『 残酷な守護 ・ 今昔物語 ( 29 - 27 ) 』
今は昔、
主殿の頭(トノモリノカミ・宮内省主殿寮の長官)源章家(生没年未詳。1100年前後の人らしい。)という人がいた。
武士の家柄の人ではないが、猛々しい気性の人で、昼夜朝暮を問わず生き物を殺すのを仕事のようにしていた。およそ、この章家の性格は人とは思えないようなことが多かった。
この章家が肥後守として任国にあったとき、たいそうかわいがっていた [ 欠字あり。年齢が入るが不詳。] 歳位の男の子がいたが、何日も重い病にかかっていたので、皆が嘆きながら看病していたが、そうした時にも小鷹狩(本格的な鷹狩りではないもの)に出掛けたので、郎等や一族の者たちは何とも情けないことと非難していたが、その子が遂に亡くなってしまったので、その母は気を失ったようになって、亡くなった稚児の傍らを離れず、泣き沈み寝込んでしまった。
女房や侍たちも長年その稚児を見てきているので、気立ての優しい子であったと思い出して、忍びがたく泣き暮らしていたが、章家は稚児が死んだのを見ながら、その日さえ家で過ごすことなく狩に出て行ったので、その姿を見た者は、言いようもないほど無残なことだと思った。
知識があり清浄な僧なども、これを見て章家を責めて、善い方に導こうと思って、「これは正気の人がすることではない。何か物の怪でも憑いているのであろう」などと言った。
およそ、何事につけ露ほどの慈悲心がなく、ひたすらに生きている物は殺すものだと思っていて、哀れみの心は全くなかった。
また、正月の十八日に、観音の霊験あらたかな寺にこの章家が詣でたが、途中の野の中に焼き残した草が少しあるのを見て、章家は、「この草の中にきっと兎がいるに違いない」と言うと、下人を入れて追わせると、兎の子が六匹走り出てきたのを下人どもが寄ってたかって捕らえた。
章家は、「どうだ、ここには兎がいただろう」と言って、その草に火をつけようとすると、供をしていた郎等たちは、「年の初めの十八日にお寺詣でをなさるというのに、それはもってのほかのことです。せめて、ご帰還の折になさったら」などと言って止めたが、章家は聞き入れようとはせず、馬から下りて自らその草に火をつけたところ、兎は多くはおらず、ただ先ほどの子兎の親と思われる兎が一匹だけ走り出てきたので、下人がそれを打ち殺して、章家に差し出した。
子兎の方は、侍が自分の子供たちに与えて飼わそうと、一匹ずつ持って行った。
さて、館に帰ってきたが、侍詰め所に上がる所に、平らな大きな石が置いていて、その石を踏んで板敷きに上がるようになっている。
章家はその石の上に立って、「あの兎の子はどうした」と訊ねると、持って行った者たちはそれぞれ小舎人童(コトネリワラワ・ここでは、召使いの少年)たちに抱いて持ってこさせた。
守は、「ここにしばらく這わせてみよう」と言って取り上げた。そして、左右の手に六匹の兎の子を一緒に抱きかかえて、母が幼子をあやすように、「いい子だ、いい子だ」と言って、[ 欠字あるも不詳。]ければ、郎等どもは、「ただ遊んでいるだけだろう」と思って、庭で居並んで見ているうちに、守は、「年の初めの走り物を生かしておいて、食わないというのはよくないことだ」言うや否や、その平たい石に六匹の兎の子を一度に打ち殺してしまった。
主人が鹿や鳥を殺すのをとても興味があると思って、いつもはやし立てていた郎等どもも、この日は、その様子を見ると哀れさに堪えられなくなって、一度に立ち上がって逃げ去ってしまった。
章家は、その日のうちに焼くなどして食ってしまった。
また、その国には、飽田 ( アキタ ) という所があり、そこは狩り場になっている。その狩り場は今は立派であるが、もとは倒木が高く積み重なっており、大小の石が多くあり、馬も走れなかったので、十頭出てきた鹿のうち六、七頭は必ず逃げ去っていた。それをこの守は、国の民を三千人ばかり徴集して、その石をすべて取り去って、窪んでいる所にその石を埋め込んで上に土を乗せて平らにし、高い所は馬がつまずかない程度にならすなどした。
その後に、多くの人を集めて、他の山々から鹿をこの山に追い込ませたので、今は、十頭出てきた鹿は一頭も逃すことがない。
然れば、守は大いに喜んで、数知れないほどの鹿を捕らえた。その鹿の皮は、国の者どもに、「なめした上で献上せよ」と言って預け、鹿の肉だけを国府に運ばせて、館の南面の広々として木もない庭に隙間なく並べさせ、それでもまだ置ききれず、東面の庭にも並べ置いた。
このように、昼夜朝暮に休む月日とてなく罪を造り続けた。
その飽田の狩り場の原は、今も石一つなく平らのままなので、思うに、他の者が狩りをしても、もともとは十頭出てきた鹿のうち六、七頭は逃げることが出来ていたのに、章家が石を取り除かせたりした後は、一頭として逃げることが出来なくなっているので、今に至るまでの罪は章家こそが負うことであろう。
されば、章家は死の間際にも、飽田の石を拾った罪はどうすればよいかと嘆きながら死んだと、その家の者が語った、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 悲しい愛の結末 (1) ・ 今昔物語 ( 29 - 28 ) 』
今は昔、
誰だとは名は知らないが、高貴な家の公達で、年若くして姿形の美しい人がいた。近衛の中将などであったのだろうか。
その人がお忍びで清水寺に詣でたときのことであるが、なよやかな着物を着た清らかで美しい女が徒歩で参詣しているのに出会った。
中将はこの女を見て、「あれは卑しい者ではなく、相当の身分の者がお忍びで歩いて参詣しているのだろう」と思っていると、女は何気なく仰向いた顔を見ると、年は二十歳ぐらいである。その顔つきの清らかで可愛らしいことは例えようもなくすばらしく、「いったいどういう人だろう。こんな人に話しかけないわけにはいくまい」と思うと、何もかも忘れてしまって心奪われ、女が御堂から出てくるのを見て、中将は小舎人童(コトネリワラワ・召し連れている少年。)を呼んで、「あの女が帰っていった先をしっかりと見届けてこい」と言って後をつけさせた。
さて、中将が家に帰った後、やがて小舎人童も帰ってきて報告した。「しっかりと確かめて参りました。京ではありませんでした。清水の南に当たり、阿弥陀の峰(東山三十六峰の一つ。)の北の所にある家でございます。とても豊かそうな住まいでした。あの人のお供についていた年配の女が、私が後をつけているのを見て、『怪しいわね。どうしてお供のようについてくるのですか』と訊ねるので、『あの清水の御堂でお姿を見奉りましたわが殿が、「お帰りになる家をしっかりと見て参れ」と申しつけられましたので』と申しましたところ、『この後に、もしおいでになることがあれば、ご自分でおいでください』と申しておりました」と。
それを聞くと、中将は喜んで手紙を届けさすと、女は実にすばらしい筆跡の返事をよこしてきた。
このように、度々手紙をやりとりしているうちに、女からの返事に、「私は山里育ちですので京などによう出掛けません。ですから、こちらにおいでください。物越しにでもお話ししましょう」と言ってきたので、中将は女を見たいため、喜んで、侍二人ばかりとあの小舎人童と馬の口を取る舎人だけを供にして、馬に乗って、京を暗くなった頃に人目を忍んで出掛けていった。
その家に行き着き、童に来意を伝えさせると、あの年配の女が出てきて、「こちらにお入りください」と言うので、女の後ろについて行く。あたりを見れば、屋敷の周囲の土塀は大変堅固で、門が高く立っている。庭には深い堀が掘られていて橋が渡されている。
その橋を渡って入ろうとすると、供の者どもや馬などは堀の外の建物に留められてしまった。
中将はただ一人で入ってみると、建物が数多くある。その中に客間と思われる所がある。妻戸(ツマド・寝殿造りの建物の四隅にある両開きの板戸。)から中に入ると、たいそう立派に整えられていて、屏風や几帳などが立てられ、清らかな畳(薄縁のような物)が敷かれていて、母屋(モヤ・寝殿の中央の間)には簾がかけられている。
中将が、このような山里なのに、由緒ありげに住んでいることを奥ゆかしく思っているうちに、やがて夜も更けて、主の女が出てきた。そこで、几帳の内に入り共寝した。
契りを結んだあとは、一段と美しくいっそう愛おしくなった。
さらに、日頃からの思いなどを語り続け、中将は行く末までの深い愛を誓いなどして臥していたが、女はひどく物思いに沈んでいる様子で、忍び泣きしているようである。
中将は不思議に思って、「どうしてそのように悲しそうにしているのですか」と尋ねると、女は、「ただ、何となく悲しいのです」と言う。中将は納得がいかず、「もはやこのように契った仲なのですから、何事もお隠しにならないでください。いったいどういうことがあるのですか。とても普通の様子でありませんよ」と強く問いただすと、女は、「申し上げまいと思ってはおりませんが、申し上げるにはあまりに辛いことですので」と泣く泣く言うと、中将は、「ぜひ話してください。もしや私の生死に関わるようなことでもあるのですか」と尋ねると、女は話し始めた。
( 以下 ( 2 ) に続く )
☆ ☆ ☆
『 悲しい愛の結末 (2) ・ 今昔物語 ( 29 - 28 ) 』
( ( 1 ) より続く )
女が話し始めた。
「隠すべきことでもございません。わたしは京におりました然々という者の娘でございます。ところが、父母が亡くなり一人でおりましたところ、この家の主は乞食でございますがたいそう裕福になって、長年ここにこうして住んでいて、うまく企んで京におりましたわたしを盗み取って、養いながらきれいに装わせて、時々清水に参詣に行かせます。そして、出会った殿方がわたしを見て、あなたのように言い寄ってきますと、こうしてあなたがおいでになったように、ここにおびき寄せて、寝ている間に天井より鉾を差し下ろしてくるので、わたしが殿方の胸に切っ先を当てますと、刺し殺し、その着物を剥ぎ取り、供の人たちは堀の外にある建物の中で皆殺しにして、その着物を剥ぎ、乗り物を奪います。
そうしたことをすでに二度行いました。これから後も、このようなことが続くでしょう。ですから、この度はわたしがあなに代わって、鉾に刺されて死のうと思います。速やかにお逃げください。御供の人は皆殺されたことでしょう。ただ、もう二度とお目にかかることがあるまいと思いますと、それだけが悲しゅうございます」
と言って、泣き崩れた。
中将はこれを聞いて、驚き茫然となるばかりであった。それでもなんとか理性を取り戻して、「まったく驚きました。わたしに代わろうとおっしゃるのは大変有り難いが、あなたを見捨てて一人で逃げるのは実に情けない。ですから、あなたを連れて逃げよう」と言うと、女は、「何度もそう考えましたが、鉾を下ろして手応えがなければ、きっと急いで天井から下りてきて、二人ともいなければ、必ず追いかけられて二人とも死んでしまいます。今は、あなただけでも生き延びられて、わたしのために功徳を積んでくださいませ。これから後もどうしてこのような罪を作ることができましょう」と言う。
中将は、「あなたが私に代わってくれようとしているのに、どうして功徳を積んであなたの恩に報いないではいられません。それにしても、どのように逃げればよいのだろう」と言えば、女は、「堀の橋は来るときに渡られたあと、すぐに外されているでしょう。ですから、ここからあそこの遣戸を出て、堀の向こうの狭い岸を渡ると、土塀に狭い水門があります。そこから何とか這い出してください。さあ、もうその時刻です。鉾が差し下ろされますと、わたしはそれを取って自分の胸に取り当てて、刺されて殺されましょう」と言うと同時に、奥の方に人の足音がした。怖ろしいことこの上なかった。
中将は泣く泣く起き上がり、着物一枚だけをつけて、そっと教えられた遣戸を出て、堀の岸を渡り水門からどうにか這って出た。出るところまではうまくいったが、どちらへ行けばよいか見当もつかず、ただやみくもに走っていると、後ろからも人が走ってくる。
「追っ手が来たのだな」と思って、無我夢中で振り返ってみると、それは自分の供の小舎人童だった。喜んで、「いったいどうしたのだ」と尋ねると、童は「殿がお入りになったあと、すぐ堀の橋が外されてしまいましたので、怪しいぞ、と思いまして、何とか土塀を乗り越えて逃げ出しましたが、残った者たちは皆殺しにされたらしいと漏れ聞きまして、『殿もどうなられたものか』と悲しく思いましたが、そのまま帰ることも出来ず、藪の中に隠れていて、ご無事かどうかを確かめたいと様子を見ておりますと、人が走ってきましたので、『もしや殿ではないか』と思いまして追って参りました」と答えた。
中将は、「実は、然々の事があったのを知らずにいたのだ。まったく驚いたことだ」と言うと、二人して京の方に走っていったが、五条川原のあたりであの家の方角を振り返ってみると、大きな火の手が上がっていた。
一方、残った女の部屋では、「鉾を差し下ろして突き殺した」と家の主は思ったが、いつもと違って女の声もしなかったので、不審に思って急いで天井から下りてみると、男はいなくて、女を刺し殺していたので、「男が逃げたとなれば、すぐに人がやってきて捕らえられるだろう」と思ったので、すぐに建物などに火を放って逃げてしまったのである。
中将は家に帰ると童にも口止めし、自分もこの後この事を誰にも一切口外しなかった。
ただ、誰のためとは言わず、毎年盛大な仏事を設けて、その日は功徳を修めた。きっと、あの女のために行ったのであろう。この事は世間に知られるようになり、ある人があの家の跡に寺を建てた。[欠字あり。寺の名が入るが未詳。]寺といって、今もある。
これを思うに、女の心はまことに有り難いことである。また、童も実に利口であった。
されば、「美しい女などを見て、欲望心のままに知らない所などに行ったりすることは、この話を聞いて止めるべきだ」と人々は言った、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 若き母の受難 ・ 今昔物語 ( 29 - 29 ) 』
今は昔、
[ 欠字 ]の国[ 欠字 ]の郡にある山を、乞食が二人連れで通っていたが、その前を子を負った若い女が歩いていた。( 欠字部分は未詳。)
女は、この乞食たちが後ろに近付いてきたのを見て、傍らに寄って先に行かせようとしたが、乞食たちは立ち止まって、「このまま、さっさと行け」と言って、先に行かないので、女はそのまま先に行こうとすると、乞食の一人が走り寄って女を捕らえた。
女は、人気もない山中なので逃げようもなく、「いったい何をなさるのです」と言うと、乞食は「さあ、あそこへ行こう。話すことがあるからな」と言って、山の中へむりやり引っ張り込む。もう一人の乞食は、そばで見張りに立っていた。
女が「そんなに乱暴にしないでください。言うことは聞きますから」と言うと、乞食は「よしよし。それでは、さあ」と言うと、女は「いくら山の中でも、どうしてこのような所で物語など出来ましょうか。柴などを立てて、周りを隠してください」と言った。乞食は、「もっともだ」と思い、木の枝の茂ったあたりを伐り落とすなどし、今一人の奴は、「女が逃げるかもしれない」と思って、向かい合って立っていた。
女は、「決して逃げたりしません。ただ、わたしは今朝からお腹をこわしていますので、あそこまで用足しに行き、すぐに帰ってきますので、しばらく待ってください」と言ったが、乞食は「絶対だめだ」と承知しない。
女は、「それでは、この子を人質に置いていきましょう。この子は、我が身以上に大切な者です。この世の人は、身分の上下に関わらず、子の愛しさは誰もが知っていることです。ですから、この子を捨てて逃げることなどありません」と言い、さらに「ただ、お腹の痛みが堪えられなくなって、あそこで『用を足そう』と思って、立ち止まってあなた方を先に行かそうとしたのです」と言ったので、乞食はその子を抱き取って、「まさかこの子を棄てて逃げたりはするまい」と思ったので、「それでは、急いで行って、早く返ってこい」と言ったので、女は、「遠くに行って、用を足しているように見せかけて、子を見捨ててそのまま逃げよう」と思って、無我夢中になって走って逃げるうちに、道に走り出た。
ちょうどその時、弓矢を負い馬に乗った武士の四、五人の一団と出会った。
女があえぎながら走ってくるのを見て、「お前は、どうしてそんなに走っているのか」と訊ねると、女が「然々の事があり、逃げ出してきたのです」と答えると、武者たちは、「よし、其奴らはどこにいるのか」と言って、女の教えるままに馬を走らせて山に入ってみると、先ほどの場所に柴を立ててあり、乞食たちは子を二つ三つに引き裂いて逃げ去っていた。そのため、どうすることも出来ずに終わってしまった。
女が、「子は愛しいけれど、乞食には身をまかせまい」と思って、子を棄てて逃げたことをこの武者たちは褒め称えたのである。
されば、下賎な者の中にも、このように恥を知る者はあるのだ。
此 ( カク ) なむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 油断大敵 ・ 今昔物語 ( 29 - 30 ) 』
今は昔、
上総守平維時朝臣(カズサノカミ タイラノコレトキアソン・・1029年に上総介に就いている。なお、上総国の守は親王が就く太守国で、任国に行くことはなく、実質的な長官は「介」であることから、しばしば「介」を「守」と称されることがあるようだ。)という者がいた。この人は[ 欠字あり。人名が入るが、実父の「維将」か、養父の「貞盛」のいずれからしい。]の子であるから、格別の武者である。それゆえ、公私ともに少しも不安なことはなかった。
ところで、その郎等に、名は分からないが、通称が大紀二(ダイキニ・伝不詳)という者がいた。この者は、維時の許には多くの郎等がいるが、その中でもこの大紀二に並ぶ者とてない強者であった。背は高く風貌に勝れ、力は強く、足が速く、肝っ玉が太く、思慮深くて賢く、並びなき武芸者である。
それゆえ、維時はこの者を第一の郎等として使っていたが、塵ほども不覚を取ることがなかった。
ある時、維時の家において、この大紀二が同僚と双六(博打の一種)を打っていると、みすぼらしい様子の、小柄で鬢(ビン)の毛をぼさぼさにした侍が、その双六を打っている盤のそばに座って見ていたが、大紀二の相手がよい目を打ち、それに困って打ち煩っていると、この小男が「こう引いたらいかがか」とよい手を助言した。
大紀二は大いに怒って、「愚か者の差し出口には、こうしてやる」と言って、賽筒(サイヅツ・サイコロを入れる筒)の尻で小男の目の縁を力いっぱい突いた。小男は突かれて涙を流しながら立ち上がると、突然大紀二の顔をあおのけ様に突き上げた。大紀二は強力の者であるが、思いがけないことなので、あおむけ様に倒れると、小男は自分の刀など持っていなかったが、大紀二が腰に差していた刀を押し伏せたまま引き抜いて、大紀二の乳の上をこわごわ一寸ほど突き刺した。そして、その体の上から刀を手に提げたまま踊るようにして逃げていくのを、向かい合って見ていた相手も茫然としていて、どうすることも出来なかったので、小男はそのまま逃げ去ってしまった。
大紀二は急所を突かれたので、二度と起き上がることなく、反り返って死んでしまった。
その時になって、家中の者が大騒ぎになって小男を捜し回ったが、そのあたりにいるはずがない。跡をくらまし姿を消してしまったので、どうすることも出来ずに終わってしまった。
されば、この小男は、力をはじめあらゆる面において大紀二の爪の先にも当たらないほどであるが、それを侮ったために、大紀二は実にだらしなく、ただ一刀のもとに声さえ立てることなく殺されてしまったので、主をはじめ家中の者たちが驚き騒ぎ立てたが、この小男の行方は分からず終いであった。
主の維時はひどく残念がって嘆いた。
大紀二はまことに勝れた武者であったが、思慮を欠いたことがまことにまずいことであった。「あのように、目のあたりをきつく突かれては、男たる者、憤慨しないはずがない」と疑うこともなく、思いも寄らず突き殺されてしまったのだから、やはり、人を侮ることはよくないことだと、聞く人は大紀二を非難しあった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 虎と鰐 ・ 今昔物語 ( 29 - 31 ) 』
今は昔、
鎮西[ 欠字 ]の国[ 欠字 ]の郡に住んでいる人が、商いをするために一艘の船に大勢の人が乗り込んで、新羅に渡った。(欠字部分には、九州内の国名、郡名が入るが未詳。)
商売をし終わっての帰途、新羅の山の麓に沿って漕いでいったが、船に水などを汲み入れるために、水が流れ出ている所に船を留めて、人を下ろして水を汲もうとしていたが、船に乗っている者が一人、舷(フナバタ)に出て海面を見ていると、山の影が映っていた。
ところが、その高い断崖の三、四丈(一丈は約3m)ばかり上った所に、一頭の虎がうずくまって、何かを狙っているような姿が海面に映っていたので、そばにいる者たちにこれを告げ、水を汲みに行っている者たちを急いで呼び戻して船に乗せて、それぞれが手に艪を取って急いで船を出したが、その虎も崖から身を躍らせて船に飛び入ろうとした。だが、船の方が一瞬早く岸から離れ、虎は飛び降りるまでの時間だけ遅れて、あと一丈ばかり届かず、海に落ちてしまった。
船に乗っている者たちはこれを見て恐れおののき、船を漕いで急いで逃げていきながら、皆集まってこの虎の様子を見ていると、虎は海に落ちたあとしばらくすると泳いで陸に上がり、水際にある平たい石の上に登った。
「何をしようとしているのか」と見ていると、虎の左の前足が膝下から切り取られていて無くなっている。血も流れ出ている。海に飛び落ちたとき、鰐が喰い切ったのだろうと思ってみていると、虎はその切られた足を海に浸してうずくまっている。
すると、沖の方から鰐がこの虎の居る方をさして泳いできた。鰐が近づき、虎に襲いかかるとみるや、虎は右の前足で以て鰐の頭に爪を打ち立てて、陸に向かって投げ上げると、一丈ばかり浜に投げ上げられて、鰐は仰向けになって砂の上でバタバタしているのを、虎は走り寄って、鰐の顎の下めがけて躍りかかって喰いつき、二度三度と打ち振ると、鰐[ 欠字あるも不詳。]る際に、虎は肩に引っかけて、手を立てたような(垂直に切り立った様子の表現)巌が高さ五、六丈もあるのを、残った三本の足で以て、まるで下り坂を走り下るように駆け上っていったので、船の中にいる者たちは、これを見て生きた心地もしなかった。
「なんと、あの虎のしわざを見ると、船に飛び入っていれば、我らは一人残らず喰い殺されて、家に帰って妻子の顔を見ることが出来ずに死んだことだろう。立派な弓矢や太刀を持つ専任の軍勢が防いだとしても、とてもかなうまい。ましてや、狭い船の中では、太刀や刀を抜いて立ち向かっても、あれほど力が強く足が速いとなれば、どうすることも出来まい」と、それぞれ言い合って肝を潰したまま、上の空で船を漕いで鎮西(九州)に帰ってきた。
それぞれが妻子にこの事を語り、危うく生き延びて返ってきたことを喜び合った。他の人々もこれを聞いて、ひどく恐れおののいた。
これを思うに、鰐も海の中では猛々しく賢いものだから、虎が海に落ちたのを見て、足を喰い切ったのである。それなのに、考えも無く、なおも虎を喰らわんとして陸近くにやってきたため命を失ったのである。
されば、何事につけこのようなものである。人はこの話を聞いて、身の程以上のことは止まるべきで、ただ、ほどほどにしておくべきである、
とぞ人語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 忠犬に助けられる ・ 今昔物語 ( 29 - 32 ) 』
今は昔、
陸奥の国[ 欠字。郡名が入るが未詳。]の郡に住んでいる下賤な男がいた。家に多くの犬を飼っていて、いつもその犬を連れて深い山に入って、猪や鹿に犬をけしかけてかみ殺させて猟をすることを日常の仕事にしていた。
そのため、犬どもももっぱら猪や鹿に喰いつくように仕込まれていて、主が山に入れば、それぞれ喜んで後先にたって付いていった。
このようなことをすることを、世間では犬山と言っているそうだ。
ある時、この男はいつものように、犬どもを連れて山に入った。これまでも食物などを持って、二、三日の間山に入っていることもあったので、この日も山に留まることになり、夜になって大きな木の空洞の中に入って、傍らに粗末な弓、胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具)、太刀などを置き、前では火を焚いていたが、犬たちはみなその周りで寝ていた。
ところで、その多くの犬の中に長年飼っている特に勝れて賢い犬がいたが、夜も更けた頃、他の犬は皆寝ているのに、この犬だけがにわかに起き上がって走り、主が木の空洞に寄りかかって寝ている方に向かって、けたたましく吠えたので、主は、「いったい何に向かって吠えているのか」と怪しく思って、左右を見渡したがそれらしい物はなかった。
けれども、犬は吠えるのを止めようとせず、しまいには主に向かって飛びかかりながら吠えるので、主は驚いて、「この犬は吠えつく物も見えないのに、わしに向かってこのように躍りかかってきて吠えるのは、獣は主を知らない者なので、きっとわしを、このように人気の無い山中において喰い殺そうと思っているのだろう。こ奴を切り殺してくれよう」と思って、太刀を抜いて脅したが、犬はどうしても止めず、躍りかかってきて吠えるので、主は、「このように狭い空洞の中では、こ奴が喰いついてきては、どうしようもない」と思って、木の空洞から外に躍り出た途端、この犬は主がいた空洞の上の方に躍り上がって、何かに喰いついた。
その時になって主は、「わしに喰いつこうとして吠えているのではなかったのだ」と気づいて、「こ奴は何に喰いついたのか」と見ると同時に、空洞の上から大きく怖ろしい物が落ちてきた。犬はこれを放そうとしないで喰いついているのを見ると、太さが六、七寸(20cmほど)程もある大蛇で長さは二丈余り(6m余り)ある。大蛇は頭を犬にがっちりと噛みつかれ、堪えられずに落ちたのである。
主はこれを見て、とても怖ろしかったが、それだけに犬の心根が愛おしくて、太刀を持って大蛇を切り殺した。そこで犬はようやく大蛇から離れた。
何とも驚いたことに、こずえ遙かに高い大木の空洞の中に、大蛇が住み着いていることを知らずに仮寝していたので、主を呑み込もうと思って下りてきていた大蛇の頭を見て、この犬は何度も躍りかかって吠えていたのである。主はそれを知らず、上を見上げなかったので、「犬が自分を喰らおうとしている」などと思って、太刀を抜き犬を殺そうとしたのである。
「もし殺していたら、どれほど悔やんだことだろう」と思うと、寝付かれぬままに夜は明け、蛇の太さ長さを見るにつけ、まさに息が止まりそうな心地がした。
「寝入ったあとに、この大蛇が下りてきて巻き付いていたら、どうすることも出来なかっただろう。この犬は、何と賢い奴だ。わしのためにこの世に二つと無い宝だ」と思って、犬を連れて家に帰っていった。
これを思うに、もし犬を殺していれば、犬も死に、主もそのあとで蛇に呑まれていただろう。されば、このような時には、よくよく心を静めてから行動すべきである。
このような驚くべき事があった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 鳥獣の王 ・ 今昔物語 ( 29 - 33 ) 』
今は昔、
肥後国[ 欠字。郡名が入るが未詳。]の郡に住んでいる者がいた。
その家の前には、家に覆い被さるほどに枝が茂った大きな榎の木があったが、その下に鷲小屋を造り、その中に鷲を入れて飼っていた。
ある時、多くの人が見ていると、七、八尺ほどある大きな蛇が、その榎の木の下枝から伝って、鷲小屋の方に下りてきたので、「あの蛇がどうするか見ていよう」と言って集まって見ていると、蛇は下枝を伝って下りて、鷲小屋の上に下りるととぐろを巻いて、首を伸ばして鷲小屋の中を上から覗き込んだ。
その時、鷲はよく寝入っていたので、蛇はそれを見て鷲小屋の柱をゆっくりと伝い下りて、鎌首をもたげて寝入っている鷲の腹のあたりに口を差し入れた。そして、口を開けて鷲のくちばしを付け根まで呑み込み、尾を以て鷲の首をはじめ体を五巻、六巻ばかり巻き、なお残っている尾で鷲の片足を三巻ほど巻いて、縛るようにねじたので、鷲の毛は逆立って蛇の体は沈み込み、鷲の体が細くなるほどに強く締め付けた。
その時になって鷲は目を見開いたが、くちばしを呑まれているので、目を塞いでまた寝入ったようになった。
これを見ていた人の中には、「あの鷲は蛇に正気をとろかされたのだろう。このままでは死んでしまう。さあ、蛇を追っ払おう」と言った。
また、「どういうことになろうとも、あの鷲が蛇にとろかされることなどあるまい。まあ、どうするか見ていよう」という人もあり、ともかく何もせずに見ていると、鷲はまた目を見開いて、顔をぶるぶると左右に振ると、蛇はくちばしを付け根まで呑んで下の方に引き下ろすようにすると、その時に鷲は、巻かれていない方の足を持ち上げて、首から肩にまで巻いている蛇を鋭い爪でつかみ、ぐいと引っ張って踏みつけると、くちばしを呑んでいた蛇の頭も抜けて離れてしまった。さらに、巻かれた片足を持ち上げて、翼にかけて巻かれている所をつかんで引き離して踏みつけた。そして、前につかんだ所を持ち上げてぶつりと食い千切った。それで、蛇の頭の方が一尺ばかり千切れてしまった。
次には、あとからつかんだ足を持ち上げて、また食い千切った。さらに、足を巻いていた残りの部分を食い千切った。
こうして三切れに食いきり、くちばしで以てくわえて前に投げ置き、身震いして翼を繕い、尾羽などを打ち振って、大したことをした様子も見せないので、これを見た人たちのなかで、「よもや、鷲が蛇にとろかされることはあるまい」と言っていた者は、「思った通りだ。どんなことがあろうと、鷲がとろかされるはずがない。鷲は鳥獣の王であるから、やはり魂が他の鳥獣とは違っているのだ」などと言って、盛んに褒め称えた
これを思うに、蛇の魂はまことに身の程知らずだ。もっとも蛇は自分より体の大きな物を呑むとはいえ、鷲を狙うとは何とも愚かなことである。
されば、人もこれで知るべきである。自分より勝るものを滅ぼし犯そうなどという心はゆめゆめ起こしてはならない。このように、かえって自分の命を失うことがあるのだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
『 主従の絆 ・ 今昔物語 ( 29 - 34 ) 』
今は昔、
民部卿藤原忠史(909年没。正四位参議に至る。)という人がいた。この人は宇治に住んでいたので、宇治の民部卿と世間の人はいっていた。
たいそう鷹を好んでいたが、当時、[ 欠字あり。「中務」または「式部」のどちらからしい。]卿の重明親王(醍醐天皇の第四皇子)という人がいらっしゃった。その宮もまたたいそう鷹を好んでおられたので、「忠史民部卿の家によい鷹がたくさんいる」と聞き、それをもらおうと思って、忠史の宇治の家にお出かけになった。
忠史は驚き大騒ぎして、急いでお出迎えして、「何事でございましょうか。思いもよらずお渡りいただきましたのは」とお尋ねすると、親王は、「鷹をたくさんお持ちだと聞いて、『それを一羽頂戴したい』と思って参ったのです」と仰せられると、忠史は、「どなたかを遣わせて仰せいただければよいものを、わざわざお渡りいただきましたからには、どうしても差し上げないわけには参りません」と言って、鷹を献上しようとしたが、数多く持っている鷹の中でも、第一のものとしている鷹は、世に並びなき賢い鷹で、雉に合わせると、必ず五十丈(150mほど)と飛ばさぬうちに取ってくる鷹なので、それは惜しんで、その次に勝れた鷹を取り出して献上した。それもよい鷹ではあるが、第一の鷹とは比べようもない。
さて、親王は鷹を得て喜び、自ら手首に据えて京に帰る途中で、雉が野に伏しているのを見て、親王はこの献上された鷹を放ったが、その鷹は拙くて、雉を取ることが出来なかった。
親王は、「よくもこんなに拙い鷹をくれたものだ」と腹を立て、忠史の家に引き返して、この鷹を返したので、忠史は鷹を受け取って言った。「これはよい鷹だと思って差し上げたのです。それでは、別の鷹を差し上げましょう」と言って、このようにわざわざ引き返してこられたのだから、と思って、あの第一の鷹を献上した。
親王は、また、その鷹を据えて帰っていったが、木幡のあたりで試してみようと思って、野に犬を入れて雉を狩らせると、雄の雉が飛び立ったので、この鷹を放ったところ、その鷹もまた雉を取ることなく飛び去って雲の中に消えてしまった。
しかし、この時は、親王は何も仰せられずに、京に帰っていった。
これを思うに、その鷹は忠史の許にては並びなき賢かったが、親王の手によればこのように拙くて逃げてしまったのは、鷹も主の力量を知っているからだ。
されば、心なき鳥獣といえども、もとの主を知ることはかくのごとしである。いわんや、心ある人はこうしたことに思いをいたし、自分を知ってくれている人のためには尽くすべきである、
となむ語り伝へたるとや。
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『 猿の恩返し ・ 今昔物語 ( 29 - 35 ) 』
今は昔、
鎮西(チンゼイ・九州)[ 欠字 ]国の[ 欠字 ]郡に身分賤しい者がいた。
海辺に近い所に住んでいたので、その妻は常に浜に出て磯[ 欠字あるも不詳。]をしていた。ある日、隣に住んでいる女と二人で磯に出て貝を拾っていると、一人の女が二歳ばかりの子を背に負っていたが、その子を平らな石の上に置いて、別に連れている幼い子供をその子につけて遊ばせておいて、女は貝を拾い歩いていたが、山際に近い浜辺のことなので、猿が海岸近くに出てきているのをこの女たちが見つけて、「あれを見なさいよ。あそこに、魚を狙っている猿がいるよ。行って見てみよう」と言って、二人連れの女が連なって近づいていった。
猿は逃げていくだろうと思っていたが、怖がっているようには見えたが、何か苦しげで、逃げ出すこともせずにキィキィと叫んでいるので、女たちは、「どうしたのだろう」と思ってその回りを歩きながら見てみると、大きな溝貝という貝が口を開けているところに、この猿が取って食おうとしてして手を差し入れたので、貝が口を閉じたので猿は手を咥えられて引き出せなくなっていると、潮が次第に満ちてきたので貝は底の方に潜り込んでいこうとしている。
