雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

本話は欠文 ・ 今昔物語 ( 27 - 21 )

2018-10-25 11:18:36 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          本話は欠文 ・ 今昔物語 ( 27 - 1 )

本稿、第二十七巻の第二十一話は空欄になっている。
欠文ということではなく、この巻の第二十九話が二つあるので、採番を間違えたものと考えられる。

     ☆   ☆   ☆
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怨霊の頼み事 ・ 今昔物語 ( 27 - 22 )

2018-10-25 11:17:49 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          怨霊の頼み事 ・ 今昔物語 ( 27 - 22 )

今は昔、
長門の前司(ゼンジ・前任の国司)藤原孝範という者がいた。
その人が、下総の権守(ゴンノカミ・仮に任じられた国司)であった時、関白殿(藤原頼通。道長の子で、平等院の創建者でもある。)に仕えていて、美濃の国にある生津の御庄(イクツのミショウ・岐阜県内にあった関白所有の荘園。)という所を預かり管理していたが、その御荘に紀遠助という者がいた。

使用人が多数いる中で、孝範はこの遠助を重用していて、東三条殿(藤原兼家の邸宅で、藤原氏の氏長者に伝領された。)の長宿直(ナガトノイ・長期間の宿直)に呼び寄せて勤めさせたが、その期間が終わったので、暇を取らせて故郷へ帰らせた。
遠助は美濃へと下って行ったが、その途中、勢田の橋(セタノハシ・瀬田川に架かる交通の要衝)を渡ろうとした時、橋の上に裾を取った女が立っていたので、遠助は、「怪しいぞ」と思いながら通り過ぎようとすると、女が「あなたはどちらへいらっしゃるのですか」と声をかけてきた。そこで、遠助は馬から下りて、「美濃へ行こうとしています」と答えた。
女は、「お言付け申したいと思うのですが、お聞き届けくださいますでしょうか」と言うので、遠助は、「お引き受けいたしましょう」と答えた。

女は、「大変嬉しゅうございます」と言って、懐より絹に包んだ小さな箱を取り出して、「この箱を、方県郡の唐の郷(カタガタノコオリのモロコシのサト・岐阜市辺り。唐人の居住地か?)の収(オサメ)の橋のたもとにお持ちくださいますと、橋の西詰に女房がお待ちしているはずです。その女房にこれをお渡しくださいませ」と言うので、遠助は気味悪く感じて、「つまらぬ事を引き受けたものだ」と思ったが、女の様子が何となく怖ろしく感じて、断り切れず、箱を受け取って、「その橋のたもとにいらっしゃる女房はどなたなのでしょうか。どこにお住みの方なのですか。もしお会いできない時にはどこにお尋ねすればよいのでしょうか。また、これをどなたからと申せばよいのでしょうか」と尋ねた。
女は、「あなたがその橋のたもとにおいでになれば、この箱を受け取りにその女房が現れるでしょう。決して違うことはございません。但し、穴賢(アナカシコ・よろしいですね。戒めの言葉。)、努々(ユメユメ・決して)この箱を開けて見てはなりません」と言って、立っていたが、遠助の従者たちには、女の姿は見えておらず、「我が主は、馬から下りてわけもなく立っているぞ」と怪しく思っていたが、遠助が箱を受け取ると、女は立ち去った。

そこで、また馬に乗り、やがて美濃に行き着いたが、あの橋のたもとへ行くことを忘れて通り過ぎてしまったので、箱を渡すことが出来ないまま家に着いてしまった。
家に帰り着いたところで、女との約束を思い出し、「気の毒な事をしてしまった。この箱を渡しそこなってしまった」と思ったが、「近いうちにこれを持って行って、尋ね捜して渡そう」ということにして、納戸のような所の調度品の高い所に置いていた。
ところが、この遠助の妻というのが、嫉妬心が大変強い女で、遠助がその箱を置くのをさりげなく見ていて、「あの箱は、どこかの女にやるために京からわざわざ買ってきて、私に隠して置いているのだ」と勘ぐって、遠助が出掛けている間に、妻はそっと箱を取り出して開けて見ると、中には、人の目玉をえぐり出したものが多数入っていて、他に、男根の毛が少し付いたまま切り取った物もたくさん入っていた。

妻はそれを見て、大変驚き、怖ろしくなって、遠助が帰って来るとあわてふためいて呼び寄せて、箱の中を見せると、遠助は、「ああ、『決して見てはいけない』と女が言っていたのに。困ったことになったぞ」と言って、慌てて蓋をして、もとのように結んで、すぐさまあの女に教えられた橋のたもとに持って行って立っていると、本当に一人の女房が現れた。
遠助はその箱を渡して、あの女が言ったことを伝えると、女房は箱を受け取って、「この箱を開けて見られましたね」と言った。遠助は、「決してそのようなことはしていません」と言ったが、女房の様子はとても不機嫌そうになって、「とんでもないことをなさいましたね」と言うと、たいそう腹を立てた様子であったが箱を受け取ったので、遠助は家に帰った。

その後、遠助は、「気分が悪い」と言って寝込んでしまった。そして妻に、「あれほど開けるなと言われていた箱を、考えもなく開けて見てしまって」と言って、程なくして死んでしまった。
されば、人妻が嫉妬深く、むやみに疑ったりすることは、夫のためにこのような良くないことがあるのだ。嫉妬のゆえに遠助は思いもよらず、なくさなくてもよい命を失ってしまったのである。
嫉妬は女の習性とはいいながら、これを聞く人は皆この妻を非難した、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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鬼になった母 ・ 今昔物語 ( 27 - 23 )

2018-10-25 11:16:59 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          鬼になった母 ・ 今昔物語 ( 27 - 23 )

今は昔、
[ 欠字あり。国名が入るが不詳。]の国、[ 欠字あり。郡名が入るが不詳。]の郡に、鹿や猪を捕るのを仕事にしている二人の兄弟がいた。常に山に行って鹿を射ているので、この日も、兄弟は連れ立って山に入った。
二人は、山に入って、「待ち」ということをしていた。それは、高い木の股に横に木を結び付けて、それに座って、その下に鹿が来るのを待っていて射るのである。そこで、四、五段(タン・長さの単位で、一段は六間、11mほど。)ばかり離れて、兄弟は向かい合って木の上に座っていた。
九月下旬の闇夜の頃なので、あたりは真っ暗で何も見えない。ただ、鹿がやってくる音を聞き逃さないように待っていたが、しだいに夜も更けてきたが、鹿はやって来ない。

その時、兄がいる木の上の方から、何物かが手をさし下ろして、兄の髻(モトドリ)を掴んで、上の方に引きあげた。兄は、「何事か」と思って髻を掴んでいる手をさぐると、それは、すっかりやせ細った人の手であった。
「これは、鬼がわしを喰らおうとして掴んで引き上げようとしているに違いない」と思って、「向かいにいる弟に知らせよう」と思って弟を呼ぶと返事があった。

兄は、「今、もしわしの髻を掴んで上の方に引きあげる者がいるとすれば、お前はどうするのか」と言うと、弟は、「その時は、見当をつけてその者を射ましょう」と答えた。
兄は、「実は、現に今、わしの髻を何者かが掴まえて引き上げようとしているのだ」と言う。弟は、「それでは、兄者の声を頼りに射かけます」と答えると、兄が「それでは、射よ」と命じるのに従って、弟が雁股の矢(カリマタのヤ)を取って射かけると、兄の頭の上あたりで手ごたえがあったようなので、弟は、「当たったようですよ」と言うと、兄は手で髻の上をさぐると、掴んでいた手が腕首(手首)から射切られていてぶら下がっていたので、兄をそれを取ると弟に、「掴んでいた手は見事に射切られていたので、ここに取っている。さあ、今夜はもう帰ろう」と言うと、弟も、「そうしましょう」と答えて、二人とも木から下りて、連れ立って家に帰った。帰り着いたのは、夜半過ぎであった。

