雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

釈迦 苦行に入る (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-5 )

2017-03-22 11:44:57 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦 苦行に入る (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-6 )

      ( (1)より続く )

太子は、迦蘭山の苦行の地に行かれた。憍陳如(キョウヂンニョ)等の五人の住処である。
そこより尼連禅河のほとりに行って、座禅修習して苦行をされた。或る日は一粒の麻の実を食し、或る日は一粒の米を食し、或いは一日ないし七日に一度麻・米の粥を食した。
憍陳尼等もまた苦行を修習し、太子の御世話をしてその側を離れなかった。

太子はお考えになった。「私は苦行を修習してすでに六年が経った。未だ悟りの道を得ることが出来ない。もし、この苦行に身体が衰弱して命を落として悟りの道を得ることが出来なければ、諸々の外道(ゲドウ・異教徒)たちは、私は飢えて死んだのだと言うだろう。そうだとすれば、すぐに食事を頂いて悟りの道を得るべきだ」と。
そこで、座禅を解いて立ち上がり、尼蓮禅河に行かれた。そして、水に入って、洗浴なされた。洗浴が終わると、痩せて衰弱した身体は、陸に上がることも出来なかった。すると、天神が来て、樹の枝にお乗せして陸に上がらせ奉った。

その河には大きな樹(ウエキ)があり、頞離那(アリナ・常緑の高木)という。その樹に神がいて、柯倶婆(カクバ)と名付けられていた。その神は、美しい装身具を付けた腕で太子を引き上げお迎えした。太子は樹神の手を取って河からお出になった。
太子は、献上された麻と米の粥を食べ終わられると、金(コガネ)の鉢を河の中に投げ入れて、菩提樹に向かわれた。

その林の中に、一人の牛飼の女がいた。名前を難陀波羅(ナンダハラ)という。
浄居天がやって来て、女に勧めた。「太子がこの林の中においでになる。そなたはお世話申し上げなさい」と。女をこれを聞いて、大変感激した。
その時に、地の神は、地中より千葉(センヨウ)の蓮花を生じさせた。その上に、乳粥が乗っていた。女はこれを見て、不思議なことだと思いながら、その乳粥を取って、太子の所に参り、礼拝してその乳粥を差し上げた。
太子は女の布施を受けられると、その身体のつやは輝き、気力は充実された。
五人の比丘は、これを見て驚き不思議に思い、「私たちはこの布施を受けては、苦行の効が後退してしまう」と言って、それぞれ本の所に返って行った。

太子一人は、そこより畢波羅樹(ヒッパラジュ・菩提樹)の下に赴かれた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 文中の「地中より千葉の蓮花を生じさせた」としている部分ですが、原文は、「池の中に自然ら千葉の蓮花生たり」となっています。「池」を「地」に変えて紹介させていただいていますが、他の文献などから、蓮花を生じさせたのは地の神のようなので、「地」の方が自然に思われます。「池」となっているのは、今昔物語の作者が「蓮花=池」と考えたからのようです。

     ☆   ☆   ☆
 
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釈迦と天魔 ・ 今昔物語 ( 巻1-6 )

2017-03-22 11:44:07 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦と天魔 ・ 今昔物語巻 ( 1-6 )

今は昔、
釈迦(まだ悟りを開かれる前なので、菩薩と記されている)は、菩提樹の下で思考された。
「過去の諸仏は、何を以って座具として無上道(ムジョウドウ・最高の悟り)を成就されたのであろうか」と思考され、「草を以って座具とするべきだ」と思い至られた。するとその時、帝釈天が人の姿に成って、清くて柔らかな草を取ってきた。
釈迦は尋ねられた。「お前は何という者なのか」と。「私は吉祥(キチジョウ・めでたいきざし、といった意味)という名前です」と答えた。

釈迦は喜んで、「私は不吉なものを打ち砕いて、吉祥と成すことが出来た。また、お前が手に持っている草は、頂けることが出来るのかどうか」と申された。すると吉祥は、釈迦にその草を差し上げ、願いがあることを申し上げた。「菩薩(釈迦のこと)、あなたが悟りを開かれた時には、まず私をお導きください」と。
釈迦はその草を受け取り座具として、その上に結跏趺坐(ケッカフザ・座法の一つ)された姿は、過去の諸仏のようであった。そして、釈迦は自ら誓われた。「私は、正覚(ショウガク・正しく完全な悟り)を成さなければ、永久にこの座を立たない」と。

この時、天竜八部(テンリュウハチブ・仏法守護の八部衆)は皆こぞって歓喜し、天空の諸々の神や天人は褒め称えること限りなかった。
同じくこの時、天魔(テンマ・人物名。欲界の第六天の王)の宮殿は、自然に揺れ動いた。天魔は、「沙門(シャモン・仏法を修業する者)瞿曇(クドン・釈迦の姓)は、菩提樹の下にて、五欲を捨て、端坐思惟(タンザシユイ・決められた通り正座して瞑想すること)して正覚を成就した。もしその道を成就して広く一切の衆生を導けば、我が境界を越えて勢力を増すであろう。我、彼が未だその道を成す前に行って、破り乱してしまおう」と思った。

