「好事魔多し」という言葉があります。
一見、難しそうな文字に見えますが、その意味は「良いことや、上手く行きそうなことには、とかく邪魔が入るものだ」といったような意味で、大人に教える格言というほどのものではなく、まだ成長過程の子供たちに教える言葉とばかり思っていました。
ところが、この度、私の認識の未熟さをつくづくと教えられました。
衆議院選挙は、一応、わが国の政権を委ねる人々を選出する重要な位置付けになっていることは、間違いないことだと思います。
その選挙の投開票は終ったとはいえ、それによって生ずる変化、特に今回の場合は激変と言っていいほどの選挙結果が出ており、その中でも、おそらくしばらくはキャスティングボートを握るであろう党の党首が、事もあろうか「不倫」が報じられたのには、驚きよりあきれかえってしまいました。
伝えられている報道がどういう内容で、どの程度の倫理的問題があるのか知りませんが、当事者本人の謝罪会見を見る限り、笑い飛ばすような問題ではなさそうです。
この種の問題を、わが国は大袈裟に取り扱いすぎるという意見もありますし、本来当事者の問題だと思うのですが、その口で天下国家を憂いているような発言をしても、何とも説得力がないような気がします。
「好事魔多し」という言葉は、中国の戯曲「琵琶記」から生れたようですが、古来、絶頂期にある人には、油断が生れたり、足を掬いに来る人が出てきたりするようですから、子供に限った教えではないようです。
「有頂天になるな」という言葉も、ほぼ同様の意味を持っていますが、こちらの「有頂天」となりますと、もともとは仏教の言葉ですから、奥はなかなか深くなります。
拙い知識で若干説明させていただきますと、仏教の教えでは、私たち衆生は、生まれ変わり生き変わり六道を輪廻転生するそうです。六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を指しますが、そのうちの天人が住むという天道(天上界)も、二十七段階に分かれていて、その最上位が「有頂天」だそうです。因みに、織田信長でお馴染みの「人間五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻の如くなり・・」の「下天」は天上界の最下位に位置するそうです。
仏教の教える世界はなかなか厳しくて、幸運にも天上界に生まれることが出来ても、そこは永住の世界ではなく、有頂天になっていると地獄の中でも最下位の「無間地獄」に堕ちることがあるそうです。
まあ、今私たちが生きている世界は「人間道」ですから、「天道」ほどのモラルは問われないでしょうから、よほど悪辣なことでもしない限り、いきなり「無間地獄」に堕ちるようなことはないのでしょうが、かの久米の仙人は、飛行出来る神通力を得るほどの修行を積んだ人ですが、若い女性の脹脛を見て墜落したと言いますから、何ら神通力を持っていない凡人は、せいぜい身を慎むことが大切で、有頂天になるなどは百年早いと肝に銘じておく必要がありそうですねぇ。
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