雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ドラフトから見えるお家の事情

2024-10-25 18:57:35 | 日々これ好日

    『 ドラフトから見えるお家の事情 』

   ドラフト会議が終り 各チームとも
   来年の戦力構想が 具体性を増すのだろう
   毎年思うことだが いくら良い選手を獲得できても
   それだけで 戦力が大幅にアップするわけではないが
   指名した選手 交渉権を獲得した選手などから
   それぞれの お家の事情が見えてくる気がする
   ほとんどのチームが 投手の指名が多く
   投手より野手の方が多いのは 育成指名も加えると
   西武とヤクルトの 二チームだけだ
   各チームの選択が どう働くのか 興味深い

                  ☆☆☆
    

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才女の娘

2024-10-25 08:01:02 | 私の好きなフレーズ

『 歴史の表舞台に立つことはなくとも、むしろそれゆえに、穏やかな生涯を送ってくれたものと願うばかりである。』


平安時代の才女を二人挙げるとすれば、清少納言と紫式部を挙げる人が多いのではないだろうか。
もちろん、王朝文学全盛の時代なので、好みや選考の視点によって候補となる人物は少なくないとも考えられる。しかし、やはり現代に伝えられている「枕草子」と「源氏物語」の著名度は圧倒的といえる。
さらに、清少納言と紫式部が対立関係にあったらしいといった話もあって、その興味からも、二人の存在が際立っている。
        ( 中略 )
そして、この二人の才女の娘たちであるが、紫式部の娘は、母の後を継ぎ彰子の女房として出仕している。母と違って、社交的な女性であったらしく、多くの浮名を残したようであり、歌人としても優れ、その和歌は小倉百人一首にも採用され今に伝えられている。さらに、万寿二年( 1025 )には、のちの後冷泉天皇の誕生とともにその乳母に任ぜられ、即位後従三位が与えられている。大弐三位という女房名は、夫の官職名とともに付けられたものと思われるが、従三位といえば男性なら公卿と呼ばれる身分なのである。
一方の清少納言の娘である小馬命婦も、彰子に仕えている。清少納言をよく知っている道長がその代わりのように出仕を求めたのか、あるいは、清少納言が宮中に出向いて娘の出仕を願い出たものかもしれない。
ただ、その後の小馬命婦の消息は、残念ながら全く探ることができない。歴史の表舞台に立つことはなくとも、むしろそれゆえに穏やかな生涯を送ってくれたものと願うばかりである。
勅撰和歌集に伝えられている小馬命婦の和歌は、「後拾遺和歌集」に載る一首のみである。
「 その色の草とも見えず枯れにしを いかに言ひてか今日はかくべき 」

       ( 「運命紀行」 才女の娘 より)

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