天魔には子がいた。その名を薩陀(サツタ)という。父がこの事で嘆き憂えるの様子を見て父に言った。「何ゆえに嘆き憂えられるのですか」と。
天魔は、「沙門瞿曇、今、菩提樹の下に坐して、道を成就して、我を越えて力を増そうとしている。我は彼を打ち破ろうと思う」と答えた。
天魔の子は、父を責めとがめて、「菩薩(釈迦)は清浄にして並ぶ者がいない。天竜八部のことごとくが守護している。神通知恵(不可思議の力)は及ばないものがない。妨げようと思われても出来ることではありません。どうして悪を作り罪を招こうとされるのですか」と言った。

また、天魔には三人の娘がいた。見目麗しく天女の中でも優れていた。一人目を染欲(ゼンヨク)といい、二人目を能悦人(ノウエツニン)といい、三人目を可愛楽(カアイラク)という。
三人の娘は、共に菩薩(釈迦)のもとに行き、「あなたは人格に勝れ、人界においても天界においても大変敬われています。私たちは、年頃であり、見目麗しいこと並ぶ者がいません。父の天魔は、私たちを奉ってあなたのお世話をさせようとしています。朝暮れにお仕え致しましょう」と言う。
これに釈迦が答えて言った。「お前たちは、過去の世において少しばかり善根を積んだ報いで天人の身を受けたのです。姿形が美しいといっても、心は無常を悟っていない。死ねば、必ず三悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道)の中に堕ちるだろう。私は決してお前たちを受け入れない」と。

するとその時、この三人の天女は、たちまち老いさらばえた姿に変じた。頭は白く、顔はしわばみ、歯は落ちて涎を垂らす。腰は曲がり、腹は膨れ上がり鼓のようになった。杖に寄りかかり疲れて歩くことも出来ない。
天魔は娘たちの様子を見て、優し気な言葉で釈迦を言いくるめるように、「もしお前が、人間の楽しみを喜ばないのであれば、我らを天界の宮殿に登らせよ。我は第六天の王位と五欲の対象である財宝を捨ててお前に与えよう」と言った。釈迦はこれに答えて、「お前は過去の世で少しばかり善根を積んだので、今第六天の王となることが出来ている。しかし、その安楽な地位にも限りがあって、やがて三途(サンズ・三悪道と同じ)に沈むことになろう。魔王となることは罪を受けるもととなる。申し出を私は受けない」と言った。

天魔は、「我が果報(カホウ・過去の行為を因として受ける報い)をお前は知っている。お前の果報は誰が知っているのか」と言った。釈迦は、「私の果報は、天地が知っている」と言われた。
釈迦がこのように説いた時、大地が激しく振動し、地神(ジジン・堅牢地神。もと古代インドの大地の女神)が七宝の瓶を持ち、その中に蓮華を満たして、地中より姿を現し、天魔に言った。「菩薩(釈迦)は、その昔、頭目(ヅモク)・髄脳(ズイノウ・脳みそ)・国城・妻子等を捨てて、無上菩提(ムジョウボダイ・最高の悟り)を求められた。それ故にお前は、菩薩を悩まし邪魔だてしてはならぬ」と。天魔はこれを聞き、心に怖れをなし、身の毛がよだった。
地神は、また、釈迦の足をいただき、七宝の瓶に満たした蓮華を手向けて、姿を消した。

天魔は、「今、我はあの瞿曇(釈迦)の心を悩乱させることは出来ない。何かうまい手立てを考えよう。多くの軍勢を集めて、力で以って攻め討ち果たそう」と思った。たちまちのうちに、多くの軍勢が天空に満ちた。その武装した姿は様々で、ある者は矛を取り剣をもって、頭には大樹を戴いている。手には金剛杵(コンゴウショ・頑丈なキネ。古代の武器の一種)を取り、ある者は猪の頭、ある者は竜の頭など、このような怖ろしい姿をした者ども大勢であった。
また、天魔には姉妹がいた。一人は弥伽(ミカ)といい、もう一人は迦利(カリ)という。それぞれ手には臅膢の器(ヒトガシラのウツワ・人間の頭蓋骨を加工した器。どくろの杯)を持ち、釈迦の御前に来て、奇怪なしぐさをして釈迦の心を乱そうとした。諸々の魔物は、醜悪な姿などで現れ、釈迦を怖がらせようとした。しかし、釈迦は一毛たりとも動かすことがなかった。そのため、天魔たちが悔しがることこの上なかった。

空中に員多(インタ・負多が正しいらしい。天界の魔神の一つ)がいた。身を隠していて、「我、今、牟尼尊(ムニソン・釈迦牟尼尊のことで、釈迦に対する敬称)を見奉るに、心は平静にして敵意の心を抱いていない。集まっている多くの魔神たちよ、悪意を起こして、いわれもない怨恨の心で敵対することなかれ」と言った。
魔神たちは、空からの員多の声を聞いて、自分たちの行動を悔い恥じて、驕慢・嫉妬の心を永久に納めて、もとの天宮に還って行った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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釈迦悟りを開く ・ 今昔物語 ( 巻1-7 )

2017-03-22 11:42:21 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦悟りを開く ・ 今昔物語 ( 巻1-7 )

今は昔、
天魔が様々な手段を講じて、釈迦の成道(ジョウドウ・完全な悟りを得て仏と成ること)を妨げようとしたが、釈迦は芥子粒ほども惑わされることがなかった。慈悲の力を持って、見目麗しい天女の正体を見破り、魔神どもの武力による脅迫にも屈せず、二月七日の夜を以ってこのような天魔たちを法の力で降伏させて、大きな光明を放って定に入り、真諦(シンタイ・究極の真理)を思惟(シユイ・思索)された。
また、中夜(チュウヤ・夜半。夜中)に至り、天眼(テンゲン・肉眼で見ることが出来ない対象を見抜く超能力)を得られた。また、第三夜(後夜と同意。夜半過ぎから夜明けまでの時間帯)に至り、無明(ムミョウ・事物の真相に無知なことで、煩悩の根源となる)を破り、知恵の光を得られ、永久に煩悩を断ち切り、一切種智(イッサイシュチ・菩薩の知恵に対して、仏だけに備わる最高の知恵)を完成された。
この時より、釈迦仏と称し奉る。

釈迦牟尼如来(シャカムニニョライ・釈迦仏の尊称。この夜の悟りで菩薩から如来(仏)になられた)は、黙然と座っておられた。
その時、大梵天王(ダイボンテンオウ・梵天に同じ。帝釈天と共に天界の長の地位にある。仏法の守護神となる)が来て、「一切衆生の為に法を説き給え」と申された。
仏眼(ブツゲン・この世の一切の真実の姿を見通す仏の目)を以って諸々の衆生を上中下根(根は、仏道修行の能力といった意味か?)、及び菩薩の下中上根を観じ(観察)なさいますのに、二七日(フタナヌカ)が経った。世尊(セソン・釈迦仏に対する尊称)は又思われた。「私は甘露(カンロ・仏の教えを甘美な物と例えた)の法門を開き、あの阿羅邏仙(アララセン・第五話に登場している)を悟りの道に導こう」と。すると、空から声があり、「阿羅邏仙は昨日の夜に命が終わった」と言う。
釈迦仏は、「私は、『かの仙人、昨日の夜の命が終わった』ことを知った」と仰せられた。そして、また思考され、「迦蘭仙(カランセン・第五話に登場)は仏道修業する様子が明白である。まず、彼を導くべきである」と考えられた。すると、また空から声があり、「迦蘭仙、昨日の夜に命が終わった」と言う。
釈迦仏は、「迦蘭仙、昨日の夜に命が終わってしまった」と仰せられた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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釈迦と五人の比丘 ・ 今昔物語 ( 巻1-8 )

2017-03-22 11:40:55 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦と五人の比丘 ・ 今昔物語 ( 巻1-8 )

今は昔、
釈迦如来は波羅奈国(ハラナコク・ガンジス川中流域にあった古代インドの一つの民族国家)に行かれて、憍陳如(キョウジンニョ・釈迦が出家した時、父王が随従させた五人の従者の筆頭。釈迦の最初の仏弟子)等の五人の比丘(ビク・出家僧)が住んでいる所に着かれた。
その五人は、遠くに釈迦が来る姿を見て、互いに話し合って、「沙門瞿曇(シャモンクドン・瞿曇は釈迦の姓)、苦行を放棄して、飲食を得るために此処にやって来たようだ。我らは、心苦しく思わさないように、立ち上がって彼をお迎えしよう」と決めていた。

釈迦が到着すると、五人はそれぞれ座より立ち上がって、礼拝してお迎えした。
その時、釈迦は五人に、「お前たち、少しばかりの智をもって、我が仏道の成就・不成就を軽々しく思い巡らしてはならない。何ゆえかといえば、苦行を修業すれば心は悩み乱れ、楽しみを受ければ心に居着いてしまう。それ故に、我は苦・楽の二道を離れて、どちらにも片寄らない中道の行によって、今、菩提(悟り)を成就することが出来た」と説かれて、さらに五人のために、苦・集(ジュ)・滅・道の四諦(シタイ・四つの真理)を説かれた。
五人はこれを聞いて、遠塵離苦(オンジンリク・この世の煩悩から遠ざかり、苦しみから抜け出すこと)して、法眼浄(ホウゲンジョウ・真理を明らかに洞察する能力。最高の悟りに至る最初の段階とされる)を得たのである。

五人というのは、一人目は憍陳如、二人目は摩訶迦葉(マカカショウ)、三人目は頞鞞(アヘイ)、四人目は跋提(バダイ)、五人目は摩男拘利(マナンクリ)という。
「何ゆえにこの五人なのか」と尋ねると、「昔、迦葉仏の世に同学(師を同じくして学ぶ仲間)の人が九人いた。四人は利根(リコン・優れた能力)にして先に悟りを得たが、五人は鈍根にして、今はじめて悟りを開いたのである。『釈迦如来がこの世に出現して菩提を得られた時に会おう』と願っていたからである」
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 釈迦が五人の比丘と出会う部分は、本話では比丘たちが好意的に出迎えたとなっているが、もとの出典では、「五人は、座を立つな、礼拝もするな」などと冷たいものであったらしい。
本話には誤訳があったらしく、出会った部分と、その次の釈迦の言葉が不自然なつながりになっている。

     ☆   ☆   ☆
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舎利弗尊者 ・ 今昔物語 ( 巻1-9 )

2017-03-22 11:40:04 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          舎利弗尊者 ・ 今昔物語 ( 巻1-9 )

