雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

イルカって 本当に賢い

2020-12-03 19:01:59 | 日々これ好日

       『 イルカって 本当に賢い 』

    テレビの番組の中で
    イルカの調教師を夢見ている少女に
    ある水族館の好意で いくつかの演技を経験させてあげていた
    少女のサインに合わせて 演技するイルカたち
    ジャンプなどの技もすばらしいが
    少女の願いを汲んで 協力しているかのように見えた
    たったそれだけの事だが 見ていて何だか胸が熱くなった
    本当に賢い イルカたち
    彼らにとって 今の環境は 幸せなのだろうか・・・

                      ☆☆☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立ち隠せども

2020-12-03 08:12:56 | 新古今和歌集を楽しむ

     浮雲は 立ち隠せども ひま漏りて
            空ゆく月の 見えもするかな

              作者  伊勢大輔

( No.1502  巻第十六 雑歌上 )
          うきぐもは たちかくせども ひまもりて
                   そらゆくつきの みえもするかな

* 作者は平安時代中期の歌人である。生没年は未詳であるが、( 989 ? - 1060 ? ) という説もある。いずれにしても、一条天皇から後冷泉天皇の御代にかけての宮廷に仕えた女房で、平安王朝文化の絶頂期の歌壇で活躍した一人である。行年は七十歳代であったらしい。
なお、平安時代には「伊勢」という優れた歌人がいるが、この人は宇多天皇の皇子と結婚し「中務」という著名な歌人を生んだ人で、「伊勢大輔」より百年ほど早い時代の人である。

* 歌意は、「 浮き雲は 立ち隠しますが 隙間から漏れて 空ゆく月が 見えてしまうものですよ 」といったもので、和歌からだけでは今一つ意味が通じないが、この和歌の前書き(詞書)には、「 参議正光(藤原正光、従三位。)、朧月夜に、忍びて人のもとにまかれりけるを、見あらはして遣わしける 」とあり、これに対する参議正光の「返し」の和歌が載せられている。
「 浮雲に 隠れてとこそ 思ひしか ねたくも月の ひま漏りにける 」とあり、宮廷女房と貴族とのお遊びといった和歌であろう。

* 伊勢大輔(イセノタイフ・イセノオオスケ)の父は、伊勢神宮の祭主大中臣輔親で、代々伊勢神宮の神官を務める家柄の出自である。輔親の官位は正三位で公卿に列する家柄でもある。
大輔が一条天皇の中宮彰子(上東門院)に出仕したのは、1008年の頃と考えられているので、二十歳前後のことであったようだ。当然その教養を買われての出仕であろうが、先に中宮であった定子は1000年に没していて、後宮の実権は完全に彰子が握っていたと考えられる。また、彰子の年齢は大輔とほぼ同じぐらいと推定されるので、共に親しみを感じる部分もあったかもしれない。和泉式部や紫式部なども、大輔より少し前に仕えていたようで、当然親交があった。ただ年齢は、両者とも十歳余り年上であったようだ。

* 大輔は筑前守高階成順と結婚し三人の娘を儲けているが、三人とも和歌の上手であったらしい。また、高階成順は今上天皇の直系祖先にあたる人物の一人であるが、該当する人物は三千人を超えるらしい。
また、大輔との結婚時期は未詳であるが、彰子のもとに出仕した後のことらしい。

* 中宮彰子のもとには、父の藤原道長の力によって、才能豊かな女房が多く集められた。今日では、和泉式部、紫式部、赤染衛門などが著名であるが、伊勢大輔も勅撰和歌集に五十余首採録されていて、歌人としての評価は高い。また、晩年には、白河天皇の傅育の任に当たったとされることから、その人望の高さがうかがえる。
小倉百人一首に入っている和歌は、私たちに最も馴染み深いが、ちょっとした逸話が残されている。
奈良から献上された八重桜を受け取る役を務めた時、藤原道長の奨めにより即興で呼んだと伝えられている。
 『 いにしへの ならのみやこの 八重桜 けふ九重に にほひぬる哉 』
そして、もともとは、八重桜の受け取り役は紫式部だったが、その役を大輔に譲ったが、それがなければこの和歌は誕生しなかったという話も伝わっている。

* 伊勢大輔が生きた時代は、平安時代の中では比較的平穏な時期であったように見える。絢爛豪華な王朝文化は爛熟期に達しようとしていた。しかし、その裏では、藤原氏を中心とした公家たちの権力闘争があり、それに引きずられるように天皇家も揺り動かされていた。そうした時代の宮廷に生きた大輔は、上東門院彰子という強大な権力の恩恵を受けていたとはいえ、七十余年という生涯となれば平穏な日々ばかりであったはずはあるまい。それは当然のことであるが、伊勢大輔という女性は、恵まれた天分もあって、平安な生涯を送ったのではないかと思われる数少ない女性ではなかっただろうか。

* 伊勢大輔の消息は、10
60年の詠進を最後に消えている。これからそう遠くない日に世を去ったものと推定されている。おそらく、七十歳をいくつか過ぎた頃であろう。

     ☆   ☆   ☆

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする