『 盗み心 ・ 今昔物語 ( 29 - 7 ) 』
今は昔、
猪熊小路と綾小路が交差する辺りに、藤大夫[ 欠字 ](人名が入るが不詳。なお、藤大夫は藤原氏で五位の者の通称に用いる。)という者が住んでいた。
受領の供でもしたのであろうか、田舎に行って京に帰ってきたが、多くの物を持ち返りそれを整理していたが、隣に住んでいる盗み心のある者が見ていて、同じように盗み心のある親しい仲間を多数集めて、その家に強盗に入った。
その家の人は皆、ある者は物陰に隠れ、ある者は縁の下にもぐりこんだ。待ち受けて戦う人は一人もいなかったので、盗人どもは思いのままに家の中のあらゆるものを探し回り、根こそぎ奪って逃げた。
ところが、縁の下に逃げ込みうつ伏せになっていた使用人の小柄な男がいた。盗人が物を取り終えて返ろうとした時、縁の下に隠れていた小柄な男は、盗人が縁側から走り下りようとした足に抱き着いて引っ張ったので、盗人はうつ伏せに倒れた。その上にこの小柄な男は襲いかかり、盗人の[ 欠字。体の部分と思われるが不詳。]を刀を抜いて二突き三突きした。
盗人は足を取られて強く転倒したので、胸を打って気を失っていたところに[ 欠字 ]を何度も突かれたので、何の手向かいもしないまま死んでしまった。
そこで、この小柄な男は、盗人の両足首を掴んで、縁の下の奥の方に引きずり込んだ。
そうしておいて、この小柄な男は何事もなかったかのような顔つきで出て行くと、逃げ隠れした者たちも、盗人が逃げ去ったので、皆出てきて大声で騒ぎ合った。着物を剥ぎ取られた者は裸で震えている。家の中は、何もかも皆めちゃくちゃにされていて、すっかり打ち壊されている。
盗人は物を取り終え、猪熊小路を南に走り逃げようとすると、隣家の人々が起き出してきて矢を射かけたので、散り散りになって逃げ去った。
しかし、仲間の一人が突き殺されたことには気づかなかった。
夜半過ぎに押し入った盗人なので、それからいくらもしないうちに夜が明けた。
隣の人も集まってきて、大騒ぎする。西洞院大路と[ 欠字。道路名を意識的に伏せている。]が交わる辺りに、藤判官(トウハンガン・藤原氏で検非違使の尉である人物の通称。)[ 欠字。氏名を意識的に伏せている。]という検非違使も、この藤大夫と親しい間柄だったので、人を遣って見舞わせたが、この盗人を突き殺した小柄な男は、その藤判官のもとに行き、「然々の事をいたしました」と申したので、藤判官は驚いて、手下の放免を呼んで藤大夫の家に行かせて調べさせた。放免がその家に行って突き殺された盗人を引き出してみると、それは隣家の某殿の雑色(ゾウシキ・雑用を勤める小者。)であった。そして、何とも驚いたことに、隣の家に多くの品物が運び込まれるのを見て盗みに入ったのだと分かった。
放免がこの事を藤判官に申し上げると、藤判官はすぐさまその雑色の家に人を遣って、妻を逮捕させた。
「妻はきっといきさつを知っているだろう」と思って尋問すると、妻は隠しきれず、「昨夜、其丸・彼丸が家にきて密談をしておりました。その者たちの家はどこそこです」と白状したので、正式に検非違使庁の別当(長官)に申し出て、その女に案内させて、その家々に行って逮捕しようとすると、そ奴らは昨夜の強盗に疲れ果てて寝ていたので、全員ことごとく捕らえられた。
言い逃れも出来ないことなので、片っ端から全員が獄舎に入れられた。また、盗み取られた品物もすべてを取り戻した。
そして、この盗人を突き殺した小柄な男は、それから後は、立派な武士として用いられるようになった。
されば、家では、いろいろな物を取り広げて、むやみに人に見せるものではない。このような盗み心を起こす者もいるのである。たとえ従者といえども心を許してはならない。いわんや、見知らぬ者に対しては、そのような心があるのではないかと疑ってかかるべきである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 哀れな女房 ・ 今昔物語 ( 29 - 8 ) 』
今は昔、
下野(シモツケ)の守藤原為元(生没年未詳。1000年前後の人。従五位下。)という人がいた。 家は三条大路よりは南、西洞院大路よりは西に当たる所にあった。
さて、十二月のつごもりの頃に、その家に強盗が入った。
隣家の人々が驚いて騒ぎ出したので、ろくな物も取らないうちに盗人は「取り囲まれる」と思って、その家におられた身分の高い女房(妻という意味ではない。花山院の女王らしい。)を人質にして、その女房を抱きかかえて逃げ出した。
三条大路を西に向かって逃げたが、この人質を馬に乗せて、大宮大路の辻まで来たところ、追手がやって来たと思い、この女房の御衣を剥ぎ取り、女房は捨てて逃げ去った。
女房はこれまで経験したこともない酷い目に遭い、裸で恐怖におののいているうちに、大宮川に落ち込んだ。水には氷が張っていて、風の冷たいこと限りなかった。
やっと自ら這いあがり、近くの家に立ち寄って門を叩いたが、恐れて誰も応じてくれない。そのため、女房は凍えて遂に死んでしまい、犬に食われた。
翌朝見ると、たいそう長い髪と真っ赤な頭と紅の袴とが、切れ切れになって氷の中に残っていた。
その後、宣旨が下り、「もしこの盗人を捕らえて突き出した者があれば、莫大な恩賞を与える」と発表されたので、大変な評判になった。
この事件については、荒三位(コウザンミ・粗暴な三位という意味で、藤原道雅の異名。)といわれる藤原[ 欠字。意識的に伏字にしている。]という人が疑われた。それは、この荒三位が、あの犬に食われた姫君に懸想していたが、聞き入れなかったので起こしたことだと世間の人は噂した。
ところで、検非違使左衛門尉(ケビイシ サエモンノジョウ・検非違使で左衛門府の尉(三等官)を兼ねた者。)平時道(生没年未詳。1012-1025の頃右衛門府に在勤しているので、左衛門府は間違いらしい。)が宣旨を承って犯人を探索していたが、大和国に下る途中に山城国に柞の杜(ハハソノモリ)という所の辺りで一人の男に出会った。
この男が、検非違使を見て平伏した様子が怪しかったので、その男を捕らえて奈良坂に連行し、「お前は何か悪事を犯したのであろう」と厳しく尋問を続けたが、男は「決してそのような事はしておりません」と否認したが、さらに厳しく責めて尋問を続けると、「一昨年の十二月のつもごりの頃、人に誘われて、三条西洞院にあるお屋敷に押し入りましたが、何も取ることが出来ず、身分ある女房を人質に取り、大宮の辻に捨て去って逃げました。その後承るところでは、凍死して犬に食われなさったということです」と白状した。
時道は喜んで、その男を連行して京に上り、事の次第を申し上げると、「時道は大夫の尉(タイフノジョウ・大夫は五位の者を指す。尉は六位相当なので昇叙されるという意味。)に昇進するだろう」と世間で噂されたが、その賞はなく終わった。
どういう事情があったのか、「必ず恩賞を与える」との仰せがあったが、[ 脱文があると思われるが、不詳 ]
遂に時道は五位に叙せられて、左衛門大夫といわれていた。世間の人がこぞって非難したからであろう。
これを思うに、たとえ女であろうとも、やはり寝室などは十分用心しておくべきである。「油断して寝ていたからこのように人質に取られたのだ」と人々は噂した、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
* 何とも残酷な物語ですが、1012年12月に花山院の女王が殺害されたという事件は発生しているようです。
本話は、それにもとずく説話ですが、事件の内容は少し違うようですし、政治的な背景も絡んでいるようです。
欠字部分が多いのも、その辺りの事情もあるのかもしれません。
☆ ☆ ☆
『 天罰が下る ・ 今昔物語 ( 29 - 9 )』』
今は昔、
[ 欠字 ]の国[ 欠字 ]の郡に[ 欠字 ]寺という寺があった。(国名・郡名・寺院名を意識的に欠字にしている。)
その寺に、阿弥陀聖として阿弥陀仏の名号を唱えて諸国を歩く遊行僧がいた。先端には鹿の角を付け末端には二股の金具を付けた杖を突き、鉦(カネ)を叩いて、行く先々で阿弥陀念仏を勧めて歩いていたが、ある山の中を過ぎゆく時に、荷物を背負った一人の男に出会った。
法師はその男と連れ立って歩いたが、そのうちに男は道の脇に寄って腰を下ろし、昼の弁当を取り出して食べ始めたが、法師がそのまま行こうとすると、男が法師を呼び止めたので、近くに寄った。
男は、「これを召しあがれ」と言って飯を分けてくれたので、法師は遠慮することなく食べた。食べ終わると、男は下ろしていた荷物を取って担い直そうとしているのを見て、法師は思った。「この辺りは、めったに人の来ない所だ。この男を打ち殺して、持っている荷物と着ている衣類を取ったところで、誰にも気付かれまい」と。
そして、荷物を持ち上げようとして無防備な男を、法師は突然金具の付いた杖で首を突いて押さえつけた。男は、「何をされるのだ」と言って、手を摺り合わせてうろたえたが、この法師はもともと強力の持ち主なので、聞き入れることもなく、打ち殺してしまった。それから法師は、男の持っていた荷物と衣類などを剥ぎ取って、飛ぶかの勢いで逃げ去った。
遥かに山を越えて遠くまで逃げ、人里のある所に行き着き、「ここまでくれば、誰にも知られることはあるまい」と思って、ある人家に立ち寄って、「阿弥陀仏を勧めて歩く法師です。日が暮れてしまいました。今宵一夜、宿をお借り出来ませんか」と申し出ると、家の主の女が姿を見せて「夫は用事で出かけていますが、一夜だけであればお泊まり下さい」と言って中に入れたが、身分の低い者の小家なので、家族との隔てもなく、法師を竈の前に座らせた。
そこで、家の女がこの法師と向かい合って見ているうちに、法師が着ている衣の袖口に視線が引き寄せられた。というのは、女の夫が着て行った布衣(ホイ・庶民が普段着として用いた布製の狩衣。)の、染めた皮を縫い合わせた袖に似ていたからである。
女は思いもよらぬことなので、まさかあのような事があったとは気がつくはずもなかったが、家の女はなおその袖口が怪しく思われてならず、さりげない風にしながらよく見てみると、間違いなく夫の物だった。
そう確信すると、家の女は驚き怪しみ、隣の家に行って、密かに「こういう事があるのです。いったいどういう事なのでしょう」と相談すると、隣の人は「それは大変怪しいことだ。もしかすると盗んだのかもしれない。実に怪しい。本当にご主人の布衣だと見極められたら、その法師を捕らえて詰問すべきです」と言うと、女は「盗んだのかそうでないのかは分かりませんが、あの着物の袖は間違いなく夫の物です」と答えた。
隣の人は「それならば、法師が逃げ出さないうちに捕らえて問い質すべきだ」と言うと、その里の若い男で強力の者四、五人ばかりにこの事を伝えて、夜のうちにその隣の人の家に呼び寄せた。
法師は食事を済ませ、そのような事が起きているとも知らず、すっかり打ち解けて寝ていたが、突然男たちが入って来て取り押さえたので、法師は「いったい何事か」と叫んだが、がんじがらめに縛り上げて引きずり出して、足をねじり上げて詰問したが、「決して罪など犯していない」と言って白状しなかったが、ある人が、「その法師が持っている袋を開けて見よ。家の主の物が入っているかもしれない」といったので、「なるほど、その通りだ」と言って、袋を開けて見ると、家の主が持って出た物が全部入っていた。
「思った通りだ」と言うと、今度は、法師の頭のてっぺんに土器に火を入れて乗せて問い詰めると、法師は熱さに堪えられず、「実は、どこそこの山中において、然々の男がおりましたが、その男を殺して奪った物です。それにしても、誰がこのように詰問されるのか」と尋ねると、「ここは、その殺された男の家なのだ」と答えると、法師は「さては、私は天罰を蒙ったのだ」と答えた。
そして、夜が明けると、その法師に案内させて、その里の者どもが集まってその場所に行ってみると、本当に主人の男が殺されて放置されていた。まだ鳥獣に食い荒らされておらず、そのままの姿だったので、妻子はこれを見て泣き悲しんだ。
そこで、その法師を「連れて帰っても仕方あるまい」ということになり、その場所で張り付けにして射殺してしまった。
これを聞いた人は、法師を憎んだ。「男に慈悲心があって、わざわざ呼び寄せて飯を分けて食べさせてくれた恩を忘れて、法師の身でありながら邪見(ジャケン・因果応報という仏教の根本理を無視する誤った考え。)が深く、物を盗み取ろうとして殺したのを、天が憎まれて、他の家には行かず、まっすぐ殺した男の家に行って、天罰を蒙って殺されてしまったのは、因果応報を目の当たりに見るようで感慨深いことである」と、この話を聞く人々は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 不運な盗人 ・ 今昔物語 ( 29 - 10 ) 』
今は昔、
伯耆の守橘経国(タチバナノツネクニ・伝不詳)という人がいた。
その人が伯耆の守であった時、世の中が大変な凶作で、食べる物が全くない年があった。
ところで、国府(国司の役所)のそばに、[ 院名の明記を避けた意識的欠字。]院という蔵があった。蔵の中の物などはみな取り出して使い果たして何もなかったが、ある人が蔵の近くを通っていると、蔵の中で戸を叩く者がいた。
「誰が叩いているのか」と聞くと、蔵の中から「盗人でございます。この事をすぐにお役人に申し上げてください。この蔵に、糒(ホシイイ)があったのを見て、『少し盗んで命をつなごう』と思いまして、蔵の上に登って、屋根に穴をあけて糒のある所に飛び下りようとして手を離して飛び下りましたが、糒もなく空っぽだったので、この四、五日這いあがることも出来ず、今にも飢え死にしそうです。どうせ死ぬのであれば、外に出て死にたいのです」と言う。
通りかかった人はこれを聞いて、「驚いたことだ」と思って、守にこの由を申し上げると、すぐに国府の役人を呼んで蔵を開けさせてみると、四十歳ばかりで容姿が堂々としていて、水干(スイカン・男子の平服。)装束をきちんとつけた男が、顔色を失くして引き出されてきた。
人々はそれを見て、「どうというほどの事でもありません。すぐに追放なさいませ」と言ったが、守は「どうしてか。後々のこともある」と言って、蔵のそばに張り付け台を作って張り付けにした。
それにしても、自分から進んで白状した奴なので、放免にしてやっていいのに、ひどい事をしたものだ、と人々は非難した。
この男の事を見知っている人は誰もいないままに終わった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 幼児を勘当する ・ 今昔物語 ( 29 - 11 ) 』
今は昔、
[ 欠字。氏名が入るが、不詳。]という者がいた。
ある夏の頃、良い瓜を手に入れたので、「これはなかなか手に入らない物なので、夕方帰ってきてから贈り物にしよう」と言って、十個ばかりを厨子(ズシ・ここでは戸棚のようなものか。)にしまって、家を出掛ける時に、「決してこの瓜を取ってはならぬぞ」と言い置いて出て行ったが、七、八歳ほどの男の子が、この厨子を開けて瓜を一つ取って食べてしまった。
夕方になって、父親が帰ってきて厨子を開いて瓜を見てみると、一個なくなっていた。
そこで父親は、「ここに置いてある瓜が一個なくなっている。これは誰が取ったのだ」と言うと、家の者どもは、「私は取っていない」「私は取っていない」と争って否定した。
父親は、「間違いなくこれは、この家の者の仕業である。外から誰かがやって来て取るはずがない」と言って、容赦なく問い詰めると、奥仕えの女が言った。「昼間に見ていますと、阿子丸(アコマロ・自分の子供を愛情を込めて言う言葉。ここでは主人の子供のことで、「若君」「坊ちゃん」といった感じ。)が厨子を開けて、瓜を一つ取り出して食べていました」と。
父親はそれを聞くと何も言わずに、その町に住んでいる主だった人々を何人か呼び集めた。
家の中の上下の男女はこれを見て、「これは、どういうわけでこのようにお呼びになられたのか」と思っているうちに、呼ばれた里の主だった人たちが皆やって来た。
すると父親は、その瓜を取った子供を長く勘当にするために、この人々に署名を求めようとしたのである。そこで、署名を求められた人々は、「いったい、どういうことですか」と訊ねると、「ただ、思うことがあってのことです」と言って、皆の署名を取った。
家の内の者たちはそれを見て、「このような瓜一つを取ったことで、子供を勘当なさるべきではありません。常軌を逸したことでございます」と言ったが、他の人がどうすることも出来ない。母親はもちろん怨み言を言ったが、父親は「つまらぬ口出しはするな」と言って、耳を貸そうともせず、そのまま勘当してしまった。
その後、年月は流れ、この勘当された子供もしだいに成長し、元服などして世渡りしていたが、父親は勘当して以来まったく会うことがなかった。
ところが、その若者が然るべき家に奉公しているうちに、盗みを働いた。そのため捕らえられて尋問されると、「然々の者の子です」と答えたので、役人が検非違使の別当(長官)にその旨を報告すると、別当は「確かに親がある者のようだ。親の申し立てによって処分すべきである」と指示があったので、検非違使庁の下役どもは、この若者を先に立てて親の家に行き、この旨を伝えて逮捕しようとすると、親は「この者は絶対に私の子ではありません。そのわけは、この者を勘当してからは全く顔を合わすことなく、すでに数十年経っているからです」と言ったが、庁の下役どもは承知せず、声を荒げて脅しつけたが、親は「もしあなた方が、私の言う事が嘘だと思われるなら、しっかりとこれを見てください」と言って、あの在所の主だった人の署名を受けた証文を取り出して、下役どもに見せた。さらに、その署名をした人たちを呼んで、この旨を説明すると、署名をした人たちは「間違いなく、先年にそのような事がありました」と言ったので、下役の一人が庁に戻り検非違使を通じて別当にこの旨を報告した。
別当は、「なるほど、親が関知しないことのようだ」と納得したので、下役どもはそれ以上親を問い詰めることも出来ず、その若者を連れて返った。ただ、その犯行は明らかな事なので、牢獄に入れられた。けれども親には、何の咎もなく終わった。
このような結果となってはじめて、「勘当まですることではあるまい」と思っていた者どもも、「大変賢い人だ」と、その親を褒め称えた。