今は昔、
釈迦如来の御弟子舎利弗(シャリホツ)尊者は、もとは外道(ゲドウ・仏教徒以外の異教徒を指す)の子である。
その母が舎利弗を身籠った時、すでに腹の中で知恵があり、その知恵が母の腹を破って出てこようとした。このため母は、鉄(クロガネ)で以って帯にしたという。
生まれて、舎利弗という。長爪梵志(チョウソウボンジ・人名。母の弟)について外道の経典を習った。
そして、その頃、釈迦仏の御弟子馬勝(メショウ・前話の頞鞞と同一人物)比丘が四諦の法(シタイのホウ・悟りに至る修業方法)を説くのを聞いて、初めて外道の信仰集団をそむいて、釈迦仏の御弟子となり初果(ショカ・原始仏教における最初の修業成果)を修得した。その後、釈迦仏のもとに参り、七日にして阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位)を修得した。

すると、大智外道・神通外道・韋随外道を首領格とした大勢の外道(異教徒)たちが、一体となって舎利弗を憎むこと限りなかった。舎利弗に会って、互いの秘術を比べあおうと謀った。勝手に日時を定めて、勝負することを決定してしまった。
この事は、十六の大国(古代インドでは十六の大国が勢力を振るっていた)すべてに知れ渡った。見物人が市を成すように集まってきた。上中下のすべての階層の人が集まり、残っている者がいないほどである。
将軍王と申す大王の前で、秘術比べが行われた。舎利弗はただ一人で、外道たちはその数は数えられないほどである。左右に相対して座って、術を現じた。

先ず外道の方は、舎利弗の頭の上に大きな樹木を現じて、その頭を打ち砕こうとした。舎利弗の方からは、毘嵐(ビラン・毘嵐婆海という海で吹き荒れる風で、全ての物を飛散破壊するという暴風)という風を吹き出して、樹木を遥か遠くに吹き飛ばした。
次に、外道の方からは、洪水を現じた。舎利弗の方からは、大きな象が現れて、たちまちのうちに吸い取り干し上がらせた。
次に、外道の方からは、大山を現じた。舎利弗の方からは、金剛力士(仁王。金剛杵でもって仏敵を打ち砕く護法神)が現れて、拳でもって打ち砕いた。
次に、外道の方からは、青龍を現じた。舎利弗の方からは、金翅鳥(コンジチョウ・古代インドの伝説上の巨鳥。胴体は人間で、火炎状の巨大な黄金の翼を持ち、竜類を常食とする。のちに護法神となる)が現れて、遥か遠くに追い払った。
次に、外道の方からは、巨大な牛を現じた。舎利弗の方からは、獅子が現れ、舎利弗に近付けようとさせなかった。
次に、外道の方からは、大夜叉(ダイヤシャ・大悪鬼)を現じた。舎利弗の方からは、毘沙門天がお出ましになり、悪鬼を降伏させた。

このようにして、ついに外道は負け、舎利弗がお勝ちになり、釈迦如来の面目・法力の尊くかつ勇猛であることが、これよりインド中にいよいよ広まっていった。
その後、多くの外道(異教徒)たちが舎利弗尊者に随って、永久に仏道を尊ぶようになった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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地獄に堕ちる ・ 今昔物語 ( 巻1-10 )

2017-03-22 11:39:07 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          地獄に堕ちる ・ 今昔物語 ( 巻1-10 )

今は昔、
提婆達多(ダイバダッタ)という人がいた。
この人は、釈迦仏の御父方の従父(イトコ・従弟)である。釈迦仏は浄飯王(ジョウボンオウ)の御子であり、提婆達多は浄飯王の弟の黒飯王(コクボンオウ)の子である。
さて、提婆達多が太子であった時、雁を矢で射たことがあるが、その雁は矢が刺さったまま飛んで、悉駄太子(シツダタイシ・釈迦の出家前の名前。悉達とも。この時十二歳とか)の園に落ちた。太子はその雁を見られて、慈悲の心が深いのでその雁を哀れみ、抱き上げて矢を抜き介抱されたが、提婆達多が太子の所に来て雁の引き渡しを求めたが、太子がお渡ししなかったので、大いに怒り、これを切っ掛けとして、悉駄太子と提婆達多の仲が悪くなった。
悉駄太子が悟りを開かれ仏と成られた後は、提婆達多は外道(仏教からみての異教徒)の経典を習って、いよいよ釈迦を妬み奉って、自分が身に付けた教えを尊いものと思って、釈迦と争うこと限りがなかった。

やがて、釈迦が霊鷲山(リョウジュセン・釈迦が説教をよく行った)において法をお説きになった時に、提婆達多は釈迦のもとに来て言った。「釈迦仏にはたくさんの御弟子がいる。我に、少しばかり分け与えられよ」と。釈迦は承知されなかった。
すると提婆達多は、新学(シンガク・新たに仏門に入信した修業者)の五百人の御弟子らを、言葉巧みに仲間に引き入れて、ひそかに提婆達多が住んでいる象頭山(ゾウズセン)に移し住まわせた。この時に破僧の罪(教団を分裂破壊させる罪)を犯したのであり、釈迦の教えが止められ天上天下が嘆き悲しんだ。
その後、提婆達多は象頭山において五法・八支正道の法を説いた。舎利弗(シャリホツ・前話に登場)は、奪われた五百の新学の比丘を取り返さんと窺っていたが、提婆達多がぐっすりと眠り込んでいる時に近寄って襲いかかった。目連(モクレン・舎利弗と同じ異教徒出身の釈迦の高弟)は、五百人の比丘を袋に包み鉢に入れて、釈迦のもとに飛び帰った。
その時、提婆達多の弟子の倶迦利(クカリ)は腹を立てて履をもって師の顔を打ったので、初めて驚いて目覚め、五百の新学の比丘を取り返されてしまったと気付き、怒ること限りなし。

