雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

忖度(ソンタク) ・ 小さな小さな物語 ( 954 )

2017-04-22 08:55:18 | 小さな小さな物語 第十六部
「忖度(ソンタク)」という言葉が脚光を浴びています。
珍しい字ですがそれほど難しいというほどのことはないのですが、正しく書ける人は少数派ではないでしょうか。
例によって辞書の力を借りてみますと、「他人の心中をおしはかること。推察。」とあり、使用例として、「相手の気持ちを『忖度』する」とありました。
若い人の間ではあまり使われないようで、「死語」というわけではないとしても、かなり余命が少なくなってきている部類の言葉だったのではないでしょうか。

ところが、大阪の学校用地売買に関する事に始まった事件は、様々な話題と共に、「忖度」という何とも微妙な意味を持った古風な言葉を蘇らせてくれました。
忖度があったとかなかったとか、それがどうしたのだと言いたいような議論が、国権の最高機関とされる辺りで延々と繰り返されていて、何とも異様な気がしてしまいます。
その上、攻める方は「忖度がある」ことがまるで諸悪の根源であるかのような熱弁を払い、受ける首相は「忖度はなかった」と断言するのですから、ますますややこしくなっています。こういう議論を、平行線というのでしょうか、こんがらがっているというのでしょうか。
それに輪をかけるかのように、某知事からは、「忖度には、良い忖度と悪い忖度がある」などと発言されたものですから、今度は「忖度」そのものが色分けされそうな気がしてきて、「忖度」にとっては迷惑なことだと思うのです。

そもそも「忖度」とは、冒頭で調べましたように、「他人の心中をおしはかること」であって、「他人が誰かの心中をおしはかること」ではないのです。
従って、第三者が、忖度があったと大見得を切っているのもどうかと思いますし、忖度などなかった断言しているのも変なのです。双方とも、他人の心中が分かるとでも思っているのでしょうか。

私たちの日常生活において、「忖度」は溢れるほど存在しているものです。
商売の話となれば、さりげなく自分のバックにあるものを誇示し、相手の背景にあるものを忖度しながら会話しているものです。正式な紹介があったり、金銭や便宜が伴うような場合でなくとも、著名人や有力者や姻戚や親しい友人関係などとのつながりからも、何らかの影響は受けるものですし、それを期待している気持ちはほとんどの人が持っているものです。そうした微妙な心の動きこそが「忖度」であって、本来、我利我利としたものではなく、もっと奥ゆかしいものだと思うのです。
今回の国会における討議についても、「忖度があったとかなかったとか」といった、ある意味では無責任な推察ではなく、はっきりとした利益供与があったかどうかで議論すべきだと思うのです。
こんな事で、この奥ゆかしい「忖度」という言葉が、笑いものになりかけているのが実に残念です。

( 2017.03.29 )

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