雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

伴大納言 疫病神となる ・ 今昔物語 ( 27 - 11 )

2018-10-25 13:12:31 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          伴大納言 疫病神となる・ 今昔物語 ( 27 - 11 )

今は昔、
[ 欠字あり。年時が入るが不詳。]の頃、国中に咳病(シワブキヤミ・流行性の風邪の一種か?)が大流行し、これに罹らぬ人はいないという状態で、上中下の人すべてが病み伏した。

その頃、ある所で、調理人をしている男が、家内の仕事をすべてし終わったので、亥の時(イノトキ・午後十時頃)の頃、皆が寝静まってからわが家に帰ろうと家を出たところ、門の所に、赤い上着を着て冠をつけていて、たいそう気高く怖ろしげな人に出会った。見たところ、その姿は気高く、誰だかわからないものの「下賤の者ではあるまい」と思って、その前にひざまずくと、その人は、「お前は、私を知っているのか」と言った。
調理人は、「存じ上げません」と答えると、その人は、「私はのお、昔、この国におった大納言の伴善雄(トモノヨシオ・伴善男とも。貞観八年(866)応天門炎上事件の首謀者とされた。伴氏は大伴氏から改姓したもの。)という者なのだ。伊豆の国に流罪となって、ずっと以前に亡くなっている。それが行疫流行神(エヤミノカミ・疫病を流行らせる神)となったのである。私は心ならずも朝廷に対して罪を犯し、重い罪をこうむったが、朝廷に仕えている間は、この国から多くの恩を受けた。それゆえ、今年は国中に疫病が流行して、この国の人皆が病死するはずになっていたが、私が咳病程度でとどめるようにしてやったのだ。そのため、咳病が流行っているのだ。私は、そのことをお前に伝えておこうと思ってここに立っているのだ。お前は何も恐がることはないのだ」と言うと、掻き消すように姿が消えた。

調理人はこれを聞いて、こわごわ家に帰り、人々に語り伝えた。
それ以来、「伴大納言は行疫流行神になっている」と人々は知ったのである。
それにしても、世に人はたくさんいるのに、どうしてこの調理人にこの事を伝えたのだろう。
それにもきっと何かわけがあるのだろう。
此(カク)なむ語り伝へたるとや。

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鬼の仕業か ・ 今昔物語 ( 27 - 12 )

2018-10-25 13:11:43 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          鬼の仕業か ・今昔物語 ( 27 - 12 )

今は昔、
六条院の左大臣と申す人がおわした。名を重信(シゲノブ・源氏)と申し上げる。
その大臣(オトド)が方違え(カタタガエ)に朱雀院に一夜おいでなったが、石見守(イワミノカミ)藤原頼信という者が、当時滝口武者(タキグチノムシャ・蔵人所に属し宮中の警備にあたった。)で、この大臣のお側に仕えていたので、その頼信を先払いとして朱雀院に遣わすことにして、「そこで待っているように」と命じたので、頼信は先に朱雀院に行くことになったが、大臣は、大きな餌袋(エブクロ・もともとは、鷹狩の時に餌や獲物を入れるための袋であるが、のちには、食料を携帯するための袋もこう呼ばれた。)に交菓子(マゼクダモノ・数種の果物を取り交ぜた物。)を袋の口すれすれまで調え入れて、緋色の組み紐でしっかりと結んで、頼信に預けて、「これを持って行って置いておけ」と言ってお渡しになったので、頼信はその餌袋を受け取って下人に持たせて朱雀院に行った。

東の対屋の南面に、[ 欠字あり。「座所を設えて」といった言葉か? ]て、灯りなどともして、頼信は大臣のおいでを待っているうちに、夜はしだいに更けたが、大臣はなかなか到着せず、頼信は待ちかねて、傍らに弓・胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具)を立て、その餌袋を押さえていたが、眠気を催し、物に寄りかかって眠り込んでしまった。そのため、大臣がおいでになったのにも気づかなかったので、大臣は入ってくると、寝ている頼信を揺り起こしたところ、頼信は驚いて目を覚まし、あわてふためいて上衣の胸紐を結んで、弓・胡録を取って外に出た。

その後、良家の君達(キンダチ・公達と同じ)が大臣の前に集まって座っていたが、「どうも手持無沙汰だ」ということで、その餌袋を取り寄せて開けて見ると、餌袋の中には塵さえも入っていなかった。
そこで、頼信を呼んでどういうことかと訊ねた。頼信は、「私が白地目(アカラメ・よそ見)をしていて、餌袋から目を離していたのなら、誰かに取られることもございましょう。御屋敷を出ます時に、餌袋をお預かりして、御屋敷の下人に持たせてこちらに来るまで、道すがら目を離すことはありませんでした。ここに持ち込んだあとすぐに、このように押さえておりましたから、どうして中の物がなくなることなどありましょうか。さては、私が押さえたまま寝込んでいる時に、鬼などが取ったのでしょうか」と申し上げたので、集まっていた人は皆恐れおののいた。

「これは実(マコト)に不思議なことだ」と当時の人々は言い合った。
たとえ餌袋を持たせていた下人が盗んだとしても、その量は少しであろうし、跡形もなくはじめから物を入れた気配さえないほどであった。
これは、まさしく頼信が語ったのを聞いて、
此く語り伝へたるとや。

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鬼のたたり ・ 今昔物語 ( 27 - 13 )

2018-10-25 13:10:17 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          鬼のたたり ・ 今昔物語 ( 27 - 13 )

今は昔、
近江の守、[ 欠字あり ]の[ 欠字あり ](氏名が入るが不詳。)という人が、その国にいる頃の事である。
国司の館に、若くて血気盛んな連中が多数いて、昔の話や今の話などを語りあい、碁や双六を打ち、いろいろな遊びをし、物を食ったり酒を飲んだりしていたが、その折、「この国にある安義(アギ・地名らしい)の橋という橋は、昔は人が通っていたが、どんな言い伝えがあるのか、今は『通行人は無事に渡れない』という噂があって、今は誰も通る人がいなくなっている」と、一人の男が言うと、その場にいたお調子者で口達者で腕も立つある男が、その安義の橋の噂のことを信じなかったのか、「我こそが、その橋を渡ってやろう。どれほど恐ろしい鬼の仕業としても、この館で第一の鹿毛(カゲ・体毛が茶褐色でたてがみ、尾、四肢の下方などが黒毛の馬。)に乗りさえすれば、渡れぬはずがあるものか」と言った。
すると、周りにいた者たちは、口をそろえて、「それは大変良いことだ。橋を渡って行くのが便利なのに、こんな噂がたってからは遠回りしているが、本当かどうかはっきりさせたい。また、この者の勇気のほども見てみたいものだ」と言ってけしかけたので、この男はいよいよ勇み立って、互いに言い争った。

このように言い出したことであるが、それ行けとばかりにはやし立てられて、言い争いになっている声が守にまで聞こえて、「たいそう[ 欠字あり。「姦しく」といった言葉か。]く言い合っているのは、何事なのだ」と尋ねると、集まっている者たちは、「かくかく然々の事でございます」と答えた。
守は、「実につまらないことで言い争っていることか。馬のことであれば、すぐにでも連れて行け」と言ったが、この男は、「ちょっとした馬鹿げた冗談でございます。ご配慮いただくなどお恥ずかしい限りです」と、かの男が答えると、けしかけていた者たちは、「なんと、見苦しいぞ。卑怯だぞ」とけしかけた。かの男は、「橋を渡ることが難しいわけではない。御馬を欲しがっているように思われるのが片腹痛いのだ」と言い返す。

しかし、けしかけている者たちは、「すでに日が高くなっているぞ。早くせよ、早くせよ」と言って、馬に鞍を置いて、連れ出してきて押し付けたので、かの男は、胸[ 欠字あり。「つぶれる」と言った言葉か。]ように思ったが、自分から言い出したことなので、馬の尻の方に油をたっぷりと塗って、腹帯を強く締めて、鞭を手首に通し、軽装にして、馬に乗り出かけて行った。
やがて、橋のたもとに近付くにつれて、胸がつぶれるようになり、気分が悪くなるほど怖ろしくなったが、今更引き返すわけにもいかず進んで行くと、日も山の端近くになって、何とも心細い。まして、このような所なので、人気(ヒトケ)もなく、村里も遠くに見えるだけで、人家の煙も遥か彼方にかすんでいて、どうしようもなく心細く感じながら行くうちに、橋の真ん中あたりに、遠くからは見えなかったが、人が一人立っている。

「あれが鬼だな」と思うと、平静な心を失いながらも見てみると、薄紫色の衣のなよやかな物に、濃い紫の単衣を重ね、紅の袴を長やかにはいて、衣の袖で口を覆い何とも悩まし気なまなざしをした女がいる。こちらを物思わし気に見ている姿も哀れげである。
ぼんやりと、誰かに置き去りにされたかのような様子で、橋の欄干に寄りかかっていたが、こちらの姿に気付いて、恥ずかしげであるが、嬉しく思っている様子である。
男はその様子を見ると、すっかり前後の見境も無くしてしまって、「抱き乗せていこう」と馬から飛び降りようとするほど哀れに思ったが、「いや、ここにこのような者がいるはずがない。これは鬼に違いない」と思って、「このまま通り過ぎよう」と自分自身に言い聞かせて、目を塞いで馬に鞭打って通ろうとしたが、その女は、「今に話しかけてくるだろう」と待っていたのに、男が何も言わずに通り過ぎようとしたので、「もし、そこのお方。どうしてそんなにつれなく行き過ぎるのですか。このような思いもよらぬ所に棄てて行かれたのです。人里まで連れて行ってくださいませ」と言うのを、しまいまで聞こうともせず、髪も体の毛も太くなるような気がして(怖ろしさの表現)、馬をさらに急がせて飛ぶように逃げると、その女が「ああ、何とつれない」と叫ぶ声が、大地を響かすほどに聞こえてきた。
そして、後を追って来るので、「やはり、思った通りだ」と思い、「観音様、助け給え」と念じて、驚くほどの駿馬に鞭打って走らせると、鬼は走りかかり、馬の尻に手をかけ手をかけ止めようとしたが、油を塗っていたので、引きはずし引きはずしして(一部欠字あり推定した。)どうしても捕まえることが出来ない。

男は馬を走らせながら後ろを見ると、顔は朱色で、円座(ワラフダ・丸い敷物)のように大きく、目は一つである。背丈は九尺ばかりで、手の指は三つである。爪は五寸ばかりあって刀のようである。身体の色は緑青色で目は琥珀(コハク)のようである。頭の髪は蓬のように乱れていて、見たとたんに肝がつぶれるほどで、怖ろしいことこの上ない。
ひたすら観音を念じ奉って馬を走らせ続けたおかげか、ようやく人里に駆け込んだ。すると鬼は、「よしよし、今回はうまく逃げおおせたが、いつかきっと捕らえずにおくものか」と言って、掻き消すように見えなくなった。

男は、あえぎあえぎ無我夢中で、彼は誰そ時(アレハタソドキ・夕暮れ時)に館に走り着くと、舘にいた者たちは大騒ぎして、「どうであった、どうであった」と尋ねたが、男はそのまま気を失いそうで、口もきけない。
そこで、皆集まって介抱して落ち着かせた。守も心配になって声をかけると、男は、それまでの一部始終をすべて話した。守は、「つまらない言い争いをして、危なく無駄死するところだったな」と言って、馬を男に与えた。
男は、得意顔で家に帰った。妻子や一族の者に対してこの事を話して、恐がった。

その後、男の家に怪しい気配があったので、陰陽師にその祟りについて尋ねると、「これこれの日、厳重に物忌(モノイミ)すべし」と占ったので、その日になると、門を閉じて厳重に物忌をしていた。
ところで、この男に同腹の弟が一人いたが、陸奥の守に従ってその任国に行っていた。その母も一緒に行っていたが、たまたまこの物忌の日に帰って来て、門をたたいたが、「今日は堅い物忌の日です。明日以降にお会いします。それまでは誰かの家を借りていてください」と返事をしたので、弟は、「それは大変困ります。日も暮れてしまいました。私一人なら他所にも行きますが、たくさんの荷物をどうすればいいのですか。今日でなければならないと、わざわざやって来たのです。それに、老母も彼の地で亡くなられたので、そのことも直接お話しようと思っているのです」と申し入れたので、この数年、気に掛かっていた恋しい母親ののことを思うと、胸がつぶれて、「この度の物忌は、母の訃報を聞くためのものだったのか」と言って、「かまわぬ、すぐに門を開けよ」と命じて、泣き悲しんで中に入れた。

そして、庇の間(ヒサシノマ・寝殿造りで、母屋の周囲に一段低く設けた細長い部屋。)で食事をさせた後、向かい合って泣く泣く話をした。弟は、黒い喪服を着ていて泣きながら話していた。兄も泣いていた。
妻は簾の内にいて、二人の話を聞いているうちに、どういう話になったのか、この兄と弟は、突然、取っ組み合い、どたんばたんと上になり下になりし始めたので、妻は、「いったい、どうしたのですか、どうしたのですか」と問いかけると、弟を組み敷いた兄は、「その枕元の太刀を持って来い」と言うので、妻は、「とんでもない。正気ですか、どうするつもりですか」と言って取らずにいると、なおも、「早く寄こせ。ならばわしに死ねというのか」と言っているうちに、下になっていた弟が押し返して、兄を組み敷くと、首をぷつりと喰い切り、踊るように出て行こうとして、妻の方を振り返り、「やれ、嬉しいことよ」と言う顔を見ると、あの安義橋で追いかけられたと夫が語っていた鬼の顔であった。と、思った時には、その姿は掻き消すように消えてしまった。
その時になって、妻をはじめ、家の者たち皆が泣き騒いだが、どうすることも出来なかった。

されば、女のこざかしいことは良くないことである。(女性を下位にみる当時の風潮であるが、ここでは、夫が太刀を渡せと言ったのに、分別を働かせたことを指しているらしい。)
取り置いていたたくさんの荷物や馬などと思っていた物は、さまざまな動物の骨や髑髏(ドクロ)などであった。「つまらない言い争いをして、その結果命を落とすのは愚かなことだ」と、この話を聞く人々はこの男を非難した。
その後、様々な祈祷などを行い、鬼も姿を消したので、今は安義橋には何事もない、
となむ語り伝へたるとや。

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絶体絶命 ・ 今昔物語 ( 27 - 14 )

2018-10-25 13:09:27 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          絶体絶命 ・ 今昔物語 ( 27 - 14 )

今は昔、
東国の方から上京してきた人が、勢田の橋(セタノハシ・琵琶湖から流れ出る瀬田川にかかっていた橋。)を渡ってきたところで日が暮れたので、どこかの家を借りて泊まろうと考えていると、たまたまその辺りに人も住んでいない大きな家があった。家の中はどこもかしこも荒れていて、人が住んでいた気配もなかった。どういうわけで人が住んでいないのか分からなかったが、馬から下りて一行はここに泊まることにした。

従者たちは、一段低い所に馬などを繋いで席を作った。主人は上の部屋に皮などを敷いて、ただ一人横になったが、旅の途上でこのように人里離れた所で宿をとったこともあり、眠れないでいると、夜もしだいに更けた頃、ほのかに灯りをともしていたが、その灯りのもとで、もともと傍に置いていた鞍櫃(クラヒツ・鞍を入れる櫃)のような物が、誰も近付かないのに、ごとりと音を立てて蓋が開いたので、「怪しいぞ」と思って、「もしかすると、ここには鬼がいて、それで誰も住んでいないのを知らないで泊まってしまったのか」と怖ろしくなって、逃げ出そうという気になった。

けれども、何も気にしていない風を装って見ていると、その蓋が細目に開き、しだいに広く開いていくように見えたので、「これは、きっと鬼の仕業だ」と思ったが、「今すぐ慌てて逃げ出せば、追いかけられて捕まえられるだろう。されば、何も気づいていないようにさりげなく逃げ出そう」と思い至って、「馬の様子がおかしい。見てみよう」と言って起き上がった。
そして、そっと馬に鞍を乗せて、這うようにして乗って、鞭を当てて逃げ出すと、鞍櫃の蓋をがさりと開けて出てくる者がいた。ものすごく怖ろしい声をあげて、「お前はどこまで逃げるつもりだ。わしがここにいるのを知らなかったのか」と言いながら追ってくる。
馬を急がせて逃げながら、後ろを見たが、夜なのでその姿は見えない。ただ、とてつもなく大きく言いようもなく怖ろしげな者である。
こうして逃げていくうちに、勢田の橋にかかった。

とても逃げきれないように思われたので、馬から飛び降りて、馬を棄てて橋の下の柱の陰に身を隠した。
「観音様、助け給え」と念じて、身をかがめていると、鬼が追って来た。
橋の上まで来ると、あの、ものすごく怖ろしい声で、「河侍々々(カワサムライ カワサムライ・他では使われていない言葉で、河童のようなものを指し、鬼の家来らしい。)」と度々叫んでいるので、「うまく隠れおおせた」と思っていると、下の方から、「ここにおります」と答えて出て来た者がいる。
それも暗いので、何物とも分からない   [ この後、すべて欠文となっている。 ]

     ☆   ☆   ☆


* 残念ながら、本稿はこの後すべて欠文となっています。
  どちらかの化け物に捕まえられたのか、うまく逃げおおせたのか、類推する手段もないようです。

* 江戸時代の書物の中に、この物語の続きとして、「橋の下に隠れていたのは鬼の手下で、その鬼によってこの物語の主人公は喰い殺されてしまった」とあるようです。
  ただ、主人公が「観音、助け給え」と念じる部分がありますから、今昔物語の他の説話の多くがそうであるように、観音様の力で救われる可能性が高いと、個人的には考えています。

     ☆   ☆   ☆ 
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賢い女 ・ 今昔物語 ( 27 - 15 )

2018-10-25 13:08:27 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          賢い女 ・ 今昔物語 ( 27 - 15 )

今は昔、
ある屋敷に仕えている若い女がいた。父母も親戚もなく、知り合いもまったくいないので、訪ねていく所もないので、ただ自分の部屋にこもりっきりで、「もし、病気にでもなったらどうしよう」と心細く思っていたが、これと定まった夫もいないのに懐妊してしまったのである。

そこで、いよいよわが身の宿世(シクセ・前世からの定め。宿命。)が思いやられて、自分一人で嘆いていたが、それにしても、まずどこで産めばよいかと思うにつけ、良い方法は分からず、相談する人もいなかった。
「主人に相談しようか」とも思うも恥ずかしくて申し出ることが出来ない。
けれども、この女はもともと賢い女で、思案の末、「もし産気づいたら、ただ一人使っている女童を連れて、どことも知れぬ深い山の奥に行って、どのような木の下でもいいから、そこで産もう」と思い至って、「そこであれば、もし死んでも人に知られずにすむ。もし生きておれば、何事もなかったように帰ってこよう」と心を決めた。
とはいえ、臨月が近付いて来るにつれて、悲しいことは言いようもなかったが、さりげなく振る舞いながら、密かに手はずを整え、食物も少し用意して、この女童に事情を言い含めているうちに、いつしか臨月となった。

やがて、ある日の明け方に、その気配がしてきたので、夜が明けないうちにと思って、女童に用意していた物を残らず持たせて、急いで家を出た。
「東の方向が山に近いだろう」と思って、京を出て東の方向に行くうちに、賀茂川の川原の辺りで夜がすっかり明けた。
「ああ、いずこへ行こうか」と心細かったが、心を励まして、休み休みしながら粟田山の方角行き、山深く入った。適当な場所を求めて歩いているうちに、北山科という所に至った。
見てみると、山の斜面に添って、山荘風に造られた家があった。建物は古くて、壊れかかっている。見たところ、人が住んでいる気配がない。「ここでお産をして、子はそのままして、自分一人だけで帰ろう」と思って、懸命に垣根を越えて中に入った。

放出の間(ハナチイデノマ・母屋から外に張り出した部屋。接客用に用いる。)の、板敷が所々朽ち残っている所に上がって、腰を下ろして休んでいると、奥の方から人がやってくる音がした。
「あれ、困った。人が住んでいたのか」と思っていると、そばの遣戸(ヤリド・引き戸)開けられたので見てみると、白髪の老婆が姿を見せた。
「きっと、つれなく追い出されるだろう」と思ったが、愛想よく笑顔を見せて、「どなたが、思いがけずもおいでになられたのか」と言ったので、女は、ありのままを泣く泣く語った。
老婆は、「それは、お気の毒な事じゃ。どうぞここでお産みなされ」と言って、奥の部屋に呼び入れたので、女はこの上なく嬉しかった。「仏様がお助け下さったのだ」と思って奥に入ると、粗末な畳(ござのような物)を強いてくれた。
そこで、間もなく無事に出産した。

すると、老婆がやって来て、「嬉しいことじゃ。この婆は、年老いてこんな片田舎に住んでいる身なので、物忌(出産は穢れとされた。)など致しませぬ。七日ばかりここに留まって、それからお帰りなされ」と言って、女童に湯を沸かさせて、産湯をしてくれたので、女は嬉しく思って、「棄てよう」と思っていた子も、たいそう可愛い男の子だったので、棄てる気にもなれず、乳を飲ませて寝かせていた。

こうして二、三日ばかり過ぎて、女が昼寝をしていたところ、横に寝かせている子を老婆がのぞき込んで、「なんとうまそうじゃ。ただの一口じゃ」とつぶやいているらしいのを、女は夢うつつに聞いた。女が驚いて目を覚まし、老婆を見ると、何とも怖ろしげに思われた。
「これは鬼に違いない。私はきっと喰われてしまうだろう」と思い、「なんとか気取られぬようにして逃げよう」という気になった。

そうしているうちに、ある時、老婆が昼寝をしてぐっすり寝込んでいたので、そっと子を女童に背負わせて、自分は身軽になって、「仏様、助け給え」と念じて、その家を逃げ出し、もと来た道を辿って走りに走って逃げたので、程なく粟田口に出た。そこから川原に添って行き、土地の人の家に立寄って、着物などを着直して、日が暮れてから主人の屋敷に帰って行った。
賢い女であればこそ、こういうことが出来たのである。子は、人に預けて育てさせた。

その後、あの老婆の消息は分からない。また、女が人にこのような事があったと語ることもなかった。この話は、この女が年老いて後に語ったことである。
これを思うに、こういった古びた家には必ず物の怪のような物が住んでいるものなのだ。されば、あの老婆も、子を見て「なんとうまそうじゃ。ただの一口じゃ」と言ったとすれば、きっと鬼などであったのだろう。
こういうことであるので、そのような所には一人で立ち入ってはならないのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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古い御堂での逢瀬 ・ 今昔物語 ( 27 - 16 )

2018-10-25 13:07:35 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          古い御堂での逢瀬 ・ 今昔物語 ( 27 - 16 )

今は昔、
正親大夫(オオキミノタイフ・宮内省に属する役所の正[カミ]。大夫は五位。)[ 欠字あり。氏名が入るが不詳。]という者がいた。
その人がまだ若い頃、然るべき屋敷に仕えていた女と契りを結び、時々は通っていたが、しばらく行かなくなっていたので、仲立ちの女の所に行って、「今夜あの人に会いたい」と言うと、仲立ちの女は、「ここにお呼びすることは容易いことですが、今夜はこの家に長年親しくしている田舎の人が来て泊まっているので、あいにく使っていただく部屋がないのです」と言うと、「嘘を言っているのだろう」と思って、よく見てみると、もともと小さな家なので、確かに馬や下人などが多数いた。
「なるほど、本当のことなのだ」と思っていると、仲立ちの女はしばらく考えていたが、「いい考えがあります」と言うので、「どういうことか」と尋ねると、女は、「ここから西の方に、無人のお堂があります。今夜だけ、そのお堂でお過ごしください」と言って、愛人の女がいる屋敷は近くのことなので、その女は走って行った。

しばらく待っていると、仲立ちの女は愛人の女を連れてきた。
「さあ、まいりましょう」と言うと、二人は出かけたが、西に一町余り行くと、古いお堂があった。仲立ちの女はお堂の戸を引き開けて、自分の家から持ってきた畳(薄縁。ござのようなもの。)一枚を敷き、「夜が明けましたら、迎えに参ります」と言って、帰って行った。

そういうことで、正親大夫は女と横になり、寝物語などしていたが、従者もなくただ二人きりで、人気もない古いお堂なので、薄気味悪いと感じていたが、真夜中頃になったかと思われる頃、お堂の後ろの方に、火の光が現れた。
「人がいたのか」と思っていると、女の童が一人、火を灯して持ってきて、仏の御前と思われる所に置いた。
正親大夫は、「これは困ったことになったぞ」と困惑していると、その後ろの方から女房が一人出て来た。
どうも怪しい、と様子を見るにつけ怖ろしく思われ、「どうなるのか」と正親大夫は起き上がり見ていると、女房は一間ばかり離れてこちらを窺っていた。しばらくすると女房は、「ここに入って来られた方はどなたですか。たいそう奇怪なことです。私はここの主です。どういうわけで主に断りもせずに、ここに入って来られたのでしょうか。ここには、昔から人がやって来て泊まるような事はありません」と言う。そう言う様子も、まことに言いようもなく怖ろしい。
正親大夫は、「私は、ここに人がお住まいだとは少しも存じませんでした。ただ、ある人が、『今夜はここに泊まりなさい』と申しましたので参ったのです。大変失礼な事でした」と言った。女房は、「速やかに出て行ってください。出て行かなければ、具合の悪いことになるでしょう」と言った。
そこで、正親大夫は愛人の女を引き立てて出て行こうとしたが、女は汗まみれになっていて立ち上がることも出来ないので、むりやり連れ出した。そして、肩に引きかけて行くも歩けないのを、何とか女の主人の屋敷の門まで連れて行き、門を叩いて女を中に入れた。正親大夫は家に帰った。

家に帰ってからも、この事を思い出すと、頭の毛が太くなるほど怖ろしくなり、気分も悪くなったので、次の日も一日中臥せっていたが、夕方になって、昨夜愛人の女が歩けなくなっていたことが気になって、あの仲立ちの女の家に行って様子を聞くと、女が「あの方は、帰っては来られましたが、気を失っていて、そのまま死んでしまいそうなので、『何事があったのか』と尋ねたのですが、何も答えることが出来ず、主人も驚き騒ぎましたが、あの方には身寄りもありませんので、仮屋を造り(死の穢れを忌み嫌ったもので、死期が迫った重病人は屋外に出すのが当時の風習。)そこに出していたところ、間もなく亡くなりました」と言うのを聞いて、正親大夫は大変驚き、「実は、昨夜これこれしかじかの事があったのだ。鬼の住んでいる所に人を寝かせるとは、とんでもない人だ」と言うと、女は、「決してあそこにそういうことがあるなどと思ってもいませんでした」と答えたが、今更どうしようもない。

この話は、正親大夫が年老いてから人に語ったのを聞き伝えたものであろう。
そのお堂は、今もあるとのことで、七条大宮の辺りにあったと聞いているが、詳しいことは知らない。
されば、無人の古いお堂などには泊まってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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妻を取られる ・ 今昔物語 ( 27 - 17 )

2018-10-25 13:06:14 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          妻を取られる ・ 今昔物語 ( 27 - 17 )

今は昔、
東国の方から、「五位の位を買おう」と思って、京に上って来た者がいた。
その妻も、「そのついでに京見物をしよう」と言って、夫について上京したが、宿所が手違いでとれなくなり、さっそくその夜の宿泊場所に困り、無人になっている川原院(河原院)に手蔓があったので、そこを管理している者に相談したところ、貸してもらえたので、物陰になっている放出の間(ハナチイデノマ・母屋から外に張り出している建物。接客用の部屋。)に、幕などを引き廻らして主人は宿所とした。従者どもは土間にいて、食べ物を作らせ、馬を繋がせて数日を過ごした。
ある夕暮れ時、主人の使っている部屋の後ろの方にある妻戸(両開きの戸)が、突然奥の方から開けられたので、「奥に人がいるので開けられたのだろう」と思っていると、何だかよく分からない物が、さっと手を差し出して、一緒に泊まっていた妻をつかんで、妻戸の奥に引き入れられたので、夫は驚いて大声を立てながら引き留めようとしたが、かなわず妻は引き込まれてしまった。
夫は急いで妻戸を引き開けようとしたが、すぐに閉じてしまって、開かなくなってしまった。

そこで、わきにある格子戸や引き戸などを、押したり引いたりしたが、どれも内側から鍵が懸けられていて、とても開けることが出来ない。
夫は、動転して[ 欠字あり。慌てている様子の言葉か? ]て、あちらこちらと走り回って、東西南北の戸を引っ張ったが、どうしても開かないので、近くの家に走って行って、「たった今、かくかくしかじかの事がありました。私を助けてください」と言うと、人が大勢出てきて、家の周りを廻って調べたが、開いた所もない。

やがて、夜となり暗くなってしまった。そこで、思いあぐねてしまい、斧を持ち出して来て戸をたたき割り、火を灯して中に入って調べてみると、どのようにして殺したのか、妻には傷一つなく[ 欠字あるも、不詳。]として、そこにある棹(サオ)に掛けられたまま死んでいた。
「鬼が吸い殺したのだろう」と人々は口々に言いあったが、どうすることも出来ずに終わった。妻が死んだので、男も怖れをなして逃げ出し、どこかへ行ってしまった。このように、不思議なこともあるのだ。
されば、様子の分からない古い家には宿を取ってはならない、
となむ語り伝へたるとや。

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板状の怪物 ・ 今昔物語 ( 27 - 18 )

2018-10-25 13:05:24 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          板状の怪物 ・ 今昔物語 ( 27 - 18 )

今は昔、
ある人のもとに、夏の頃、武芸自慢の若い侍(貴族の家に仕えて警備などを担当する者。また、当時は、貴族などに仕える身分が低い男全般を指した。)が二人、南面の放出の間(ハナチイデノマ・接客用の建物)にいて宿直(トノイ)をしていたが、この二人はもともと武芸の心得があり、[ 欠字あり。不詳。]也ける田舎出の者どもで、太刀などを持って、寝ることもなく話をしていたが、他にも、この屋敷で幅を利かせている年配の侍で、どこかの役所の三等官で五位くらいの男が、寝所近くの宿直として出居(イデイ・庇の間にある部屋で、主として客間とした。)で一人で寝ていたが、二人の侍のような[ 欠字あり。不詳。]なる心得もなかったので、太刀・刀(太刀は長刀、刀は短刀。)も持っていなかった。

先の放出の間で宿直している二人の侍が、夜もしだいに更けてきた頃、ふと外を見上げると、東の対屋の屋根の上に、突然、板が現れたので、「あれは何だ。あんな所に、今ごろ板が出てくるはずがない。もし誰かが、火を付けようと思って屋根の上に登ろうとしているのでないか」「それなら、下から板を立てかけて登るはずなのに、あれは上から板が出てきたのだから、わけが分からんぞ」などと二人は声をひそめて話し合っていると、その板はだんだんと伸びて、七、八尺ほども出てきた。
不思議なことだと見ていると、その板は突然ひらひらと飛んで、この二人の侍の方に降りてきた。
「これは鬼に違いない」と思って、二人の侍は太刀を抜いて、「近くに来れば切ってやる」と思って、おのおの片膝ついて、太刀を取り直して構えていると、そこへはやって来ず、そばの格子戸の僅かな隙間から、こそこそと入って行った。

あんな隙間から入ったな、と見ていると、その内は出居なので、そこで寝ていた五位の侍は、物にうなされた人のように二、三度ばかりうめき、その後は声もしなくなったので、二人の侍は驚き騒ぎ、走り回って人を起こして、「これこれこういう事がありました」と告げたので、ようやく起きてきた人たちは火を灯して近寄って見ると、その五位の侍はぺちゃんこになって[ 欠字あるも、不詳。]殺されていた。
板は外に出て行ったとは見えなかったが、屋敷内にも見当たらなかった。人々はこれを見て怖れおののくこと限りなかった。五位の遺体はすぐに外に担ぎ出された。

これを思うに、この二人の侍は、太刀を持って切ろうとしていたので近寄ることが出来ず、中に入って、刀も持たず無防備に寝入っていた五位を[ 欠字あるも、不詳。]殺したのであろう。
その屋敷に鬼がいると知られるようになったのは、これより後のことであろうか。あるいは、もともとそういう所であったのだろうか。詳しいことは分からない。

されば、男子たるものは、どういう場合で太刀・刀を身から離さず持っているべきである。こういうわけで、当時の人はこの話を聞いて、太刀・刀を身から離さなかった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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油瓶の怪物 ・ 今昔物語 ( 27 - 19 )

2018-10-25 13:03:19 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          油瓶の怪物・ 今昔物語 ( 27 - 19 )

今は昔、
小野の宮の右大臣(藤原実資)と申す方がいらっしゃった。名を実資(サネスケ)と申し上げる。
身に付けた学問・芸能はすばらしく、賢明なお方だったので、世間の人は、賢人の右大臣とお呼びしていた。

さて、ある日のこと、この人が参内されて後、退出するとて大宮大路を南に下っておられた時、車の前に小さな油瓶(アブラカメ・灯油を入れる瓶)が踊りながら行くので、大臣はこれを見て、「まことに怪しいことだ。これは何物であろう。物の怪などに違いあるまい」と思っておいでになると、大宮大路の西、[ 欠字あり。]よりは[ 欠字あり。](「大路または小路」および「北か南の方角」が入るが、意識的な欠字になっている。)にある人の屋敷の閉じられている門の前まで跳ねながらやって来た。
戸が閉じられているので、鍵の穴があるのを見つけて、そこから入ろうと何度も何度も飛び上がったが飛びつくことが出来ず、とても無理だろうと思えたが、遂に飛びついて、鍵の穴から中に入って行った。

大臣はこの様子を見届けてから帰宅され、それから家の者に、「どこそこの所にある家に行って、さりげなく『何事もなかったか』と尋ねて参れ」と命じて行かせた。使いの者は、すぐに帰って来て報告した。「あの家には、若い娘がいらっしゃいまして、このところ病に臥せっておりましたが、今日の昼頃お亡くなりになりました」と。
大臣は、「思った通り、あの油瓶はきっと物の怪であったのだ。それが鍵の穴より入り込んで殺してしまったのだ」とお思いになった。その姿をご覧になることが出来た大臣も、並たいていの人ではおありでない。

