雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

九色の鹿 ・ 今昔物語 ( 5 - 18 )

2020-09-02 09:37:41 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          九色の鹿 ・ 今昔物語 ( 5 - 18 )


今は昔、
天竺に一つの山があった。その山の中に、体の色が九色で、角の色が白い鹿が住んでいた。
その国の人は、その山にこの鹿が住んでいるということを知らなかった。
その山の麓には、大きな河があった。その山には一羽の烏がいた。この鹿と仲良く長年過ごしてきた。

ある時のこと、この河を一人の男が渡ろうとしたが、水に溺れて沈んだり浮いたりしながら流され下って行った。危く死にかけていた。
男は木の枝に取り付いて流されながら大声で叫んだ。「山神・樹神・諸天・竜神よ、どうして私を助けようとしないのだ」と。
大声で叫んだが、その時はどこにも人がおらず助けられることがなかった。ところが、この山に住んでいるあの鹿が、河のほとりに来ていた。鹿はこの声を聞いて男に、「そこの人、恐れることはない。我が背中に乗って二つの角を掴まえよ。我はあなたを背に乗せて岸に着けてやろう」と言って、河の中を泳いでこの男を助けて岸に上がった。

男は命が助かったことを喜んで、鹿に向かって手を合わせて泣きながら言った。「今日我が命が助かったのは、あなたのお陰です。何を以って、この恩に報えばよいのでしょうか」と。
鹿は、「あなたは何かで以って我に報いることなどありません。ただ、我がこの山に住んでいるということを決して人に話さないでください。我が体の色は九色です。この世に二つとないものです。角の白いことは雪の如くです。人が我のことを知ったならば、毛皮や角を利用しようとして、きっと殺されてしまうでしょう。このことを恐れているゆえに、深き山に隠れていて住む所を決して人に知られないようにしています。ところが、あなたが叫ぶ声を微かに聞きましたので、同情してしまって出て行ってお助けしたのです」と言う。
男は鹿とその約束をして、泣きながら、人には話さないことを繰り返し承諾して別れた。

男は無事郷に帰り、月日を過ごすもこの事を人に話すことはなかった。
ところが、その国の后が夢の中に、大きな鹿が現れ、体の色は九色で、角の色は真っ白であった。夢から覚めた後、その色の鹿を得たいとの思いが募り、后は病になり寝込んでしまった。
国王が「どうして起きないのか」と仰せられると、后は国王に申し上げた。「わたくしの夢の中で、然々の鹿を見ました。あの鹿は、きっとどこかにいるはずです。その鹿を捕まえて、皮をはぎ角を取りたいと思います。大王、必ずあの鹿を探し出してわたくしにお与えください」と。
王は直ちに宣旨を発せられた。「もし然々の鹿を探し出して献上する者には、金銀等の財宝を与え、望みのものを授けよう」と。

すると、あの鹿に助けらた男は、この宣旨の内容を聞くと、欲望を抑えきれず、たちまち鹿の恩を忘れてしまった。
そして国王に、「どこそこの国のどこそこの山に、探し求められています九色の鹿がおります。私はその場所を知っております。早速軍平を給わりまして、捕らえて献上させていただきます」と申し上げた。
大王はこの申し出を聞いて喜ばれ、「わしが軍平を率いてその山に向かおう」と仰せられた。
すぐに大軍を引き連れて彼の山に行幸なさった。あの男は御輿に付き従い、道案内をした。やがてその山に入られた。
九色の鹿は全くこの事を知らずに、住処の洞穴でぐっすりと寝入っていた。

その時、あの仲よくしている烏がこの行幸を見て、驚きあわてふためいて鹿のもとに飛んで行き、声高く鳴いて起こそうとした。しかし、鹿は全く目覚めない。烏は木から下りて近寄り、鹿の耳に喰いついて引っ張ると、鹿は目覚めた。
烏は鹿に、「国の大王が、鹿の色を珍重されて、大軍を引き連れてこの谷を包囲された。もはや逃げるとしても、とても生きのびることは難しい」と伝えると、鳴きながら飛び去った。
鹿が目覚めて見てみると、確かに大王が大軍を引き連れて来ていた。とても逃れる術がない。そこで、鹿は大王の御輿の前に歩み寄った。兵士共は、それぞれが矢をつがえて射ようとした。

その時大王は、「皆の者、しばらくこの鹿を射てはならない。鹿の体を見るにつけ、ただの鹿ではない。軍勢に恐れることもなくわしの輿の前にやって来た。しばらくは自由にさせて、鹿がすることを見ていよう」と仰せられた。
そこで兵士共は、矢を外して見守った。鹿は大王の前にひざまづいて申し上げた。「我はこの体の色を求められることを恐れて、長年深き山に隠れています。決して知っている人はおりません。大王は、如何にして我が棲み処をお知りになられたのか」と。
大王は、「わしはお前の棲み処は知らなかった。ところが、この輿のそばにいる顔にあざのある男の申し出によりやって来たのである」と仰せられた。
鹿は王の仰せを聞いて、御輿のそばにいる男を見てみると、顔にあざがあり、自分が助けた男であった。鹿は、その男に向かって言った。「あなたの命を助けた時、それを喜んで、我が所在を人には告げないと、繰り返し約束してきた人でしょう。それなのに、その恩を忘れて、今、大王に申し上げて我を殺させようとするのはどういうわけですか。あなたが水に溺れて死のうとしていた時、我は命を顧みず泳いで行って、岸に辿り着かせました。それなのに、恩を知らないとは、この上なく恨みます」と言って、涙を流して激しく泣いた。男は、鹿の言う事を聞いて、一言も答えることができなかった。

その時、大王は、「今日より後、国内で鹿を殺してはならない。もしこの宣旨にそむき、鹿一頭でも殺す者があれば、その者は死刑、その家は断絶させる」と仰せになって、軍勢を引き上げて、宮殿にお還りになった。
この後、国に適量の雨が降り、大風は吹かなかった。国内に病(疫病を指すか?)はなく、五穀豊穣にして貧しい人はなかった。

されば、恩を忘れる者は人の中にいる。人を助ける者は獣の中にいる。これは、今も昔も有ることである。あの九色の鹿は、今の釈迦仏であられる。仲の良い烏は、今の阿難(アナン・釈迦の高弟で、従兄弟にあたる。)である。后というのは、今の孫陀利(ソンダリ・釈迦の弟の難陀の妻。)である。水に溺れた男は、今の提婆達多(ダイバダッタ・釈迦の従弟で阿難と兄弟ともされる。途中から教団を離脱し、仏敵視されることが多い。)である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は恩知らず ・ 今昔物語 ( 5 - 19 )

2020-09-02 09:37:04 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          人は恩知らず ・ 今昔物語 ( 5 - 19 )


今は昔、
天竺にある人がいて、亀を釣って持ち歩いていた。仏道心のある人が、その人と路上で出会って、その亀を強く求めて、代価を払って買い取って、逃がしてやった。

その後数年たって、この亀を逃がした人が寝ている枕元で、がさこそと音を立てる者がいた。頭を持ち上げて、「何だろう」と見てみると、枕元に三尺ほどの亀がいた。
驚いて、「お前は、いかなる亀か」と訊ねると、亀が「私は先年、買い取って逃がして下さった亀です。釣られてすぐにも殺そうとしていたところ、買い取って逃がして下さった有難さを、何とかして恩返ししたいと思っていましたが、その機会も無いままに長年過ぎてしまいましたが、このあたりで、大変事が起きる気配があることをお知らせに来ました。その大事と申しますのは、この前の河の水が限りなく水かさが増して、人・馬・牛などありとあらゆるものが皆流されて死んでしまおうとしています。されば、この御家も水の底に没してしまいます。速やかに船を準備して、河上より水が流れ下ってきた時には、親しい人々と共に船に乗って命を生きのびてください」と言って去って行った。

不思議なことだとは思ったが、何か子細があるのだろうと思って、船を準備して家の前に繋ぎ、船を点検して待っていると、その夕方から大雨となり風も強く吹いて、一晩中止まなかった。明け方になると、河上から水かさが増して山の如くに流れ下って来た。
船に乗る準備をしていたので、家の人全員が船に乗った。安全な高地を目指して漕いで行くと、大きな亀が水に流されている。
「私は、昨日お訪ねした亀です。御船に参上します」と言うので、大喜びして「早く乗れ」と言って乗せた。すると、今度は大きな蛇(クチナワ)が流されていく。蛇はこの船を見て「私を助けてください。死にそうです」と言う。船の人が「蛇を乗せよう」とも言わないのに、亀は「あの蛇は死んでしまいそうだ。乗せてやってください」と言った。
すると、男は、「決して乗せてはならない。小さな蛇でも恐ろしい。まして、あれほど大きな蛇をどうして乗せるのか。呑まれてしまうぞ。まったく無益な事だ」と言う。亀は、「決して呑んだりしません。ともかく乗せてやってください」と言い、「このような者を助けることが良いことなのです」と言うので、この亀の安心がいくようにと乗せた。蛇は舳(ヘサキ・船の前方部分)の方でとぐろを巻いている。大きな蛇だが、船も大きいので狭いということはなかった。

さらに漕いで行くと、今度は狐が流されている。狐はこの船を見て、蛇が言っていたように助けを求めて叫んだ。亀はその場にいて、また「彼を助けてください」と言うので、亀の言う通りに狐を乗せた。
さらに漕いで行くと、今度は男が一人流されている。男はこの船を見て、助けを求めて叫んだ。船主(亀を助けた男)が男を助けようと船を漕ぎ寄せると、亀は「彼をお乗せになってはいけません。獣は恩を忘れない者です。人は恩を知りません。あの男が死のうとそれは定めというもので、あなたの犯した罪にはなりません」と言う。
船主は「蛇のような恐ろしい者でも、慈悲の心を起こして乗せたのです。いわんや、同じ人の身として、どうして乗せないでおれましょうか」と言って、漕ぎ寄せて乗せた。男は喜んで、手を合わせて泣くこと限りなかった。
こうして、目指す所に漕ぎ寄せて留まっているうちに、水はようやく引いて、もとの河のようになった。そこで、皆下りてそれぞれ去って行った。

その後のこと、船主の男が道を歩いていると、船に乗せた蛇と出会った。蛇は男に言った。「かねてから申し上げようと思っていましたが、お会いすることがなく申し上げることができませんでした。私の命を助けていただき感謝申します。私の後ろについて来て下さい」と言って這って行く。後ろからついていくと、大きな墓の中に這い入った。「私の後ろについて入ってください」と言うので、恐ろしくはあったが、その穴について入った。
墓の中に入ると、蛇は「この墓の中に多くの財宝があります。全部私の物です。これを命を助けていただいたお礼として、有る限り取ってお使いください」と言うと、穴から這い出して去って行った。
その後、男は人を連れてきて、この墓の中の財宝を全部運び出した。

そして、家は豊かになり、思いのままに使おうとしている時に、あの助けた男がやって来た。
家主(財宝を得た男)の男が「何の用事で来られたのか」と訊ねると、「命を助けていただいたお礼に参りました」と言いながら、家の中に財宝がたくさん積まれているのを見て、「これは、どういう財宝ですか」と訊ねるので、事の経緯を始めから話した。
やってきた男は、「これは、思いもかけずに手に入れた財宝ですなあ。私にも分けてくださいな」と言うので、家主は少しばかり分けてやった。
やってきた男は、「これはまた、ちょっぴりと分けてくれたものだ。突然手にした物でしょう。半分分けてくれるべきでしょう」と言う。

