雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

釈迦 自然太子を救う ・ 今昔物語 ( 巻1-15 )

2017-03-22 11:12:15 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦 自然太子を救う・ 今昔物語 ( 巻1-15 )

今は昔、
天竺に提何(ダイカ・人名)長者という人がいた。夫妻ともに年老いていた。そして、一人も子がなかった。
妻が言うには、「天界でも人間界でも、子がいる人が豊かな人としている。子のない人は、気の毒な事としている。私はすでに年老いているのに子がいない。この上は樹神(ジュジン・樹に宿る神霊。民俗信仰らしい)に祈りましょう」と言って祈っているうちに、妻は間もなく懐妊した。長者は大いに喜んだ。
そうした時に、舎利弗(シャリホツ・釈迦の高弟)が長者の家にやって来た。長者は舎利弗に、「この懐妊している子は男か女か、どちらでしょうか」と尋ねた。舎利弗は答えた。「男です」と。
これを聞いてからは、長者はますます喜んで、さっそく詩歌を吟じ、音楽を奏でて、遊び楽しむこと限りなかった。

すると、六師(ロクシ・人名。釈迦と同時代の思想家)外道という者が、長者のもとにやって来た。そして長者に、「どういうわけがあって、いつにない酒盛りなどやっているのですか」と尋ねた。長者は、「舎利弗がやって来て、私の妻の腹の子が男だと占ってお帰りになったのです。これを聞いて、心から嬉しくて楽しんでいるのです」と答えた。
外道は、舎利弗の占いをいまいましく思って、「あなたの子は女ですぞ」と言って帰って行った。
その後、舎利弗がやって来たので、長者は六師外道が「女だ」と言ったことを話した。舎利弗は、やはり「男です」と言った。六師外道はなお「女だ」と言って、互いに主張を変えなかった。

そこで長者は、釈迦のもとに参って、どちらが正しいのか尋ねた。
釈迦は、「男子です。きっと親を教化して仏の道に入るでしょう」と申された。
これを聞いて、六師外道はますます妬みの心を増して長者に告げた。「走る馬に鞭を加えんが如し。(この部分の意味がよく分からない。喜んでいる長者の気持ちをもっと大きくさせてやろう、と言った意味か?)私とあなたは、長年の師と信者の関係です。それゆえ、秘術を尽くして女を男に変えてあげましょう」と。長者はこれを聞いて大いに喜んだ。
六師外道は帰って仲間と相談し、「本当は、この子はきっと男だ。釈迦の勝ちとなるのは、大変困ったことだ。そうはさせないためには、早々にあの子を殺して、産ませないようにしよう」と決めて、必ず死ぬ薬を作り、長者のもとに届けて、「この薬を一日一粒飲みなさい。これは、必ず女から男に成る薬です」と言って、柚子の実ほどの大きさで赤い色をした丸薬を三粒与えた。

長者の妻は、この薬を服用して三日経った日、物も言わないまま死んでしまった。
長者が悲しみ歎くことは並一通りではなかった。舎利弗と共に釈迦のもとに行き、この事を申し上げた。釈迦は、「あなたは、母と子のいずれを助けたいと思いますか」と仰せになった。
長者は、「せめて男子を助けることが出来れば、私は嘆くことはありません」と言った。釈迦は、「あなたの子は、亡くならないで生きています」と仰せになった。

葬送の日、外道たちは火葬の場に集まって様子を見ていた。
また、釈迦もおいでになった。すると、火葬されている炎の中に、十三歳ばかりの童子が現れた。容姿端正なことこの上ない。毘沙門天に抱かれて、釈迦の膝の上に座らせた。この子を自然太子(ジネンタイシ・母無くしておのずから生まれた子、といった意味。太子とあるのは、火の神の子といった意味か?)と名付けた。母無くして生まれてきたからである。
釈迦は長者を呼び寄せてこの子を与えた。外道は負けて帰って行った。

長者をはじめとして万の人々は、ますます釈迦仏が嘘をつかれないということを信じ奉った。
この子は、親を教化し、ついに仏の道に入ったのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆





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指を与える ・ 今昔物語 ( 1 - 16 )

2017-03-22 11:09:06 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          指を与える ・ 今昔物語 ( 1 - 16 )

今は昔、
天竺にオウクツマラ(鴦掘魔羅)という人がいた。この人は、シマンビクという人の弟子である。(この二人は同一人物ともいう)
師匠から弟子へと、外道の法(仏教以外の異教の教え)を信じて、その教えを習った。
ある時、シマンビクはオウクツマラを責め咎めて言った。「お前は、今日ここから出て行き、千人の指を切って天神(テンジン・外道が信仰する天部の神)に祀って、速やかに王位を得て、天下を治め、富貴を得よ」と。

オウクツマラは、これを聞くと、竜が水を得たかのように、右の手に剣を握り、左の手に索(ナワ・人を捕縛するための縄)を取って走り出た。
何とも感慨深いことには、オウクツマラが悪行の道に向かう最初に出会ったのは、釈迦如来が太子の身でありながら、ひそかに父王の宮殿を出で、始めて仏道に入ろうと出かけたところの太子であった。
太子はオウクツマラの姿を見て後退りされた。オウクツマラは、叫び声をあげて追って行くと、太子は素早くお逃げになったので、オウクツマラはそれより遅いため、太子はさらに逃げ、オウクツマラは疲れ果てて追いつくことが出来なかった。

そこでオウクツマラは、とても追いつけないと思って大声で言った。
「我がお前の本願(本来の誓願)を聞くところによると、『すべての衆生の願いを叶えんために、王宮を出て衆生に利益を与える道に入った』とのことである。我は、今日千人の指を切って、天神に祀って王位を得ようと思っている。何ゆえに、お前は我が願いに背いて、たった一本の指を惜しむのか」と。
そこで、太子はこの言葉を聞いて、立ち止まって指を与えると、オウクツマラは、たちまちに罪の意識を感じて、これまでの心を悔いて、仏道に転向して帰依した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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母の悲しみ ・ 今昔物語 ( 1 - 17 )

2017-03-22 11:08:11 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          母の悲しみ ・ 今昔物語 ( 1 - 17 )

今は昔、
釈迦如来は、「ラゴラ(羅睺羅・釈迦の実子で、十大弟子の一人)を呼び寄せて出家させよう」と思われて、モクレン(目連・はじめ外道であったが、同門の舎利弗と共に釈迦に帰依した。仏弟子の長老格で、神通第一と称された)を使者として迎えに行かそうとしたが、ラゴラの母ヤシュダラがこのことを聞いて、高楼に登って門を閉じ、門番に「決して門を開けてはならない」と命じた。 (当時、釈迦は祇園精舎におり、ラゴラは王宮内に住んでいた。)
 
釈迦如来は、モクレンにラゴラを迎えに行かせるにあたって仰せられた。
「母親というものは、煩悩に迷い無知で真理を理解することが出来ず、我が子を溺愛するが、それはほんの少しの間(今生にある間)のことである。死んで地獄に堕ちれば、母と子は互いに知り合うこともなく、永く離れて苦しみを受けること絶え間がない。後になって悔いてもどうすることも出来ない。ラゴラが悟りの境地を得たならば、母のもとに帰り、煩悩の世界から清浄の境地に導き、永く生老病死(ショウロウビョウシ)という人間の苦しみの根本を断ち切って、羅漢(ラカン・阿羅漢の略。仏教の修行の最高段階に達した人)に成ることが出来、私のようになるだろう。ということで、ラゴラはすでに九歳になった。今は出家させて、聖者となるための修業の道を習わしたい」と。

モクレンは、これを承って、ヤシュダラのもとに行った。
ヤシュダラは高い楼に登って、門を閉じて安心していると、モクレンは空を飛んでやって来た。そして、仏(釈迦)の仰せをそっくりそのまま伝えた。
ヤシュダラはこれに答えて、「仏が太子であられた時、私と結婚して妻となりました。太子にお仕えすること、天神に仕えるようでした。けれども、結婚して未だ三年に満たないのに、太子は私を捨てて宮殿を去られました。その後は、国にお帰りになられることはなく、私にお会いいただけません。私は独り身の女になってしまい、今また我が子を奪うというのでしょうか。あなたが仏になられましたのは、慈悲によって衆生を心身ともに安らかな境地に導くためでございましょう。それなのに今、母と子の仲を離別させようとなさることは、慈悲の無いことではないのでしょうか」と言って、激しく泣き崩れた。

ここにモクレンは、これ以上言うことが出来ず、浄飯王(ジョウボンオウ・釈迦の父)のもとに行き、これらのことをつぶさに申し上げた。
大王はこのことを聞いて、夫人(ブニン)ハジャハダイ(波闍波提・摩訶波闍波提とも。浄飯王の王妃ではないが夫人と称されていた。後に出家入信し、最初の尼僧となった人物)を呼んで、「我が子である仏は、モクレンを使者として、ラゴラを迎えて仏道に入れようとされているが、その母は、煩悩に迷い、親子の情愛に引かれて子を離そうとしない。そなたは、その母のもとに行き、よく説き聞かせ、慰めて、ラゴラの出家を納得させよ」と申し付けられた。
夫人は王の仰せを承り、ヤシュダラのもとに行き、王の御言葉を伝えた。
ヤシュダラはこれに答えて、「私が実家にいた時には、四方八方の諸々の王が競い合って訪れ、父母に私を妻にと乞い願いました。父母はそれらの申し出に応じず、太子を婿として結婚させられたのです。太子が才能・技芸ともに人に勝っていたからです。ところが太子は、世を厭って出家なさってしまいました。そうなれば、このラゴラを以って国を継がすべきです。それを出家させてしまって、どうしょうと言うのですか」と言って、それ以上は何も言わず、涙を流して泣き崩れてしまった。
夫人はこれを聞いて、反論しようがなかった。

この時、仏は、ヤシュダラがラゴラの出家に納得していないことを(神通力により)知って、再びモクレンを派遣した。(モクレンはまだ宮殿にいたと思われるので、この場合も特殊な能力で交信したと考えられる)
モクレンは空から飛んできて、仏の仰せをヤシュダラに伝えた。
ヤシュダラはこれに答えて、「ラゴラを出家させたならば、国王の位を継ぐ者は永久に絶えてしまうだろう」と言った。
モクレンは、「仏の申されるには、『私が昔、燃灯仏(ネントウブツ・灯明をともして衆生を導く仏。釈迦が過去世で仕えて、未来の成仏を予言された仏)の世で菩薩道の修業を行っていた時、五百の金貨をもって五茎の蓮花を買って仏(燃灯仏)に奉った。そなたは又、二茎の花を添えて奉った。その時に互いに誓い合って、「幾世生死を重ねても、常にそなたと私は夫妻となって、そなたの心に背くことはない」と言ったのだ。その誓いによって、契りは深く今日夫婦となっているのだ。それなのに、母と子の愛という煩悩からラゴラを手放すことを惜しんではならない。出家させて、聖者の道を学ばせるのだ』とのことです」と伝えた。 (このあたり、特別な伝承があるらしく、誤訳の可能性もあります)

ヤシュダラはこの仰せを聞いて、遠い過去世の事が今見ているかのように思えて、何の反論もすることなく、ラゴラをモクレンに与えた。
モクレンがラゴラをともなって去る時、ヤシュダラはラゴラの手を取って涙を流すこと雨の如くであった。
ラゴラは母に申し上げた。「私は仏(釈迦)に朝夕にお側にお仕えしますから、嘆かないでください。いずれ又、王宮に返って来てお会いすることが出来ましょう」と。

その時、浄飯王はヤシュダラの嘆く心を癒す為に、国内の豪族たちを集めて、「我が孫であるラゴラは、今、仏の御許に行って出家し、聖者の道を修めようとしている。これによって、町々(「豪族たち」の方が正しいかもしれない)の子の中から、それぞれ一人ずつ選び出して、我が孫に仕えてほしい」と仰せられ、それぞれ応諾し出家させた。
アナン(阿難・釈迦の従弟で、十大弟子の一人)をして、ラゴラたち五十人の子供の頭(カシラ)を剃る。受戒の僧は舎利弗(シャリホツ・舎利子とも。もともと外道を学んでいたが、後にモクレンとともに大勢の弟子と共に釈迦に集団入信した。十大弟子の最長老格)和上であり、モクレンは教授師として儀式に立ち会い指導した。

