麗しの枕草子物語
逢坂の関はゆるさじ
頭弁殿と申しますのは、あの能筆で名高い藤原行成殿のことでございます。
さて、その頭弁殿が職の御曹司に参上された時のことでございます。
話に花が咲き、夜も随分更けてしまいました。
「明日は御物忌で籠る予定なので、日が変わってしまってはまずい」
と仰って、急いで参内されました。
翌朝、蔵人所の薄い色紙を重ねたものに、
「今宵は、まだまだ話足りないことが沢山あるような気がします。夜を通して昔物語など申し上げようと思っていましたが、鶏の声に急かされてしまいました」
などと、たいそう多くの言葉をお書きになっておられました。その筆跡の見事なこと・・・。
私は御返事に、
「そんな夜更けに鳴くような鶏の声は、孟嘗君のではございませんか」
と申し上げたのですが、すぐに折り返して御返事があり、
「『孟嘗君の鶏は、函谷関を開かせて、三千の食客を通させた』とありますが、これは、私とあなたとの逢坂の関ですよ」
と書いてありました。
私は再び御返事申し上げ、
「『夜をこめて鶏のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ』
このような気の利いた関守はいるものですわ」
とお伝えしました。
すると、またまた御返事があり、
「『逢坂は人越えやすき関なれば 鶏鳴かぬにもあけて待つとか』」
なんて御歌を書いてあったのですよ。
確かに、最近の逢坂の関は形ばかりだとは聞いていますが、私がどなたでもお迎えするかのようにからかわれるなんて、全く失礼ですわ。
この御歌に対する返歌など、とても詠めませんでしたわ、もう・・・。
(第百二十九段・頭弁の・・、より)