家主は、「何とまあ、厚かましいことを言うものだ。私は蛇を助けたので、蛇がその恩返しとして与えてくれたのだ。お前さんは、蛇のように恩返しをする事もなく、私が得た物を欲しがるものだから、とんでもないことだとは思い、少しばかり分け与えるのさえ不当だと思っているのに、どういうつもりで半分寄こせと言うのか。全く話にならない」と言うと、男は腹を立てて、手にしていた財宝を投げ捨てて去って行った。

そして、男は国王の御許に参って申し上げた。「某丸(家主のこと)は墓をあばいて多くの財宝を自分の物にしている」と。
国王は使いを遣わして、家主の男を捕らえて牢獄に入れた。厳しく縛り上げ、手足を張り付けにして寝かされて、少しも休ませない。声を挙げて叫び苦しむこと限りなかった。
その時、枕元でごそごそする者がいる。見ると、例の亀が出てきた。
「お前は、どうして出て来たのか」と言うと、亀は「このような非道のことで、お気の毒な罪を受けられたと聞きましたので、やって来たのです。ですから、あの時申し上げましたでしょう。『人は乗せてはならない』と。人はこのように恩を知らない者なのです。今となっては悔やんでも甲斐ないことですが。とはいえ、辛い目にいつまでもあっているべきではありません」と言って、恩を受けた亀・狐・蛇が一緒になって、解き放されるように計略を練った。
「まず、狐は宮中で激しき鳴き騒ぐのだ。すると、国王は驚いて、占い師にその吉凶を占わせるだろう。そこで、国王には大変可愛がっている姫宮が一人おいでなので、その姫が厳重に慎まれるように占なわせよう。その後で、蛇と亀とで姫宮が重病に罹っているようにする」と約束して去って行った。

その次の日から、獄舎の前に人々が集まって、「王宮に百千万の狐が鳴き騒いでいるので、国王は大変驚かれて占い師に占なわせたところ、国王・姫宮が厳重に慎むべきと占ない申し上げたが、姫宮は重い病気に罹られて、御腹が膨れてこれが最期という状態なので、宮中は大騒ぎになっている」などと話し合っているのを聞いて、獄舎の役人がやって来て、「姫君が苦しまれているのは『何の祟(タタ)りだ』と国王が訊ねられると、『罪無き人を非道にも牢獄に繋いだ祟りです』と占ない申し上げた。そこで、『牢獄にそのような者がいるか』とお訊ねになられた」と言って、牢獄に繋がれている者どもを片っ端から調べていくうちに、例の男に尋ね当たった。
「きっとこの男だ」と言って、宮殿に参って報告した。国王は報告を聞いて、召し出して事の子細を問われると、男は始めから今に至るまでを申し上げた。国王は、「無実の者を処罰していた。速やかに許すべし」と言って赦免した。

そして、「あしざまに告げ口した者を処罰すべし」ということになり、訴えた男を呼び出して重罪にした。
されば、「亀が『人は恩を知らない者だ』と言ったのは、間違いではなかった」と、この男は思い知った。
かくなむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王を夢見た狐 ・ 今昔物語 ( 5 - 20 )

2020-09-02 09:36:00 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          王を夢見た狐 ・ 今昔物語 ( 5 - 20 )


今は昔、
天竺に一つの古い寺があった。
そこに一人の比丘(ビク・仏僧)がおり、ある僧房に住んで常に経を読んでいた。
また、一匹の狐がおり、その経を聞いていた。その経に曰く、「およそ人も獣も、心を気高く持てば、それぞれの王となる」と。
狐はこれを聞いて思った。「我は心を気高く持って、獣の王となろう」と。
そこで、その寺を出て行くと、一匹の狐に出会った。前足を高く持ち上げて、この狐を脅した。本の狐の威厳のある様子を見て、出会った狐は畏れ入ってうずくまった。すると本の狐はその狐を召し寄せてその背中に乗った。

そして、さらに行くうちに、また狐に出会った。出会った方の狐が見てみると、狐に乗っている狐が威厳のあるかのように振る舞っていたので、「これは何か子細があるのだろう」と思って、畏まりうずくまった。すると、その狐を召して、乗っている狐の引き綱を取らせた。(馬のように轡をかませていたのだろう。)
このようにして、出会う狐どもを従者にして左右の引き綱を取らせ、千万の狐を後ろに従えて行くうちに、犬に出会った。
犬は一行の様子を見て、「これは、獣の王らしい。畏れ入ろう」と思って、畏まって控えた。本の狐は、狐どもと同じようにその犬を召し寄せた。すると、多くの犬が集まってきたので、犬に乗って犬に引き綱を取らせた。
次には、虎・熊を集めてそれに乗った。このようにして、様々な獣を集めて家来にして、道を進んでいくと、象に出会った。象も不思議に思って側らに畏まって控えているのを召して、象に乗った。やはり同じように、多くの象が集まった。
狐に始まり象に至るまで、諸々の獣を従えて、その王となった。

さらに行くうちに、獅子に出会った。獅子はこの様子を見て、「象に乗った狐が千万の獣を引き連れて通行しているのは、何か子細があるのだろう」と思って、獅子は道の側らで膝をかがめて畏まって控えた。
狐の身としてはこの程度で十分であったろうに、いい気分になり過ぎて、「このように多くの獣を従えているのだから、さらに百獣の王たる獅子の王になろう」と思う心が生まれ、獅子を召し寄せた。
獅子は畏まって参上した。狐は獅子に言った。「我はお前に乗ろうと思う。速やかに乗せるべし」と。
獅子は申し上げた。「諸々の獣の王にお成りになられたのですから、とやかく申し上げる事などありません。早速仰せのようにいたしましょう」と。
狐は、「我は狐の身を以って象の王となることさえ思いがけないことである。それなのに、獅子の王になることは世にも稀な事である」と思いながら、獅子に乗った。ますます頭を高く持ち上げ、耳をぴんと立て、鼻息を荒くして、世間を相手にすることもなく見下して、獅子に乗って象に左右の引き綱を取らせ、「早く多くの獅子を集めよう」と思って、広い野を進んで行った。