そして仏(釈迦)は、五十人の沙弥(シャミ・原始仏教では七歳以上二十歳未満の出家者を指し、見習い僧として正規の僧を目指す)のために、センダラ(古代インド社会における最下層民)の過去世の罪業の報いについてお説きになった。(「破戒僧が供養の珍味を飽食した罪で、地獄・餓鬼・畜生の三悪道を遍歴したのち人界に生まれ、センダラとなった」といったような話らしい。)
沙弥たちは、この教えを聞いて、大いに悲しんで仏に申し上げた。「舎利弗和上は大智(ダイチ・真実を見極める偉大な知恵)・福徳(フクトク・善根功徳を積むことによって得られる福利)があり、国中の信者からの供養をお受けになるのに最もふさわしい。しかし、私たち小児は、煩悩多くして福徳はありません。飲食(オンジキ)の供養を受けて、後の世で罰を受けることセンダラのようになるでしょう。それ故に、私たちは憂いております。願わくば仏、哀れとお思いになられ、私たちが仏道修行を放棄して、家に帰る罪をお許しください」と。

仏はこれをお聞きになり、たとえ話をもって沙弥たちにお説きになった。
「たとえば、飢餓に苦しむ二人が、たまたま食べ物にありついた。二人とも、食べ過ぎて腹いっぱいになった。この二人のうち、一人は知恵があって食べ過ぎたと知って、医師に会って薬をもらい食べ過ぎたものを消化させて、身の苦しみを免れ命を守ることが出来た。もう一人は煩悩多く無知にして食べ過ぎたということにも気付かず、薬を飲むこともしない。生き物を殺し鬼魅(キミ・悪鬼、邪霊の総称)に生贄として供え、自分の命を救おうとする。腹にたまっている食べ物は邪気となり、それにより病となり、遂には死に至り、地獄に堕ちる。今、お前たちが罪を犯すことを恐れて家に帰ることは、この煩悩多い無知の人のようである。お前たちは、善根(ゼンコン・前世の善行)の因縁により私に出会ったのである。あの医師に会って苦しみから救われ、命を守ることが出来た人のようなものである」と。
ラゴラはこの説話を聞いて、迷いが覚めて悟られた、
となむ語り伝へたるとや。

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地獄を見る ・ 今昔物語 ( 1 - 18 )

2017-03-22 11:07:25 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          地獄を見る ・ 今昔物語 ( 1 - 18 )

今は昔、
釈迦仏の御弟にナンダ(難陀・釈迦の異母弟。容姿端麗で仏弟子中端正第一とされる)という人がいた。
まだ在家であった時、五天竺(ゴテンジク・古代インドを五分したもので、全インドを指す)の中で容姿端麗第一の女性を妻として、その愛欲に執着して、仏法を信じず、仏(釈迦)の忠告にも従おうとしなかった。

その頃仏は、ニクルイオン(地名。ニクルイ樹が茂る園という意味)においでになったが、ナンダを教化するためにアナン(高弟)と共にナンダの家に行かれた。
ナンダが高い楼に登って遥か先を見ると、仏は鉢をもって乞食(コツジキ・托鉢)をされていた。ナンダはこれを見て、高楼より急いで下りて、仏の御許に行って申し上げた。「あなたは、転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を治める王の称)にも成り得る高貴なお方ですぞ。どうして自ら羞恥心を捨てて、鉢を持って乞食をなさるのですか」と言って、自ら鉢を取って、家の内に入って、たいそうなご馳走を盛って仏の御許に差し出したが、仏は鉢を受け取らず、ニクルイオンに帰ってしまった。そしてナンダに、「もし、そなたが出家をするならば鉢を受け取ろう」と伝えた。

ナンダはこれを聞いて、仏の言葉に従って、鉢を奉ろうと思った。
すると、妻が出てきて、「早く帰りましょう」と言う。ナンダは出家を考えていたので、仏の御許に行って鉢を奉って、「願わくばこれを受けてください」と申し上げた。
仏はナンダに告げられた。「そなたはすでにここに来ている。それは出家する決意であるから、頭を剃り僧衣を着なさい。帰ることなど考えてはならない」と。
仏は威神(イジン・偉大な神通力)の力を以ってナンダに出家を迫り、アナンの導きで出家させた。そして、ナンダを静かな部屋に閉じ込め、仏が徐々に教化善道なさり、やがて仏の許での役割を与えられ、ナンダは歓喜した。

ところが、ナンダは、なお「妻のもとへ帰りたい」と思う心があって、仏が他所においでの間に出て行こうとすると、出ようとした戸はたちまち閉じられ、それ以外の戸は開いた。それならばと、その開いた戸から出ようとすると、その戸は閉じて他の戸が開く。このような状態で、まったく出ることが出来ないうちに、仏が帰ってきたので脱出することが出来なかった。
又、「仏、早く出て行かないかなあ。その間に妻のもとへ行こう」と思っていると、仏が外出することになり、ナンダにほうきを与えて、「ここを掃いておくように」と言って出かけられた。ナンダは早く終わらそうと急いで掃いたが、いつの間にか風が出てきて、塵を吹き返すので掃き終らないうちに、仏は帰って来てしまった。

又、仏が他所にいらっしゃるときに、ナンダは僧房に行って思った。「私は今の間に妻のもとへ行こう。仏はきっと行った時の道から帰って来るだろうから、私は別の道を通って行こう」と考えて出て行くと、仏はナンダの心を察知していて、ナンダが選んだ道から帰って来られたので、ナンダは遠くに仏の姿を見つけると、大きな樹の後ろに身を隠した。すると樹神は、たちまちのうちに樹全体を空中に持ちあげた。そのため、ナンダの姿は丸見えになってしまった。仏はナンダを見つけると、僧院に連れて帰った。
このようにして、ナンダは妻のもとに行くことが出来なかった。

仏はナンダに、「そなたは一心に仏道を学びなさい。後世のことを考えないのは、極めて愚かなことである。私はそなたを天上に連れて行って見せてやろう」と申されて、忉利天(トウリテン・須弥山の麓の天上界の一つ)にナンダを連れて昇られた。天人たちの住む宮殿などを見せ、多くの天人・天女と共に限りなく楽しみ遊んだ。
一つ目の宮殿の中を見ると、様々な宝で美しく飾り立てられていて、その素晴らしさを一つ一つ数え上げることが出来ない。その中に五百人の天女がいて、天人はいない。ナンダはこれを見て、仏に尋ねた。「どういうわけで、この宮殿には天女だけがいて、天人はいないのですか」と。
仏が天女に尋ねられると、天女は、「閻浮提(エンブダイ・古代インド、あるいは仏教的宇宙観で、須弥山の南方洋上にあるとされる大島。我々が住んでいる世界とされる)に仏の弟であるナンダという人がいます。最近出家しました。その功徳によって、命終えた後はこの天の宮殿に生まれることになっています。その人を以って天人とするために、天人がいないのです」と答えた。

ナンダをこれを聞いて、「我が身のことだ」と思った。
仏はナンダに、「そなたの妻の美しさは、ここの天女と比べると如何か」と尋ねた。ナンダは、「我が妻をここの天女と比べますと、我が妻は猿のようなものです。ということは、私も同様ということです」と答えた。
ナンダはここの天女を見ることによって、妻の事をたちまち忘れて、持戒の者(ジカイノモノ・戒律を保つ真摯な修業者)となってここに生まれ変わりたいと願う心が芽生えていた。

又、仏は、ナンダを地獄(餓鬼、畜生と合わせた三悪道の一つ)に連れて行った。鉄囲山(テッチセン・仏教的宇宙観で、須弥山世界を支える金輪の周縁に連なる鉄の山脈)を経て行く途中、山の外にミコウニョ(猿女といった意味)という者がいた。容姿美麗なことこの上ない。その一族の中に、ソンダリという者がいた。ナンダをその者を見た。
仏はナンダに尋ねた。「そなたの妻は、このソンダリと比べるとどうか。この一族の如きか」と。
ナンダは、「百千倍にしても、及びません」と答えた。仏は、「それでは、ソンダリを天女と比べると如何か」と尋ねた。ナンダは、「それも、百千万倍にしても、天女の美しさに及びません」と答えた。

仏は、ナンダを地獄に連れて行った。
諸々の釜を見せた。湯がさかんに煮えたぎっていて、人を煮ていた。ナンダはこれを見て、大いに怖れた。ただ、釜の一つを見ると、それには湯が沸いているだけで人は煮られていなかった。ナンダはこれを見て地獄の使卒に、「どうして、この釜には人がいないのか」と尋ねた。使卒はそれに答えて、「閻浮提にいる仏の弟ナンダは、出家の功徳を以って忉利天に生まれ変わって、やがて天の命が尽きてこの地獄に堕ちようとしている。それで、我は今、釜の湯を盛んに沸かして、そのナンダを待っているのだ」と言った。
ナンダはこれを聞いて、怖れおののいた。そして、仏に、「願わくば、私を速やかに閻浮提に連れて帰って、お加護を与えてください」と申し上げた。
仏はナンダに、「そなたは、戒律を保って、天に生まれ変わるための善根を積むのだ」と仰せになった。ナンダは、「私は今、天に生まれ変わることは願いません。ただ、私をこの地獄に落とさないでください」と申し上げた。

仏はナンダと共に閻浮提にお帰りになり、ナンダのために十七日間にわたり法を説いて、阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位)を修得させた、
となむ語り伝へたるとや。

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最初の尼僧 ・ 今昔物語 ( 1 - 19 )

2017-03-22 11:06:37 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          最初の尼僧 ・ 今昔物語 ( 1 - 19 )

今は昔、
キョウドンミという人は、釈迦仏の叔母に当たる。麻耶夫人(マヤブニン・釈迦の実母)の妹である。
仏(釈迦)が、カピラエ国(釈迦族の首都。幾つもの呼び方がある)においでになっていた時、キョウドンミが釈迦に申し上げた。「私はお聞きしたい。『女人も精進すれば、沙門(シャモン・主として男性の僧)の四果(シカ・修業による四段階の成果)を得ることができるのか』と。願わくば、私は仏道の教法と戒律を受けて出家したいと思っています」と。
仏は、「あなたは、二度と出家を願い出ることがないように」と答えた。
キョウドンミは、同じように三度申し上げたが、仏は許さなかった。キョウドンミはこれを聞いて、嘆き悲しんで去っていった。

その後、又、仏がカピラエ国においでになっていた時、キョウドンミが前と同じように出家したいと願い出たが、今度も仏は聞き入れなかった。
仏は多くの比丘(ビク・僧)と共にこの国に三か月居られたが、やがて国を出て去られる時、キョウドンミは多くの年老いた女と共に、なおも出家のことを願い出るため仏一行の後を追って行くと、仏は急に留まられた。
キョウドンミは前と同じように出家を願い出たが、それでも仏はお許しにならないので、キョウドンミは退出して門の外に留まり、垢だらけの衣服を着て、顔かたちも疲れ果てた様子で泣いていた。

アナン(釈迦の従弟で、高弟の一人)がその姿を見て、「あなたは、どうしてこのような姿なのですか」と尋ねた。
キョウドンミは、「私は女人ゆえに出家が許されず、それで嘆き悲しんでいるのです」と答えた。
アナンは、「しばらく待っていなさい。私が仏に申し上げましょう」と言って門の内に入って行った。
アナンは仏に申し上げた。「私は仏にお仕え申し上げて、『女人も精進すれば、沙門の四果を得ることが出来る』と教えられました。今、キョウドンミは、誠実な心で出家を求め、『教法と戒律を受けたい』と願っています。願わくば仏、これをお許しください」と。
仏は、「その事を願うことなかれ。女人は、我が教法によって沙門となることはできない。そのわけは、女人は出家して清浄(ショウジョウ)に梵行(ボンギョウ)を修業すれば、仏法が永く世に存続させることが出来ない。たとえば、一軒の家に、多くの男子が誕生すれば、それによってその家は繁栄する。この男子に仏法を修業させて、世に仏法を永久に保たてさせるべきである。しかるに、女人に出家を許せば、女人が男子を産むことが絶えてしまう。それゆえに出家を許さないのである」と申された。

アナンは、さらに申し上げた。「キョウドンミは多くの善の心を持っています。まず何より、仏がお生まれになった時、その身を受け取り養育なさいました。それで今、立派になられました」と。
仏は、「キョウドンミには、まことに善の心が多い。また、私は恩を受けている。今、私は仏と成っているので、彼女も我が徳によって、三宝(サンポウ・仏、法、僧のことで、信仰の基盤)に帰依し、四諦(シタイ・苦、集、滅、道の四つの真実の教え)を信じ、五戒を保つことが出来ている。但し、女人が沙門になろうと願うならば、八敬(ハチキョウ・八敬戒とも。釈迦がキョウドンミに授けたとされるもので、比丘尼だけに課せられた八項の戒律)の法を学び実行せねばならない。たとえば、洪水を防ぐには堤を強く突き固めて水を漏らさないようにしなければならない。(女性を仏性薄いものという前提としたたとえらしい) もし女人が、法律(教法と戒律)を修得しようと思うならば、よくよく精進せねばならない」と申された。

アナンは、正しく仏の言葉を承って、礼拝して門の外に出て、キョウドンミに伝えた。
「あなたは、もう嘆き悲しむことはありません。仏は、あなたの出家をお許しになられました」と。
キョウドンミはこれを聞いて、大いに喜び、ただちに出家して戒律を受けて比丘尼となり、法律を受けて羅漢果を得た。
女人が出家することは、これにより始まったのである。
キョウドンミは、又はダイアイドウともいい、又はハジャハダイ(波闍波提)ともいう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 本話は、仏教が男尊女卑に立脚しているとされる、一つの例ともいえます。但し、時代背景等も考慮すべきことは当然ですが。

     ☆   ☆   ☆
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ヤシュダラの出家(欠文) ・ 今昔物語 ( 1 - 20 )

2017-03-22 11:05:45 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          ヤシュダラの出家(欠文) ・ 今昔物語 ( 1 - 20 )

本話は、表題のみで全文が欠文となっている。
なお、ヤシュダラは、釈迦が出家する前の妃であり、ラゴラの生母である。
第十七話のラゴラが出家する場面で登場してきていて、彼女の出家に至る場面も興味深いが、残念ながら欠文となっている。

     ☆   ☆   ☆
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高弟たちの出家 ・ 今昔物語 ( 1 - 21 )

2017-03-22 10:24:30 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          高弟たちの出家 ・ 今昔物語 ( 1 - 21 )

今は昔、
釈迦仏の父である浄飯王(ジョウボンオウ)の弟に、コクボン王という人がいた。その王に二人の男の子がいた。兄の名前はマカナン、弟の名前はアナリツという。(釈迦の血脈については、伝承によって異同がある。)
その母は、アナリツを愛して、少しの間も手元から離すことがなかった。三時殿(サンジデン・年間の三つの季節それぞれに適するように造られた三つの殿舎)を造ってアナリツに与え、美しい侍女と遊ばせること限りなかった。
兄のマカナンは弟のアナリツに言った。「諸々の釈迦族からは多勢が出家している。だが、我が一門からは出家している者が一人もいない。世俗の仕事をしているだけである。そこで、お前が出家すべきだと思う。もしお前が出家しないのであれば、お前は家業に励め。私が出家しよう」と。
アナリツは、「私は、朝夕に家業に携わることはどうも面倒だ。適していないと思う。だから、出家して仏道に励みたい」と答えた。そして、母の所に行き、出家するからと暇を乞うたが、母は決して許そうとしなかった。
このようなことが三度繰り返されたが、母は愛する故にアナリツの出家を嘆いて、様々な手段を用いて、アナリツの出家を止めた。

その頃、そのコクボン王の弟であるカンロボン王にも二人の兄弟がいた。兄をババといい、弟をバダイという。その母もまた、バダイを可愛がっていて出家を許さなかった。
アナリツの母は、「私はお前の出家は許さない。但し、もしバダイか出家したならば、私もお前の出家を許しましょう」と言った。
これを聞いてアナリツは、バダイに会って出家を勧めて、「私が出家するためには、お前が出家することが必要なのだ」と言った。バダイはこれを聞いて、アナリツが言うように母に出家を乞うと、彼の母は許さなかった。
アナリツの母は許さない方法を考えて、「アナリツの母が子の出家を許すのならば、私もお前が出家することを許しましょう」と言った。
このように、互いに相手の母の言い分を理由にして、この出家を惜しんでいたが、遂に二人の母は、それぞれの子の出家を許した。バダイは、「私は母の許しを得ることが出来たが、あと七年ばかり世俗の欲望を楽しんで、その後に出家することにした」と言った。
アナリツは、「お前が言っていることは道理に合わない。人の命はいつ終わるが分からない。どうして七年も待つことが出来ようか。七日だけなら許そう」と言った。

バダイは、アナリツの言うことに従って七日を過ごし、釈迦族の八人及びウバリの弟(この弟というのは誤字らしく、「第」が正しいらしく、「九番目のウバリ」と言うのが正しいらしい。なお、ウバリは釈迦十大弟子の一人となる)たち、みな心を一つにして出家しようと思って、それぞれ立派な衣服を着て、象馬に乗って、カビラ国の国境まで来ると、立派な衣服を脱ぎ、象馬などはウバリに与えて、それぞれもとの家に返させた。そして、「お前は、常々我ら九人を頼りにしてきた者だ。今、我々は出家しようとしている。この衣服や象馬はお前に与えよう。これからの生活の資産とせよ」と言って、ウバリを帰らせた。 

ウバリは、立派な衣服や象馬などを得て、家に帰ろうとしたが、その途中で、「我が家に帰って家業を営むよりは、あの九人と共に出家しよう」という考えが急に湧いてきた。
そこで、立派な衣服を木の枝にかけ、象馬を木の根元につなぎ、「ここに来る人があれば、これらを与えよう」と思ったが、すぐに来る人もいないので、そのまま捨てて九人の後を追って行った。やがて追いつくと、「私も一緒に出家したいと思います」と言った。

そこで、一緒に釈迦仏の御許に参って、アナリツ・バダイは申し上げた。「私たちの父母は出家をお許しになりました。願わくば仏、私に出家をお許しください」と。
釈迦仏は、まずウバリを済度(サイド・迷い苦しみの大海から救い上げて、悟りの彼岸に渡すこと)させようと思われた。「そのわけは、驕慢の心(高貴な身分にあったことよる驕りの心。ウバリだけは最下層の身分であった。)を除くためである」と申されて、まずウバリを済度なされた。次に、アナリツ、次にバダイ、次にナンダイ、次にコンビラ、次にナンダの六人である。(それぞれ高弟のようであるが、他の者については触れられていない)
ウバリは、先に戒律を受けて、上席者となった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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出家の功徳 ・ 今昔物語 ( 1 - 22 )

2017-03-22 10:23:35 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          出家の功徳 ・ 今昔物語 ( 1 - 22 )

今は昔、
天竺(テンジク・古代インド)において、釈迦仏はアナン(高弟の一人)と共にビシャリ城(古代インドの十六大国の一つ)に入って乞食(コツジキ・托鉢)をなさいました時、場内に一人の王子がいた。名前をヒラセンナという。
多くの侍女と共に高楼の上で娯楽の宴を開いていた。釈迦仏は、その楽しむ声をお聞きになって、アナンにお告げになった。「あの王子は、これより七日後に死ぬだろう。彼は、もし出家しなければ、地獄に堕ちて苦を受けることになる」と。
アナンはこれを聞いて、直ちに高楼に行って、王子に教えを説いて出家を勧めた。王子は勧めを聞き終ると、六日の間遊び楽しんで、七日目に出家して、一日一夜清浄な戒律を保って、そして死んで行った。

その時に、釈迦仏は、「あの人は、一日の出家の功徳によって、すぐさま四天王天(シテンオウテン・四王天に同じ。欲界の第一天。これ以下、欲界の六天の輪廻転生を説いている)に生まれて、毘沙門の子となって、諸々の天女と五欲(五種類の俗世の欲望)の楽しみを受ける。この天の命である五百歳(人間界の五十年を一昼夜としての五百年で、人間界における九百万年にあたる)が満ちて後、忉利天(トウリテン)に生まれて、帝釈天の子となって、その命は千歳(人間界の百年を一昼夜としての千年で、人間界の三千六百万年にあたる)、それより夜摩天(ヤマテン)に生まれて、その王の子となって、その命は二千歳(人間界の二百年を一昼夜としての二千年で、人間界の一億四千四百万年にあたる)、それより兜率天(トソツテン)に生まれて、その王の子となって、その命は四千歳(同じく、四百年を一昼夜とするので、五億七千六百万年にあたる)、それより化楽天(カラクテン)に生まれて、その王の子となって、その命は八千歳(同じく、八百年を一昼夜とするので、二十三億四百万年にあたる)、それより他化自在天(タカジザイテン)に生まれて、その王の子となって、その命は一万六千歳(おなじく、千六百年を一昼夜とするので、九十二億千六百万年にあたる)。
このように、六欲天に生まれて楽しみを受けること七回、輪廻転生する。誰も若死にすることはない。一日の出家の功徳は、二万劫(コウ・古代インドの最長の時間単位)の間、悪道(アクドウ・三悪道に同じ。地獄、餓鬼、畜生を指す)に堕ちることなく、常に天界に生まれて善い果報を受ける。生まれ変わることのない身となる最後には人間世界に生まれて財豊かとなる。老いに臨んで世を厭って出家して、仏道を修めて辟支仏(ビャクシブツ・仏に一度聴法したのち、山林などに籠り観想を行じ、独学自修して悟りを得た聖者。)となって、その名を毘帝利(ビタイリ)といわれる。広く人間界と天界を渡るべきである」と、お説きになった。

されば、出家の功徳は不可思議である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 釈迦仏が説教される部分は難解で、誤訳がないか少々心配です。
* 仏教世界の、気の遠くなるような時間が説かれていますが、因みに、文中にある「劫」という時間の長さについては諸説ありますが、一部を紹介しておきます。 「上下四方四十里の岩を、天女が三年に一度やって来て、羽衣でひと触れしているうちに、遂にその岩がすり減ってしまうまでの時間」「上下四方四十里の城に、けしの実を一杯に満たし、三年ごとに一粒ずつ取り除いて、すっかりなくなってしまうまでの時間」などがあり、他にも伝えられているものがあるようですが、これをどの程度の長さかと考えるだけで気が遠くなりそうです。

     ☆   ☆   ☆
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財宝に勝る宝 (1) ・ 今昔物語 ( 1 - 23 )

2017-03-22 10:22:29 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          財宝に勝る宝 (1) ・ 今昔物語 ( 1 - 23 )

今は昔、
天竺に二つの城があった。一つは花子城(ケシジョウ・マガダ国マウリヤ王朝の首都)といい、もう一つは勝音城(ショウオンジョウ・西天竺のサウビーラ族の首都らしい)という。この二つの城は、それぞれ栄えたり衰えたりした。
ある時、勝音城の人々は、みな豊かになり繁栄を楽しんだ。その時の王の名をセンドウ(仙道)といった。正しい道理で以って国を治めた。(この辺り欠字あり、一部推定した)諸々の病もなく、五穀が豊かに実った。
后の名をゲッコウ(月光)といい、太子の名をチョウケイと言った。
二人の大臣がおり、一人をリヤク(利益)といい、ひとりをジョカン(除患)といった。
又、王舎城(オウシャジョウ・マガダ国の首都。後に花子城に遷都する。冒頭の二つの城の一つとしているようだ)の王の名をヨウショウ(影勝)という。后の名はショウシン(勝身)といい、太子の名はミショウオン(未生怨)といった。大臣の名はギョウウ(行雨)といった。

その頃、センドウ王は宮殿において盛大な法会を行なって、諸々の人を集めて尋ねた。「他国の繁栄は、わが国と同じようなものだろうか」と。
すると、その場にいたマガダ国の商人が言った。「この地より東の方に王舎城があります。その国はこの国と同じように繁栄しています」と。
センドウ王はこれを聞いて、さらに尋ねた。「その国に、何か乏しいものはないか」と。
商人は、「その国には、財宝がありません」と答えた。
するとセンドウ王は、すばらしい財宝を金(コガネ)の箱に盛り上げて、親書を添えて、使者を遣わしてヨウショウ王に送り届けた。

ヨウショウ王は、信書を読み、箱を開いて、大変喜んだ。そして、「彼の国に何か乏しいものはないか」と尋ねた。
周囲の人は、「彼の国はたいそう繁栄しております。但し、畳がありません」と答えた。
ヨウショウ王はそれを聞いて、直ちに、国内で産出する大畳を箱に盛り上げて、同様の手順でセンドウ王の許に信書と共に送り届けた。
センドウ王はこれを見て、大変驚いて使者に尋ねた。「お前の国の王の体型は、どのようなものだ」と。
使者は、「その体型は、背丈が高く、大王のお姿に似ております。心は勇猛にして、その資質は軍事に長じております」と答えた。
センドウ王はこれを聞いて、すぐさま五徳(ゴトク・五つの長所を持つ)の甲冑を造って、使者に与えて送り届けた。その五徳というのは、一つには暑い時にこれを着ればとても涼しくなり、二つには刀で以って切ろうとしても刃が立たない。三つには矢を以って射ろうとしても通らない。四つには着ると光り輝く。(四つの徳しか挙げられていないが、ある書には、「毒を防ぐ」とあるらしい。)
センドウ王は、この甲冑に信書を添えて送り届けた。使者はこれを持ち帰り、ヨウショウ王に奉った。

ヨウショウ王は、信書を読み、甲冑を見て、珍重すべきものだと思った。この甲冑の価値を推し量るに、金(コガネ)の銭十億にも当たる。そうであれば、我が国にはこれに報いるだけの物はなく、王はその対応に頭を悩ますこと限りなかった。
すると、ギョウウ大臣は、王が憂い嘆かれる様子を見て、「どういうわけで、それほど嘆かれますか」とお尋ねした。
王は、詳しくその理由をお話になった。大臣は、「あのセンドウ王は宝の甲冑一領を送ってきました。我が王の国には釈迦仏がおいでです。このお方は人間界のすばらしい宝です。何者がこのお方に勝りましょうか。十方世界に並ぶ者などおりません」と申し上げた。
王は、「そうであった。それで、どのようにすればよいだろうか」と言うと、大臣は、「畳の上に仏の姿を描いて、使いを急がせて送り届けましょう」と申し上げた。(このあたりの文章からすれば、「畳」は布製の「帖」のような物かもしれない)
王は、「それでは、私が仏(釈迦)に申し上げよう」と言って、釈迦仏にこの事を申し上げた。

釈迦仏は、「善い考えです。誠の心をもって、一補(イチフ・広げて一枚となる絵図など数える単位)の仏像を描いて、その国に送るがよい。その画像の描き方は、画像を描いて、その仏像の下に、三帰(サンキ・三帰依文。「自帰依仏・自帰依法・自帰依僧」の法文。)を書きなさい。次に五戒(欠字があるらしく「五戒」は推定)を書きなさい。次に十二縁生の流転還滅(ジュウニエンショウのルテンカンメツ)を書きなさい。その上に二行の頌(ジュ・偈とも。仏の教説や賛歌を韻文形式にしたもの)を書きなさい」と仰せになった。
その文の内容は、次のような物であった。
 『 汝当求出離 於仏教勤精 能降生死軍 如象推草舎
   於此法律中 常修不放逸 能竭煩悩海 当尽苦辺際 云々 』
 ( 汝は今出家して真実を求め 仏の教えに帰依して精進に勤めよ
   そうすれば、生死の苦しみを克服して解脱することは 象が草の家を押しつぶすほど容易い
   仏が説く戒律を守り 常に修業し放逸に流れることがなければ
   一切の煩悩を断って 苦しみの世界から超越することが出来るだろう 云々 )

ヨウショウ王は、仏(釈迦)の教えに従い、みな書き終ると、使者に託して、「お前は、この画像を彼の国に持って行き、広くて明るい所で、幡・蓋(バン・ガイ・・法会に用いる旗幟と天蓋)を懸け、荘厳に飾り立て、香をたき花を散らしてこの像を開くのだ。もし、問う者がいて、『これは何物か』と訊ねられれば、お前は、『これは仏の御姿である。王位を捨てて正しく完全な悟りを修得された御方である』と答えるのだ。そして、上下の文字については、順々に説明するのだ」と教えて、画像を金銀で装飾された箱に納めて、信書を添えてセンドウ王の所へ送り届けさせた。

                                     ( 以下、(2) に続く )

     ☆   ☆   ☆




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財宝に勝る宝 (2) ・ 今昔物語 ( 1 - 23 )

2017-03-22 10:21:24 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          財宝に勝る宝 (2) ・ 今昔物語 ( 1 - 23 )

     ( (1) より続く )

使者は彼の国に至り、まず信書を王に差し上げた。
王は書を受け取ると開いて読み、たちまち怒りをあらわにして大臣に言った。「私は、未だあの国の善悪に対する考え方を知らぬ。どうしてこのような奇妙な物を大げさに送ってきたのか」と。
大臣は、「昔、噂で聞いたことがありますが、あの国の王の人柄を推し量りますと、大王を決して軽んずるようなことはありませんでしょう。されば、その信書にあるように従うべきと思います」と答えた。

