雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

裏を見せおもてを見せて散るもみぢ

2024-03-23 08:03:58 | 私の好きなフレーズ

『 「裏を見せ おもてを見せて 散るもみぢ」・・、この、まるで、何もかも分ったよ、と言わんばかりの句を見るたびに、良寛の苦しみの影のようなものを感じてしまうのです。』


 『 裏を見せ おもてを見せて 散るもみぢ 』
この句は良寛の辞世とされているものの一つです。
貞心尼による「はちすの露」の最後の部分に、辞世として和歌一首、俳句二句が示されていますが、その中の一つです。
また、同書の中に、「こは、御みずからにあらねど」とありますから、自作でないか、あるいは類似の句があったのかも知れません。
ただ、晩年の良寛を最も知る一人である貞心尼が記していることからすれば、折りにつけ良寛はこの句を口ずさんでいたのかもしれません。
         ( 中略 )
「裏を見せ おもてを見せて 散るもみぢ」・・、この、まるで、何もかも分ったよ、と言わんばかりの句を見るたびに、良寛の苦しみの影のようなものを感じてしまうのです。そして、それだからこそ、私は良寛が好きなのです。

    ( 「言葉のティールーム」 エピローグより  )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両陛下 能登へ

2024-03-22 19:16:03 | 日々これ好日

      『 両陛下 能登へ 』

    両陛下が 能登半島地震のお見舞いのため
    被災地を ご訪問されていた
    愛子さまの 大学ご卒業のニュースとも合わせ
    温かな気持ちを いただいた

                  ☆☆☆
    

         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さあ 山本由伸投手の出番だ!!

2024-03-21 18:57:22 | 日々これ好日

   『 さあ 山本由伸投手の出番だ!! 』

   いよいよ 山本由伸投手の初登板だ
   日本のナンバーワン投手の 姿を見せて欲しい
   その為にも 大谷サーン 
   いろんな思いを 吹き飛ばして
   早いイニングで 援護得点を 頼みまァーす
   大谷翔平選手の 新しい出発の 試合でもあるのだ!!

                   ☆☆☆  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大荒れの春分の日

2024-03-20 18:32:57 | 日々これ好日

       『 大荒れの春分の日 』

   「暑さ寒さも彼岸まで」 という言葉があるが
   「何のことですか」 と聞きたくなるような
    ほぼ全国的に 大荒れの天気となった
    それも 寒さがしっかりと居残り
    しかも 波の寒さではなかった
    各地で 被害も出ていて 厳しいお彼岸となった
    ぼた餅をいただきながら ご先祖様にご挨拶のつもりが
    今日は勘弁していただいた
    お彼岸の期間は まだ三日あるので 
    ぼた餅はいただいてしまったが ご挨拶は後日ということで・・

                     ☆☆☆
       

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花山院の崩御 ・ 望月の宴 ( 105 )

2024-03-20 08:00:41 | 望月の宴 ③

     『 花山院の崩御 ・ 望月の宴 ( 105 ) 』


さて、こうしているうちに二月となったが、花山院がたいそう重くお患いになられる。
「これは一大事。どのようなご容態なのか」とお聞き申し上げていたが、御瘡(オンカサ・できもの。)で発熱なさったのである。哀れにもご臨終かと思われるご様子なので、医師なども治癒の望みの薄い旨を申し上げる。
院には、例の中務とその娘が生んだ御子がたくさんいらっしゃるが、それぞれに女宮が二人ずついらっしゃる。
「私が死ぬのであれば、まず何よりもこの女宮たちを忌み(四十九日)のうちに皆私が連れて行くぞ」といったことばかり仰せになるので、御匣殿(ミクシゲドノ・中務のこと)もその娘も、さまざまに涙を流される。
中務の生んだ妹宮は、姉妹の兵部命婦(花山院に仕えていたらしい。)に生まれたその時に、「これは、あなたの子にしなさい。わたしは関与しないから」と仰せになったので、命婦はそのつもりでその妹宮を養育申し上げている。

こうしているうちに、花山院は昏睡状態となり、二月八日に崩御なさった。御年四十一歳でいらっしゃった。
長年の間おそばでお仕えしていた僧侶も俗体の者も、心から悲しく哀惜申し上げること限りなかった。
殿(道長)なども、「何と言ってもご立派であった院であられたのに。まことに残念で寂しいことだ」とお申しになられる。

御葬送の夜、忌まわしい喪服を着るというので、兵部命婦は、
『 去年(コゾ)の春 桜色にと いそぎしを 今年は 藤の衣をぞ着る 』
と詠んだ。まことに、哀れなることがたくさんある。

実際に、御忌みの間に、この兵部命婦が養っている女宮をお除きして、他の女宮は片端から皆お亡くなりになったので(史実としては、よく分っていない。)、高貴な人の御心は、まことに恐ろしいものだと思い知らされたのである。
「兵部命婦に養われた女宮は、『私は関与しない』と仰せられていたので、断念なさったのであろう」と言っては、泣き嘆いたのである。  

