『 大分慣れましたが 』
今 テレビで 『ねこ育て いぬ育て』という番組を見ている
番組では やってきた子犬が 慣れてくるに従って
かみくせ が始まって 直すのに苦戦している様子が
放映されていた
わが家の むりやり家族にしてしまった ニャンコ君は
大分慣れてきたようだが
長年のノラ暮らしから 家の中に閉じ込められた生活は
やはり 辛いのかもしれない
三週間ほど経ち 家人には相当なついたが
ふすまをひっかく程度のいたずらしかしないのも
まだ 遠慮しているのかもしれない
なんとか この生活に満足してほしいものだ
☆☆☆
うつりけん 昔の影や 残るとて
見るに思ひの ます鏡かな
作者 新少将
( NO . 825 巻第八 哀傷歌 )
うつりけん むかしのかげや のこるとて
みるにおもひの ますかがみかな
* 作者は、平安時代後期の女官・歌人。生没年とも未詳。
* 歌意は、「 映っている 生前の面影が 残っているのだと 見るにつけ思いが ます鏡だなあ 」といった切ない歌である。
この和歌の前書き(詞書)には、「 俊頼朝臣身まかりて後、常に見ける鏡を仏に作らせ侍るとてよめる 」とあるので、和歌の意味するところがよく分かる。つまり、父(俊頼朝臣)が亡くなった後、愛用していた鏡(銅製)を仏像に鋳直したことを詠んだものであると分かる。なお、歌中の「ます」は、思いが「増す」と澄んだ鏡をさす「真澄」が掛けられている。
* 作者の新少将とは、鳥羽天皇の中宮(皇后)待賢門院に仕えた女房である。本名や生没年などの記録は残されていないようで、わずかな和歌以外に伝えられている情報は極めて少ないようである。
ただ、この和歌にある父の俊頼朝臣は歌人として著名な人物なので、新少将の周辺の情報は推察することが出来る。
* 父・俊頼の姓は源。宇多源氏の血統である。最終官位は従四位上であるが、歌人としては、堀河院歌壇の中心歌人として活躍し、白河法皇からは金葉和歌集の撰集を命じられている。金葉和歌集には35首、千載和歌集には52首と最多の入集を誇り、勅撰和歌集全体では201首採録されているとされ、院政期の代表的歌人の一人である。
さらに異母兄(弟?)である俊恵法師も著名な歌人として知られている。
* 父・俊頼の死去は 1129 年のことであるから、掲題の和歌が詠まれたのは、同年か翌年あたりと推定できる。また、俊恵法師の生没年は( 1113 - 1191 )と伝えられていることから、新少将の生存期間も大体推定できる。
新少将が歌人として著名といった情報は残されておらず、その生涯の様子も、筆者の力では全く触れることが出来なかった。
しかし、女房として仕えた待賢門院は、崇徳天皇と後白河天皇の生母という権力者であることや、父や兄には劣るとしても和歌などの素養は高いものであったと想像したいのである。
おそらく、平安時代の最後の時期を、世間の荒波を感じながらも豊かな生涯を送った女性であったと、考えたいのである。
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