雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

明日から選抜高校野球

2024-03-17 19:13:17 | 日々これ好日

      『 明日から選抜高校野球 』

    明日は 選抜高校野球の 開会式が行われる
    お天気も大丈夫なので 元気な入場行進が見られそうだ
    春の高校野球は 春の風物詩の一つで
    爽やかな戦いぶりが 関西に本格的な春を迎えてくれる
    正々堂々 力一杯のプレーを 楽しませていただこう

                    ☆☆☆

      

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つひにはいかがなる

2024-03-17 08:00:40 | 古今和歌集の歌人たち

    『 つひにはいかがなる 』


 身を捨てつ 心をだにも はふらさじ 
         つひにはいかが なると知るべく

            作者 おきかぜ 

( 巻第十九 雑躰歌  NO.1064 )
      みをすてつ こころをだにも はふらさじ
              つひにはいかが なるとしるべく


* 歌意は、「 我が身は捨てると決心したが 心までは 捨て去ることはするまい 捨て去った我が身が どうなるか知ることが出来るように 」といった、少々理屈っぽい歌のようです。

* 作者の「おきかぜ」とは、藤原興風のことです。
興風の生没年は未詳ですが、平安時代の官吏・歌人です。最終位階は正六位上ですので、貴族の地位(従五位下)に昇ることは叶わなかったようです。
興風について伝えられている官暦は、
900 年、相模掾
902 年、治部少丞
904 年、上野権大掾
914 年、下総大掾
となっていて、主として地方官を歴任しています。「掾・丞」というのは、中央官の「判官」と同じで、三等官です。守護にはかなり差のある職階です。

* 興風は、藤原京家の一族です。
京家は、藤原不比等の四人の息子が起こした藤原四家の一つです。列記しますと、長男の武智麻呂が南家、次男の房前が北家、三男の宇合が式家、そして四男の麻呂が京家です。
四家のうち、最初に台頭したのは南家で、次いで式家で、劣勢にあった北家は先行する両家の失脚もあって、北家を中心とした藤原氏の全盛期を築いていきます。
そうした中で京家は、目立った飛躍を見せないまま埋没していきます。その理由としては、祖である麻呂が末弟であったこと、子女が少なかったこと、唯一参議になっていた浜成が氷上川継の乱(天武天皇の曾孫にあたる川継が謀反を計画したが失敗したとされる事件。)に連座して流罪を受け政治生命を失ったことなどがあります。
興風が生きた時代は、すでに北家全盛と言える時代になっていたのです。

* 興風の父・道成は、参議になっていた浜成の曾孫に当たります。道成も相模掾であったようですが、詳しい経歴は分らず、興風の生没年さえ確認に出来ません。残念ながら、藤原氏全盛に向かう時代にあって、京家である興風には厳しい時代であったようです。
そうした中で、興風は、管弦の上手として認められていたようです。そして和歌は、古今和歌集に17首、勅撰和歌集全体では38首が採録されていますので、古今和歌集時代の有力歌人の一人と評価されていたようです。
そう考えますと、官吏としては忸怩たるものを抱えながらも、和歌や管弦においては、一流文化人としての誇りを保った生涯だったのかも知れません。

* 掲題の歌は、私の個人的な好みで選んだもので、興風の代表歌というわけではありません。よく知られているということでは、小倉百人一首に選ばれている和歌がありますので、最後にご紹介させていただきます。 
 ( 古今和歌集 巻第十七 雑歌上 NO.909 )
『 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに 』

     ☆   ☆   ☆

  

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