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どの世界も大変

2024-03-19 19:25:42 | 日々これ好日

      『 どの世界も大変 』

    今春は ツクシになかなか お目にかかれなかった
    ウグイスは 早くに鳴き声を聞き
    今日あたりは ずいぶんしっかりとした鳴き声になっている
    一方 ツクシは 近くの生息地が どんどん少なくなり
    散歩のコースを いくつか変えてみても 見つからず
    昨日 ようやく 二、三十本のツクシン坊に会うことが出来た
    ところが 今朝の散歩の時には すべて姿を消していた
    どなたかが 春の味を楽しんだのか
    子供たちが 喜んで摘んだのだとすれば 仕方がないが
    ツクシの生存環境も なかなか大変のようだ・・・

                   ☆☆☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健やかに羽ばたけ

2024-03-18 19:16:55 | 日々これ好日

      『 健やかに羽ばたけ 』

    小学校の 卒業式風景が放映されていた
    一人一人が 元気いっぱいに 将来の抱負を語っていた
    束縛の多い 大変な小学校生活だったと思うが
    放映されている卒業生たちは 溌剌としているように見えた
    次はまだ中学なので 社会の荒波というわけではないだろうが
    子供たちが すくすくと育ってくれる環境こそが
    豊かな社会である為の 何よりも優先すべき条件だと思う
    さて その為には・・・

                      ☆☆☆
    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から選抜高校野球

2024-03-17 19:13:17 | 日々これ好日

      『 明日から選抜高校野球 』

    明日は 選抜高校野球の 開会式が行われる
    お天気も大丈夫なので 元気な入場行進が見られそうだ
    春の高校野球は 春の風物詩の一つで
    爽やかな戦いぶりが 関西に本格的な春を迎えてくれる
    正々堂々 力一杯のプレーを 楽しませていただこう

                    ☆☆☆

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つひにはいかがなる

2024-03-17 08:00:40 | 古今和歌集の歌人たち

    『 つひにはいかがなる 』


 身を捨てつ 心をだにも はふらさじ 
         つひにはいかが なると知るべく

            作者 おきかぜ 

( 巻第十九 雑躰歌  NO.1064 )
      みをすてつ こころをだにも はふらさじ
              つひにはいかが なるとしるべく


* 歌意は、「 我が身は捨てると決心したが 心までは 捨て去ることはするまい 捨て去った我が身が どうなるか知ることが出来るように 」といった、少々理屈っぽい歌のようです。

* 作者の「おきかぜ」とは、藤原興風のことです。
興風の生没年は未詳ですが、平安時代の官吏・歌人です。最終位階は正六位上ですので、貴族の地位(従五位下)に昇ることは叶わなかったようです。
興風について伝えられている官暦は、
900 年、相模掾
902 年、治部少丞
904 年、上野権大掾
914 年、下総大掾
となっていて、主として地方官を歴任しています。「掾・丞」というのは、中央官の「判官」と同じで、三等官です。守護にはかなり差のある職階です。

* 興風は、藤原京家の一族です。
京家は、藤原不比等の四人の息子が起こした藤原四家の一つです。列記しますと、長男の武智麻呂が南家、次男の房前が北家、三男の宇合が式家、そして四男の麻呂が京家です。
四家のうち、最初に台頭したのは南家で、次いで式家で、劣勢にあった北家は先行する両家の失脚もあって、北家を中心とした藤原氏の全盛期を築いていきます。
そうした中で京家は、目立った飛躍を見せないまま埋没していきます。その理由としては、祖である麻呂が末弟であったこと、子女が少なかったこと、唯一参議になっていた浜成が氷上川継の乱(天武天皇の曾孫にあたる川継が謀反を計画したが失敗したとされる事件。)に連座して流罪を受け政治生命を失ったことなどがあります。
興風が生きた時代は、すでに北家全盛と言える時代になっていたのです。

* 興風の父・道成は、参議になっていた浜成の曾孫に当たります。道成も相模掾であったようですが、詳しい経歴は分らず、興風の生没年さえ確認に出来ません。残念ながら、藤原氏全盛に向かう時代にあって、京家である興風には厳しい時代であったようです。
そうした中で、興風は、管弦の上手として認められていたようです。そして和歌は、古今和歌集に17首、勅撰和歌集全体では38首が採録されていますので、古今和歌集時代の有力歌人の一人と評価されていたようです。
そう考えますと、官吏としては忸怩たるものを抱えながらも、和歌や管弦においては、一流文化人としての誇りを保った生涯だったのかも知れません。

* 掲題の歌は、私の個人的な好みで選んだもので、興風の代表歌というわけではありません。よく知られているということでは、小倉百人一首に選ばれている和歌がありますので、最後にご紹介させていただきます。 
 ( 古今和歌集 巻第十七 雑歌上 NO.909 )
『 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに 』

     ☆   ☆   ☆

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線 敦賀まで延伸 

2024-03-16 18:12:05 | 日々これ好日

      『 北陸新幹線 敦賀まで延伸 』

    北陸新幹線が 敦賀まで開通し
    大々的な セレモニーが放映されていた
    折から 能登半島地震で 痛手を受けている
    北陸地域の 観光業に支援が始まったが
    北陸新幹線の開通も 敦賀を中心にナイスタイミングだ
    ただ 関西からは 北陸が少し遠くなってしまった
    どうしてくれますかな?!

                  ☆☆☆
         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする