本尊の観音さんに祈りを込めて営みをする観音講がある。
山間では桜井や天理にもあるがそれは大和平野部辺りで相当数の講中で行われているようだ。
見聞きする範囲の講中はお年寄りの高齢者ばかりである。
いずこも若い人が入ってくれんから一人減り、二人減りという具合で消滅する時期は近いと話される。
その観音講は観音さんの功徳の日とされる17日に営みをされる場合が多いようだが毎月17日にされる地域は数少ない。
同じような状況下にある桜井市の三輪高宮でもそれは変わらない。
数年前にお一人が亡くなられたことから7人になった講中が集まったのは高台にある高宮の会所だ。
昼食を終えた人たちがやってくる前に当番の人が会所の扉を開けて支度をする。
座敷にはめいめいが座りやすいように設えた座イスもある。
足が痛いから伸ばすことができない工夫であるとS区長は話す。
毎月営まれていることは知っていたがその様子を見たくて挨拶に来られた。
行事取材がきっかけとなったわけである。
会所は平成6年に改築された。
それまでは朽ちるくらいにボロボロであったという。
村の費用で賄った改築だったようだ。
その折にそこらじゅうにあった石仏を寄せて並べた。
愛宕大神、庚申供養塔、荒神宮、延命地蔵などの6体である。
そのなかの庚申供養塔は享保九年(1724年)の記名が残されているからおよそ300年前に建てられたものだ。
その庚申さんには庚申講があった。
あったのは数年前までだ。
103歳の男性が営まれていたがこれ以上続けることができなくなってしまったことから古文書や掛け図は区長に預けられたという。
どのようなことが記帳されていたのか判らないが貴重な文書は大切に保管されているそうだ。
保管といえば会所もそうである。
昨今は仏像泥棒がはびこる時代だけに安全性を考えて厳重なセキュリティを設置している会所。
窓を開けた瞬間に非常ベルが鳴りだした。
そう、セキュリティロックの解除をし忘れていたのだった。
そういう安全面は呼出に使われる梵鐘にも鍵を取り付けて会所内に納められているのだ。
そうこうしているうちにいつもの時間になれば観音さんのお祭りの日だといって講中が集まりだした。
ローソクを灯し線香をくゆらし安置している十一面観音立像に向かってお念仏を唱えていく。
光背が美しい「観音さんはそんじょそこらにあるようなものではない」という。
会所の建て替えの際に埃まみれだった観音さんは布地で奇麗にぬぐったという区長。
壊れやしないかとおそるおそる拭いたそうだ。
導師は中央に座って隣は鉦叩き。
当番の人が鉦を叩いて拍子をとる。
始めの香偈文や懺悔偈文、般若心経を三巻唱えられあとは西国三十三番のご詠歌に移る。
長丁場のご詠歌だけに23番で一旦終えて休憩する。
各地で行われている観音講もだいたいそうされている。
お茶やお菓子をいただいて一息いれたあとは再びご詠歌が続けられる。
その最初に唱和するのが高宮の観音さんのご詠歌である。
「まよいぬるむつの ちまたをかなしみて みわのふもとに いとすくうらん」と詠みあげる。
その次が24番となってすべてを終えるお勤めには1時間もかかった。
高齢者とは思えない力強いご詠歌は会所に響き渡った。
こうして暑い日も寒い日も続けてきた観音講の営み。
「寝込むことなく、しかも長ごう苦しまんと亡くなることができる。先年亡くなった人もそうやった。ありがたい観音さんや」と笑顔で91歳のご婦人は話された。
ちなみに8月23日の地蔵盆にも観音講が営まれる。
その日は延命地蔵の前に座って般若心経を三巻唱える。
そのお勤めを終えると梵鐘を吊って鐘を叩く。
それはお下がりが配られる合図であるという。
なぜか21日の夜は宵宮で境内には溢れるほどの村人が集まってくるそうだ。
三輪の高宮(たかみや)さんはかつて大神神社の代々代宮司を輩出した地区だそうで、同神社を氏神さんと言えるのはここだけやと区長はいう。
