『 桂川の橋を修復する ・ 今昔物語 ( 31 - 2 ) 』
今は昔、
鳥羽の村(京都市伏見区)に大きな橋があった。これは、昔から桂川に渡した橋である。
ところが、その橋が壊れて人が渡ることが出来なくなっていた。
[ 欠字。時代などが入るが不詳。]の頃、一人の聖人がいたが、この橋が壊れているため人々が河を歩いて渡るのを見て嘆いて、行き来する人を助けるために、広く諸々の人に喜捨を募って、その橋を修復した。
その後、喜捨の品が多く残ったので、聖人はそれを基に、また多くの人を集めて、その村の人の協力を頼んで、盛大に法会を儲けて、橋供養を行った。
その講師には、[ 欠字。講師名が入るが不詳。]という人を招いた。招請する僧には四色の法衣を調えて、百人の僧を招いた。大山寺(比叡山延暦寺のこと。)・三井寺の名高い名僧はすべて招いた。唐や高麗の舞人・楽人らには皆唐の装束を用いた。
京じゅうの上中下の人々は挙って喜捨をした。舞台・楽屋・僧席には幕を張り巡らし、立派に飾り立てた。
その当日になると、京じゅうの上中下の人は皆やって来て聴聞した。
( 以下 欠文 )
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* 欠文となった事情は不明です。
作者が「今昔物語」を三十巻で完了させると考えていて、ただ、捨て難い物語もあるため巻第三十一を加えたと仮定しますと、まだ完成していない物語を加えるのは不自然に思われます。
おそらく、完成していたものが何らかの事情で喪失したものと推定しますが、残念ながら、他の資料も見当たらないようです。
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