あと少しすれば、潮が満ちて猿は海に引き込まれそうになっている。
二人連れの女はこれを見て大笑いする。そのうちの一人は、この猿を打ち殺そうとして、大きな石を取って打とうとしていると、もう一人の子を負っていた女が「とんでもないことをする人だ。かわいそうに」と言って、打とうとしている石を奪い取ると、打とうとしていた女は、「いい機会だから、此奴を打ち殺して、家に持って帰って焼いて食おうと思っているのだ」と言ったが、もう一人の女はむりやり猿をもらい受けて、木を貝の口に差し入れてねじると、少し口を開けたので猿の手を引き出すことが出来た。
そして、「猿を助けるために貝を殺すわけにはいかない」と言って、貝を拾うつもりで来ていたが、その貝をそっと拾い上げて砂の中に埋めてやった。
さて、猿は手を引き抜いて走り去り、この女の方に向き直って、嬉しそうな顔をして[ 欠字あるも不詳。]座っているので、女は、「お猿さんよ。お前を人が打ち殺そうとしているのを、むりやりに請い受けて助けてやったのは、[ 欠字あるも不詳。]の志ではない。獣とはい恩を知るものだよ」と言うと、猿はまるでこの言葉を理解したような顔をして、山際の方に走って行ったが、この女の子供がいる石の方に走りかかっていくので、女が「おかしいぞ」と思う間もなく、猿はその子を掻き抱いて山の方に逃げて行く。
その子を見させていた幼い子供がこれを見ておびえて泣くので、母親がその声を聞きつけて見遣ると、猿がわが子を抱いて山の奥の方に走って行くので、「おい猿め、わが子を取っていくとは、恩知らずの奴だ」と言うと、打ち殺そうとしていた女は、「そうらごらん、あんた。顔に毛がある者が恩を知るものか。打ち殺しておけば、私の獲物になったし、お前さんも子を取られることがなかったのだよ。それにしても憎らしい奴だ」などと言いながら、女二人そろって走って追っていくと、猿の方は逃げながらも、それほど遠くに逃げ去ることなく山に入っていった。
女たちが急いで走って追うと、それに合わせて猿も走る。女たちが静かに歩くと、猿も静かに歩いて逃げながら、一町ばかりの距離を保って、山深く入ったので、後には女たちは走ることなく、猿に向かって、「恩知らずの猿ねぇ。命を失うところを助けてやったのに、それをありがたいと思うことは出来ないとしても、私が大切にしている子を取っていくとは、どういうつもりか。たとえその子を食おうと思っていても、命が助かった代わりに、私にその子を返しておくれ」と言っているうちに、猿は山深くに入って、大きな木に子を抱いたまま遙かに登っていった。
母は木の下に近寄り、「大変なことになった」と思って見上げて立っていると、猿は梢に大きな枝が二股になっている所に子を抱いて座っている。一緒に追ってきていた女は、「家に帰って、あなたの主人に知らせてくる」と言って、走って帰っていった。
母は木の下に残り、猿を見上げて泣いていると、猿は大きな木の枝を引き絞って持ち、子を脇に挟んで子を揺さぶると、子は大声で泣く。泣き止むと、また泣かせていると、鷲がその声を聞いて、その子を取ろうと思って素早い速さで飛んできた。母はこれを見て、「どうなろうと、わが子は食われてしまう。猿が食わなくても、あの鷲にきっと食われてしまうだろう」と思って泣いていると、猿はこの引き絞った枝を、さらに引き絞って、鷲が襲ってくるのに合わせて放すと、枝は鷲の頭に当たって逆さまに打ち落とされた。
その後、猿はその枝を引き絞って子を泣かせると、また別の鷲が飛んできたので、前と同じようにして打ち落とした。
その時、母は納得した。「何と、この猿は子を取ろうとしているのでなかったのだ。私に恩返ししようとして、鷲を撃ち殺して私に与えようとしているのだ」と思って、「そこのお猿さん。お前の気持ちはよく分かったよ。もうそのくらいにして、私の子を無事に返しておくれ」と泣く泣く言っているうちに、同じようにして鷲を五つ打ち落とした。
その後、猿は他の木を伝って下りてきて、子を木の根元にそっと置くと、再び木に走り登って体を掻いている。母は涙を流して喜んで、子を抱いて乳を飲ませているうちに、この父親があえぎながら走ってきたので、猿は木を伝って姿を消した。木の下に鷲が五つ打ち落とされていたので、妻は夫に事の次第を話すと、夫も何とも不思議なことだと思ったことであろう。
さて、夫はその鷲の羽と尾を切り取り、母は子を抱いて家に帰っていった。そして、その鷲の羽と尾を売って生活費とした。
猿の方は恩返しをしようと思ってしたことだが、そうと分かるまでの女の気持ちは、さぞ辛かったであろう。
これを思うに、獣といっても恩を知ることはこの通りである。いわんや、心ある人は必ず恩を知らなければならない。それにしても、「猿の技はまことに賢い」と人々は言い合った、
となむ語り伝へたるとや。
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