怨霊の頼み事 ・ 今昔物語 ( 27 - 22 )
今は昔、
長門の前司(ゼンジ・前任の国司)藤原孝範という者がいた。
その人が、下総の権守(ゴンノカミ・仮に任じられた国司)であった時、関白殿(藤原頼通。道長の子で、平等院の創建者でもある。)に仕えていて、美濃の国にある生津の御庄(イクツのミショウ・岐阜県内にあった関白所有の荘園。)という所を預かり管理していたが、その御荘に紀遠助という者がいた。
使用人が多数いる中で、孝範はこの遠助を重用していて、東三条殿(藤原兼家の邸宅で、藤原氏の氏長者に伝領された。)の長宿直(ナガトノイ・長期間の宿直)に呼び寄せて勤めさせたが、その期間が終わったので、暇を取らせて故郷へ帰らせた。
遠助は美濃へと下って行ったが、その途中、勢田の橋(セタノハシ・瀬田川に架かる交通の要衝)を渡ろうとした時、橋の上に裾を取った女が立っていたので、遠助は、「怪しいぞ」と思いながら通り過ぎようとすると、女が「あなたはどちらへいらっしゃるのですか」と声をかけてきた。そこで、遠助は馬から下りて、「美濃へ行こうとしています」と答えた。
女は、「お言付け申したいと思うのですが、お聞き届けくださいますでしょうか」と言うので、遠助は、「お引き受けいたしましょう」と答えた。
女は、「大変嬉しゅうございます」と言って、懐より絹に包んだ小さな箱を取り出して、「この箱を、方県郡の唐の郷(カタガタノコオリのモロコシのサト・岐阜市辺り。唐人の居住地か?)の収(オサメ)の橋のたもとにお持ちくださいますと、橋の西詰に女房がお待ちしているはずです。その女房にこれをお渡しくださいませ」と言うので、遠助は気味悪く感じて、「つまらぬ事を引き受けたものだ」と思ったが、女の様子が何となく怖ろしく感じて、断り切れず、箱を受け取って、「その橋のたもとにいらっしゃる女房はどなたなのでしょうか。どこにお住みの方なのですか。もしお会いできない時にはどこにお尋ねすればよいのでしょうか。また、これをどなたからと申せばよいのでしょうか」と尋ねた。
女は、「あなたがその橋のたもとにおいでになれば、この箱を受け取りにその女房が現れるでしょう。決して違うことはございません。但し、穴賢(アナカシコ・よろしいですね。戒めの言葉。)、努々(ユメユメ・決して)この箱を開けて見てはなりません」と言って、立っていたが、遠助の従者たちには、女の姿は見えておらず、「我が主は、馬から下りてわけもなく立っているぞ」と怪しく思っていたが、遠助が箱を受け取ると、女は立ち去った。
そこで、また馬に乗り、やがて美濃に行き着いたが、あの橋のたもとへ行くことを忘れて通り過ぎてしまったので、箱を渡すことが出来ないまま家に着いてしまった。
家に帰り着いたところで、女との約束を思い出し、「気の毒な事をしてしまった。この箱を渡しそこなってしまった」と思ったが、「近いうちにこれを持って行って、尋ね捜して渡そう」ということにして、納戸のような所の調度品の高い所に置いていた。
ところが、この遠助の妻というのが、嫉妬心が大変強い女で、遠助がその箱を置くのをさりげなく見ていて、「あの箱は、どこかの女にやるために京からわざわざ買ってきて、私に隠して置いているのだ」と勘ぐって、遠助が出掛けている間に、妻はそっと箱を取り出して開けて見ると、中には、人の目玉をえぐり出したものが多数入っていて、他に、男根の毛が少し付いたまま切り取った物もたくさん入っていた。
妻はそれを見て、大変驚き、怖ろしくなって、遠助が帰って来るとあわてふためいて呼び寄せて、箱の中を見せると、遠助は、「ああ、『決して見てはいけない』と女が言っていたのに。困ったことになったぞ」と言って、慌てて蓋をして、もとのように結んで、すぐさまあの女に教えられた橋のたもとに持って行って立っていると、本当に一人の女房が現れた。
遠助はその箱を渡して、あの女が言ったことを伝えると、女房は箱を受け取って、「この箱を開けて見られましたね」と言った。遠助は、「決してそのようなことはしていません」と言ったが、女房の様子はとても不機嫌そうになって、「とんでもないことをなさいましたね」と言うと、たいそう腹を立てた様子であったが箱を受け取ったので、遠助は家に帰った。
その後、遠助は、「気分が悪い」と言って寝込んでしまった。そして妻に、「あれほど開けるなと言われていた箱を、考えもなく開けて見てしまって」と言って、程なくして死んでしまった。
されば、人妻が嫉妬深く、むやみに疑ったりすることは、夫のためにこのような良くないことがあるのだ。嫉妬のゆえに遠助は思いもよらず、なくさなくてもよい命を失ってしまったのである。
嫉妬は女の習性とはいいながら、これを聞く人は皆この妻を非難した、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