雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

日本シリーズ 始まる

2020-11-21 18:37:28 | 日々これ好日

      『 日本シリーズ  始まる 』

    プロ野球の 日本シリーズ始まる
    個人的には 今年ほどプロ野球を見なかった年はない
    大好きな選手が 冷遇されたらしいことが 気に入らず
    長年のひいきチームの試合を見なかったためだが
    コロナコロナで 生活のペースが 変化していたこともあるようだ
    日本シリーズには セ・パともに 予想されたチームが出て来た
    いきなり ソフトバンクがリードしたが
    このシリーズを 楽しませていただくことにしよう

                      ☆☆☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空さりげなく

2020-11-21 08:09:21 | 新古今和歌集を楽しむ

     庭の面は まだかわかぬに 夕立の
              空さりげなく 澄める月かな

                 作者  従三位頼政

( No.267  巻第三 夏歌 )
         にわのおもは まだかわかぬに ゆうだちの
                  そらさりげなく すめるつきかな

* 作者は、平安時代末期の武将・歌人である。 ( 1104 - 1180 ) 行年七十七歳。

* 歌意は、「 庭のおもては まだ乾いていないというのに 激しい夕立を降らせた 空は何事もなかったかのように 澄んだ月をあざやかにしている 」といったものであろう。

* 作者 従三位頼政とは源頼政のことであるが、源三位頼政(ゲンザンミ ヨリマサ)とも呼ばれる武将である。父は、従四位下野守源仲政、清和源氏の出自である。平氏の全盛を築いた平清盛( 1118 - 1181 )とほぼ同時代を生きた人物ともいえる。
平安時代後期は、公家政治から武家政治へと移行していった時期であるが、同時に平氏が台頭し源氏が徹底的に打倒された時でもあった。

* そうした中にあって、頼政は保元の乱・平治の乱において勝者側に属し、戦後の平氏政権の中でただ一人源氏の長老として中央政界に留まったのである。
清盛に信頼されて厚遇されたとも伝えられるが、その身分は1159年(保元四年)
に従五位下から従五位上に昇叙した後、小さな昇進を重ねただけで、公卿の末席に連なる従三位を手にしたのは、1178年(治承二年)のことで、すでに七十四歳になっていた。

* しかも、この昇叙の実現には逸話が残されている。
長らく公卿の地位を望んでいた頼政は、その思いを和歌に詠んだ。
『 のぼるべき たよりなき身は 木の下に 
          椎(シイ・四位をかけている)をひろひて 世をわたるかな 』
清盛はそれを知って、頼政がまだ四位であることに気付いて、従三位に昇進させたというのである。
これは、清盛が頼政をいかに信頼していたかという逸話とされることが多いが、同時に、いかに信頼していても、源氏の老将の地位などには、それほど関心がなかったのだということも出来ると思う。
ただ、この昇進は異例のことのようで、これまで清和源氏は正四位下を極位としていた中で、しかも武人である頼政の従三位への昇進は、当時の貴族たちを驚かせるものであったらしい。

* 頼政は、現代では「従三位頼政」として著名であるが、実際は、従三位に昇ったのは1178年12月のことで、翌々年の5月26日には自害に至っているのである。つまり、頼政が従三位の地位にあったのは、一年五か月ほどに過ぎなかったのである。
頼政は、武人としては、鵺(ヌエ)と呼ばれる怪物を退治したという伝説が残されているほどの豪の者であり、歌人としては当時の著名歌人との交流も多く、勅撰和歌集に59首採録されている。おそらく、武人歌人としては史上トップクラスと考えられる。

* 平治の乱により源氏一族はその多くは没落していった。頼朝が伊豆に配流されたのは1160年のことであるが、その後は、頼政が源氏の灯を守り続けたといっても過言でもあるまい。後世、源三位頼政と称せられているが、その実は、平氏の後塵で歯を食いしばっての二十年であったのではないだろうか。
そして、ようやく公卿の地位を手にした頼政は、七十七歳にして平氏政権打倒を目指した以仁王(モチヒトオウ・後白河天皇の第三皇子)の決起に参加、各地の源氏や大寺社などに蜂起を促した。計画は未熟さもあって準備段階で露見、やむを得ず挙兵するも、平氏軍の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ、自害した。行年七十七歳であった。

* 以仁王の決起については、評価は分かれる。頼政の参加についても、同様であろう。しかし、この決起が、平氏政権の滅亡への引き金になったことは確かであり、頼政が歴史上の重要人物と評価されるべき出来事であったといえよう。
従三位頼政、素人歴史ファンにとっては、限りない興味を秘めた人物だと思うのである。
最後に、頼政の辞世の句とされる和歌を紹介させていただく。
 『 埋木の 花咲く事も なかりしに
          身のなる果は あはれなりけり 』

     ☆   ☆   ☆

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする