『 大谷さん 大谷さん 大谷さん 』
大谷翔平選手の ドジャース入団会見
予想以上に すばらしかった
水谷一平さんの声が 実に魅力的で
会見を よりすばらしくしていたように 思った
大谷さん 大谷さん 大谷さんの一日で
嫌なニュースの苦みも ずいぶん薄めてくれた
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『 中関白家の人々 ・ 望月の宴 ( 97 ) 』
道長の御殿の御嫡男、頼通殿は、十二歳で元服なさると正五位に叙され、ほどなく右近衛少将に任じられました。
その後も、まっしぐらに昇進なさり、十五歳の時には、従三位に昇叙、公卿の地位に達するのでございます。
宮廷政治において、道長殿は盤石の地位を築いて行かれますが、同時に、後宮におけるご長女彰子中宮の圧倒的な存在感、御嫡男頼通殿を中心としたお子様方の異例の昇進によって、並ぶ者とてない御方になられるのでございます。
その一方で、中関白家の状況は、道長殿の長兄道隆殿の御逝去と共に輝きをなくし、後継者である伊周殿の失脚の上、一条天皇の御寵愛深い定子皇后が二十四歳の若さでお亡くなりなるという不運が続き、没落を止めることができない有様でございました。
一条天皇はもちろん、道長殿も定子皇后のお子様方を軽視なさったわけではございませんが、沈み行く日輪を引き戻すことなど、どなたにも出来ることではないのでしょう。
さて、宮中には、亡き定子皇后の皇子や皇女がたくさんいらっしゃいますが、帝(一条天皇)は、一の宮(定子所生の敦康親王)を中宮(彰子)の御子としてお託しになって、その御殿になるべくお連れするようになさり、女一の宮(脩子内親王)、女二の宮(媄子内親王)などがたいそう可愛らしくあられるのを、粗略にならないようにお世話申し上げられては、亡き定子皇后をしみじみと思い出されない時はない。
故関白殿(定子らの父道隆)の娘であられる四の御方は、御匣殿(ミクシゲドノ)と申し上げているが、この一の宮(敦康親王)の御事を亡き定子皇后が万事ご依頼申し上げていたので、今はひたすらにこの宮の御母代わりとしてお世話なさっているので、帝も足繁くお渡りになられていらっしゃるが、おのずからお顔をお目にかけられる事もおありであったが、その間にどのようないきさつがあったのか、睦まじいお仲になられたということが、自然と噂になって聞こえてきた。
中宮(彰子)は、何分まだお若くていらっしゃるので、何事もお気になさらないご様子であるが、周囲の人は、この御事を厄介なこととひそひそと困惑しているようだ。
帥殿も中納言殿(伊周と隆家。御匣殿の兄たち。)も、感に堪えない前世からの因縁なのだろうとお思いになって、人に知られないように御祈祷などなさるのであろう。
帝も、たいそう愛おしくお思いであろう。御匣殿も、万事に付けて、峰の朝霧(古今和歌集の歌を引用している。)のように、胸の晴れる間もなく思い嘆いていらっしゃるのであろう。
帥殿も中納言殿も、宮(敦康親王)が宮中にお住まいなので、思いのままに参上することは出来ず、夜になってから忍んで参られて、誰にも知られないようになさって、二、三日ばかりそのままおそばについていらっしゃったのである。
宮たちのご様子は、それぞれに可愛らしくいらっしゃるので、すべての不幸な事々を慰めつつお気を紛らわせて日を過ごされている。その間に、帝がお見えになられた時などには、内々にちょっとしたお話しをなさったり、また奏上なさるような事もあるのだろう。
中納言は、大殿(道長)のもとに常に参上なさっていて、また、中納言が姿をお見せにならない時には、度々おそばに呼び寄せられるなどして、中納言を憎からぬ者とお思いになっていて、「この君(中納言隆家)は、憎らしい心の持ち主ではない。帥殿の賢すぎる心に引っ張り回されているだけなのだ」などとお思いなのであった。
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