また提婆達多は、釈迦のもとに行き、三十肘の石(サンジュウチュウのイワ・肘は長さの単位で、一肘は二尺とも一尺五寸とも)を投げつけて釈迦を打ち潰そうとしたが、山の神が石を防いで外に落とした。その石は破れ散って釈迦の足に当たり、母指(親指)より血が流れた。これは第二の逆罪である。
この時提婆達多は、自分の手の指の端に毒を塗って、釈迦の御足を礼拝し奉るかのようにして毒を付けようとしたが、毒はたちまち薬に変わり、指の傷は癒えてしまったのである。

また阿闍世王(アジャセオウ・マガダ国王。はじめ提婆達多に師事したが、後に仏門に帰依した)は提婆達多の教唆によって、大象に酒を飲ませて酩酊状態にし、酔っぱらった象を放って釈迦を害しようと謀った。酔象を見て五百(五百人という意味であるが、大勢のという意味合いに使われる)の羅漢たちは恐れをなして大空に昇って逃げた。すると、釈迦は御手の指それぞれから五つの獅子の頭を現出させられると、酔象はこれを見て逃げ去った。
釈迦は阿闍世王の宮殿に入り、仏法を説いて教化(仏道に導くこと)なさって、食事などの接待を受けられた。すると、提婆達多はますます釈迦を憎んで阿闍世王の宮殿を去った。

また、提婆達多は蓮華比丘尼(逸話の多い人物で美人だったらしい)という羅漢(阿羅漢果を修得した者)の比丘尼の頭を殴りつけた。これは第三の逆罪である。羅漢の比丘尼は打ち殺されてしまったのである。
提婆達多は、大地が破裂して地獄に堕ちていった。その堕ちた穴は今もなお有る、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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供養の果報 ・ 今昔物語 ( 巻1-11 )

2017-03-22 11:16:07 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          供養の果報 ・ 今昔物語 ( 巻1-11 )

今は昔、
釈迦は婆羅門城(バラモン教徒が大勢住んでいる町)に入って乞食(コツジキ・修業の一つで、托鉢のようなもの)をされようとした。
すると、その町の外道(異教徒。ここではバラモン教徒)たちが皆心を一つにして、「近頃、瞿曇比丘(クドンビク・釈迦のこと)という者が、家ごとを訪ねて物乞いをしており、とても気に入らない。というのは、彼は本来高貴な身分の者なのである。『浄飯王の御子であり、王位を継ぐべきであるのに、何ということなく気がふれて、山に入って仏になったのだ』ということである。人の心を欺くので、ここでも謀られた者が大勢いる。そういう者に決して物を施してはならない」と、言い廻らして、「もし、この誓約を破って供養する者があれば、国外に追放する」と告げて廻ってからは、釈迦がやって来ても、ある家では門を閉ざして入れさせず、ある家では返事もしないで、釈迦を門前に長く立たせていた。またある家では、居留守を使って追い返した。

このような状態なので、陽が高くなるまで乞食をされても供養を受けることが出来ない。空の鉢を胸に当てて、疲れ切ったご様子で帰ろうとされた。(古代インドでは、僧の食事は正午までとされていて、その戒律が守られていた。)
すると、ある家より女が、米のとぎ汁の何日も経過して腐った物を棄てようとして外に出てきて、釈迦が何の供養も受けられず帰ろうとされる姿を見かけて、お気の毒に思い、何か供養させていただきたいと思ったが、身貧しくして、供養させていただく物とてない。どうすれば良いかと思い、涙を浮かべて立っている姿を釈迦はご覧になって、「あなたは、何を悲しんでいるのか」と尋ねられた。
女は、「お坊さまが、陽が高くなるまで何の供養も受けておられないご様子を見て、私が供養させていただこうと思うのですが、家貧しくして、供養すべき物が露ほどもございません。そのため悲しく思っているのです」と答えて、涙を落とした。

その姿を見て釈迦は仰せられた。「あなたが持っているその桶には、何が入っているのか」と。女は、「これは米のとぎ汁の腐った物を棄てに行くところです」と答えた。釈迦は、「それならば、それを供養してください。米の名残りを残した物ですから良い物です」と仰せられた。女は、「これは、とても供養できるような物ではありませんが、仰せに従います」と言って、腐ったとぎ汁を御鉢に入れた。
釈迦はこれをお受けして、鉢を捧げ呪文を唱えてから仰せになった。「あなたは、この功徳によって、天上に生まれ変われば、忉利天(トウリテン・仏教における天上世界の一つ)の王となり、人間界に生まれ変われば、国王となるでしょう。あなたの行為はこの上ない功徳です」と。

