雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

寄り道 ・ 小さな小さな物語 ( 603 )

2014-09-05 10:18:16 | 小さな小さな物語 第十一部
気が付くと、「寄り道していた」ということがありますか?
散歩だとか行楽の際の寄り道は、むしろ意識的なことが多く楽しみの一つですから、こういうものは別にして、ふと、どこかへ立ち寄るとか、何かをしているときに無意識のうちに他のことに興味が行ってしまっていて、自分は何をしているのだろうか、と考えてしまうほどの「寄り道」です。
以前は、ごくまれにはあったのですが、どうも最近は経験していないような気がするのです。

私は、何かの拍子に「寄り道」ということに考えがいった時、必ずと言っていいほど一つの話を思いだします。
もう、ずいぶん前にある人から聞いた話で、実は当ブログで既に紹介させていただいていますが、再度書かせていただきます。
「 その人が、まだ幼い頃の、そう、何十年も昔の思い出話です。
『 隣村の親せきの家まで用事に行かされた帰り道のこと、川の土手だと思うんだが、一面にきれいな花がいっぱいに咲いていた。
わたしは、用事の途中なのに、持っていた荷物を放り出して、お花畑の中を走り回り、手に持ちきれないほど摘んで長い時間遊んだのをよく覚えている。
あの道は、その後も何度か通ったはずだが、あの時以外一度もお花畑を見た記憶がないんだねぇ・・』
 そして、年取ったこの頃、あのお花畑のことをよく思い出す、と何度も何度も聞かされました」

考えてみると、最近は本当に寄り道をしていないような気がします。
「家を出て、予定の所に行って、予定の行動をして、まっすぐに家へ帰ってくる」という生活を繰り返しているわけではないので、家人などに言わせれば、しょっちゅう寄り道していると言うのでしょうが、自分としては、それは私が考えている寄り道とは違うと思うのです。
うまく説明できないのですが、無我夢中で、何もかも忘れて没頭してしまうような寄り道に、久しく出会っていない気がするのです。
それは、単に行動しているときの事ばかりでなく、何か考え事や調べ物をしているときでも同様なのです。例えば、当ブログの作品のために調べ物をしたりするとき、確かに全く関係ない事項に興味を覚えてそちらに没頭することもあるのですが、残念ながら、その関係ない事項も、自分の意識の中にある範疇にとどまってしまっているような気がするのです。

知識を習得したり、物事を経験したりするのに年齢は関係ないと思っていますし、事実そうだと思うのです。
加齢により、記憶力や反射神経は鈍っていきますが、積み重ねてきた経験は、一つの事柄を多層的にみることができるはずです。
しかし、「鉄は熱いうちに打て」という言葉もありますように、無我夢中で物事を習得する年齢というのは、どうも限られているようながします。
私の考えているような「寄り道」は、その限られた期間でなければ経験することができないのかもしれません。若いお方には、精一杯背伸びをして、あちらこちらと「寄り道」して、懐を広げていただきたいと願うばかりです。
それで、私ですか?
まあ、人生そのものが「寄り道」みたいなものですから、見たり聞いたり頂戴してきたものを、好き勝手に書き続けるとしますか。
それにしても、自分自身が唖然としてしまうような「寄り道」、経験したいですねぇ。

( 2014.03.06 )

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