余五将軍合戦記 (2) ・ 今昔物語 ( 25 - 5 )
( (1) より続く )
さて、妻子を逃した余五(平維茂)は心安らかとなり、屋敷内を駆け巡り手配りしているうちに、敵勢は家近くまで押し寄せてきて取り囲んで攻撃してくる。
防戦に努めるも、味方の人数は少なくとても対抗しきれない。敵は屋敷のあちらこちらに火をつけて焼き払う。家から飛び出して戦おうとする者には、雨あられと矢を射かけてくるので、内に籠って右往左往する。
やがて、夜が明けると、家の様子は丸見えとなり、一人として逃げ出すことが出来ない。全員屋敷に閉じ込められたまま、ある者は射殺され、ある者は焼き殺されてしまった。
火が消えたあと、敵がみな家の中に討ち行ってみると、焼け死んだ者は、身分の上下を問わず、子供なども合わせて八十余人にのぼった。
「余五の死骸はどれだ」と、死体をひっくり返しひっくり返し見ていくも、いずれも真っ黒に焼け焦げており、中には、誰の死骸とも分からないほど焼け縮んでいる者もある。
「犬さえも逃がすことなく皆殺しにしたのだから、きっと、余五も討ち果たしたに違いない」と、安心して兵士たちは引き返して行った。
寄せ手の郎等も、二、三十人ほどが射られ、ある者は死に、ある者は馬に担ぎ乗せられて返ったが、大君(オオギミ)という者の所に立ち寄った。
この大君というのは、能登守橘惟通(タチバナノコレミチ)という人の子である。思慮深い武者であり、おくゆかしく分別があり、敵対する者などなく誰からも信頼されていた。
余五を夜討ちした沢胯(藤原諸任)は、この大君の妹を妻にしていたので、このように一晩中激しく戦っての返りなので、「兵士たちに何か食べさせて、酒を飲ませてやろう」などと思って寄ったのだが、大君は沢股に会うと、「かくも鮮やかに余五を打ち破ったとは見事なものだ。武勇に勝れ意気盛んな者を、家に閉じ込めて討ち取ったとは思いもよらないことだ。それで、その余五の首は確かに取って、鞍の後ろに結び付けて参ったのか、如何だ」と言った。
沢胯は、「ばかなことを申されますなァ。家に閉じ込めたまま戦いながら、余五は大声で下知し、馬に乗って駆け巡って戦っているうちに夜が明けたので、逃げ出す者ははっきりと見えたので、蠅であっても逃さず、ある者はその場で射倒し、あるいは家に閉じこめたまま焼き殺し、遂にはかすかな声さえ出す者がいなくなるまで焼き殺したのだ。それを、どうして、その汚げな焼けた首を取ってくる必要があろうか。露ほどの疑いもないことなのだから」と、いかにも得意満面の様子で、脇を掻いて(「胸をたたいて」と言った意味で、得意な時の所作をこのように表現したようだ。)言い放った。
大君はこれを聞いて、「なるほど、そのようだ。そなたがそのように思われるのはもっとだ。但し、この翁が思うには、それでもなお、余五の首を、『此奴は生き返るかもしれない』と考えて、鞍の後ろに結び付けてこそ、後々安心というものであろう。そうしない限り、気がかりなことになる。この翁は、彼の人物をいささか知っているから申すのである。
ここで時間をつぶすのはよしなされ。大変な迷惑な事なのだ。老いの果てに、つまらない人に関わって、今更合戦などはまったく無益な事ですからなあ。長年人と付き合ってきたが、さいわい合戦騒ぎなどには関わらず来たというのに、今更関わりたくもない。さあ、今すぐここを立ち去って下され」と、つれなく追い出そうとしたので、これまで大君を実の親のように思って従ってきていたのに、沢胯は追われるままに出て行った。
その時、大君は、「さぞお疲れでしょう。食べ物などは翁の方から差し上げましょう。だから、すぐに行ってくれ」と、あれこれ考える間もなく言ったので、沢胯は、「何と賢い爺さんだことだ」と密かに苦笑いして、馬に乗って皆出て行った。
五、六町ばかり行くと、野笹が生えている西側に小川が流れている所があり、その岸辺に寄って、馬より下り、「ここで休もう」と言って、武具などを皆外して休んでいると、大君の所から酒を大樽に入れて十樽ばかり、魚の鮨(保存できる押し鮨らしい)を五、六桶ばかり、さらに、鯉、鳥、酢、塩に至るまで、たくさん担いで持ってきた。
まず、酒をあたためてそれぞれすくって飲む。昨日の宵から戦の準備を始め、巳時(ミノトキ・午前十時頃)まで戦い続けたので、疲れ切っていた。喉が渇くままに、空きっ腹に酒を四、五杯も飲んだので、皆、死んだように酔いつぶれた。
馬に喰わせる干し草・まぐさ・大豆もたくさん届けられていたので、鞍も下ろし、轡(クツワ)も外し、指縄(サシナワ・馬の口に付けて引く縄)だけ付けて餌を喰わせた。馬も同じように疲れていたので、足を伸ばし、反り返って伏していた。
( 以下、(3) に続く )
☆ ☆ ☆
( (1) より続く )
さて、妻子を逃した余五(平維茂)は心安らかとなり、屋敷内を駆け巡り手配りしているうちに、敵勢は家近くまで押し寄せてきて取り囲んで攻撃してくる。
防戦に努めるも、味方の人数は少なくとても対抗しきれない。敵は屋敷のあちらこちらに火をつけて焼き払う。家から飛び出して戦おうとする者には、雨あられと矢を射かけてくるので、内に籠って右往左往する。
やがて、夜が明けると、家の様子は丸見えとなり、一人として逃げ出すことが出来ない。全員屋敷に閉じ込められたまま、ある者は射殺され、ある者は焼き殺されてしまった。
火が消えたあと、敵がみな家の中に討ち行ってみると、焼け死んだ者は、身分の上下を問わず、子供なども合わせて八十余人にのぼった。
「余五の死骸はどれだ」と、死体をひっくり返しひっくり返し見ていくも、いずれも真っ黒に焼け焦げており、中には、誰の死骸とも分からないほど焼け縮んでいる者もある。
「犬さえも逃がすことなく皆殺しにしたのだから、きっと、余五も討ち果たしたに違いない」と、安心して兵士たちは引き返して行った。
寄せ手の郎等も、二、三十人ほどが射られ、ある者は死に、ある者は馬に担ぎ乗せられて返ったが、大君(オオギミ)という者の所に立ち寄った。
この大君というのは、能登守橘惟通(タチバナノコレミチ)という人の子である。思慮深い武者であり、おくゆかしく分別があり、敵対する者などなく誰からも信頼されていた。
余五を夜討ちした沢胯(藤原諸任)は、この大君の妹を妻にしていたので、このように一晩中激しく戦っての返りなので、「兵士たちに何か食べさせて、酒を飲ませてやろう」などと思って寄ったのだが、大君は沢股に会うと、「かくも鮮やかに余五を打ち破ったとは見事なものだ。武勇に勝れ意気盛んな者を、家に閉じ込めて討ち取ったとは思いもよらないことだ。それで、その余五の首は確かに取って、鞍の後ろに結び付けて参ったのか、如何だ」と言った。
沢胯は、「ばかなことを申されますなァ。家に閉じ込めたまま戦いながら、余五は大声で下知し、馬に乗って駆け巡って戦っているうちに夜が明けたので、逃げ出す者ははっきりと見えたので、蠅であっても逃さず、ある者はその場で射倒し、あるいは家に閉じこめたまま焼き殺し、遂にはかすかな声さえ出す者がいなくなるまで焼き殺したのだ。それを、どうして、その汚げな焼けた首を取ってくる必要があろうか。露ほどの疑いもないことなのだから」と、いかにも得意満面の様子で、脇を掻いて(「胸をたたいて」と言った意味で、得意な時の所作をこのように表現したようだ。)言い放った。
大君はこれを聞いて、「なるほど、そのようだ。そなたがそのように思われるのはもっとだ。但し、この翁が思うには、それでもなお、余五の首を、『此奴は生き返るかもしれない』と考えて、鞍の後ろに結び付けてこそ、後々安心というものであろう。そうしない限り、気がかりなことになる。この翁は、彼の人物をいささか知っているから申すのである。
ここで時間をつぶすのはよしなされ。大変な迷惑な事なのだ。老いの果てに、つまらない人に関わって、今更合戦などはまったく無益な事ですからなあ。長年人と付き合ってきたが、さいわい合戦騒ぎなどには関わらず来たというのに、今更関わりたくもない。さあ、今すぐここを立ち去って下され」と、つれなく追い出そうとしたので、これまで大君を実の親のように思って従ってきていたのに、沢胯は追われるままに出て行った。
その時、大君は、「さぞお疲れでしょう。食べ物などは翁の方から差し上げましょう。だから、すぐに行ってくれ」と、あれこれ考える間もなく言ったので、沢胯は、「何と賢い爺さんだことだ」と密かに苦笑いして、馬に乗って皆出て行った。
五、六町ばかり行くと、野笹が生えている西側に小川が流れている所があり、その岸辺に寄って、馬より下り、「ここで休もう」と言って、武具などを皆外して休んでいると、大君の所から酒を大樽に入れて十樽ばかり、魚の鮨(保存できる押し鮨らしい)を五、六桶ばかり、さらに、鯉、鳥、酢、塩に至るまで、たくさん担いで持ってきた。
まず、酒をあたためてそれぞれすくって飲む。昨日の宵から戦の準備を始め、巳時(ミノトキ・午前十時頃)まで戦い続けたので、疲れ切っていた。喉が渇くままに、空きっ腹に酒を四、五杯も飲んだので、皆、死んだように酔いつぶれた。
馬に喰わせる干し草・まぐさ・大豆もたくさん届けられていたので、鞍も下ろし、轡(クツワ)も外し、指縄(サシナワ・馬の口に付けて引く縄)だけ付けて餌を喰わせた。馬も同じように疲れていたので、足を伸ばし、反り返って伏していた。
( 以下、(3) に続く )
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