ところで、二人には年老いて立ち居もままならない母がいたが、納戸のような部屋に住まわせ、二人は母の部屋を囲むように両側に住んでいた。兄弟が山から帰って来た時、怪しいことに母が苦しげにうめいていたので、兄弟は、「どうしてうめいているのですか」と尋ねたが、何も答えない。
そこで、灯をともして、取ってきた射切られた手を二人で見てみると、この母の手に似ていた。とても怪しく思って、さらによく見ると、まさに母の手なので、二人は母がいる部屋の引き戸を開けると、母は起き上がって、「お前たちは、よくもよくも」と掴みかかろうとするので、二人は、「これは母上の手ですか」と言って、その手を投げ入れると、戸を閉めて逃げ去った。

その後、母は間もなく死んだ。二人がそばに寄って見てみると、母の片手は手首から射切られていてなかった。それで、やはり母の手であったということが分かった。これは、母がたいそう老い呆けて、鬼になって我が子を喰らおうとして、あとをつけて山に行ったのである。
されば、人の親でたいそう老いたる者は、必ず鬼になってこのように我が子を喰らおうとするものである。だが、この兄弟は、この母を丁重に葬った。

この事を思うと、実に怖ろしい事である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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鬼を矢で射る ・ 今昔物語 ( 27 - 24 )

2018-10-25 11:16:09 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          鬼を矢で射る ・ 今昔物語 ( 27 - 24 )

今は昔、
播磨の国[ 欠字あり。郡名が入るが不詳。]の郡に住んでいた人が死んだので、死の穢れの祓いなどさせようと、陰陽師を呼んでしばらく逗留させたが、その陰陽師が、「近々某日に、この家に鬼がやって来ようとしています。ぜひとも慎まれますように」と言った。

その家の者たちは、陰陽師の言葉を聞いて大変怖がって、陰陽師に、「それでは、どうすればいいでしょうか」と尋ねると、陰陽師は、「その日は厳格に物忌みをする必要があります」と答えた。
やがて、その日になったので、固く物忌みをして、「その鬼はどこからどのような姿で現れるのですか」と陰陽師に尋ねると、陰陽師は、「門から人の姿をしてやってきます。このような鬼は、道理に反したような非道の道を行くことはしないものです。ごくごく道理にかなった道を行くものです」と答えたので、門に物忌みの札を立て、桃の木(桃の木には霊力があると考えられていた。)を切って道を塞ぎ、[ 欠字あり。災厄除けの法と思われるが、不詳。]法を行った。

このようにして、鬼が来るという時刻を待って、門を固く閉じ、物の隙間から覗いていると、藍ずりの水干袴(スイカンバカマ・狩衣の一種で男子の平服)を着た男が笠を首に掛けて、門の外に立って中を覗いた。
それを見た陰陽師は、「あれが鬼です」と言ったので、家の中の者たちは恐れおののき、あわてふためいた。この鬼である男は、しばらく覗き込んでいたが、どうして入ってきたのか分からないうちに入ってきた。そして、家の内に入ってきて、竈(カマド)の前に立っていたが、まったく見たこともない男であった。

そこで、家の中の者たちは、「もうあそこまで来ている。どうなってしまうのだろう」と、肝を冷やしていると、その家の主の子である若い男は、「このままでは、どうしようとあの鬼に喰われてしまう。どうせ死ぬのであれば、この鬼を射て、後世に名を残してやろう」と思って、物の陰から大きなトガリ矢を弓につがえて、鬼に狙いをつけて強く引いて放つと、鬼の真ん中に命中した。
鬼は射られると、走り出ていったと思うと、掻き消すように消えてしまった。矢は突き刺さることなく、はね返った。

