雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

枕草子 跋文

2014-03-31 17:00:04 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 跋文

     跋 文

この草子、目に見え、心に思ふことを、「人やは見むとする」と思ひて、つれづれなる里居のほどに、書き集めたるを、あいなう、人のために便なきいひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、「よう隠し置きたり」と思ひしを、心よりほかにこそ、漏り出でにけれ。

宮の御前に、内の大臣のたてまつりたまへりけるを、
「これに、何を書かまし。主上の御前には、『史記』といふ書をなむ、書かせたまへる」
など、のたまはせしを、
「まくらにこそは、はべらめ」
と申ししかば、
「さば、得てよ」
とて、賜はせたりしを、あやしきを、「こよや」「なにや」と、尽きせず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬ言ぞ多かるや。

大方、これは、世の中にをかしき言、人のめでたしなど思ふべき名を選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも、いひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」と、譏られめ。
 ただ、心一つにおのづから思ふ言を、戯れに書きつけたれば、「ものに立ちまじり、人なみなみなるべき耳をもきくべきものかは」と思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はしたまふなれば、いとあやしうぞあるや。

げに、そもことわり、人の憎むを「善し」といひ、褒むるをも「悪し」といふ人は、心のほどこそ推し量らるれ。ただ、人に見えけむぞ、ねたき。

左中将、まだ「伊勢守」ときこえし時、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。
まどひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ、返りたりし。
それより、歩(アリ)き初(ソ)めたるなめり。
                           とぞ、本に。


     跋文(バツブン・あとがき)

この草子は、私の目に見え、心に思うことを、「人が見るかもしれない」と思って、所在ない宿下がりの間に、書き集めたものですが、あいにくと、他の人にとっては不都合な失言をしてしまいそうな個所がところどころにありますので、「うまく隠して置いた」と思っていましたのに、全く思いがけなく、世間に洩れてしまいました。

中宮さまに、内の大臣(ウチノオトド・藤原伊周)が献上なされたという紙を、
「これに、何を書いたらよいか。天皇におかれましては、『史記』という書(フミ)を、お書きになられたのよ」
などと、仰せになられましたので、私は、
「まくらにこそ、はべらめ」
と申し上げますと、
「それでは、そなたに取らせよう」
と仰って、下されたのですが、変なことを、「これも」「あれも」と、とてもたくさんの紙を書き尽くそうとしたものですから、中には全くわけのわからない言葉も、沢山あるのですよ。

大体、これこそ、世間で評判の名句とか、みながすばらしいと思うようなものの名を選りに選って、和歌などでも、木・草・鳥・虫の名をも、書き記してあるものですから、「期待していたほどでもない。清少納言の程度が分かる」と、そしられることでしょう。
そこで、ともかく私の心の中で思いつくことを、戯れに書きつけたものですから、「まともな書物に立ちまじって、人並みの評判などを聞くものではない」と思っていましたのに、「恐れ入ったわ」などと、読む方はおっしゃるらしいので、ほんとに妙な気がするのですよ。

まことに、それも当然なことで、人の憎むものを「善し」と言い、褒めるものを「悪し」と言う人は、心の底が推し量れるというものてすわ。私としましては、ただ、この草子が、人に見られてしまったのが、残念なのです。

左中将(源経房、清少納言が長い宿下がりをしていた頃、出入りを許していた数少ない一人)が、まだ伊勢守と申しました頃、私の里にお出でになられた時、端の方にあった薄縁を差し出しましたところ、この草子が一緒に乗って出てしまったのです。
慌てて取り込もうとしましたが、そのまま持って帰ってしまわれ、かなり経ってから返してくれたのです。それ以来、この草子は、世間を歩き始めたのでしょう。
                               と、原本に書いてある。



「枕草子」の成り立ち、流布の経緯について書かれているこの跋文は、とても興味深く面白い内容です。
素直に文章のままに受け取るのが最も良いと個人的には思っています。ただ、流布の段階で手が加えられているとする研究者も少なくないそうで、それも否定することは出来ないでしょう。

この文章の中で、最も興味深い部分は、『まくらにこそ、はべらめ』という部分です。
この言葉こそが、「枕草子」という書物の名付元だと思うのですが、「まくら」の語義については諸説あり、なお決着はみていないようです。
一つの例を示しておきましょう。
「しきたへのまくら」という歌語があるそうで、天皇が「史記」を書かせたということから連想して「まくら」となったというのです。そして、馬具の「しき(鞍褥)とまくら(馬鞍)」に結び付け、「しき」の上に「まくら」を乗せることから、「史記」以上の物を書きましょうという意味だというのです。
とても面白いと思うのですが、天皇の上に行こうというような不敬が認められるはずがないという反対意見もあります。

個人的には、清少納言の言葉に、中宮は何の質問もせず、『さば、得てよ』と答えていることから、当時、『まくらにこそ、はべらめ』で十分理解できる何かがあったように思うのです。さて、それが何かが、「枕草子の魅力」の一つだと思っているのです。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« かけはし ・ 心の花園 ( 56 )  | トップ | 泊瀬に詣でて »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
現代人の知らない「さば、得てよ」の意味 (銀河 秋彩)
2015-10-16 04:30:54
答えは。簡単!
「まくらにこそは、はべらめ」
「さば、得てよ」の前の「枕(にこそ)」がその答え。
【枕、即ち、(皇統を)得てよ】。
これが理解出来ていないから、違うと言うのだ!
返信する

コメントを投稿

『枕草子』 清少納言さまからの贈り物」カテゴリの最新記事