衆議院選挙は、多くの予想を超えるものだったのではないでしょうか。
自民が議席を減らすということは予想されていましたが、ここまで凄まじい減少には少々驚きました。公明も大幅に議席を減らしましたが、様々な要因はあるとしても自民に足を引っ張られた面は否定できないでしょう。
維新は、公明の地盤を蹴散らして、大阪府の小選挙区19を全勝したのには凄さを感じましたが、全体としては議席を減少させました。橋下徹氏がその原因について述べられていましたが、全国政党としては惨敗だったのかもしれません。
立憲民主は、大幅増で大勝利と言えますが、さて、本当に自民の数々の不祥事の受け皿になったのか、検証が必要な気がします。むしろ、国民民主やれいわや参政各党などに、政治に対するやるせない気持ちの票を集めたような気もします。
素人が評論家もどきの意見を述べても仕方がありませんが、今回の選挙は、何とはなく大きな転換点になるのではないかという気がしてならないのです。
つまり、強大な自民勢力に対して、揚げ足を取るのが主戦力のように見えてしまう野党との対抗で国会の日程の多くが使われ、本当の論戦、政策の協同、と言ったことなどごくごく限られているといった状態から脱皮できるのか、それとも、自民を中心とした勢力、あるいは立憲民主を中心とした勢力、のいずれにしろ、与野党が入れ替わることがあっても、現状とあまり変らない国会運営が続くのか、与野党間で本気の協議が行われ政策に反映されるような政治風土構築に動くのか、そうした分岐点だと思うのです。
相手をこれでもかというほど非難し、自らを正義の味方のように増長していたかに見える人たちが、戦い終えたからといって、果してどれだけ実のある協議が出来るのか、期待するのは無理かもしれませんが。
「悪木盗泉」という言葉があります。「暑くても悪木の陰では休まない、渇しても盗泉の水は飲まない」といった意味です。
「盗泉」というのは、中国の山東省にあった泉の名前らしいのですが、孔子はこの名前を嫌って、その水を飲むのはもちろんのことその地に留まることさえ嫌ったという故事があり、中国三国時代の政治家であり文学者でもある陸機( 265 - 303 )がそれを題材にして詠んだ詩から生れた言葉のようです。
孔子の清廉潔白を称えようとしたものかどうか分りませんが、現代人であれば、名前がどうであれ、実害がないのであれば、暑いのであれば日陰に入らなくては熱中症になりますし、喉が渇いているのであれば水を飲まなくては命に関わる、と合理的に考える人も多いはずです。
しかし、これが政治の世界となれば、そうそう簡単にはいかないのでしょうね。
多くの国民の信託を受けてその身分を得た議員の方々ですが、残念ながら人格崇高な方々ばかりではないはずです。何も聖人君子を望んでいるわけではありませんが、国民の多くが、ごく普通に描いている程度の常識は習得し維持し続けて頂きたいものです。
ただ、残念ながら、お金を持てばお金に汚くなり、権限を持てばそれをもてあそぶ人を私たちはたくさん見てきています。当然、私たち自身も自覚する必要がありますが、権限ある公職にある人には、ぜひ初志を貫いて欲しいと願うのです。
折から、大波乱の選挙結果を受けて、首班指名が行われるまでは、各党間の交渉や綱引きが展開されることでしょう。清く正しく美しく、などとは望みませんが、国民に目を向けた真摯な協議が行われることを切に願っています。
( 2024.10.30 )
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