雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

花山院のご乱行 ・ 望月の宴 ( 40 )

2024-03-13 20:29:02 | 望月の宴 ①

        『 花山院のご乱行 ・ 望月の宴 ( 40 ) 』


さて、花山院は、東院の九の御方(兼家の長兄に当たる伊尹(コレマサ)の娘。母は醍醐天皇の孫に当たる恵子女王。また、花山院の叔母でもある。)のもとに、ほんのかりそめの気持ちから通われていたが、そのうちに、院の御乳母の娘で、中務(ナカツカサ・歌人として著名な中務とは別人。)という、いつもご覧になられていた女房に、これまで別にご関心もないと思われていたのに、どういう事の成り行きからなのか、この女房をお召しになって御足をもませたりしているうちに睦まじくなられ、ご執心から花山寺へも戻られず、しんみりと数日をお過ごしになられた。
九の御方は、ご自身がその御様子を目にされることもさることながら、世間に漏れて噂に立てられることを、何とも堪えがたいほどみっともない事と思っておられた。
院は、今はこの東院(ヒガシノイン)においでのまま、世の政(退位しており、政治に関わることはないので、こ自身にまつわる事か。)のご指示をなさっている。
世間では、あって欲しくないことだと思っている。飯室で修行している義懐(花山院と行動を共にして出家した伊尹の子。)は、思った通りだ、何とも愚かしい御有様よ、こうしたこともあるのではないかと心配していたのだ、と心中で嘆いていることだろう。

このような花山院の御有様は、自然に世間に知れ渡るので、御封(ミブ・皇族や諸臣に与えられる封戸。)などをお持ちでないので、いったいどうなされるのかと、后宮(円融院の后詮子)や摂政殿(道隆)などが噂を聞いてお気の毒に思い、受領を推薦する権利まではともかく、年間年爵(ツカサコウブリ・上皇や諸王や公卿などに対する経済的優遇措置。)や御封などはあって当然で、まことに畏れ多いことだとお定めになり、しかるべき年間年爵・御封などを奉ったので、花山院はいっそう町中での御住まいを気楽になされ、東院の北側の所に御所をお造りになられた。

このようにお過ごしであったが、さすがに花山院もきまり悪く思われたのか、御兄弟の弾正宮(為尊親王)を説得されて、この九の御方のもとに通うようにされた。悪くない話だとのことで、弾正宮はお通いになった。
九の御方は、長年の間たいそう信心深く、法華経を二、三千回読誦なさり、ひたすら明け暮れに勤行に励んでおられて、こうしたご縁をかえってあれこれと懸念されていると思われる。

この弾正宮は、たいそう色好みのお方でいらっしゃって、知る人知らぬ人にかかわらず相手は誰でもよいといったお方である。世の中が何かと騒がしいころ、夜の夜中も構わず出歩き回れるのも、まことに困ったことである。
住まわれている所の御簾の帽額(モコウ・御簾の上辺に横に引き渡された布。)が破れていたので、弾正宮が「検非違使に捜索された御簾の縁のようだな」とおっしゃると、花山院は「だがこれは、弾正を捕らえるためこうなったのだぞ」などと冗談を交わされたりしていた。
花山院は何かにつけて華やかで、風流好みの御方であられたが、なおさら今は、何事もどうとでもあれと世間を気にすることなくしゃにむになっておいでなのも、はかない世と申しますのに、どうしてそのような振る舞いをなさるのだろう。

こうしているうちに、中務の娘で、若狭守祐忠とのあいだに生まれた娘であるが、その者を花山院は召し出して仕えさせていたが、中務とその娘は親子でありながら共々身籠もって、けしからぬ事になったのだ。
九の御方はまことに情けなく、嘆かわしいことだと思っておいでだろう。おいたわしい御有様である。


花山院の御譲位に至るさまざまな出来事は、虚実入り混じっているのでございましょうが、ご同情申し上げる点が多々ございます。ただ、そうした事を勘案いたしましても、院の御振る舞いには目に余る事が多すぎることも否定することが出来ません。
果たして、後世の世において、この御方はどのように評価されるのでございましょうか。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする