わが家の小さな庭も、一人前に冬枯れの様相を呈しています。
この冬は、足の指先のしもやけがひどくて、その原因を考えてみますと、どうやら庭作業のような気がしたのです。私は、長靴を履いて作業するのですが、あまり動かない作業の時には足の冷たさを感じていたので、控えるようにしたのです。
可哀そうに、それでなくても貧弱な庭は、最低限の水を与えられる程度でほったらかしにされ、拗ねたようにしぼんでいます。
それでも、久しぶりにじっくりと見て回りますと、主は怠けていても、自然の営みはひるんだりしていません。
菜園の小さなダイコンは、「大根は小さくとも小根とはいわぬ」の実例のように、それなりに頑張っています。カブは、小カブと中カブの間を頑強に維持していますし、昨秋遅くに植えたコマツナとホウレンソウは、大きくならない代わり枯れもしないで、霜や氷雨と戦っています。
年末近くに、枯れかけて半値で売られていた苗を買ってきたタマネギは、どうやら育たないみたいですが、大半がまだ生きているみたいです。
草花は、パンジーやビオラはまあまあ花をつけていますが、わが家の主役のゼラニウムはどれもすっかり赤茶けて元気をなくしています。
スイセンはどこにこれほど球根があったと思われるほどたくさんの葉を出していますが、葉の数に比べて花の数が少ないのは毎年のことです。
それでも、ユリの新芽があちこちに見えますし、チューリップで芽を出しているものもあり、ムスカリや何の新芽だか分からないものもちらほら見えています。
三年目の小さな梅も、精一杯の蕾が目立つようになっています。キンカンだけは、毎年たくさんの実をつけるのですが、餌が少ないらしく雀たちが朝早くから啄ばみに来てくれています。
今日二月九日は、七十二候でいえば、立春の次候にあたります。「黄鶯睍」という説明がつけられていますが、「こうおうけんかんす」と読み、「鶯の初音が聞こえてくる頃」にあたるそうです。
雪の多い地方は、今年は特に大変なようで、鶯云々など実感がないことでしょうが、季節は少しずつ動いています。そして、私たちの日々も、一瞬として止まることなく動いています。
寒さが最も厳しい折ではありますが、顔をあげて歩くことにしましょう。
( 2012.02.09 )
この冬は、足の指先のしもやけがひどくて、その原因を考えてみますと、どうやら庭作業のような気がしたのです。私は、長靴を履いて作業するのですが、あまり動かない作業の時には足の冷たさを感じていたので、控えるようにしたのです。
可哀そうに、それでなくても貧弱な庭は、最低限の水を与えられる程度でほったらかしにされ、拗ねたようにしぼんでいます。
それでも、久しぶりにじっくりと見て回りますと、主は怠けていても、自然の営みはひるんだりしていません。
菜園の小さなダイコンは、「大根は小さくとも小根とはいわぬ」の実例のように、それなりに頑張っています。カブは、小カブと中カブの間を頑強に維持していますし、昨秋遅くに植えたコマツナとホウレンソウは、大きくならない代わり枯れもしないで、霜や氷雨と戦っています。
年末近くに、枯れかけて半値で売られていた苗を買ってきたタマネギは、どうやら育たないみたいですが、大半がまだ生きているみたいです。
草花は、パンジーやビオラはまあまあ花をつけていますが、わが家の主役のゼラニウムはどれもすっかり赤茶けて元気をなくしています。
スイセンはどこにこれほど球根があったと思われるほどたくさんの葉を出していますが、葉の数に比べて花の数が少ないのは毎年のことです。
それでも、ユリの新芽があちこちに見えますし、チューリップで芽を出しているものもあり、ムスカリや何の新芽だか分からないものもちらほら見えています。
三年目の小さな梅も、精一杯の蕾が目立つようになっています。キンカンだけは、毎年たくさんの実をつけるのですが、餌が少ないらしく雀たちが朝早くから啄ばみに来てくれています。
今日二月九日は、七十二候でいえば、立春の次候にあたります。「黄鶯睍」という説明がつけられていますが、「こうおうけんかんす」と読み、「鶯の初音が聞こえてくる頃」にあたるそうです。
雪の多い地方は、今年は特に大変なようで、鶯云々など実感がないことでしょうが、季節は少しずつ動いています。そして、私たちの日々も、一瞬として止まることなく動いています。
寒さが最も厳しい折ではありますが、顔をあげて歩くことにしましょう。
( 2012.02.09 )