この頃、外道たちは高楼に登って見ていたが、釈迦が家々を追われて、陽が高くなっても供養を受けることが出来ず、疲れ果てて帰ろうとしているところで、女が棄てようとしていた腐り水を受け取って呪文を唱えるの見て、出てきて釈迦に言った。「お前は、どうして虚言をもって人を欺くのだ。良い物などであるものか、腐った物の汁を棄てに行こうとしている女からそんな物を貰い受けて、『天界に生まれ変わるとか、国王となるとか』などというのは、とんでもない虚言だ」と嘲り笑った。
釈迦は、「お前は、高堅樹(コウケンジュ・高さ2~30mにもなる常緑の高木らしい)の実を見たことがあるか」と聞いた。外道は、「見たことがある」と答えた。釈迦は、「どれほどの大きさがあったか」と聞いた。外道は、「芥子の実よりもなお小さかった」と答えた。釈迦は、「高堅樹の木はどれほどの大きさか」と聞いた。外道は、「枝の下に五百の車を隠しても、なお木陰にゆとりがある」と答えた。釈迦は、「お前は、この例えで以って知るべきである。芥子よりも小さな種より生じた木が、五百の車を隠してもなお日蔭が残るのである。仏に少しでも供養することから受ける功徳は、限りなく大きい。高堅樹の例にみるように、この世のことでもこれほどであり、いわんや未来世においてのことは、推して知るべきである」と仰せられた。

外道はこれを聞いて、「貴い教えだ」と深く思い、釈迦に礼拝し奉ると、外道の頭から髪が落ちて、羅漢(ラカン・阿羅漢。原始仏教における最高の修業階位を得た者)と成った。女も、未来世における果報の予言を聞いて、釈迦に礼拝して去っていった、
となむ語り伝へたるとや。

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毒を薬に変える ・ 今昔物語 ( 巻1-12 )

2017-03-22 11:15:01 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          毒を薬に変える ・ 今昔物語 ( 巻1-12 )

今は昔、
天竺(テンジク・インドの古称。範囲については諸説あり)に外道(仏教徒からみた異教徒)がいた。名を勝蜜(ショウミツ)という。
彼は、釈迦を何とかして殺害せんと思い策を練ったが、思いついたことは、釈迦を招こうということであった。「その招きに、釈迦が簡単に応じて来れば、並の人であると知ることが出来る。もし来なければ、本当に賢い人だと知ることが出来る」と仲間と話し合って、使いを立てて招いたところ、即座に招きを受諾した。
勝蜜外道をはじめとして、「うまく行ったぞ」などと手を振り廻しなどして喜び騒ぎながら、謀(ハカリゴト)を練り、門の内側に広くて大きな穴を掘り、そこに火をたくさん置き、剣などを隙なく立てた。その上に薄い板を敷いて、さらにその上に砂を置いた。このようにして、釈迦の来訪を待ち受けた。

外道の子供たちの中に一人の子がいた。その子が父に、「父上のなさることとはいえこの謀は、あまりにもあさはかです。釈迦仏はこのような謀に計られたりは致しません。下っ端の御弟子でもこんな謀に乗せられたりはしません。まして釈迦仏の知恵は計り知れないほど大きいのです。このような馬鹿らしいことをなさることは、速やかにお止めください」と言った。
その子の父は、「釈迦が賢いのであれば、このような謀など見抜いて来ないはずなのに、たやすく招きに応じるのは、謀(タバカ)られて当然なのだ。だから、無駄な口出しはするな。じっと見ておれ」と手厳しく言うと、子はそれ以上口出しできなかった。

さて、釈迦のもてなしの準備を整える。必ず殺すべきと謀を固めて待っていると、釈迦は光を放って、特に気配りする様子もなく歩いてきた。多くの御弟子が釈迦の後ろに従っていた。
釈迦は、門の前に立って申された。「お前たちは、決して私の前や左右に立ってはならない。ひたすら私の後ろについて入るように。また、物を食べる時にも、私が食べた後で食べるように。私が食べない前に、決して箸を取ってはならない」と、厳しく仰せになって門に入られた。
外道たちや家の者たちは、皆が連れ立って門の近くに居並んでいて、釈迦が門を入られると、「今にも穴に落ち入って、火に焼け剣に貫かれる」とわくわくしながら見守っていると、穴の中より大きな蓮華などが一面に咲きそろい、その上をなめらかに歩いて行かれた。御弟子たちも皆、釈迦の後ろに従って入った。

外道たちは、何と不思議なことだと思った。思い通りでないことこの上なかった。
釈迦が用意されている御座所に端座されると、飲食物が提供された。
「いくらなんでも、毒を食べれば生きてなどおられまい」と思って、外道たちは様々な毒を食べ物に入れて提供した。そうしたご馳走を差し上げたが、紛れ込ませていた毒は、変じて甘露なる妙薬と成って、全部召し上がられた。御弟子たちも食べたが、全く毒にはならなかった。

そこで、外道たちはこの様子を見て、罪深い行いを悔いて、愚かにも謀を計画していたことを、一つ残さず釈迦に申し上げた。
その時釈迦は、慈悲を垂れて、彼らの為に法を説き教化(キョウカ・仏道に導くこと)なさったので、彼らは法を聞いて阿羅漢になったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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釈迦の出座 ・ 今昔物語 ( 巻1-13 )

2017-03-22 11:14:14 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦の出座 ・ 今昔物語 ( 巻1-13 )

今は昔、
天竺に満財長者(マンザイチョウジャ)という人がいた。一人の男の子がいた。
須達長者(シュダツチョウジャ)という人がいた。一人の女の子がいた。

満財が須達の家に行ってみると、一人の女の子がいた。容姿端麗にして光を放っているようであった。
満財は須達に、「私に、たった一人の男の子がいる。あなたの娘さんと結婚させたい」と言った。須達は、「絶対結婚させるわけにはいかない」と答えた。満財は、「どういうわけで結婚させないというのか」と尋ねた。須達が答えた。「私の娘は、仏に奉ってしまった。もう私の一存ではどうにもならない。それに、あなたの子はすでに外道(仏教からみた異教)に入信している。されば、妻は夫の言うことに従わなければならないから、娘も外道に入信しなくてはなるまい。それゆえに結婚させることが出来ないのだ」と。

満財は、それでも、「ぜひ結婚させよ」と責めたてるので、須達は、「それでは、仏に申し上げてみよう」と答えて、須達は釈迦のもとに参って、この事を申し上げると、釈迦は、「めでたいことである。速やかに結婚させるべきです。私も満財の家に行って、彼を教化しよう」と仰せられた。
また満財は、「須達殿よ、もしあなたの娘を私の子と結婚させるなら、十六里(諸説あるが、当時の一里は六百㍍余りか? この距離は両家間の距離)の間の道に金(コガネ)を敷き、七宝(七種の貴金属や宝石)で以って道を飾ってお迎えしょう」と言った。
須達はついに娘を満財の子と結婚させた。満財は言葉通り、道を飾り金を敷きつめた。いわんや、その他の諸々の準備は豪勢なものであった。
このようにして、須達の娘を満財の家に迎え入れたのである。

その時に釈迦は、阿難(アナン・阿難陀の略。釈迦の従弟で十大弟子の一人)に、「阿難よ、満財の家に行き、その様子を見て善道(悪道に対する善道で、すなわち仏道を指すか?)に導くべし。応ずる気がないのであれば、お前を追い払おうとするだろう。その時には、神通力で虚空を飛んで帰ってこい」と仰せられた。
阿難は釈迦の命令を受けて、満財の家へ行った。
すると、家の人たちは驚いて騒ぎ、「ここに、昔も今も見たことのない悪人がやって来た。もしかすると、これは狗曇沙門(クドンシャモン・釈迦を指す)か」と言って、追い払おうとした。満財の子の妻は、言葉を尽くしてこれを制した。

満財の子は妻に、「これは、お前の師か」と尋ねた。妻は、「そうではありません。私の師の御弟子である阿難でございます」と答えた。
夫は、「この僧は、きっとお前に思いを寄せてきたのだろう。さっさと追い払え」と言った。妻は、「そうではありません。あなたは、とても愚かなことを申されます。この人は、この世のあらゆる煩悩を断ち切って、永遠に愛欲の心から離れた人なのです。追い返すのをしばしお待ちなさい」と言ったが、その時、阿難は空中に飛び上り、光を放ち、神通力を現じて去っていった。満財の子はこれを見て、心底から不思議なことだと思った。

釈迦は数日後、舎利弗(シャリホツ・十大弟子の中の長老格。知恵第一と称された)を満財の家に遣わした。
舎利弗がやって来たのを見て、満財の子は妻に尋ねた。「お前の師というのはこれか」と。妻は、「そうではありません。この人も御弟子である舎利弗と申される人がおいでになったのです」と答えた。
舎利弗もまた、前と同じように、光を放ち、神通力を現じて去っていった。この後も釈迦は、富楼那(フルナ)・須菩提(シュボダイ)・迦葉(カショウ)等の御弟子を満財の家に行かせたが、皆同じように追い払われて、光を放ち神通力を現じて去っていった。

そこで、満財とその子は思った。「釈迦の弟子は世にも稀な神通力の持ち主ばかりだ。我が外道の術を遥かに勝っている。まして師である釈迦の神通力とはどのようなものか、見てみたいものだ」と。
するとその時、釈迦は、眉間の白毫相(ビャクゴウソウ・仏に備わる三十二相の一つ)の光を放って、満財の家を照らされた。東西南北・四維(シユイ・西北、西南、東南、東北)・上下、六種に振動した(六種振動とされるもので、大地が感応して種々に揺れ動くこと)。天からは、曼荼羅花・摩訶曼荼羅花等の四種の花が降り(この二種に、曼珠沙華・摩訶曼珠沙華を加えて、天上の四華という)、栴檀(センダン)・沈水(ジンスイ・沈香とも)の香りが法界(ホウカイ・この世のすべて)に充満し、不思議な瑞相(ズイソウ・吉兆)を出現させた。

その時、三麻耶外道がやって来て満財に言った。「お前の家に今悪人が来ている。お前と家族たち一千万人を殺そうとしている。まだ知らないのか」と。満財は、「まだ知りません」と答えた。
外道は、「大地が震動して、東西南北すべてが平穏でない。天からは悪事の物(天上の四華の散華を指す)が降り、様々な悪相が現れている。今まで気づかないとは不思議なことだ」と言った。満財は、「どういうわけがあって、狗曇沙門が私を殺害しようとするのですか」と言った。外道は、「お前の子の妻は、すでに狗曇沙門の妻になっている。妻を取られて、それでも良いという者があろうか」と言った。満財は、「それでは、どうすべきでしょうか」と尋ねた。

外道は、「速やかに、その嫁を追い出すのだ」と言った。
満財は自分の子に言った。「お前の妻を追い出せ。命があれば、これより優れた妻と結婚させてやろう」と。子は、「父母に先立たれることは、人の子の誰もが避けられない無常の定めです。すでに私の父母は老いています。死ぬのも今明年を過ぎないでしょう。また、私の妻とは片時も離れて暮らせません。たとえ死ぬことになっても、互いに手を取り合って一緒に死のうと思います。決して追い出すことは出来ません」と言って、追い出さなかった。
外道は、「軍兵がまさに来ようとしている。やって来れば、お前も満財長者も、人手に落ちて殺されるだろう、無益なことである。その前に、自害せよ」と言った。
満財は、「我が家には五百の剣がある。その中の最も鋭利な物を取ってこい」と言うと、家の者が持ってきた。満財は剣を持って言った。「私は、自害しようと思うが気後れがする。我が家には三百の矛がある。それを取ってきて、剣でもって首を切り、矛で以って腹を刺せ」と言った。
すると、家の中の大勢の従者が出てきて、剣でもって殺害しようとしたが、その時、突然剣の先に蓮の花が開いた。矛の先にも同じように蓮の花が開いた。

その時に、釈迦は王舎城の霊鷲山よりお出になった。ご出座にあたっての儀式・作法は、威厳に満ちていて心で思いはかることが出来ない。普賢大士(大士は菩薩に対する敬称)は六牙の白象王(ロクゲのビャクゾウオウ・六本の牙を持った白象は、普賢菩薩の乗物となっている。「王」と付いているのは聖獣に対する敬称)に乗って、釈迦仏の左方に立っており、文殊大士は威猛獅子王(イモウシシオウ・猛々しい獅子。獅子は文殊菩薩の乗物)に乗って、右方に立っている。無量無数(ムリョウムシュ・数知れないほど多いこと)の菩薩・声聞大衆(ショウモンダイシュ・仏弟子)が釈迦仏の前後を囲んでいる。
梵王(梵天)・帝釈・四大天王(帝釈天の麾下の神将。持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王)が、その左右に並んでいる。さらに、各々の従者の数はどれほどなのか数えきれない。

釈迦が満財の家に至ると、その家にいる百千万の人民ことごとくが、釈迦仏を見奉って歓喜した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆






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釈迦 婆羅門城に入る ・ 今昔物語 ( 巻1-14 )

2017-03-22 11:13:14 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦 婆羅門城に入る ・ 今昔物語 ( 巻1-14 )

今は昔、
婆羅門城(バラモンジョウ・第十一話にも出てくる。城は、町そのものを指すことが多い)には、仏法というものがなく、皆外道(仏教から見た異教。ここでは婆羅門教か?)に帰依していてその経典を学んでいた。
釈迦は、その城の民衆を仏道に導くために、その城にお入りになった。

すると、三麻耶(サンマヤ・人名)外道はその城内にいたが、その城の人々を指導して、「狗曇沙門(クドンシャモン・釈迦のこと)という者がやって来る。その者は大変な悪人である。財産を持っている人には『この世ははかないものであり、財産を持っていても何の役にも立たない。布施を行い善根を積め』と言って、財産を無くさせて貧乏にさせる。相思相愛の夫婦には『この世のものは常に変化するものだから、仏法を修業せよ』と言って離婚させた。年頃で容姿端麗な女に会えば『この夜は侘しく虚しいものであるから、尼になれ』と言いくるめて、頭を剃らせた。ひたすらこのような事を教えて、人をだまして欺き、損をさせ、人の仲を言葉巧みに引き裂き、人の容姿を衰えさせる悪人なのだ」と教えた。
城の人が尋ねた。「それでは、その沙門が来ようとしているのを、どうすればよろしいのでしょうか」と。
外道は、「狗曇沙門は、もっぱら、清い川の流れ、澄んだ池のほとり、美しい木の陰などにいる。だから、池や川には、尿・糞などの穢れた物を入れ、美しい木は皆伐り払い、各自の家の戸を閉め切れ。それでもなお入って来れば、弓矢で以って射殺せ」と教えた。

そこで城の人々は、外道の教えに従って、川を汚し、木を切り、弓矢など武器を準備して待ち受けていると、釈迦は多くの御弟子たちを引き連れて、その城にやって来ると、「お前たちは、私の教えを信じることなく、ついに三悪趣(サンアクシュ・三悪道に同じ。地獄、餓鬼、畜生の三道を指す)に落ちて、無量劫(ムリョウコウ・計り知れないほど長い時間)の間、絶え間ない苦しみを受け、抜け出す時がないだろう。哀れで悲しいことである」と仰せられた。
すると、池や川は清浄になり、蓮の花が咲き、樹木はもとのように花が咲き生い茂って、金銀・瑠璃が地に満ちた。人々が手にしていた弓矢や刀杖などは皆瞬く間に蓮の花となり、人々はそれを以って供養し奉った。そして、城の人々は、全員が、五体を地に投げ出して(五体投地と称されるもので、古代インドにおける最敬礼の形式)、「南無帰命頂礼釈迦牟尼如来」(ナモキミョウチョウライシャカムニニョライ・一身をささげて釈迦仏を恭敬し教えに順います、といった意味)と唱えた。
額づいて罪を懺悔し仏に許しを乞うた。それによって、城の人々は全員が無生法忍(ムショウホウニン・この世の一切の存在は、生もなく滅もなくすべて空であるという真理を悟ること。また、それにより安住の境地を得ること)を得ることが出来たのである、
となむ語り伝へたるとや。

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