使者は、道路に於いて幡・蓋を懸け、美々しく飾り立て、香をたき花を散らして多くの人を集めた。センドウ王は自ら四兵(シヒョウ・古代インドの兵制で、騎象兵・騎馬兵・戦車兵・歩兵を指す)を率いて向かったが、この美々しい飾り立てを見て、心中これを信じることなく無視して、大臣に伝えた。「お前たちは、速やかに四兵を集めよ。私は進軍してマガダ国を討とうと思う」と。
センドウ王は、信書の如く、城に戻り画像を開いて見た。
その時、中国(天竺の中央の国)の商人が来ていて、この仏像を見ると異口同音に、「南無仏陀(ナモブツダ)」と唱えた。
センドウ王はこれを聞いて、身の毛が逆立ち怖れおののくこと限りなかった。そして、順を追ってその唱える意味を尋ねると、商人は詳しくその理由を答えた。
センドウ王はその言葉を唱えて、宮殿に帰った。さらに、この言葉を思惟(シユイ・心を廻らす)して、夜明けに至って、座を立たずして(思惟瞑想の座にあるままに)須陀洹果(シュダオンカ・最高位の阿羅漢果に至る最初の修業階位)を得たのである。

その後、センドウ王は信書をヨウショウ王のもとに送って伝えた。「私は貴殿の恩顧によって、今、真諦(シンタイ・最高の真理)を見ることが出来ました。願わくば、比丘(僧)に会いたいと思います。わが国に派遣していただきたい」と。
ヨウショウ王は信書を読み、すぐに釈迦仏の御許に参って申し上げた。「センドウ王は初果(ショカ・修業の最初の段階。須陀洹果と同じ)を修得したことは明らかです。また、『比丘に会いたい』と言っております。カタエンナ比丘は彼の国にゆかりがあります。速やかにお遣わし下さい」と。
仏(釈迦)の教えに従って、カタエンナは五百人の比丘を率いて勝音城に行った。そして、センドウ王に「あなたは、仏縁により初果を得られました」と言い、「五百人の比丘を連れて参りました。王自らお出迎えください。そして、寺を一つ造って、そこに五百の部屋を用意してください。功徳を得ること限りありませんから」と言った。
比丘はそれぞれの機根や素質に応じて法を説いた。ある者は阿羅漢果を習得し、ある者は大乗を学んだ。(阿羅漢果が小乗であるのにたいして、大乗は菩薩道を指す。 なお、このあたり、誤訳か脱落があるらしく、意味不詳の部分がある)

当時、宮殿内に多くの女人がいて、尊者(長老格の仏弟子に対する敬称)を招いた。尊者は、女人の中に入って法を説くことを承知しなかった。但し、「比丘尼であれば、女人たちのために法を説くことが出来る」と答えた。
そこでセンドウ王は、信書で以ってヨウショウ王の許にこの旨を伝えた。
ヨウショウ王は信書を見て、釈迦仏にその旨を申し上げて、「セラ(世羅国の王女で、仏弟子となり長老格の比丘尼となった)たち五百人の比丘尼をお遣わし下さい」と願った。
釈迦仏からの命を受け、セラたち五百人の比丘尼は、勝音城に行った。そして、仏法を説いた。
その後、センドウ王の后である月光夫人(ガッコウブニン)はほどなく亡くなり、天上に生まれ変わった。そして、天上より下ってきて、王に天上に生まれ変わったことを告げた。

すると、王は世を厭うようになり、自ら考えを巡らし、「チョウケイ太子に国位を譲って、私は出家して仏道を学ぼう」と思って、二人の大臣にこの事を告げた。
大臣は王の申し出を聞き終ると、涙を流して悲しんだ。そして、太子にこの旨を告げた。
太子もまた、この事を聞いて泣き悲しむことこの上なかった。
また、王は、広く国内の人にこの事を告げた。国内の人々は、この事を聞いて泣き悲しんで、これまでの王の恩に報いるため、多くの財宝を出し集めて、無遮の大会(ムシャのダイエ・貴賤、僧俗、男女を問わず、平等無差別に広く来集者に布施を行う法会)を設けた。国を挙げて盛大に営んだ。
その後、王は、一人の従者を連れて、徒歩で王舎城に向かった。その道は遥かに遠く、とても歩行では困難であったが、一心に仏道を求めるためには、少しもひるむことがなかった。
太子や大臣・百官・人民が後方に従い泣く泣く送っていったが、王が強く止まるよう申されたので、嘆きながらも、全員が別れて帰って行った。
王は、一人の従者を伴って、遂に王舎城に行き着き、ある園の中に入り、ヨウショウ王にこの由を伝えた。

ヨウショウ王はこれを聞いて、ただちに道路を修理補強して、四兵を率いて、大臣・百官を引き連れて、センドウ王の居る所に行き、まずは、やって来た心中を尋ねた。
センドウ王は、「私は貴殿の徳によって、仏道に趣くことを得ることが出来ました。今は、直接に仏の御許に参って、出家しようと思います。そのため、国位を太子に譲り、一人で来たのです」と答えた。
ヨウショウ王はこれを聞いて、涙を流して感動すること限りなかった。その後、連れ立って城に入った。
この頃、釈迦仏は竹林園(王舎城の北門外近郊にあった。竹林精舎)においでになった。
ヨウショウ王はセンドウ王を伴って、仏の御許に参り、やって来た心情を述べ、「出家したいと願っています」と申し上げた。
仏は、「あなたは、よく来ましたね」と申された。すると、センドウ王の頭髪は自然に抜け落ちて、百歳の比丘の如く風格ある姿となった。
そして、戒律を受けて仏の御弟子になられた。ヨウショウ王はこの様子を見て限りなく貴く思い、仏に礼拝し奉って、帰って行った。

センドウ王は、ただただヨウショウ王とギョウウ大臣の徳によって、仏道に入ることなったのはこの通りである。もともと仏法を知らない者であるが、仏を見奉れば、利益をこうむるのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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