されば、親が子を可愛がるのは例えるものとてないほどであるが、賢い者は冷静に子の性格を知っていて、このように勘当にして、後々の咎めを蒙らずにすむのである。この話を見聞きした人は、この親を「たいした賢人だ」と言って褒めた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 おおらかな前司 ・ 今昔物語 ( 29 - 12 ) 』
今は昔、
大和の守藤原親任(フジワラノチカトウ・生没年未詳。正五位下。1000年代前半頃の人物。)という人がいた。
その人の舅に筑後の前司源忠理(ミナモトノタダマサ・生没年未詳。従五位下)という人がいた。賢くて何事につけてよく知っており、優れた才能の持ち主であった。
この人が、方違え(カタタガエ・陰陽道の説。外出の際に天一神(ナカカミ)の巡行に出会うと禍を受けるので、その方角を避けるため前夜に吉方の家に泊まり、方角を違えてから目的地に行く風習。)をするために自宅の近くの小家に行って静かに寝ていたが、その家は大路に面した桧垣に沿って寝所が造られていたが、そこで寝ていた。
雨が激しく降って、少し小やみになったと思われる真夜中とおぼしき頃、人の足音がして、自分が寝ている近くの桧垣の辺りに立ち止ったような気配がした。「何事だろう。自分を殺そうとするほどの敵に覚えがない。この家の主をどうにかしようとしている者かも知れない」と思うと、怖ろしくて眠ることも出来ず聞いていた。
「誰かいるか」と声をかけると頼もしく返事をするような従者もいないので、目を覚まして聞き耳を立てていると、また、大路を通って行く足音が聞こえてくると、前から桧垣の辺りに立っている者が[ 欠字あり。「口笛]といった言葉らしい。]吹きをすると、大路を通っていた者が立ち止まり、忍び声で「誰々殿でいらっしゃいますか」と言う。「そうだ」という答えがすると、近寄ってきた。
そうした様子を聞いて、筑後の前司は、「今にも戸を蹴破って押し入って来るのではないか」と、恐ろしくて小さくなって寝ていたが、すぐに押し入ってくる気配はなく、何やらひそひそと話している様子なので、桧垣の方に身を寄せて聞き耳を立てていると、どこかの家に押し入って盗みを働こうという相談をしていたのである。
「どこに押し入ろうとしている盗人だろうか」と聞いていると、「筑後の前司」などと言っているので、「まさしく我が家に押し入ろうとしている盗人だ。そのうえ、自分が信頼して使っている侍が手引きしているのだ」と、はっきりと聞き取れた。
外の二人は相談し終わり、「それでは明後日、誰々を連れて必ず来てください」などと約束して、別れて歩み去ったようである。
「うまい具合に、ここに寝ていて、このような大事を聞くことが出来たぞ」と思い、夜が明けるのを待ちかねて、明け方に家に帰った。
近頃の人であれば、夜が明けるや否や宿直警護の者の数を増やし、あの手引きをすると言っていた侍を捕らえておいて、押し入ろうとする盗人の事を聞き出して、検非違使の別当にも役人にも知らせるところだが、その頃までの人は、考え方が古風であったうえに、この筑後の前司という人は、特別抜かりのない人物だったからであろうか、この手引きをしようとしている侍を、さりげなく接して、それとなく外に使いに行かせ、その侍がいない間に、家の中の品物の良い悪いにかからわず、一つも残さず密かに外に運び出した。妻や娘なども、あらかじめ他の用事にかこつけて知人の家に行かせておいた。
さて、その盗人たちが約束していた日の夕暮れ時になると、あの手引きをしようとしている侍が返ってきたので、家の中から物も人もいなくなっていることは見せず、気取られないように注意して、残っている者たちもいつも通りに振る舞って、夜更けてから、そっと忍び出て、近くの人の家に行って寝ていた。
その間に盗人たちがやって来て、まず門を叩くと、あの手引きすることになっている侍が門を開けて入れさせると、十人から二十人ほどの盗人が入ってきた。
盗人たちは、手当たり次第に家の中を捜したが、露ほどの物も見当たらないので、盗人たちは捜しあぐねて出て行こうとして、あの手引きの侍を捕らえて、「我らを謀って、何も無い所に入らせたのだな」と言うと、寄ってたかって蹴飛ばし踏みつけて、あげくの果てには縛って、車宿(クルマヤドリ・車庫)の柱に少々のことでは解けないように結び付けて、逃げ去った。
夜が明けると、筑後の前司は家に帰り、ずっと家にいたようなふりをして、あの手引きしようとしていた侍を捜したが、どこにもいなかった。
