『 原発 22カ国宣言 』
「2050 年までに世界全体の原子力発電の設備容量を
3倍にすることを目指す宣言」に
22カ国が参加したと 米政府が発表した
米・英が主導したようだが わが国も加わっている
地球温暖化や気候変動が 多く伝えられているが
その全てが 温暖化効果ガスによるとは 思わないが
一因であることは 確かだろう
しかも 様々な対策が言われているが
明かな 効果は見られない
多くの問題があっても 原子力発電を棄てきれないのも分る
わが国は 福島の問題を抱え
一方で エネルギー源に苦しんでおり
難しい舵取りを 突きつけられている うーむ・・・
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『 頼通 右近衛少将に ・ 望月の宴 ( 96 ) 』
殿(藤原道長)の若君田鶴君(タヅギミ・頼通)は十二歳ばかりにおなりである。
今年( 1003 年)の冬、枇杷殿(ビワドノ・道長の邸の一つ。)において元服式を挙げられた。引入れ(ヒキイレ・冠をかぶせる役。)には閑院内大臣(藤原公季。正二位。道長の叔父にあたる。)が臨席なさった。
一人として参上なさらない人はなく、お邸は人で満ちあふれていた。御贈物や引出物などのほどは、ご想像いただきたい。
さて、その年は暮れて、翌年となった。
司召(ツカサメシ・秋の除目を指す。頼通が右少将になったのは八月なので、時期が前後している。)において、若君は少将におなりになり、二月に春日の使い(春日祭の勅使)にお立ちになった。
殿は、これが若君の初仕事とお思いになっていて、その支度に大わらわになっていらっしゃるのも当然である。万事においててきばきと進められる。
若君は、何となくふっくらとなさっていて愛くるしくあられるので、殿はたいそう大切にお思いである。
春日の使いの御供には、少しは世間に知られた四位、五位、六位の者が残らず参上なさる。
殿は、宮中において、帝の御前で若君をご覧になられ、また、その途中の様子を牛車の中からご覧になられるなど、たいそう情愛に満ち溢れているとお見受けされる。
ご出立の翌日(春日祭当日)、雪がたいそう降ったので、殿の御前(道長)が、
『 若菜摘む 春日の野辺に 雪降れば 心づかひを 今日さへぞやる 』
( 若菜を摘む 春日野に 雪が降ったので 若君(頼通)が難儀しているだろうと 今日も 気に掛かることだ )
と、お詠みになられると、その御返事として、四条大納言公任が、
『 身をつみて おぼつかなきは ゆきやまぬ 春日の野辺の 若菜なりけり 』
( わが身にあてても 心配されるることは 雪のやまない 春日野で 若菜摘みが出来るかどうかです [ 歌意から、公任の子も参加している可能性もあるが、はっきりしない ])とお詠みになった。
また、これをお聞きになって、花山院が
『 われすらに 思ひこそやれ 春日野の 雪間をいかで 田鶴の分くらん 』
( 私でさえ 気に掛かりますよ 春日野の 雪降る中を 田鶴君がどのように踏み分けていくかと )
と、お詠みになられた。
また、その次の日には、若君のお帰りをお待ちかねになって、殿は設けられた宴席は、まことに格別のものであった。
舎人(トネリ・ここでは近衛府の下級官人。)たちも、若君に心を寄せていて、身分の差を忘れたかのように、自分たちのもののように仰ぎ奉る様子も、そうした人々さえも若君を大切に思っているということで、好ましく思われる。
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