半夏生と書いてハンゲショウと読む。
その日辺りは田植えが終わって稲苗が分割して苞が芽吹き甘い汁がでるからヨコバイ(ウンカ)が付く時期になる。
そんな頃ゆえ稲に居ついて食害する虫は駆除しなければならない。
それゆえ害虫は田んぼから追い払う虫送りをしていた山添村桐山。
そんな情景は昭和58年に布目ダムに沈む前のことだと話す住民たち。
当時は鉦と太鼓を叩いて先導し、田んぼの周りを練り歩いて翳した松明の火で虫を送っていた。
松明の先は杉の葉をつけていたのでよく燃えたそうだ。
着火はマッチの火だったそうだ。
松明を持つのは男たちで子供も混じっていたという。
終戦直後のことだから当時は子供だったとその記憶を話すKさん65歳。
ダムができて移転した和田地区の公民館に集まってきた地区の男性たち。
その夜はハゲッショと呼んでいる会食寄り合いの日だ。
虫送りをしなくなっても寄り合いだけはされている。
かつての虫送りでは松明を持って虫を送り終えれば戸隠神社の社務所に集まって飲食をともにしていた。
それだけになってしまったハゲッショの虫送り。
当時は家で作ったごちそうを持ってきて食べていたが手間を省くようになって今はパック詰め料理の膳だ。
仕出しの膳は大橋の商店に注文をされている。
桐山は18軒ほどだが13人も集まった。
男ばかりだというから家長の集まりでもある。
上がるやいなや静岡県にある秋葉神社から郵送されたお札を授かる。
それは火災鎮護のありがたいお札だ。
およそ30年前に地区で小屋が燃える火事が発生した。
そのことをきっかけに始まったお札配り。
氏神さんに秋葉さんの末社を祀っているから火防、火伏の神さんである本山の秋葉さんに参るようにしたそうだ。
遠いだけに毎年行くこともできないから郵送してもらっているが、来年は参拝する予定にしていると話す。
会食は区長の挨拶とオトナ衆の一人である長老の発声で乾杯をされて始まった。
今年は軍団でやってくるサルに悩まされている。
栽培したタマネギはごっそり引き抜かれた。
年々増えるいっぽうでカボチャは子ザルも抱えてねぐらへ持って帰って食べているらしい。
サルは賢い。
田んぼを荒らすのは虫でなくサルになってしまったと話しながら会食がすすんでいった。
(H23. 7. 2 EOS40D撮影)
その日辺りは田植えが終わって稲苗が分割して苞が芽吹き甘い汁がでるからヨコバイ(ウンカ)が付く時期になる。
そんな頃ゆえ稲に居ついて食害する虫は駆除しなければならない。
それゆえ害虫は田んぼから追い払う虫送りをしていた山添村桐山。
そんな情景は昭和58年に布目ダムに沈む前のことだと話す住民たち。
当時は鉦と太鼓を叩いて先導し、田んぼの周りを練り歩いて翳した松明の火で虫を送っていた。
松明の先は杉の葉をつけていたのでよく燃えたそうだ。
着火はマッチの火だったそうだ。
松明を持つのは男たちで子供も混じっていたという。
終戦直後のことだから当時は子供だったとその記憶を話すKさん65歳。
ダムができて移転した和田地区の公民館に集まってきた地区の男性たち。
その夜はハゲッショと呼んでいる会食寄り合いの日だ。
虫送りをしなくなっても寄り合いだけはされている。
かつての虫送りでは松明を持って虫を送り終えれば戸隠神社の社務所に集まって飲食をともにしていた。
それだけになってしまったハゲッショの虫送り。
当時は家で作ったごちそうを持ってきて食べていたが手間を省くようになって今はパック詰め料理の膳だ。
仕出しの膳は大橋の商店に注文をされている。
桐山は18軒ほどだが13人も集まった。
男ばかりだというから家長の集まりでもある。
上がるやいなや静岡県にある秋葉神社から郵送されたお札を授かる。
それは火災鎮護のありがたいお札だ。
およそ30年前に地区で小屋が燃える火事が発生した。
そのことをきっかけに始まったお札配り。
氏神さんに秋葉さんの末社を祀っているから火防、火伏の神さんである本山の秋葉さんに参るようにしたそうだ。
遠いだけに毎年行くこともできないから郵送してもらっているが、来年は参拝する予定にしていると話す。
会食は区長の挨拶とオトナ衆の一人である長老の発声で乾杯をされて始まった。
今年は軍団でやってくるサルに悩まされている。
栽培したタマネギはごっそり引き抜かれた。
年々増えるいっぽうでカボチャは子ザルも抱えてねぐらへ持って帰って食べているらしい。
サルは賢い。
田んぼを荒らすのは虫でなくサルになってしまったと話しながら会食がすすんでいった。
(H23. 7. 2 EOS40D撮影)