そうしているうちに、車宿の方からうめき声が聞こえてきた。何だろう、と思って行って見ると、あの侍が車宿の柱に縛りつけられていた。筑後の前司は、「これは、手引きしそこなって盗人に縛りつけられたのだろう」と思うと可笑しくなったが、「お前は、一体どういうわけでこのような目に遭ったのか」と尋ねると、侍は「昨夜入った盗人が怒って、このように私を縛りつけて返って行ったのです」と答えたので、筑後の前司は「これほど物の無い所と知りながら、その方たちがおいで下さったのは[ 欠字。]ですが[ 欠字。]」[ 欠字。]そのまま終わった。(このあたり、欠字が散在しているが、推定しがたい。)
その後、財物のない所と知られるようになり、盗人が入ることもなかった。このように、近頃の人とは考え方が違っているようだ。
あの手引きした侍は、どうという理由もなく、この家を出て行ってしまった。
その後、新たに二人の侍がやって来て仕えるようになった。
ただ、その家の物は外に運び出したままで、移して置いている所も信用出来る家だったので、自宅に取り寄せることはせず、必要な物だけをそのつど取り寄せて使っていた。
そうした時、近所で火事が発生した。「延焼するかもしれない」と家財道具などを取り出したが、主な物は外に移しているので、これといって値打ちのありそうな物もない。そこで、何も入っていない大きな唐櫃が一つあったので、あの新参の侍二人は、それを担ぎ出した。
火も延焼することなく消えたようなので、筑後の前司は物を取り出している所に行って、そっと立っていると、それを知らずに、新参の二人の侍は、大唐櫃の錠前をねじ切って開けて見ると、全く何も入っていなかった。二人の侍は顔を見合わせて、「この家は何も無い家だ。この唐櫃だけはと当てにしていたが、これも空っぽで何も入っていない。我らもこのまま使われていても、大した物は貰えそうもない主人だ。何の頼みにもならない。さっさと退出しよう」と言って、二人一緒に逃げ去った。
そこで、その唐櫃は、女が軽々と担いで家に運び込んだ。
筑後の前司は、「家財道具を外に運んで置いておくのも、良いこともあり、悪いこともある。盗人に物を取られないことは良いことだ。二人の侍を逃がしてしまったのは悪いことである」と言ったという。
賢い者なのでこういう事をしたとは思うものの、これがそれほど良い事とも思われない。必要な時に物を取り寄せて使うのも、極めて不便な事であろうに。
昔は、このような古風でおおらかな心の持ち主もいたのだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 盗人に教えられる ・ 今昔物語 ( 29 - 13 ) 』
今は昔、
民部の大夫(ミンブノダイフ・民部省の大丞(六位)のうち、選抜されて五位に叙せられた者。)[ 欠字。「姓」が入るが不詳。]の則助(伝不詳)という者がいた。
ある日のこと、終日外出していて夕方家に帰ってきたところ、車宿(クルマヤドリ・牛車を入れておく建物。)の片隅から一人の男が現れた。
則助はこれを見て、「お前はいったい何者だ」と訊ねると、男は「内密に申し上げる事がございます」と答えたので、則助は「よし、申せ」と言うと、男は「きわめて内密な事でございます」と言って、従者たちを全員遠ざけさせた。
すると、近くに寄ってきてささやくように言った。「私は、盗人でございます。『あなたがお乗りになっている栗毛の御馬は、実にすばらしい逸物だ』と拝見いたしました。実は、今日明日のうちに受領の供をして東国に行くことになり、『これに乗っていきたい』と思いますと、『何とかして盗もう』と思う心が強まりまして、開いておりました御門から入りまして、隠れて様子をうかがっておりますと、内から奥方様らしい女性が出て来まして、そこに居りました男と話をすると、[ 欠字あるも、不詳。]長い鉾(ホコ・槍のような形の武器。)を持たせて屋根の上に登らせました。きっと、何か起こそうと企んでのことと思われます。それを見ますと、あなたにとって大変お気の毒な事と思われまして、黙ってもおられず、自分がどうなろうとも『この事を申し上げてから逃げ出そう』と思ったのです」と。
これを聞くと則助は、「しばらく隠れていよ」と男に言うと、従者を呼んで耳打ちして行かせたので、男は「自分を捕まえようとしたのだろう」と思ったが、出て行くことも出来ずにいるうちに、見るからに強そうな者ども二、三人を連れてきた。
すぐさま松明をともして、屋根の上に登らせて、板敷(軒下のことか?)の下を捜させた。しばらくすると、天井から水干装束の侍風の者を捕らえて、引きずり下ろして連れてきた。ついで、鉾を取って持ってきた。天井には穴があけられていた。
そこで、その男を詰問すると、「私は然々という者の従者です。もはや隠し立ては致しません。『殿が寝入られたならば、天井より鉾をさし下ろせ。穂先が殿の胸に当たった時に、思いっきり突き刺せ』と命じられました」と白状したので、この男を捕らえて検非違使に引き渡した。
そして、この事を告げた盗人を呼び寄せて、欲しがっていた栗毛の馬に鞍を置いて、すぐに屋敷内でその馬に乗せて、そのまま追い出した。
その後、この盗人がどうなったか分からないままであった。
これは、妻に間男がいて、企んだことであろうか。しかしながら、その妻をその後もずっと連れ添っていた。どうも合点のいかないことである。
たとえ夫婦の契りが深くて、並々ならぬ愛情をもった仲だとしても、命に代えられないではないか。
また、この則助は秀でた乗馬(ノリウマ)のおかげで命が助かったのである。それに、盗人の行動も殊勝なものであった、とこの話を聞いた人は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 女の嘘泣き ・ 今昔物語 ( 29 - 14 ) 』
今は昔、
延喜(エンギ・第六十代醍醐天皇)の御代のこと、天皇が夜、清涼殿の御寝所においでになった時、突然蔵人をお召しになられたので、蔵人が一人参上したところ、天皇が「ここから辰巳(東南)の方角に、女の声で泣いている者がいる。速やかに捜して参れ」と仰せられた。
蔵人は仰せを承って、陣(ジン・警護の衛士の詰所)に詰めている吉上(キチジョウ・六衛府の下役で、衛士より上位で、宮中の警備、逮捕に当たった。)を召して、松明をともさせて、内裏の内を捜させたが、泣いている女など見当たらない。
夜も更けていて人の気配さえないので、帰ってその旨を奏上すると、天皇は「なおよく捜査せよ」と仰せられたので、今度は八省(ハッショウ・太政官に属する八つの官庁。)の内の清涼殿の辰巳の方角に当たる所にある諸庁舎の内を探し回ったが、どこにも声を出している者が見当たらないので、また帰って、八省の内には見当たらぬ旨を奏上すると、天皇は「それでは、八省の外をさらに捜せ」と仰せられる。
蔵人はすぐさま馬司(ウマヅカサ・馬寮)の御馬を召して、蔵人はそれに乗り、吉上に松明をともさせて前を行かせ、大勢を引き連れて、内裏の辰巳の方角にあたる京中をあまねく捜し回ったが、京中どこもかしこも静まり返り、どこにも人の声はしていない。まして、女の泣く声など聞こえてこない。
そして、とうとう九条堀河の辺りまで来てしまった。すると、そこに一軒の小家があり、女の泣く声が聞こえた。
蔵人は、「もしや、これをお聞きになられたのか」と不思議に思って、その小家の前に馬を止めて、吉上に命じて宮中に走らせ、「京中皆寝静まり、女の泣く声はございません。ただ、九条堀河にある小家に、泣いている女が一人おります」と奏上させると、吉上は奏上し返って来ると、「『その女を必ず捕らえて連れて参れ。その女は、心の内に何かをたくらんでいて、それで泣いているのだ』との宣旨がございました」と伝えた。
そこで、蔵人が女を捕らえさせると、女は「わたしの家は穢れております。今夜盗人が入り、わたしの夫はすでに殺されてしまいました。その夫の死体は、まだ家の中にあるのです」と言って、大声で泣き叫んだ。
しかし、宣旨にそむくわけにはいかず、女を捕縛して内裏まで連行した。そして、その旨を奏上すると、ただちに検非違使を召して内裏の外で女を引き渡させ、「この女は、大きな罪を犯している。ところが、それを心の内に隠して表面だけは泣き悲しんでいるのだ。速やかに法にのっとって糾明して処罰せよ」と仰せになられたので、検非違使は女を受け取って退出した。
夜が明けて、この女を糾明すると、しばらくは白状しなかったが、拷問を加えると女は落ちて、ありのままを白状した。
何と、この女は情夫と心を合わせて実の夫を殺させたのである。そうしておいて、それを嘆き悲しんでいると人に聞かせるために泣いていたのだが、遂に隠しおおせず白状したので、検非違使はその報告を聞いて、内裏に参り、この旨を奏上した。
天皇はお聞きになって、「思った通りであった。その女の泣き声は、本心とは違うと聞いたので、何としても捜し出せと命じたのである。その情夫も、必ず捜し出して捕縛せよ」と仰せがあり、情夫も捕らえられて、女と共に牢獄に入れられた。
されば、性格が悪いと思われる妻には、気を許してはならないのだ、とこれを見聞きした人は皆言い合った。
また、天皇に対しては、「やはり、ただの人ではあらせられない」と、人々は尊び申し上げた、
となむ語り伝へたるとや。
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『 盗人の上前をはねる ・ 今昔物語 ( 29 - 15 ) 』
今は昔、
ある夏の頃、検非違使が大勢下京辺りに行って、盗人の逮捕に当たったが、盗人を捕らえて縛りつけたので、もはや帰るべきであるのに、[ 欠字。検非違使の名前が入るが不詳。]という検非違使一人が、「疑わしい事がまだある」と言って、馬から下りて、その盗人の家に入った。
しばらくして、その検非違使が出てきたがその様子を見ると、前にはそう見えなかったのに、袴の裾が前より膨らんでいたので、他の検非違使たちはそれに目をつけ、「どうも怪しいぞ」と思った。
この検非違使がその家に入る前に、その調度懸(チョウドガケ・主人の武具などを持って随行した家来。)の男がその家から出てきて、主人の検非違使に何かささやいていたことも怪しく思われていたのと合わせて、この検非違使の袴が膨らんでいるのを他の検非違使たちは、「どうも怪しい。何があったのか明らかにしなければ我々の恥になる。このままにはしておけない。何とかしてあの検非違使の装束を脱がせて調べてみよう」と企んで、「この捕らえた盗人を川原に連れて行って尋問しよう」と言い合わせて、屏風の裏(ビョウブノウラ・場所不明)という所に連れて行った。
そこに行って盗人を尋問した後、そのまま帰るところを、川原において、「さあ、我らも暑いので水浴びをしよう」と一人の検非違使が言うと、他の検非違使たちも「それはいい事だ」と言って、馬から下りて次々と装束を脱ぎ始めた。
すると、あの袴を膨らませた検非違使は、その様子を見て、「そのような事は、とんでもないことだ。まことによろしくない。どこの検非違使が、軽々に水浴びなどするものか。まるで馬飼い童のようではないか。馬鹿々々しい」と言って、自分の装束を脱がせるために謀っているのだとは知らず、ただそわそわと腹立たしげな様子を、他の検非違使たちは横目で見ながらも互いに目配せして、自分たちはどんどん装束を脱いでいった。そして、その検非違使が腹を立てて装束を脱ごうとしないのを、わざと意地悪くするようにして、むりやり脱がせてしまった。
そこで、[ 欠字。該当語不詳 ]看の長(カドノオサ・「看督長」のことらしい。検非違使庁の下官で、牢獄の管理を本務としていたが、のちに逮捕などに当たった。)を呼んで、「この方々の装束などを一着ずつきれいな所に移して置くように」と命じると、看の長が近寄り、まず、あの袴を膨らませていた検非違使の装束を取って雑草の上に置こうとすると、袴のくくりから、先の方を紙で包んだ白い糸が二、三十ほど、パラパラと下に落ちた。
検非違使たちはそれを見て、「あれは何だ、何だ」と集まってきて、目くばせをしながら大声で訊ねると、袴を膨らませていた検非違使は朽ちた藍のような顔色になって、茫然と立ち尽くしていた。
他の検非違使たちは、あれほど意地悪くふるまっていたが、その様子を見ると気の毒になり、装束などを急いで身につけて、それぞれ馬に乗って思い思いに駆け去ってしまったので、袴を膨らませていた検非違使だけが、まるで胸を病んでいる者のような顔つきで、ぼんやりと衣装を着け、馬に乗って、その歩みに任せて帰って行った。
そこで、看の長一人で、その糸を拾い集めて、例の検非違使の従者に渡してやった。
従者もただ茫然とした様子で糸を受け取った。放免(ホウメン・検非違使庁の下人。もと罪人から登用された者が多い。)共もこれを見て、仲間同士で密かに「自分たちは、盗みを働いて罪人となり、今はこのような身になっているが恥ではないぞ。このような事もあるのだからな」と、ささやき合って、こっそりと笑った。
これを思うに、この検非違使は極めて愚かな者である。いくら欲しかったにせよ、犯人逮捕の現場で糸を盗んで見破られるとは、実にあきれたことである。
されば、この事に関して、他の検非違使たちがさすがに気の毒に思って、隠して置こうとしたが、いつしか世間に知られてしまった、
此(カ)くなむ語り伝へたるとや。
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『 本稿は欠文 ・ 今昔物語 ( 29 - 16 ) 』
本稿には、「或所女房以盗為業被見顕語」( ある所の 女房 盗みを以って業となし 見あらわさるること )と言う表題が記されているが、本文はすべて欠文となっている。
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