『 一条院の出家 ・ 望月の宴 ( 135 ) 』
帝(一条天皇)は、御気分が悪く堪え難くていらっしゃるにつけても、宮の御前(彰子)をお側からお離しになさろうとしないので、中宮は片時も離れることなく付き添われている。帝は、まことにお苦しそうである。
御譲位は六月十三日である。
十四日からご容態が重くなられる。
若宮(彰子出生の敦成親王)が東宮にお立ちになった。世間の人は驚くこともなく、当然そうなるものと思っていたのだが、帝のご病気の間中、一の宮(定子出生の敦康親王。この時帥宮。)がお側を離れることなく付きっきりで御介抱申し上げていたので、その心中が推察され、おいたわしく、中宮(彰子)も合せる顔がないといったお気持ちでお顔を赤らめていらっしゃる。
一品宮(イッポンノミヤ・脩子内親王。敦康親王の姉。一品は皇族の最高位で、一条天皇の配慮が窺える。)もいろいろとお心を痛められているが、なかでも一の宮の御身がこのようになったことをひとしおお嘆きになっているに違いない。
東宮(敦成親王)の御事などは、中宮は帝のご容態や一の宮の胸中に思いが向かわれていて、まるで念頭にない様子なので、ひたすら殿(道長)があれこれとお忙しく、帝(三条天皇)、東宮、院(一条上皇)のもとに参上して手はずをお決めになられているが、まったく一手に仕切られている様は、信じられないほどのご幸運だと、めでたくお見受けする。
こうしているうちに、院のご容態はいよいよ重くなり、御髪(ミグシ)をお下ろしになられるとて、法性寺座主の院源僧都をお召しになって、出家にあたっての戒律や加護についての御誓言は、とても悲しいなどといった言葉で表すことは出来ない。
中宮は正体を失ったかのように涙にくれていらっしゃる。一の宮、一品宮なども悲痛なお気持ちでいらっしゃる。
こうして、御髪は六月十九日の辰の刻にすべて終えられて、すっかり変ったお姿におなりである。中宮は御涙を堰き止めることが出来ないでいらっしゃるが、その心中は察することが出来よう。
たとえ御法体になられても、御平癒なさるのであればたいそうめでたい御有様で、すばらしい第一の院であられるものを、すでに御存命さえおぼつかなくお見えになるのは悲しい限りである。
「この修法(ズホウ・病気平癒の加持祈祷。)などは、もう止めさせて下され。念仏などを聞かせて欲しい」と仰せになられたが、今はまだ、同じように平癒を願う御祈祷ばかりをお続けになる。
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