その時になって、象を始め諸々の獣は思った。「獅子はその声を聞くだけでもあらゆる獣は皆うろたえ恐れおののいて、肝がつぶれ半死半生の状態になる。ところが、我が君の徳のお陰で、友達となり全く仲良く付き合っていることは思いがけないことだ」と。
ところで、獅子は必ず一日に一度は吠えるものであるが、その日も午時(ウマドキ・正午)になると、獅子は突然頭を高く持ち上げて、鼻息も荒く不機嫌そうな眼付をして、あたりを振り返り見回して睨むと、象を始め諸々の獣全てが、「いかなることが起きるのか」と思うと、半死半生のようになり恐ろしさに身も凍るようになった。背中に乗っていた狐も、獅子が首筋の毛を逆立てて、耳を高く尖らせるのを見ると、転げ落ちそうになったが、自尊心を何とか保って、「我は獅子の王なのだ」と自分に言い聞かせて、背中にしがみついていたが、獅子は雷が轟き合うような声を張り上げて、前足を高く持ち上げて遥か彼方まで届くように吠え怒ったので、乗っていた狐は真っ逆さまに落ちて死んでしまった。引き綱を取っていた象を始め、大勢の獣たちも一度に倒れて気絶してしまった。

その時、獅子は、「この乗っていた狐は獣の王だと思ったから乗せたのである。我がこのように大したこともない声を出して吠えただけなのに、こうも簡単に落ちて死んでしまった。ました我が本気で怒って前足で土を掻き掘り、大声を放って吠えたてれば、堪えることなど出来まい。身の程も知らない下郎に騙されて、乗せてしまったものだ」と思って、山の方に向かって、ゆったりと歩いて行った。

その時になって、気絶していた獣どもは、皆息を吹き返し、茫然自失の状態で、よろめきながら帰って行った。獅子に乗っていた狐は完全に死んでいた。他の獣どもの中にも、死んでしまった者もいた。
されば、象に乗るだけでも上々なのに、獅子にまで乗るのは分不相応な事なのである。
人も身の程に合わせて、出過ぎたことは慎むべきだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎の威を借る ・ 今昔物語 ( 5 - 21 )

2020-09-02 08:29:42 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          虎の威を借る ・ 今昔物語 ( 5 - 21 )

今は昔、
天竺に一つの国があった。そこに一つの山がある。
その山に一匹の狐が住んでいた。また、一頭の虎も住んでいた。
この狐は、その虎の威を借りて、諸々の獣を恐がらせていた。
虎はその事を聞いて、狐の所に行って責めて言った。「お前はどうしてわしの威を借りて諸々の獣を脅しているのか」と。狐は、天地神明に誓って否定したが、虎は狐の弁明を全く信じなかった。
狐は為す術がなく逃げ去ろうと思って走り出したが、思いもかけず落とし穴に落ち込んだ。獣を捕るためのその穴は深くて、登る方法もない。穴の底に横たわりながら、世の中の無常を観じて、一瞬、菩提心を起こした。そして、「昔の薩埵王子(サッタオウジ)は虎に我が身を与えて菩提心を起こしたという(仏典にある故事)。自分も今は同じ状態だ」と思った。

その時、大地は狐の菩提心に天神地祇が感応して震動した。六欲天すべてが揺れ動いた。これによって、文殊・天帝釈共に仙人の姿になって、落とし穴の底まで来て狐に訊ねた。「お前はどのような菩提心を起こして、どのような誓願を立てたのか」と。狐は、「もし、わしの思っていることを知ろうと思われるのであれば、まずわしを穴から引き上げてくれ。その後にお話しよう」と答えたので、言う通りに引き上げた。

そして、「早く申せ」と催促したが、狐は落とし穴から引き上げられると、たちまちのうちに菩提心を忘れてしまい、何も話さずに逃げようという気持ちになった。すると、その心を見抜いて、仙人の姿であったのがたちまち降魔(コウマ・ここでは、悪魔を降伏させる怒りの形相の姿。)の相になって剣・鉾で以って責めると、狐は上述の事を話した。
仙人(文殊のことか?)はそれを聞いて、慈悲の心を起こして狐を褒め、「お前は一瞬の菩提心を起こしたことによって、命を終えた後には、釈迦が仏となって現れる御世に、菩薩となって二つの名を得られるだろう。一つは大弁財天といい、もう一つは堅牢地神(ケンロウジシン・もとは古代インドの大地の女神。)という。八万四千の鬼神を従僕として一切衆生に福を授けるべし」と言うと、掻き消すように姿を消した。

その時の仙人というのは、今の文殊菩薩である。その時の狐というのは、今の堅牢地神である。この菩薩は、身の丈は千丈(約3000m)である。八つの手があり、二つは合掌しており、六つは鎰(カギ・収蔵用具?)・鍬・鎌・鋤などを持って、一切衆生に五穀を作らせて福を与えるためである。また、九億四千の鬼神を使っている。
そういうことで、たとえ一瞬の菩提心といえども、その功徳は無量絶大なもので人智の及ばぬ不可思議なものである。
世間で、「狐は虎の威を借る」ということはこれを言う、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王子と王女の悲話 ・ 今昔物語 ( 5 - 22 )

2020-09-02 08:28:13 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          王子と王女の悲話 ・ 今昔物語 ( 5 - 22 ) 


今は昔、
東城国(トウジョウコク・実在していない)に王がいた。明頸演現王(ミョウキョウエンゲンオウ・伝不祥)という。一人の王子がいた。善生人(ゼンショウニン・伝不祥)という。その王子は成人するも妻がいなかった。
また、西城国(サイジョウコク・実在していない)にも王がいた。一人の王女がおり、阿就多女(アジュタニョ?・漢字も読みも不正確です。)という。端正美麗(タンジョウビレイ・容姿が整って美しいさまを表現する常套語。)なること並ぶ者がない。
東城国の善生人は 阿就多女の美麗なことを聞いて、妻にしたいものと思って、その国に出かけて行った。三尺の観音の像を造って、「道中の海難をお守りください」と申し上げた。
両国の中間あたりに舎衛国(シャエコク・古代インド十六大国の一つ。)がある。その途中に渡るのに七日かかる大海がある。善生人はその海を船で渡っていく途中、突然逆風となり他国に吹き寄せられてしまった。

その時に善生人は、「観音様、私をお助け下さい」と唱えながら泣き悲しんでいると、逆風が止んで順風となった。
喜びながら進んで行くと、三日目に無為の津(舎衛国にある港。実在ではないらしい。)に着いた。そこで、従者などを全員帰らせた。
善生人ただ一人で目的地目指して行くと、十五日目に西城国の王のもとに着いた。門の辺りに立つと、阿就多女は善生人がやって来ることを予知していて、宮殿を出て門の外を見ると、端正な男が一人立っている。
「あれは善生人だろう」と思って、「どちらから参られたお方ですか」と尋ねると、「私は東城国王の子、善生人と申します」と答えた。
阿就多女は喜んで、密かに寝所に連れて入った。誰も近寄らせなかった。
そして、七日経った頃、阿就多女の父の王は、従者を召して「寝所に人がいると聞くが、何者か」と尋ねられると、「東城国の王子、善生人です」と答えた。

そこで国王は、善生人を呼び出してお会いになると、端正なること並ぶ者とてないほどである。されば、とても大切に遇せ
られた。
やがて、阿就多女は懐妊した。
しかし、王の后は阿就多女にとって継母(ママハハ)であったので、この善生人を容認しないで、王がいらっしゃる時には白米だけの飯を与え、王がいらっしゃらない時には雑穀の飯を与えた。
善生人は、「私の実家には、たくさんの財産があります。一度帰って財物を取って来て、あなたに差し上げましょう」と言った。阿就多女は、「私はすでにあなたの子供を宿しております。お帰りになるまでの間、私はどうすればよいのですか」と言った。しかし、善生人は一月経つと東城国に向かった。

阿就多女はその後八か月を経て一度に二人の男の子を生んだ。父の王は、この男の子らをとても可愛がった。兄の名を終尤(ジュウイウ)といい、弟の名を明尤(ミョウイウ)という。
善生人はすぐに帰るつもりであったが、病気の父王の死を看取ろうと思って帰るのを延ばしているうちに数年が過ぎた。
二人の子は、三歳になっていた。阿就多女は二人の子に話した。「わたしはお前たちの父が帰って来るのを待っているが、未だに帰って来ない。また、他の夫を迎えようとは思わない。そこで、わたしはお前たちの父の善生人のもとに行こうと思う。たとえ夫が死んでいても、再婚するつもりはない」と。
そして、密かに米五升を持ち出して、子の一人を背負い、一人は前を歩かせ、それを交代しつつ東城国を目指して進んだ。
七日を過ぎる頃には五升の米は尽きてしまった。そこで、単衣(ヒトエ・裏なしの衣)を売って四升の米を買い取って、それを食料としてなお進んだ。
しかし、今日にも無為の津に行き着こうとする所まで来たが、道半ばにして阿就多女は重い病になり道端に倒れてしまった。

その時、二人の子は、母のもとから離れず泣き悲しんだ。阿就多女は子たちに言い聞かせた。「わたしの命はもう今日限りでしょう。わたしが死んだ後には、お前たちはここを離れないだ、道行く人に一合の穀物を乞うて、それを食べて過ごしなさい。そして、誰かに『お前たちは誰の子だ』と訊ねられたならば、『私たちの母は西城国の王の娘である阿就多女です。私たちの父は東城国の王の子である善生人です』と答えなさい」と言い置くと、死んでしまった。

二人の子は、母に教えられたように、その骸(カバネ)を近くの藪の中に安置して、物を乞うて、それを食べながら一月(ヒトツキ)過ごした。
その時、善生人は東城国から数万の人を率いてやって来たが、二人の子が藪の中から出てきて、一合の米をめぐんでもらって引き返し、「我が父よ、母よ・・・」と声を挙げて泣いた。
善生人は子たちに訊ねた。「お前たちはどういう人の子なのか」と。二人の子は、「私たちの母は、西城国の王の娘である阿就多女です。私たちの父は、東城国の王の子である善生人です」と答えた。

それを聞いて善生人は、子たちを抱き上げて、「お前たちは私の子だ。私はお前たちの父だよ。母はどこにいるのか」と言うと、「この東の方の樹木の根元で死んでおります」と言う。
善生人は二人の子に案内させて行って見ると、死骸が散乱し青草が生えていた。善生人は悶絶辟地(モンゼツビャクチ・気絶せんばかりにもだえ悲しんで、地を転げ回ること。)して骸を抱きかかえて、「私が莫大な財物を貯えて持ってきたのは、君(阿就多女)のためなのだ。どうして死んでしまったのだ」と言って泣き悲しんで、すぐさまその場所に十柱(十人・・「柱」はふつうは仏や神などを数える時に用いられる。)の賢者(ケンジャ・ここでは、仏には及ばないが、大変優れた僧を指している。)を招いて、一日に二十巻の毘盧遮那経(ビルシャナキョウ・いわゆる大日経のことで、真言三部経の一つ。)を書写供養し奉った。

そして、善生人もその場所において命を捨てた。二人の子も又、同じ所において命を捨てたのである。
いま、釈迦仏はその所を法界三昧(ホッカイザンマイ)と名付けて、その所において、「昔の善生人は今の善見菩薩(ゼンケンボサツ)であり、昔の阿就多女は今の大吉祥菩薩(ダイキチジョウボサツ)である。昔の兄の終尤は今の多門天王であり、弟の明尤は今の持国天である」とお説きになられた。
それぞれ、仏法を護り続け一切衆生を利益(リヤク・法力によって福を与えること。)し給う、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 「法界三昧」・・僧が心を静めてひたすら菩提を求め、その功徳を死者に回向する所、といった意。死者の冥福を祈る霊場・墓場にもつながる言葉。

* 「善見菩薩」・・帝釈天王を菩薩になぞらえた呼称。天王より菩薩の方が上位にあたる。また、帝釈天王は、忉利天の善見城に住んでいるとされることからの命名。
「大吉祥菩薩」も同様で、吉祥天を菩薩になぞらえたもの。

     ☆   ☆   ☆



  
     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鼻欠猿 ・ 今昔物語 ( 5 - 23 )

2020-09-02 08:27:23 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          鼻欠猿 ・ 今昔物語 ( 5 - 23 )


今は昔、
天竺の舎衛国(シャエコク・古代インドの十六大国の一つ)に一つの山がある。
その山に一本の大きな樹があった。その樹に千匹の猿が住んでいた。皆、心を一つにして帝釈天王に帰依して食物を供えるなど供養し奉った。
その猿のうち
、九百九十九匹には鼻がなかった。もう一匹の猿にだけは鼻があった。そのため、多くの鼻のない方の猿は集まって、鼻のある一匹をあざ笑い馬鹿にしあった。「お前は片輪者だ。我らの仲間に入ってはならぬ」と言って、同じ所に居させなかった。
そのためこの一匹の猿は嘆いてしょんぼりとしていたが、九百九十九匹の猿が様々な珍しい果物を集めて帝釈天に供養し奉ったが、帝釈天はそれをお受けにならず、あの一匹の鼻のある猿の供養した物をお受けになられた。

そこで、九百九十九匹の猿は帝釈天に向かって申し上げた。「どういうわけで我々の供養をお受けにならずに、片輪者の供養を受けられるのですか」と。
帝釈天は、「お前たち九百九十九匹は、前世において仏法を謗(ソシ)りたる罪によって、六根(ロッコン・・眼・耳・鼻・舌・身・意の六感覚器官の総称。)を完全に備えないで鼻が無いという果報(カホウ・過去の善悪の所業を因として受ける結果としての報い。良い事も悪い事もある。)を得たのである。あの一匹の猿は、前世の功徳によって六根を完全に備えている。ただ、愚痴(グチ・・愚かで正しい道理を理解できないこと。貪欲・瞋恚と合わせて衆生を害する三毒とされる。)にして師を疑った罪によって、しばらくは畜生として生まれたのであって、早々に仏道に入ろうとしている。お前たち九百九十九匹は、片輪者だとして美しく整った者を笑いさげすんでいる。それゆえに我は、お前たちの供養の物を受けないのだ」と答えた。
この事を聞いて後、九百九十九匹は自分たちに六根の欠けていることを知ることとなり、あの一匹を笑いさげすむことはなくなった。

この例えを以って、懈怠・放逸なる衆生が、精進・持戒の人を誹謗することに見立てて仏はお説きになられたのである。また、世間の人が鼻欠猿(ハナカケザル)というのはこの事を言うのであると、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆ 

* 「懈怠・放逸」・・(ケダイ・ホウイツ)修行を怠り、心を乱してわがまま勝手に振る舞うこと。
  「精進・持戒」・・(ショウジン・ジカイ)仏道修行にいそしみ、日常戒を保って清浄な生活を営む人。

* 「鼻欠猿」・・この言葉はあまり目にしないが、当時はよく使われていたらしい。

     ☆   ☆   ☆


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしゃべりな亀 ・ 今昔物語 ( 5 - 24 )

2020-09-02 08:26:22 | 今昔物語拾い読み ・ その1

        おしゃべりな亀 ・ 今昔物語 ( 5 - 24 )


今は昔、
天竺一帯が旱魃(カンバツ)に襲われ天下に水が絶え、青い草葉も無くなってしまった時があった。
その頃に、一つの池があったが、その池に一匹の亀が住んでいた。池の水が干しあがり、その亀も死にそうになっていた。
同じ頃、一羽の鶴がやって来て餌をついばんだ。そこへ亀が現れて、鶴と会って話し合った。「お前とわしとは前世からの因縁があって、鶴亀という一対の名を得たのだと、仏がお説きになっている。経典にも、あらゆるものの例えとして、鶴亀を一対としている。ところが、天下は旱魃でこの池の水は無くなってしまい、わしの命は絶えようとしている。わしを助けてくれ」と。(仏説には、鶴亀一対といったものはないらしい。)

鶴はそれに答えて、「お前が言うことに異論はない。我も道理を知っている。本当に、お前の命は明日を越すことができないかもしれず、まことに気の毒だと思う。わしは、どこにでも高くも低くも飛んで行くのは、思いのままだ。春は天下の草木の花や葉などいろいろな美しい景色を見ることが出来る。夏は農作物がたくさん生え栄えているのを見ることが出来る。秋は山々や原野の紅葉が美しいのを見ることが出来る。冬は霜や雪にさらされた冷たい水や、山川・江河(サンセン・ゴウガ)の水が凍って鏡のようになるのを見ることが出来る。このように、四季それぞれに応じて、万物すべて美しくないものなどない。さらにその上に、極楽世界の七宝の池の自然の織りなす美しい景色も見ている。お前はただこの小さな池一つの内さえ知り尽くしてはおるまい。お前を見ていると実に可哀そうだ。されば、お前に言われるまでもなく、水のある辺りに連れて行ってやろうと思っていた。しかし、わしにはお前を背中に負ってやることは出来ないし、抱きかかえる力もないし、口にくわえるとしてもうまい方法がない。ただ、するとすれば、一本の木をお前にくわえさせて、わしたちが二羽でその木の両端をくわえて連れて行こうと思うが、お前はもともとおしゃべりである。お前がわしに尋ねることがあったり、わしがうっかりとお前に話しかけることがあると、お互いに口を開いてしまうので、お前は落ちて命を失ってしまうことになる。どうされるか」と言った。

亀はそれに答えて、「連れて行ってやろうといわれるなら、わしは口をしっかりと閉じて、絶対にしゃべらない。この世にいる者で、我が身を大切に思わないものなどおるまい」と。
鶴は「身についた病癖は消えないものだ。やはりお前を信じることは出来ない」と言う。亀は「いや、絶対に物は言わない。だから連れて行ってくれ」と言うので、鶴は仲間の鶴と二羽で、亀に木をくわえさせ、二羽はその木の両端をくわえて高く飛びあがって進んで行ったが、亀は一つの池の内だけに住んでいたので、今まで見たこともない山・川・谷・
峰などのそれぞれに美しいのを見て、感極まって、「ここはどこなのだ」と言った。
鶴もうっかりして、「ここは・・」と言いかけて口を開いてしまったので、亀は落ちて命を失ってしまった。

これによって分かることは、おしゃべり癖のある者は、命さえ顧みないのである。
仏が、「守口摂意身莫犯」等の文は、これをお説きになったのである。また、世間の人が「不信の亀は甲破」と言うのは、このことを言う、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 「守口摂意身莫犯」・・(シュクショウイシンマクボン)釈迦が愚鈍な弟子に授けた一句偈とされる。「口を慎み、心意と身体を正しく保って悪を犯してはならない」といった意味ですが、本当は、もっと奥深いものとの説明もありますが、筆者には難解すぎますので、勘弁してください。

* 「不信の亀は甲破」・・(フシンノカメハ コウヤブル)あまり見かけない言葉ですが、当時はよく使われていたのかもしれません。意味は、「(口を慎めという教えを守らなかった)不信心な亀は命を落とす」と受け取ったのですが、少々自信がありません。

     ☆   ☆   ☆




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猿の肝 ・ 今昔物語 ( 5 - 25 )

2020-09-02 08:25:39 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          猿の肝 ・ 今昔物語 ( 5 - 25 )


今は昔、
天竺の海辺に一つの山があった。一匹の猿がいて、木の実を食べて生活していた。
その海辺に二匹の亀がいた。夫婦である。妻の亀は夫の亀に言った。「わたしは子供を懐妊しました。ところがわたしには、お腹に病があるので、きっと出産できないでしょう。ねえ、あなた、わたしに薬を飲ませてくだされば、無事にあなたの子供を生むことが出来ます」と。

夫はそれに答えて、「どういった物が薬になるのか」と尋ねた。妻は、「わたしが聞いたところによりますと、猿の肝(キモ・肝臓)が、お腹の薬としては第一番だそうです」と言うと、夫は浜辺に行って、かの猿に会って言った。「お前さんの棲み処には、いろいろな食べ物が豊かに有りますのかな」と。猿は、「いつも足りませんよ」と答えた。
亀は、「わしの棲み処の近くには、四季折々の木の実・草の実が絶えることがない広い林がある。ああ、お前さんをその時々に連れて行って、腹いっぱい食べさせてやりたいものだ」と言った。
猿は謀られているとも知らず、喜んで、「ぜひ、連れて行った下さい」と言ったので、亀は、「それでは、さあ参りましょう」と言って、亀は背中に猿を乗せて連れて行ったが、その途中で亀が猿に言った。「お前さんは知らないだろうが、実はわしの妻は懐妊しているのだ。ところが、妻は腹に病があるので、『猿の肝がその病の薬になる』と聞いたので、お前さんの肝を取るために謀って連れて来たのだ」と。

猿は、「亀さんよ、まことに残念なことだ。どうして、わしに本心を明かさなかったのだ。お前さんは聞いたことがないのか。我らの仲間は、もともと体の中には肝が無いのだ。わしの肝は、すぐ近くの木に懸けて置いていたのだよ。お前さんが岸辺で言ってくだされば、わしの肝も、さらには仲間の猿の肝も集めて進呈しましたのに。たとえわしを殺したところで、体の中に肝など無いのだから、無駄というものですよ。まったく、骨折り損ということですなあ」と言うと、亀は猿の言うことを本当だと信じて、「それでは、これから戻ろう。肝を取ってきてわしに下され」と言ったので、猿は、「お安いご用です。置いてある所へ行き着けば、造作もないことです」と答えたので、亀は同じように猿を背中に乗せて元の岸辺に戻った。

岸に着いて背中から下ろすと、猿は下りるや否や走り出して、木の一番てっぺんまで登った。そして、そこから見下ろして、猿は亀に言った。「亀さんよ、愚かだなあ。体の外に肝が有るはずがあるまい」と。
亀は、「さてはだましたのだな」と思ったが、どうすることもできず、木のてっぺんにいる猿に向かって、うまく言い返すこともできないままに見上げて、「猿さんよ、お前も愚かだよ。どんな大海の底に木の実が有るというのか」と言うと、海に入っていった。

今も昔も獣というものはこのように愚かなものである。人も愚痴(グチ・愚かで、正しい道理を理解できないこと。)なる者は、これらと同様である。
かくなむ語り伝ヘたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

象の母と子 ・ 今昔物語 ( 5 - 26 )

2020-09-02 08:24:59 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          象の母と子 ・ 今昔物語 ( 5 - 26 )


今は昔、
天竺に一つの林があった。
その林の中に一頭の盲目の母象がいた。その母象には一頭の子供の象がいて、母象が盲目のため出掛けることができないので、世話をしていた。果物や草などを取ってきて食べさせ、きれいな水を汲んできて飲ませた。

このようにして世話をしながら何年か過ごしていたが、ある時、一人の人がこの林の中に入り、たちまち道に迷ってしまって出ることが出来ず、嘆き悲しんでいた。
この象の子供は、その人が道に迷っているのを見て、同情の気持ちを起こして道を教えて林から送り出してやった。その人は喜んで、ようやく山を出て家に帰った。 
そして、国王に申し上げた。「私は香象(コウゾウ・芳香を放つ象。発情期の象の体液が芳香を放つらしい。)の住んでいる林を知っています。その象は、見たこともないすばらしい象です。すぐにあの象を捕まえるべきです」と。
国王はこの事を聞くと、自ら軍勢を率いて、その林に行かれた。国王に申し上げた人を道案内にして、象狩りを始めた。その人は、例の象の居場所を国王に知らせた。

すると、その人の両肘から先が突然折れて地に落ちた。人が切り落としたようであった。国王はそれを見て驚き奇怪に思われたが、それでもやめることなく、子供の象を捕まえて宮殿に連れ帰って繋いだ。
子供の象は繋がれてからは、まったく水も草も食べない。厩舎の管理人はその様子を見て不思議に思い、国王に申し上げた。「あの象は、水も草も食べません」と。
国王は自ら象の所に行って、その事を訊ねられた。「お前は、どういうわけで水も草も食べないのか」と。
象は、「我が母は盲目のため出掛けることが出来ない。そのため、この数年、我が世話をする事で命を保ってきました。ところが、このように捕らわれてしまったので、母を世話する者がいないまま数日が経ってしまったので、きっと飢えているでしょう。それを思うととても悲しく、どうして、自分だけが水や草の食事を食べることが出来ましょうか」と言った。
国王はこれを聞いて、哀れみの心を起こして、象を解き放した。
象は喜んで林に帰った。

この象の子供というのは、今の釈迦仏であられる。菩提樹の東にある尼連禅那河(ニレンゼンナガ・ガンジス川支流の一つ。)を渡ると大きな林がある。その中に卒塔婆(ソトバ・仏塔)があり、その北に池がある。その所にこの盲目の象は住んでいた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

象の恩返し ・ 今昔物語 ( 5 - 27 )

2020-09-02 08:23:44 | 今昔物語拾い読み ・ その1

          象の恩返し ・ 今昔物語 ( 5 - 27 )


今は昔、
天竺にある比丘(ビク・仏僧)がいたという。
深い山の中を通っていると、遠くに大象を見つけて、比丘は怖れをなして高い木に大急ぎで登り、よく繁った葉の中に隠れていると、象は木の下を通った。
比丘はうまく隠れることが出来ていると思っていたが、象は思いがけず比丘を見つけた。比丘がますます怖がっていると、象は木の根本に寄って来て、鼻で以って木の根を掘り始めた。比丘は仏に祈念し奉って,「私をお助けください」と祈っているうちに、木の根を深く掘ってしまったので、木は完全に倒れてしまった。

そして、象が近寄り比丘を鼻で担ぎ上げて高々と持ち上げ、さらに深い山の奥へと連れて行った。
比丘は、もうこれまでだと思うと、何が何だか分からなくなった。やがて、山の奥深くに入って行くと,この象よりさらに威厳のある大きな象がもう一頭いた。その象のもとに比丘を連れて行くと放り出した。
比丘は、「きっと、自分をこの大象に喰わせるために連れて来たのに違いない」と思って、今喰われるか、今喰われるかと身を固くしていると、この大象は、連れて来た象の前に寝ころんで転げ回り、喜ぶこと限りなかった。
比丘はその様子を見るにつけても、「自分を連れてきたことを、これほど喜ぶのか」と思うと、全く生きた心地がしなかった。
その時、比丘がこの大象の様子を見ていると、足を指し延ばしたままで立ち上がろうとしなかった。よく見てみると、足に大きなとげが踏み抜かれていた。その足を、比丘がいる方に伸ばして寄せたので、比丘は「もしかすると、このとげを抜いてくれと思っているらしい」と気がついて、とげを掴んで力いっぱい引っ張ると、とげが抜けた。

すると大象は、ますます喜んで何回も転げ回った。
比丘も、「とげを抜かせるために連れて来たのだ」と思うと安心した。その後、連れて来た象は再び比丘を鼻で担ぎ上げると、遥か遠い所に連れて行った。
そこには大きな墓(ツカ・「ハカ」と読むのが普通だが、「ツカ」の場合は、古墳とか砦などの廃墟を指すようだ。)があった。象はその中に比丘を連れて入った。比丘は怪しいと思いながら入ってみると、財物が沢山あった。比丘は、「とげを抜いたお礼に、財物を下さるらしい」と思って恐縮した。
この財物を全部取り出すと、象は再び鼻で担ぎ上げて、比丘が登っていた木の所に連れて行って下ろした。そして、象は山の奥へ帰って行った。

その時になって比丘は、「あの大きな象は、自分を連れて行った象の親だったのであろう。親が足にとげを踏み抜いたのを抜かせようと思って、この比丘を連れて行ったのだ。そして、そのとげを抜いたお礼に、この財物を得させてくれたのだ」と気付いた。
比丘は思いがけない財物を得て、自分の住処に帰った、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする