に一つの小国があります。その国に一人の婆羅門(バラモン・古代インドの四姓制度の最上位に位置付けられる僧侶(司祭)階層。)がおります。その人が仏法に通じています」との報告があり、使者を派遣して婆羅門を招待すると、すぐにやって来て宮中に入った。
大王は大いに喜んで、特別に立派な座席を設え、それに座らせて、数多くの美味・珍味でもてなそうとすると、婆羅門はどうしてもその座席に座ろうとせずもてなしを受けようとはしなかった。
婆羅門は、「大王が、もし法を聞くために私を供養(もてなし)しようとお思いなら、王の御身体に千か所の傷をつけて、それに獣の油を満たして、それに灯心を入れて灯をともして供養してくだされば、その時には供養をお受けして法を説きましょう。もし、そうなされないのであれば、私は立ち去ることにします」と言って、立ち去ろうとした。
すると大王は、婆羅門を抱きかかえて留めて、「大師(婆羅門に対して尊敬を込めたもの。)、しばらくでもお留まりください。私は無始(ムシ・生死の輪廻に始めがないことからの語で、永遠の過去世といった意。)よりこれまで、多くの生死(ショウジ・生死の輪廻で、生まれ変わり死に変わりすること。)を経てきましたが、未だに法のために身を捨てることが出来ません。今日こそ、その時にあたりました。我が身を捨てて供養し奉ります」と仰せられて、宮殿に入り、諸々の后、ならびに五百人の王子に向かって、「私は今日、法を聞くためにこの身を捨てようと思う。されば、そなたたちとは今が分かれの時である」と仰せられた。
その中の一人の皇子は、聡明なこと並ぶ者とてなく、知恵は無量であり、姿形は美しく心は正しく素直である。大王はこの王子を何者にもまして寵愛されていた。されば、国内の人民はみな太子に従うこと、風になびく草木のようであった。
大王は、「生死の世界の恩愛には、必ず別離がある。この事を決して嘆き悲しんではならない」と仰せられた。后・王子はこれを聞いて、泣き悲しむこと限りなかった。
大王は、婆羅門の言う通りに、身体に千か所の傷をつけて、それに獣の油を満たして、上質の布を灯心にして、火をつけてともした。
その間、婆羅門は半偈(ハンゲ・偈(仏の教説などを韻文形にしたもの)の半分。)の法文を説いて、「夫生輒死、死滅為楽(ブショウチョウシ、シメツイラク・・「死滅」の部分は「此滅」が正しいらしい。そう仮定しての意味は、「そもそも生まれることは取りも直さず死ぬことであり、この生死が全て無くなることが安楽の境地である」)」と言った。
王はこの偈を聞いて、心から喜んで、大勢の衆生のために大きな慈悲の心を発せられた。大勢の人々も、この偈を聞いてまた歓喜して、「大王は、まことに大慈悲の父母であらせます。衆生のために苦行を修められた。我らはこれを書写して行うべし」と言って、ある者は紙に、ある者は石の上に、ある者は樹の幹に、ある者は瓦礫に、ある者は草の葉にと、多くの人が行き来する所にこの文字を書写した。
それを見聞きした人は、みな無上菩提心(ムジョウボダイシン・「一切の煩悩から解放された最高の悟り」を求める心。)を起こした。
大王の身体に灯したもうた灯心の光は、遥かに十方世界(ジッポウセカイ・ありとあらゆる世界。)を照らした。その光に当たった衆生は、みな菩提心を起こした。
その時、婆羅門はたちまち帝釈天の姿に戻り、光を放って大王に告げて「お前は、この有り難き(世にも稀な)供養を成して、いかなる果報を願うのか」と仰せられた。
大王はそれに答えて、「私は、人間界や天上界でのこの上ない安楽は望みません。ただ無上菩提を求めたいと思います。たとえ、灼熱の鉄輪が私の頭の上に置かれるとしても、苦しむことはありません。最後まで、この苦行によって無常菩提心をくじけさせることはありません」と言った。
帝釈天は、「お前が、そのような事を言っても、我は信じ難い」と仰せられた。
大王は、「もし、私の言う言葉がまことではなく帝釈天を欺くものであるならば、私の千の傷は決して癒えることはありますまい。もし、まことの言葉ならば、血は乳液になって千の傷を平復させるでしょう」と仰せられた。
その時、千の傷はことごとく癒えて、もとの身体のようになった。その後、帝釈天は掻き消すように姿を消した。
この大王と申すのは、現世の釈迦仏その人である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
針の痛みに堪える ・ 今昔物語 ( 5 - 10 )
今は昔、
天竺に国王がいらっしゃった。
仏法を求めるために、王位を捨てて山林に入って修行された。
ある時、一人の仙人が現れて国王に告げて行った。「我は法文(仏の教えを説き記した文章。)を心にとどめて実行している。お前に教えようと思うが、いかがか」と。
国王は、「私は法を求めて山林に入り修行しています。ぜひ、お教えください」と言った。
仙人は、「我が言う事に従うならば教えよう。従わぬなら教えない」と言う。
国王は、「私は、もし法を聞くことが出来れば、身命とて惜しくはありません。いわんや、それ以外の事など言われるままに従います」と答えた。
仙人は、「それでは、もし、九十日の間、一日に五度(ゴタビ)、針でその身体を突かれたならば、我が尊い法文を教えよう」と言う。
国王は、「たとえ一日に百千度突くといわれても、法のためにはこの身を惜しむことはありません」と仰せられて、仙人に身を任せて身体をかがめた。
すると仙人は、針を以って身体を五十度突いたが、痛がることがなかった。このようにして、一日に五度突いた。(文中、五度と五十度が混乱している感がある。)
そして三日目に、仙人が尋ねた。「どうだ、痛みはあるか。痛ければ帰るがよい。九十日の間、このように突くが、どうだ」と。
国王は、「地獄に堕ちて猛火に身を焼かれ、刀山火樹に身を交える時の痛さは、帰れと言われてもどうすることも出来ますまい。その時に比べれば、この苦しみは百千億のその一つにも及びません。ですから、痛がるわけにはいきません」と答えて、九十日の間よく堪えて、痛がることがなかった。
その後、仙人は、八字の文を教えた。「諸悪莫作、諸善奉行」(ショアクマクサ、ショゼンブギョウ・・七仏通戒偈の前半の二句。「一切の悪をなさず、一切の善をつつしんで行え」)というものである。
その時の国王と申すのは、現世の釈迦仏である。その時の仙人というのは、提婆達多(ダイバダッタ・仏敵とされた人物)である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
命を水に変える ・ 今昔物語 ( 5 - 11 )
今は昔、
天竺に五百人(大勢を表現する常套句)の商人がいたが、商売のため他国に向かう途中一つの山を通った。五百の商人たちは一人の沙弥(シャミ・見習い僧、あるいは在家の僧。優婆塞も同義。)を連れていた。ところが、一行は山道を間違えて深い山の中に入ってしまった。
その山は、人の足跡とてなく水も無い。そのため、この商人たちは、三日の間水が飲めなくて、喉が渇いてまさに死にそうになっていた。
その時、商人たちは、この沙弥に向かって、「仏は一切衆生の願いをお聞き届けくださる。めったにないことであろうが、三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道を指す。)の苦しみさえ代わってくださるとか。そこで、あなたはすでに頭を剃り、墨染の衣を着ているのだから仏の御弟子であろう。我ら五百人は、今まさに水に渇して死のうとしている。我らをお助け下さい」と言う。
沙弥は、「誠の信心でもって、助けよと思われるのか」と尋ねた。
商人たちは、「今日のこの命の生死は、ただあなたを頼みとするだけです」と答えた。
すると沙弥は、高い峰に登って、巌の下に座って、「私は頭を剃ったといえども、未だ修行を積んでいません。人を助ける力などありません。しかしながら、商人たちは『お前は仏弟子に似ている。自分たちの命を助けよ』と言って水を乞うていますが、弟子たる私には力が及びません。願わくば、十方・三世(四方・四隅・上下の全てと、過去世・現在世・未来世をいう。)の諸仏如来よ、我が頭の脳漿を水に変えて、商人たちの命をお助け下さい」と誓って、巌の先端に頭を打ちつけた。
すると、血が流れ落ちた。その血は変じて水となった。五百の商人と多くの牛馬は、この水を飲み十分満足して、命が助かった。
その沙弥というのは、今の釈迦仏である。五百の商人というのは、今の五百の御弟子たちである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
琴の音が語る ・ 今昔物語 ( 5 - 12 )
今は昔、
天竺に国王がいらっしゃった。五百人の王子を持っていた。
国王が行幸される時、この五百人の王子を行列の先に立てていらっしゃったが、一人の比丘(ビク・仏僧)が現れて、この五百人の王子が進む前を琴を弾奏しながら渡った。
その時、五百人の王子は、一斉に進み出てこの比丘に会った。すると、五百人の王子はすぐさま出家して戒を受けた。
国王はその様子を見て、驚いて大騒ぎされた。
その時、一人の大臣が国王に申し上げた。
「王子方の御前を一人の比丘が琴を弾奏しながら渡りました。この琴の音を聞いて、五百の王子方はたちまちのうちに出家なさいました。その琴の音は、『有漏諸法如幻化、三界受楽如空雲』(ウロショホウニョゲンカ、サンガイジュラクニョクウン・・・穢れたこの世の一切の現象は実体のない幻のようなものである、生きとし生ける者がこの世で味わう安楽は空の浮き雲のように空しくはかないものである。)と言っておりました。この琴の音を聞いて、五百の王子方はたちまち生死の無常(ショウジのムジョウ・生あるものは必ず死に、常在不変の存在は何一つない。)を観じ、この世の受楽を厭って出家なさったのです」と。
その琴を弾奏して渡った比丘は、今の釈迦仏である。その五百人の王子というのは、今の五百人の羅漢である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
月に行った莵 ・ 今昔物語 ( 5 - 13 )
今は昔、
天竺に莵・狐・猿の三匹の獣がいたが、共に心から仏道を求める心を起こして、菩薩の道(仏道に帰依して悟りを売るための修行。)を修行した。
それぞれ獣は、「我らは前世において大変罪が重くて、賤しい獣として生まれてきた。というのは、前世において生ある者に哀れみをかけず、財物を惜しんで人に与えることがなかった。このような罪を深くして地獄に堕ち、苦しみを長い間受けたが、それでも罪を償いきれず、償いきれなかった罪のためにこのような身に生まれてきたのだ。されば、この世においては、何としてもこの身から脱したい」と思った。
そして、年長の者に対しては親のように敬い、少し年上の者に対しては兄のように接し、年少の者に対しては弟のように慈しみ、自分の事には構わず他の人のことを優先した。
天帝釈(帝釈天)がその様子をご覧になって、「あの者たちは獣の身ではあるが、世にも稀な殊勝な心がけである。人の身を受けた者であっても、ある者は生きているものを殺し、ある者は人の財物を奪い、ある者は父母を殺し、ある者は兄弟を敵のように思い、ある者は笑みを浮かべながら心の内には悪心を抱き、ある者は恋慕の裏に憎悪の心が深い。いわんや、あのような獣どもは、誠の心が深いとは思われない。されば、試してみよう」と思われて、たちまちのうちに、老いた翁のどうしようもない疲れ切ったような姿に変じて、あの三匹の獣がいる所に行って仰せられた。
「わしは年老いて、疲れてどうしようもない。お前さんたち三匹の獣よ、わしを養って下され。わしには子が無く、家は貧しくして食べる物もない。聞くところによると、お前さんたち三匹は、慈しみの心が深いそうな」と。
三匹の獣はこの事を聞くと、「それは、私たちの本当の心です。早速お世話させていただきましょう」と言うと、猿は木に登って栗・柿・梨・棗(ナツメ)・柑子(コウジ・ミカンの類)・橘・コクハ(猿梨)・椿・クリ(ダブっているのか?)・郁子(ムベ・アケビの仲間か?)・山女(アケビ)などを取って持ってきた。さらに里に出て、瓜・茄子・大豆・小豆・大角豆(ササゲ)・粟・稗・黍(キビ)などを取って持ってきて、好みに応じて食べさせた。
狐は墓屋(ツカヤ・お墓、あるいは墓守の家らしい。)の辺りに行って、人が祭って置いた粢(シトギ・生米を水につけて柔らかくしてつき、餅状にした物。供え物に使われた。)・炊交(カシギカテ・混ぜご飯)・鮑・鰹など様々な魚類などを取って持ってきて、望みに従って食べさせたので、翁はすっかり満腹になった。
このようにして数日が過ぎると、翁は、「この二匹の獣は誠に深い仏道心がある。この二匹はすでに菩薩である」と言うと、兎は大いに発奮して、灯を取り、香油を取り、耳は高くして身をかがめて、目を大きく見開き、前の足は短く、尻の穴は大きく開いて、四方八方食べ物を求め回ったが、何一つ手に入らなかった。
すると、猿・狐と翁は、兎をはずかしめ、あなどり笑いながら励ましたが、力及ばずどうすることも出来ない。そこで兎は、「自分は翁を養うために野山を走り回ったが、野山は怖ろしくて堪え難い。人に殺され、獣に喰われてしまう。心ならずも無駄死にするに違いない。そうであるなら、自分は今この身を捨てて、あの翁に食べられて、未来永劫に畜生の身から離れよう」と思って、翁のもとに行って、「今から自分は出かけて行って、甘美な物を求めてきます。木を拾って火を燃やして待っていてください」と言った。
そこで、猿は木を拾ってきた。狐は火を取って来て焚きつけて、「もしかすると、すばらしい物かもしれない」と待っていると、兎は何も持たないで帰ってきた。
すると、猿と狐はそれを見て、「お前は何を持って来たのか。やはり思った通りだ。虚言でもって我らを謀り、木を拾わせ火を焚かせて、お前は火に温まろうとしたのだ。何と憎らしいことだ」と言うと、兎は、「自分には、食べ物を求めて持って来る力がありません。されば、この私の身を焼いて食べてください」と言うと、火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。
その時、天帝釈は、本来の御姿に戻られて、この兎が火に飛び込んだ姿を月の中に移して、広く一切の衆生に見せるために、月の中に籠められた。それゆえ、月の面に雲のような物があるのは、この兎が火に焼ける煙である。また、月の中に兎がいるというのは、この兎の姿なのである。
万(ヨロズ)の人は、月を見るごとにこの兎の事を思い出すべきである。
☆ ☆ ☆
* 本稿は、「となむ語り伝へたるとや」という、定型の終わり方をしていない数少ない一つである。
その理由としては、「欠落した」とするもの、「書き忘れた」とするものに意見が分かれるようであるが、定型の形を取らなかったことに、特別意味があるようには思われない。
☆ ☆ ☆
百獣の王 ・ 今昔物語 ( 5 - 14 )
今は昔、
天竺の深い山の洞穴に一頭の獅子が住んでいた。この獅子は、心の内で「わしはあらゆる獣の王である。されば、あらゆる獣を護り慈しもう」と思っていた。
ところで、その山中に二匹の猿がいた。二匹は夫婦である。二匹の子を生んで育てていた。その子がしだいに成長したが、幼い時には一匹を腹に抱き、一匹は背に負って、山野を移動して木の実や草の実を拾って子を育てていたが、成長してからは二人の子を抱き背負うことができなくなった。
それに、山野に行って木の実・草の実を拾わなければ、子たちを養うことができなくなる。また、自分たちの命も支えることが難しい。
また、この子たちを棲み処において出て行けば、空を飛んでいる鳥がやって来て喰おうとする。地を走っている獣もやって来て連れ去ろうとする。このように思い悩んで出かけなければ、弱ってしまって餓死してしまう。
何か良い方法はないかと思いめぐらして、猿が思いついたことは、「この山の洞穴に一頭の獅子が棲んでいる。この子たちのことをあの獅子に依頼して、自分たちは山野に出て、木の実や草の実を拾って子供に食べさせ、自分たちの命も守ろう」と思いついて、獅子のいる洞穴に行って、獅子に「獅子はあらゆる獣の王で在(マシ)ます。されば、すべての獣を大変慈しまれるべきです。そして、この私も獣の端くれでございますので、慈しまれる中におります。実は、私には二匹の子がおります。子が幼かったときは、一匹を背に負い、一匹を腹に抱いて、山野に出かけまして木の実や草の実を拾ってきて子たちを養い、私たちも命を保ってきました。ところが、子たちがしだいに成長してからは、負ったり抱いたりすることに堪えられず、山野に出かけることができません。そのため、もはや子たちも自分たちも共に命が絶えようとしています。そうとはいえ、子たちを置いて出かけていけば、様々な獣に狙われて極めて怖ろしい。そのため出かけて行くことができず、弱り果ててわが命は絶えようとしています。そこで、木の実・草の実を拾うために山に出かけている間、この子たちを獅子殿にお預けさせてください。どうぞその間、子たちを保護していただきとうございます」と申し上げた。
獅子は答えて、「お前が言うことはもっともな事だ。すぐに子たちを連れてきて、わしの前に置いておくがよい。お前たちが返ってくるまでわしが守ってやろう」と承諾した。
猿は喜んで、子たちを獅子の前において、安心して山野に出かけて行き、木の実・草の実を拾って回った。
獅子は前に二匹の猿の子を置いて、わき見もせずに見守っていたが、獅子が少しばかり居眠りをしたところ、一羽の鷲がやって来て洞穴の前の木に隠れていたが、「少しでも隙があれば、あの猿の子たちを奪って行こう」と思って狙っていたが、獅子が居眠りをするのを見て、飛んできて、左右の足で二匹の猿の子をつかみ取って、もとの木に戻って喰おうとした時、獅子が目を覚まして見てみると、猿の子が二匹ともいなくなっていた。驚き騒いで洞穴を出て見ると、前の木に一羽の鷲がいて、あの猿の子二匹を左右の足でもって一匹ずつつかみ取っていて、押さえ付けてまさに喰おうとしていた。
獅子はこれを見てあわてふためき、その木の根元に行き鷲に向かって言った。「お前は鳥の王であり、わしは獣の王である。共に思慮分別があるはずだ。というのは、この洞穴の近くにいる猿がやって来て、『木の実や草の実を拾って子たちを育て自分たちも生きて行こうとしているが、二匹の子が気がかりでどうすればよいかと困って、山野に出かけている間二匹の子を護って欲しい』と言って子を預けて出て行ったが、わしが居眠りしてしまったため、その子たちを取られてしまったのだ。その二匹の子を、わしに免じて許して下され。確かに請け負ったその子たちを失ってしまえば、我が肝も心も引き裂かれるように辛い。また、わしの申すことをお聞き入れにならないわけにはいきますまい。わしが本気で怒り、大声を出して吠え立てれば、お前たちも無事ではおられますまい」と。
鷲はそれに答えて、「仰せられることは全く道理にかなっています。されど、この猿の子二匹が、わしの今日の食事なのだ。これをお返しすれば、わしの命は今日絶えてしまう。獅子殿の申されることはもっともですが、わしも命が大切なのだ。されば、お返しすることができない。我が命を護るためだ」と言った。
獅子は、「仰せられることも又道理だ。それでは、その猿の子の代わりに、わしの肉の塊を与えよう。それを喰って、今日の命を繋ぎなされ」と言うと、自分の剣のような爪でもって、我が股の肉の塊をつかみ取って、猿の子二匹の大きさに丸めて、鷲に与えた。そして、猿の子を返すよう頼むと、鷲は、「そうまでなさるなら、お返ししないわけにはいかない」と言って返した。
獅子は、猿の子二匹を取り返して、血まみれになって棲み処の洞穴に帰った。
その時、二匹の子の母猿は、木の実や草の実を拾い集めて返ってきた。獅子が事の子細を母猿に話すと、母猿は雨のように涙を流した。
獅子は、「お前の言う事を重大と思ったわけではない。約束したことを守らない事こそ極めて怖ろしいことと思ったのだ。また、わしはあらゆる獣を慈しむ気持ちを持っている」と言った。
この獅子というのは、今の釈迦仏である。その雄猿というのは、今の迦葉尊者(カショウソンジャ・釈迦の長老格の弟子。)である。雌猿というのは、今の善護比丘尼(ゼンゴビクニ・伝不詳。)である。二匹の猿の子というのは、今の阿難と羅睺羅(アナンとラゴラ・共に釈迦の高弟で、阿難は従弟、羅睺羅は実子でもある。)である。鷲というのは、今の[ 欠字。人名が入ると思われるが不明。]である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
出火を喜ぶ ・ 今昔物語 ( 5 - 15 )
今は昔、
天竺にある国王の宮殿で出火があった。片端から燃えて行き、大王を始め后・王子・大臣・百官、皆大騒ぎして集まり、諸々の財宝を運び出した。
その時、一人の比丘(ビク・仏僧)がいた。国王は護持僧であるこの比丘に深く帰依(キエ・深く信奉しその力にすがること。)していた。
ところが、その比丘はこの火事を見て、大きくうなずき顎をなでて喜び、財宝を運び出すのを止めた。すると大王は、それを怪しんで比丘に尋ねた。「あなたはどういうわけで、宮殿での出火を嘆くことなく、私の膨大な財宝が消失するのを見て、うなずき顎をなでて喜ぶのですか。もしかすると、この火事はあなたが起こしたものですか。そうであれば、あなたはもはや重罪人だ」と。
比丘は答えた。「この火事は、私が起こしたものではありません。しかし、大王は財宝を貪るが故に、三悪趣(サンアクシュ・・三悪道に同じ。死後に罪業の報いとして赴くとされる苦界で、地獄道・餓鬼道・畜生道の三道を指す。)に堕ちられるところでしたが、今日の火事でことごとく焼失されましたので、三悪趣に堕ちるべき報いから逃れることができましたので、誠に喜ばしいことでございます。人が悪道(三悪趣)から離れることができず六趣(ロクシュ・・六道に同じ。天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六種の境界の総称。)を輪廻するのは、ほんの僅かの貯えを貪り求めるためなのです」と。
大王はこれを聞いて、「比丘の言われる事まったく道理にかなっている。私はこれから後、財宝を貪ることは断とう」と仰せられた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
仏法の誕生 ・ 今昔物語 ( 5 - 16 )
今は昔、
天竺に国王がいらっしゃった。常に美味な果物を好み賞味していた。
その頃、一人の男がいた。宮殿の警備人である。その人が、池のほとりで珍しい果物を見つけて、それを取り、国王が賞味されるべき物だと思って、国王に奉った。
国王がそれをお食べになると、この世の果物の味とは似ても似つかないほどで、美味なことこの上なかった。そこで、その警備人を召して仰せられた。「お前が奉ったところの果物は、美味なること類ない。あの果物はどこにあった物なのか。きっとその場所を知っているのだろう。されば、これからは、あの果物を常に持って参れ。もし持って来なければ、お前を処罰する」と。
警備人は、見つけるに至った事情を述べたが、国王は全く聞き入れようとしない。
警備人は嘆き悲しんで、あの果物を見つけた池のほとりに行って泣いていた。
すると、一人の人が現れて訊ねた。「お前が泣いているのは、どういうわけだ」と。
警備人は、「昨日、この池のほとりで珍しい果物を見つけました。それを取って国王に奉りましたが、国王がそれをお食べになって、『速やかにあの果物を、また持って参れ。もし持って来なければ、処罰する』と仰せられました。されど、もう一度見つける方法が無いので嘆き悲しんで泣いていたのです」と答えた。
その現れた人は、「わしは竜王である。昨日の果物は、わしの物である。大王がお求めなら、あの果物を一駄(イチダ・馬一頭分の荷駄)奉ろう。その代わりに、わしに仏法を聞かせてくれ」と言うと、すぐさまあの果物一駄を奉った。そして、「もし、わしに仏法を聞かせなかったならば、今日から七日のうちに、この国を海としよう」と言った。
警備人は国王にその果物を奉って、竜王の申し出を伝えた。
されば、国王はじめ大臣・百官は驚き騒いで、「わが国内において、昔から今日に至るまで、仏法とかいうものを見たことも聞いたこともない。もし、わが国はじめ他国にあっても仏法という物があれば、わしに得させよ」と、広く尋ねたが、仏法があるという人はいなかった。
ところが、国内に一人の翁がいた。年齢が百二十余歳である。国王は、この者を召し出して仰せられた。「お前はずいぶんと年老いている。もしかすると、昔、仏法というものを聞いたことがないか」と。
翁は申し上げた。「いまだかって、仏法というものを見たことも聞いたこともございません。ただ、この翁の祖父がまだ幼い時に、世間に仏法というものがあったと聞いております」と。さらに、「また、この翁の家には不思議な事がございまして、光を放つ柱が一本立っております。『これは何だ』と尋ねると、『これは、昔仏法があった時に立てられた柱である』と言い伝えられています」と申し上げた。
すると大王は喜んで、すぐにその柱を取り寄せて破ってご覧になると、中に二行の文章があった。
「八斉戒の文也」と言う。これを仏法と言うのであろうと信仰すると、ますます十方(ジュッポウ・・四方・四維・上下。あらゆる方向。)に光を放ち、衆生を利益(リヤク)なされた。
竜王も喜び、この時から、この国に仏法が始まり、次第に盛んになっていった。国も平安で、民も穏やかで、世は豊かになった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
鼠の援軍 ・ 今昔物語 ( 5 - 17 )
今は昔、
天竺に、ある小国があった。クツシャナ国(中国ウイグル自治区にあった古代オアシス国家で、正しくは天竺ではない。)という。国は小国ではあるが、大変豊かで、多くの財物が豊富であった。天竺はもとより広大ではあるが、食糧が乏しく、木の根・草の根をもって食物とし、麦・大豆などは美味な食物として米が乏しい所である。
ところが、このクツシャナ国は食物は多く、衣服類も豊かであった。それに、この国の国王は、もともとは、毘沙門天王の像の額が割けて、その中から端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整って美しいさまを形容する常套語。)な男の子が現れたのを、ある人(国王の父となる人が、子供がいなかったため毘沙門天に子宝を祈念していたとされる。)が受け取って、乳母を付けて育てた子であるが、どうしても乳を飲まなかった。また、他の物を食べさせても何一つとして食べなかった。
されば、この稚児は、とても育つはずがない。乳も飲まず、物も食べないので、何を以って命をつなぐのかと嘆き合って、先の毘沙門天にこの事を祈り申し上げた。
すると、この天王の御乳がにわかに高く盛り上がって、その形が人間の乳のように高くなった。天王の御乳が急にこのようになったのを見て、父王は不思議に思って、「いったいどうしたことか」などと言っていると、この稚児はそろそろと近寄って、手で以って天王の御乳の高い所を掻き揉むと、その先端から人の乳のような物が、どんどん湧き出してきて溢れた。すると、稚児はそれを飲んだ。
それを飲んでからは、どんどん大きくなり、端正美麗なることはさらに増していった。
その後、成人してこの国の王となり、国を治めた。
この国王は軍事の道に優れていて、勇猛で、近くの国を討ち取り、国土を広げ多くの人を従わせ、その勢いは抜きん出ていた。
そこで、隣国の凶悪で勇猛な者どもは、力を合わせて百万人ばかりの軍勢を集めて、突然この国に攻め込んで、大草原に展開した。
この国の大王は驚き大急ぎで軍勢を集めたが、その数は遥かに少なかった。とはいえ、このままにしておけない事なので、四十万人ばかりの軍勢を率いて出向いたが、日暮れとなり、その日は戦わなかった。
その夜は、大きな墓(ハカ/ツカ・両方の読みも意味もあるようで、ここでは「ツカ」で、廃墟となった砦のようなものらしい。)を隔てて宿営した。彼方の軍勢は威勢が強くて、立ち向かえそうになかった。
この国の王は兵法に勝れてはいたが、急に攻め込まれたため軍勢を整えることができなかった。敵は百万人、すべての面でかなわない。
「どうするべきか」と思い悩んでいると、三尺もある大きな金色の鼠が現れて、物を食ったり走り回ったりした。
国王はその鼠を見て怪しく思い、「お前は一体どういう鼠なのか」と訊ねると、鼠は「わしはこの墓に住んでいる鼠である。この墓は鼠墓(ネズミツカ)というのである。わしは、鼠の王である」と答えた。
そこで国王はその墓に行き、鼠に向かって言った。「その身体を見ると、ただの鼠ではあるまい。獣とはいえそなたは神の鼠だ。よく聞いてくれ。我はこの国の王である。鼠の王も同じようにこの国に住んでいる。されば、この度の合戦、力を貸してくれて我を勝たせよ。もし助けてくれて勝たせてくれたならば、我は毎年欠かすことなく盛大な祭祀を催して、国を挙げて崇め奉りましょう。もしそうしなければ、この墓を壊して火をつけて、皆焼き殺してしまおう」と。
すると、その夜の夢に金色の鼠が現れて、「王よ、お騒ぎなさるな。わしが助力して、必ず勝たせて見せましょう。そのためには、夜が明けるや否や合戦を始め敵軍に襲いかかりなさい」というのを見たところで、夢から覚めた。
王は心中嬉しく思って、夜を徹して象に鞍を置き、戦車の車輪を整備し、馬の鞍を置くなどして、さらに、弓の弦・胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具。)の緒などを点検して夜が明けるのを待ち、夜が明けるや否や一斉に全軍が攻めかかって、大鼓を打ち、幡を振り、盾を並べ、大象に乗り、戦車に乗り、馬に乗って、甲冑で身を固めた兵士四十万人が心を奮い立たせて襲いかかった。
敵軍は、「日が高くなってから攻めて来るだろう」と思っていたが、突然襲われて、眠りから覚めて起き出し、象に鞍を置こうとして見てみると、あらゆる武具、腹帯・鞦(シリカイ・馬を制御するための馬具。)などが、皆鼠に喰い切られていて、使える物が一つとしてない。また、弓の弦・胡録の緒・弦巻など皆喰い損じられていた。甲冑・大刀・剣の緒に至るまで皆喰い切られていて、兵士は皆裸同然で身を守る武具とてない。
象も馬も、繋がれていた鎖がなくなっているので、放れて逃げてしまい一頭もいない。車両も皆喰い損なわれている。盾を見ると、網の目のように人が通り抜けられるほどの穴があけられているので、矢を防ぐことなど出来るはずがない。
されば、百万人の軍勢は、為す術もなく右往左往するばかりである。転びながら我先に逃げ出してしまったので、進んで立ち向かう者はいなかった。まれに出合うものは全て首を切り捨てられた。
国王は合戦に勝利して城に還った。
その後は、この墓において祭祀を催して、国を挙げて崇(アガ)めた。そして、国も平安で、ますます生活が豊かになった。
この国の人は皆、願い事があると、この場所に来て祈願すると、叶えられないことはない、
となむ語り伝へたるとや。
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