(H23. 6.17 EOS40D撮影)
山間では桜井や天理にもあるがそれは大和平野部辺りで相当数の講中で行われているようだ。
見聞きする範囲の講中はお年寄りの高齢者ばかりである。
いずこも若い人が入ってくれんから一人減り、二人減りという具合で消滅する時期は近いと話される。
その観音講は観音さんの功徳の日とされる17日に営みをされる場合が多いようだが毎月17日にされる地域は数少ない。
同じような状況下にある桜井市の三輪高宮でもそれは変わらない。
数年前にお一人が亡くなられたことから7人になった講中が集まったのは高台にある高宮の会所だ。
昼食を終えた人たちがやってくる前に当番の人が会所の扉を開けて支度をする。
座敷にはめいめいが座りやすいように設えた座イスもある。
足が痛いから伸ばすことができない工夫であるとS区長は話す。
毎月営まれていることは知っていたがその様子を見たくて挨拶に来られた。
行事取材がきっかけとなったわけである。
会所は平成6年に改築された。
それまでは朽ちるくらいにボロボロであったという。
村の費用で賄った改築だったようだ。
その折にそこらじゅうにあった石仏を寄せて並べた。
愛宕大神、庚申供養塔、荒神宮、延命地蔵などの6体である。
そのなかの庚申供養塔は享保九年(1724年)の記名が残されているからおよそ300年前に建てられたものだ。
その庚申さんには庚申講があった。
あったのは数年前までだ。
103歳の男性が営まれていたがこれ以上続けることができなくなってしまったことから古文書や掛け図は区長に預けられたという。
どのようなことが記帳されていたのか判らないが貴重な文書は大切に保管されているそうだ。
保管といえば会所もそうである。
昨今は仏像泥棒がはびこる時代だけに安全性を考えて厳重なセキュリティを設置している会所。
窓を開けた瞬間に非常ベルが鳴りだした。
そう、セキュリティロックの解除をし忘れていたのだった。
そういう安全面は呼出に使われる梵鐘にも鍵を取り付けて会所内に納められているのだ。
そうこうしているうちにいつもの時間になれば観音さんのお祭りの日だといって講中が集まりだした。
ローソクを灯し線香をくゆらし安置している十一面観音立像に向かってお念仏を唱えていく。
光背が美しい「観音さんはそんじょそこらにあるようなものではない」という。
会所の建て替えの際に埃まみれだった観音さんは布地で奇麗にぬぐったという区長。
壊れやしないかとおそるおそる拭いたそうだ。
導師は中央に座って隣は鉦叩き。
当番の人が鉦を叩いて拍子をとる。
始めの香偈文や懺悔偈文、般若心経を三巻唱えられあとは西国三十三番のご詠歌に移る。
長丁場のご詠歌だけに23番で一旦終えて休憩する。
各地で行われている観音講もだいたいそうされている。
お茶やお菓子をいただいて一息いれたあとは再びご詠歌が続けられる。
その最初に唱和するのが高宮の観音さんのご詠歌である。
「まよいぬるむつの ちまたをかなしみて みわのふもとに いとすくうらん」と詠みあげる。
その次が24番となってすべてを終えるお勤めには1時間もかかった。
高齢者とは思えない力強いご詠歌は会所に響き渡った。
こうして暑い日も寒い日も続けてきた観音講の営み。
「寝込むことなく、しかも長ごう苦しまんと亡くなることができる。先年亡くなった人もそうやった。ありがたい観音さんや」と笑顔で91歳のご婦人は話された。
ちなみに8月23日の地蔵盆にも観音講が営まれる。
その日は延命地蔵の前に座って般若心経を三巻唱える。
そのお勤めを終えると梵鐘を吊って鐘を叩く。
それはお下がりが配られる合図であるという。
なぜか21日の夜は宵宮で境内には溢れるほどの村人が集まってくるそうだ。
三輪の高宮(たかみや)さんはかつて大神神社の代々代宮司を輩出した地区だそうで、同神社を氏神さんと言えるのはここだけやと区長はいう。
(H23. 6.17 EOS40D撮影)