麗しの枕草子物語
此の君にこそ
五月の初め、月もなくとても暗い夜のことでございました。
「どなたか、女房はおいでですか」
などと、殿上人たち大勢が口々に言うものですから、中宮さまが、
「出てみなさい。いつになく案内を乞うとは、誰がお目当てかしら」
なんて仰せになられるものですから、私が御簾近くに寄り、
「どなたでしょうか。随分と大げさに、大声をお出しになるのは」
と問いかけました。
相手の人たちは、私の呼び掛けにこたえようともしないで、御簾の裾を少し持ち上げて、さらさらと音を立てて差し入れた物は、呉竹でした。
「これはこれは、此の君でございましたか」
と、私が申し上げますと、
「さあ、さあ、まずはこのことを、殿上の間に戻って話そう」
と言いながら、源中将や蔵人たち、詰めかけてきていた人たちは皆去って行きました。
ただ、頭弁であられる行成殿だけがお残りになられました。
「どうも妙な具合になって、連中は帰って行ったものですなあ。
実は、『御前の竹を折ってきて、歌を詠もう』ということになったのですが、『どうせ歌を詠むのであれば、職の御曹司へ伺って、女房方を呼び出して詠もう』ということで勇んで参ったのですが、呉竹のことを、いきなり『此の君』などと言われてしまったのでは、すごすご引き下がることしかなかったのでしょう。
いったいあなたは、誰からそのようなことを教えてもらったのでしょうね」
などと仰いますので、
「いえいえ、『此の君』が竹の名前だなど知りませんわ。皆さん『失礼だ』とでも、思われたのでしょうか」
と申しますと、
「なるほど、なるほど。あなたは、ご存じなかったと・・・」
と仰る。
そのあと、頭弁殿と事務的なお話などしておりますと、
「植えて此の君と称す・・・」
と、吟唱しながら先ほどの人たちが集まってきましたので、
「歌を作る約束だったのに、何もしないで引きあげるとは変だと思っていましたよ」
と頭弁殿が仰られますと、源中将殿は、
「あんな言葉を聞かされたのでは、何と返事をすればよいのですか。下手な対応はかえってまずいでしょう。殿上の間でも大変な評判で、天皇もお聞きになられて、たいそう興味をお持ちでしたよ」
などと話すのです。
そのあとも、頭弁殿まで一緒になって同じ詩を吟唱し、女房たちも集まってきて、夜通しこの話題で盛り上がったうえ、帰る時にも殿上人たちはこの詩を吟じながら引きあげて行ったのです。
翌朝、天皇のお使いの女房が御文を持参なされたときに、この事を中宮さまに申し上げたらしく、自室に下がっていた私をわざわざお呼びになられ、
「そんなことがあったの」
と、おたずねになられますので、
「そのようなことは存じません。行成の朝臣がうまく取り繕って下さったのでしょうか」
と申しますと、
「取り繕うといってもねぇ・・・」
と言って、お笑いになられる。
中宮さまという御方は、誰のことであってもお側の女房が「殿上人に褒められた」などということをお聞きになりますと、わがことのように喜んで下さるお人柄なのですよ。
(第百三十段・五月ばかり、月もなう・・、より)