家の者は、皆これを見て、「とんでもないことをしたものだ」などと言うと、若い男は、「どうせ死ぬのなら、後の人に語られることもあれと思って、試みたのだ」と言うと、陰陽師もあきれ顔をするばかりであった。その後、その家に格別な事は起こらなかった。
されば、陰陽師が企んだことかとも思われるが、門から入ってきた様子や、矢がはね返ってきて突き刺さらなかったことを思うと、やはりあの男はただ者ではなかったと考えられる。
鬼が、このようにはっきりと人に姿を変えて現れることは、めったにない怖ろしいことだ、
となむ語り伝へたるとや。

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妻の執念 ・ 今昔物語 ( 27 - 25 )

2018-10-25 11:15:21 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          妻の執念 ・ 今昔物語 ( 27 - 25 )

今は昔、
京に住んでいる生侍(ナマサブライ・青侍に同じ。若く身分の低い侍。侍は、後世の武士とは違い、貴族に仕えて警備や雑事に従事した者。あるいは身分の低い主取りの男を指すこともある。)がいた。長年貧しい暮らしで、世渡りする仕事もなかったが、思いがけず、[ 欠字あり。姓名が入るが不詳。]という人が、[ 欠字あり。国名が入るが不詳。]の国守になった。この侍は、以前からその守と面識があったので、守の家を訪れたところ、「そのように、京にいても仕える人もいないのであれば、わしの任国へ一緒に行かないか。少々の面倒は見てやれるから。長年お前を気の毒に思っていたが、わしも思うにまかせぬ生活だったので何もしてやれなかったが、このたび任国に下ることになったので、連れて行こうと思うが、どうかな」と言った。
侍は、「大変嬉しいことでございます」と答えて、いよいよ下ることになったが、この侍には長年連れ添っている妻がいて、貧乏暮しは堪えられないほどであったが、その妻は、年も若く、容姿も優れていて、気立ても良かったので、貧しい生活の中でも互いに離れがたく思って暮らしてきていた。
ところが、この男(侍)は、遠い国に下ることになって、この妻を捨てて、他の裕福な女を妻にしたのである。その妻が旅仕度すべてを準備してくれたので、その妻を連れて国に下って行った。
そして、国にいる間、何につけても生活は豊かになった。

このように豊かな生活を送っているうちに、京に捨ててきた元の妻のことが無性に恋しくなり、逢いたい気持ちがにわかに募り、「早く上京して、あの女に逢いたいものだ。今頃どうしているのだろう」と、居ても立ってもいられず、何も身につかない状態で過ごしていたが、空しく月日が流れ、守の任期が終わり上京することになり、この侍も守に従って上京した。
「自分は然るべき理由もないのに、元の妻を捨ててしまった。京に帰り着いたなら、そのまま元の妻のもとに行って一緒に住もう」と心に決めて、京に着くや否や今の妻を実家に行かせ、侍は旅装束のままであの元の妻のもとに行った。
家の門は開いていたので、中に入ってみると、様子がすっかり変わっていて、家は大変荒れ果てていて、人が住んでいる気配もない。
この様子を見るにつけ、いよいよ哀れに思われ心細いこと限りない。九月の中頃のことなので、月がとても明るい。夜気も冷え冷えとしていて哀れさに胸が苦しくなるほどである。

家の中に入ってみると、かつて居た所に妻は一人座っていた。他には誰もいない。
本の妻は男(侍)を見て、恨む様子もなく、嬉しげな様子で、「これはまた、どうなさったのでしょうか。いつ上京なさったのですか」と尋ねる。男は、下っていた国で長い間想い続けていたことを言って、「これからはここで住もう。国から持ってきた品物などは、今日明日のうちに取り寄せよう。従者なども呼び寄せよう。今宵はこの事だけを言おうと思って来たのだ」と言うと、妻は嬉しく思っている様子で、これまでの事などを語り合い、夜も更けてきたので、「さあ、もう寝よう」と、南面の方に行って、二人は抱き合って横になった。
男は、「ここには誰もいないのか」と尋ねると、女は、「こんなひどい有様で暮らしていましたので、召使いなどおりません」と言い、秋の夜長を夜もすがら語り合ったが、以前より身にしみるように哀れに思われた。

こうしているうちに明け方近くになり、共に寝入った。夜が明けるのも知らず寝ていたが、やがて夜も明けきって、日も出た。
昨夜は、使用人もいないので、蔀(シトミ・上下二枚からなる外戸。)の下戸だけを立てて、上戸は下ろさなかったので、日の光がきらきらと差し込んできたので、男ははっと目を覚まして抱いて寝ている女を見ると、からからに干乾びて骨と皮だけになった死人だった。
「これは、どうしたことか」と驚くとともに、形容しがたいほどの恐怖に襲われ、着物を掻き抱いて立ち上がり走り出し庭に飛び下りて、「もしや見間違いか」と見直したが、間違いなく死人であった。

そして、急いで水干袴(スイカンハカマ・男子の平服)を着て、走り出て、隣の小家に駆けこんで、今はじめて訪ねてきたような顔で、「この隣にいらっしゃった人は、今どこにおいでですか。あの家には誰もいないのですか」と尋ねた。すると、その家の人は、「あの家のお方は、長年連れ添っていた男がいましたが、その男があの人を捨てて、遠国に下って行ったので、それで深く嘆いておられましたが、そのため病気になってしまい、看病する人もいないままに、この夏に亡くなってしまいました。取って棄てる人もいないので(当時は、風葬など野辺に葬るのが一般的であった。)、今もそのままになっていて、恐がって近寄る人もなく、家は空き家になっています」と言うのを聞くと、ますます怖ろしさが増した。そして、侍はどうする術もなく帰って行った。

まことに、どれほど恐ろしかったことだろう。亡き妻の魂が留まっていて、夫に逢ったのに相違ない。
思うに、妻は長年の思いに堪えかねて、きっと夫と結ばれたのであろう。かくも不思議なこともあるものだ。
されば、このようなこともあるのだから、長年無沙汰を重ねていても、やはり尋ねていくべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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哀しい逢瀬 ・ 今昔物語 ( 27 - 26 )

2018-10-25 11:14:35 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          哀しい逢瀬 ・ 今昔物語 ( 27 - 26 )

今は昔、
大和の国、[ 欠字あり。郡名が入るが不詳。]の郡(コオリ)に住む人がいた。その人には一人の娘がいた。容姿端麗にして気立ても良いので、父母は大切に育てていた。
一方、河内の国、[ 欠字あり。郡名が入るが不詳。]の郡に住む人がいた。その人には一人の男子がいた。年も若く、容貌が優れていたので、京に上って宮仕えをしたが、笛を上手に吹いた。さらに、気立ても良かったので父母はこれを可愛がった。

さて、この河内の国の若者は、あの大和の国の人の娘が見目麗しいということを伝え聞いて、手紙を送って、熱心に想いを告げたが、娘の父母はしばらくは聞き入れようとしなかったが、余りにも熱心なので、父母もついに承諾した。
その後、二人は互いに深く愛し合って暮らしていたが、三年ばかりして、この夫が思いもかけず病気になって、数日寝込んでいるうちに、亡くなってしまった。

女はこれを嘆き悲しみ、狂わしいまでも恋い懐かしんでいたが、その国の数多くの男性が、恋文を送って求婚してきたが、聞き入れるはずもなく、ひたすら亡き夫のみを恋い悲しむばかりの月日を送っていた。
やがて、三年経った秋のこと、女がいつもより涙に溺れて泣き伏していると、真夜中頃に笛の音が遠くから聞こえてきた。女は、「ああ、あの人によく似た音色だこと」と思って、いっそう悲しくなって聞いてていると、笛の音はしだいに近付いてきて、その女のいる部屋の蔀(シトミ・外戸)のもとに寄ってきて、「ここを開けてくれ」という声は、まぎれもなく昔の夫の声なので、驚き心打たれたものの、怖ろしくもあり、そっと立ち上がって蔀の隙間から覗いてみると、確かに夫が経っていた。
そして、夫は泣きながらこう言った。

 「 シデノ山 コエヌル人ノ ワビシキハ コヒシキ人ニ アハヌナリケリ 」( 死出の山を 越えて冥途にいる私が これほど悲しいのは 恋しいあなたに 逢えないからなのだ )
こう言って立っている姿は、生きていた時そのままであるが、それでも怖ろしい。袴の紐は解けていて(親愛の情を示している。)、また、身体からは煙が立っているので、女は怖ろしくて、物も言わずにいると、男は、「無理もない。そなたがあまりにも私を恋い慕っているのが哀れなので、無理を言って暇(イトマ)をもらってやって来たのだが、そのように怖がられるならば、返ることにしよう。私は、日に三度、灼熱の苦しみを受けているのだ」と言うと、その姿は掻き消すように消えてしまった。
そこで、女は、「今のは夢だったのか」と思ったが、夢であるとも思えず、不思議なことだと思うばかりであった。

これを思うに、人は死んでも、このようにはっきりと目に見えるものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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牛を借りた怨霊 ・ 今昔物語 ( 27 - 27 )

2018-10-25 11:13:34 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          牛を借りた怨霊 ・ 今昔物語 ( 27 - 27 )

今は昔、
播磨の守佐伯公行(サエキノキンユキ・平安時代の中級貴族。1033年没。)という人がいた。その人の子で、佐大夫[ 欠字 ](サダイフは、佐伯の大夫の略。欠字部分は氏名が入るが不詳。)といって四条高倉に住んでいた者は、今も生きている顕宗(アキムネ・伝不祥)という者の父である。
その佐大夫は、阿波の守藤原定成朝臣(諸説あるも、出自不祥)の供をして阿波国に下ったが、その途中で船が沈んでしまい阿波の守共々死んでしまった。その佐大夫は、河内禅師(伝不祥)という者の親類である。

その頃、その河内禅師の家に黄斑(アメマダラ・黄色い飴色の斑)の牛がいた。その牛を知人が貸してほしいというので、淀(京都市伏見区)に行かせたところ、樋集橋(ヒツメバシ)の上で牛飼が車の扱いを誤って、車輪の片側を橋から落とし、それに引きずられて車全体が橋から落ちそうになった。
ところが、「車が落ちるぞ」と思ったのか、牛は踏ん張って堪えたので、鞅(ムナガイ・牛や馬と車を繋ぐ太い紐)が切れて車は落ちて壊れてしまったが、牛は橋の上に留まっていた。誰も乗っていなかったので、人が傷つくことはなかった。つまらない牛であれば、引きずられて牛も落ちていたことだろう。そこで、「すごく力の強い牛だ」と、その辺りの人は褒め称えた。

その後、その牛を大切に飼っていたが、どういうわけだか分からないが、その牛がいなくなってしまった。
河内禅師は、「いったい、どうしたことだ」と大騒ぎして捜しまわったが見つからないので、「どこかへ逃げてしまったのか」と、近辺から遠くまで捜させたが、どうしても見つからず、捜しあぐねていたが、河内禅師の夢の中に、あの亡くなった佐大夫が現れたので、「あの男は、海に落ちて死んだと聞いているが、どうしてやって来たのだろうか」と夢心地ながらも「怖ろしい」と思いながらも出て行って会ってみると、佐大夫は、「自分は死んだ後、この家の丑寅(ウシトラ・東北。鬼門にあたる方角。)の隅に住んでいますが、あれから日に一度、樋集橋のたもとに行って苦しみを受けているのです。ところが、自分の罪(現世の悪行ゆえの罪)が深くて大変身体が重く、乗物さえ耐えられないので、やむなく歩いていますがとても苦しいので、この黄斑の御車牛は力が強くて、自分が乗っても大丈夫なので、しばらくお借りして乗って行き来していましたが、あなたがたいそうお捜しになっているので、これから五日後の六日目の巳の時(ミノトキ・午前十時頃)の頃にお返しします。それまで、あまり大騒ぎして捜さないでください」と言った、と思ったところで夢から覚めた。
河内禅師は、「このような不思議な夢を見た」と人に語って、牛を捜すのを止めていた。

その後、その夢で見た六日目の巳の時の頃に、あの牛がどこから来たとも分からないが歩いて帰ってきた。牛は、何か大仕事をしてきたような様子であった。
さては、あの樋集橋で車は落ち、牛だけが踏み止まったのを、あの佐大夫の霊がたまたま行き会って、「力の強い牛だなあ」と思って、借りて乗り回していたのだろうか。

これは、河内禅師が語った話である。これは極めて恐ろしい事である、
となむ語り伝へたるとや。

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銀を取られる ・ 今昔物語 ( 27 - 28 )

2018-10-25 09:40:25 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          銀を取られる ・ 今昔物語 ( 27 - 28 )

今は昔、
世間で白井の君(シライのキミ・伝不祥)と呼んでいる僧がいた。最近亡くなった人である。その僧は、もとは高辻東洞院に住んでいたが、後には烏丸(カラスマ)小路の東、六角小路の北で、烏丸小路に面して、六角堂とは背中合わせの所に住んでいた。
ある時、その僧坊に井戸を掘ったが、土を投げ上げた時の音が、石にあたった金属のような音だったのを聞きつけて、白井の君は不審に思って近寄って見ると、銀の鋺(カナマリ・金属製のおわん)であったので、取り置いていた。その後、それに別の銀を加えて、小さな提(ヒサゲ・酒や水を注ぐのに用いる口つきの容器。)を作らせて持っていた。

ところで、備後の守藤原良貞(実在の人物)という人に、この白井の君は何かの縁があって親しくしていたが、ある時、その備後の守の娘たちが白井の君の僧房に行き、髪を洗い湯浴みをしたが、備後の守の下女があの銀の提を持って、例の鋺を掘り出した井戸に行き、その提を井桁の上において、水汲み女に水を入れさせていたが、取りそこなって提を井戸の中に落としてしまった。
その落すところを、たまたま白井の君も見ていたので、すぐに人を呼んで、「あれを引き上げよ」と命じて、井戸に降ろして捜させたが、どこにも見えないので、「沈んでしまったのだ」と思って、多くの人を井戸に降ろして捜させたが見つからないので、驚き怪しみ、さらに人を集めて水を汲み干して捜させたが見つからない。ついに、見つからないままになった。

この事について人々は、「もとの鋺の持ち主の霊が、取り返したのだろう」と言い合った。そうだとすれば、つまらない鋺を見つけて、別の銀を加えたうえで取られてしまったのでは、えらい損をしたものである。
これを思うに、きっと霊が取り返したのだと思うが、極めて恐ろしい事だ。
此(カク)なむ語り伝へたるとや。

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桜を詠じる声 ・ 今昔物語 ( 27 - 29 )

2018-10-25 09:39:36 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          桜を詠じる声 ・ 今昔物語 ( 27 - 29 )

今は昔、
上東門院(藤原道長の長女、藤原彰子)が京極殿(キョウゴクドノ・道長の邸宅)にお住みになっていた時のこと、三月二十日過ぎの花の盛りのことであったが、南面(ミナミオモテ)の桜がまことに美しく咲き乱れていたが、院(上東門院)が寝殿においでになると、南面の日隠しの間(ヒカクシノマ・階隠しの間ともいう。柱と柱の間の意。)の辺りで、たいそう気高く神さびた声で、『 こぼれてにほふ 花ざくらかな 』と詠ずる声がするので、その声を院がお聞きになって、「あれは、どういう人の声だろう」と思われて、御障子が開けられていたので、御簾(ミス)の内からご覧になったが、どこにも人の気配がない。
「いったいどうしたことか。誰が詠じていたのか」と、多くの人を召して見に行かせたが、「近くにも遠くにも、誰もおりません」と申し上げると、院は驚かれて、「これはまたどうしたことか。鬼神などが詠じていたのか」と恐怖を感じられて、「関白殿(藤原頼通。道長の長子。上東門院は妹。)が[ 欠字あり。殿舎の名前で、「高陽院」らしい。]にいらっしゃったので、急いで「こんなことがありました」と伝えさせられると、関白殿は、「それは、そこの[ 欠字あり。「くせ」らしい。]で、いつもそのように詠じるのです」とご返事があった。

そこで、院はますます怖がられて、「『あれは、誰かが花を見て感動してあのように詠じたのを、このように厳しく詮議したので、恐れて逃げ去ったに違いない』と思っていたが、ここの『くせ』であるとすれば、極めて恐ろしいことだ」と仰せになられた。そのため、この後は、ますます怖がられて、ここの近くにもおいでになられなかった。

これを思うに、これは狐などが言ったことではあるまい。何物かの霊などが、この歌を「すばらしい歌だ」と思っていて、花を見るたびに常にこのように詠じているのだと人々は想像した。そのような物の霊などは、夜現れるものであって、昼日中に大声で詠じることがあれば、まことに恐るべきことである。
いかなる霊であったかは、ついに分からずじまいであった、
となむ語り伝へたるとや。

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稚児を奪い合う ・ 今昔物語 ( 27 - 29 重複分 )

2018-10-25 09:38:03 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          稚児を奪い合う ・ 今昔物語 ( 27 - 29 重複分 )

今は昔、
源雅通(ミナモトノマサミチ・宇多源氏。1017年没。)中将という人がいた。丹波中将と言われていた。その家は四条大路の南、室町小路の西にあった。
この中将がその家に住んでいた頃、二歳ぐらいの稚児を乳母が抱いて、南面にあたる所で、ただ一人でその稚児を遊ばせていたが、突然稚児が激しく泣きだし、乳母の叫び声もしたので、中将は北面にいたが、これを聞いて何事が起ったのかと、太刀を引っさげて走って行って見ると、同じ姿の乳母二人が中にこの稚児を置いて、左右の手足を掴んで互いに引っ張り合っていた。

中将は驚きながらもよく見てみると、二人は全く同じ姿で、どちらが本物の乳母だか分からない。
そこで、「どちらか一人は、きっと狐などに違いない」と思って、太刀をひらめかせて走りかかると、一人の乳母は掻き消すように消えてしまった。

その時には、稚児も乳母も死んだようになって倒れていたので、中将は従者たちを呼び、験力のある僧などを呼び寄せて、加持祈祷などさせると、しばらくして乳母は気がついて起き上がったので、中将は、「どうした事なのか」と尋ねると、乳母は、「若君を遊ばせておりましたところ、奥の方より見知らぬ女房が突然やって来て、『これは我が子です』と言って、奪い取ろうとしましたので、奪われてはならないと引っ張り合っていたところ、殿がおいでになって、太刀をひらめかせて走りかかられましたので、若君を放り出して、その女房は奥の方へ行ってしまいました」と言ったので、中将は大変恐ろしく思った。

そこで、「人から離れた所では、稚児などを遊ばせてはならないものだ」と人々は言い合った。狐が化かしたことなのか、あるいは物の怪の仕業なのか、分からないままであった、
となむ語り伝へたるとや。

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* 本話は、「第二十九の重複分」としていますが、原文において、「第二十九」が二つ載せられているためです。おそらく、単純な採番ミスと考えられますが、「第二十一」が欠落していることと何らかの関係があるのかもしれません。

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