されば、このような物の怪は、様々な物に姿を変えて現れるものである。
これを思うに、何かの恨みを晴らそうとしたのであろう。
此(カク)なむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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生霊と出会う ・ 今昔物語 ( 27 - 20 )

2018-10-25 11:19:10 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          生霊と出会う ・ 今昔物語 ( 27 - 20 )

今は昔、
京から美濃・尾張の辺りに下ろうとする身分の低い男がいた。
京を暁(明け方)に出ようと思っていたが、まだ夜更けの頃に起き出して歩いて行ったが、[ 欠字あり。]と[ 欠字あり](どちらも大路の名前が入るが、意識的に欠字にしている。)との四辻の所で、大路の真ん中に青みがかった着物を着て、褄を取って裾を引き上げている女がただ一人で立っていたので、男は、「どういう女が立っているのだろう。こんな時間にまさか女が一人で立っているはずがあるまい。連れの男がいるのだろう」と思って、通り過ぎようとすると、その女は男に、「そこにおいでのお方は、どちらに参られるのでしょうか」と尋ねるので、男は、「美濃・尾張の方へ下る者です」と答えた。
女は、「それではお急ぎなのでしょうね。そうだとは思いますが、ぜひとも申し上げたいことがございます。しばらくお立ち止まりください」と言った。
男は、「何事でしょうか」と言いながら立ち止まると、女は、「この近くにある民部大夫(ミンブノタイフ・民部省の三等官。五位相当。)[ 欠字あり、氏名が入るが意識的な欠字になっている。]という人の家はどこでしょうか。そこへ行こうと思っているのですが、道に迷ってしまいました。私をそこへ連れて行っていただけないでしょうか」と言う。

男は、「その人の家に行かれるのに、どうしてここにいらっしゃるのですか。その家は、ここから七、八町も行かなければなりません。ただ、私は先を急いでおりますので、そこまでお送りするのは無理でございます」と答えた。
女は、「そうでございますでしょうが、極めて大切な用事なのです。ぜひお連れくださいませ」と言うので、男は気が進まないまま連れて行くことになった。
女は、「大変嬉しゅうございます」と言って歩きだしたが、どうもこの女の様子が怖ろしく感じられたが、「こんなことはよくあることだ」と思って、女が言っていた民部大夫の家の門まで送りつけ、「ここがその人の家の門です」と男が言うと、女は、「お急ぎのところ、わざわざ後戻りしてここまで送ってくださいまして、たいそう嬉しゅうございます。私は、近江国[ 欠字。意識的に欠字としている。]郡のこうこういう所のこういう者の娘でございます。東国の方においでの節には、その道筋に近いところですから、ぜひお立ち寄りくださいませ。とても気がかりなことがございましたので」と言って、前に立っていたと思われた女は、にわかに掻き消すように消えてしまった。

男は、「なんと不思議なことだ。門が開いているのなら門の内に入ったとも考えられるが、門は閉ざされている。いったいどうしたことか」と、頭の毛が太くなるほど(恐怖の表現としてよく使われる。)怖ろしくなり、すくんだようになって立っていると、その家の内からにわかに泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「どうしたことか」と聞いていると、人が死んだらしい気配である。「何とも不思議なことだ」と思って、しばらくその辺りをうろついているうちに夜も明けたので、「何事が起ったのか尋ねてみよう」と思い、すっかり明るくなってから、その家にちょっとした知り合いがいたので、その人に会って様子を尋ねると、「近江国にいらっしゃる奥方の生霊(イキズタマ)が取り憑いたと言って、ここの主人は長らく患っていましたが、この明け方に、『その生霊が現れたようだ』などと言っているうちに、にわかにお亡くなりになったのです。これほどはっきりと、生霊は人を取り殺すものなのですね」と語るのを聞いているうちに、この男も何となく頭が痛くなってきて、「あの女は喜んでいたが、この頭痛はあの女の毒気に当てられたのだろう」と思って、その日は出立を思い止まって家に帰った。

その後三日ばかり経って下って行ったが、あの女が教えた辺りを通りかかった時、男は、「さて、あの女が言っていたことが本当かどうか試してみよう」と思って尋ねてみると、本当にそれらしい家があった。
立ち寄って、「これこれしかじか」と取り次がせると、「そういうこともあったでしょう」と言って家に呼び入れて、簾越しに会って、「先夜の嬉しさは、いずれの世に行こうとも忘れることはございません」などと言って、食事などを出し、絹織物や麻布などをくれたので、男はとても怖ろしく感じながらも、それらを貰って退出して、東国に下って行った。

これを思うに、生霊というものは、ただ魂が人に乗り移ってすることかと思っていたが、なんと、その当人もはっきりと知って行うこともあるのだ。これは、あの民部大夫が妻にした女が、捨て去られたので、怨みを募らせて生霊となり、夫を殺したのである。
されば、女の心は怖ろしいものである、
となむ諸(モロモロ・あれこれと)語り伝へたるとや。 
(時々違う形式で終わることがあるが、本稿も珍しい終わり方である。)

     ☆   ☆   ☆


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